賀島

『カランカラン』


 今日はシノブが少し遅れちゃった。


「待った?」

「ボクも今来たばっかり」


 挨拶もそこそこに歴史談義に。今日の焦点は、吾妻鏡の十月二十日の記載で伊集院さんが注目しているのは、


『武衛駿河の国賀島に到らしめ給う』


 ここなんだ。前日は伊東祐親の詮議を黄瀬川で行い、黄瀬川から動いていないのは確実だから、頼朝が移動したのは十月二十日の一日のみになるのよね。


「ボクも探して回ったんだけど、賀島の地名の比定が出来ないんだよ」

「地名は変わりますから」

「それにしても無さすぎる気がする。強いて一番近いのは加島だけど・・・」


 加島は現在のJR富士駅あたりになるのだけど、


「あの辺りは当時の富士川の中洲地帯のはずです」

「良く知ってるね。そうなんだよ、あそこには平家軍は進んでいた可能性は高いけど、あんなところに頼朝がいたら即合戦だよ」


 武田軍が本格的に渡河したのは、平家軍が撤退した後だろうなのは合意。


「当時の軍勢の移動も街道に従って動くんだよ。頼朝が加島に進もうとしたら平家越あたりで陣を敷いている武田軍の横を通り抜けないと無理なんだ」


 地形をやっといて良かった。伊集院さんの話がダイレクトにわかるもの。


「では賀島は?」

「その前に吾妻鏡の十月二十一日の頼朝の動きだけど、


『宿を黄瀬河に遷せしめ給う』


 黄瀬川に帰ったとなってる」


 朝には平家軍がいなくなったから帰れるのは帰れると思うけど、


「その後に奥州から駆けつけた義経と対面するのだけど、


『今日、弱冠一人御旅館の砌に佇む。鎌倉殿に謁し奉るべきの由を称す。實平・宗遠・義實等これを怪しみ、執啓すること能わず。刻を移すの処、武衛自らこの事を聞かしめ給う。』


 黄瀬川の頼朝館に義経が来て、頼朝に会わせてくれって頼むのだけど、怪しまれてかなり待たされたってところかな」


 いきなり頼朝の弟と名乗られてもニセモノと怪しまれたんだろうな。


「ただ義経記では少し違う。


『九郎御曹司浮島が原に着き給ひ、兵衛佐殿の陣の前三町ばかり引退いて、陣をとり、暫く息を休められける。』


 義経が頼朝に会ったのは浮嶋原だとなってるんだ」

「そこから待たされて、会ったのは黄瀬川って可能性は?」

「義経記では頼朝が見つけて、そのまま連れて行かれて対面してるんだ、会った場所も、


『佐殿御陣と申すは、大幕百八十町引きたりければ、その内は八ヶ国の大名小名のみ居たり。各々敷皮にて有りける。佐殿御座敷には畳一畳敷きたれ共、佐殿も敷皮にぞおはしける。』


 どう読んでも黄瀬川の御旅亭じゃないよ」

「でも義経記の資料性は怪しいんじゃ」


 伊集院さんはグラスを傾けた後に、


「結崎さん。あなたは素晴らしい。ここまで話が出来る人に初めて会った気がする。義経記の資料性の評価はその通りだが、これぐらいしか頼朝の賀島を推測する材料はないと考えてる」

「どういうことですか」

「義経記の成立は吾妻鏡より後なんだ。平家物語が膾炙しているにも関わらず、黄瀬川対面を取っていない点に注目してる」


 言われてみれば源平合戦と言えば平家物語になるものね。それも琵琶法師が全国行脚しているようなもの。義経記は源平合戦から二百年以上後の成立だけど、わざわざ平家物語の黄瀬川対面を外すのは妙と言えば妙だ。


「結崎さんは良く知ってられるようだから、説明は省くけど、頼朝が黄瀬川から富士川を目指すとすれば東海道になる。この進路上には武田軍が先着して布陣しており、これより前に進んだ可能性どころか、追いついた可能性もないと考えてる」

「わかった、柏原駅ぐらいまでが精いっぱい」

「鋭いね。黄瀬川から柏原駅までなら十五キロぐらいだから、移動は距離的に可能だ」


 当時の地名の指し方はわかんないけど、柏原駅も浮嶋原の一部と言えないことないものね。


「じゃあ、賀島は柏原駅ですか?」

「可能性はゼロじゃない程度だ。偵察隊程度は送り出した可能性はあるけど、頼朝は黄瀬川から動いていない可能性の方が高いと考えてる」


 伊集院さんはマティーニをオーダーして、


「今日はここまでにしよう。結崎さんがここまで知っているとはボクが見くびり過ぎてた。今日の予定は富士川の広がりと街道の話にしようと思っていたのだけど、その程度は基礎知識だったんだね。柏原駅と浮嶋原がすぐに結びついたので良くわかるもの」

「そんなことはないです。富士川の合戦の話をするから予習しただけで・・・」

「あははは、予習レベルを越えてるよ。武田軍は十月十四日に平家軍と鉢田合戦をやっている。これに勝った武田軍は中道往還を南下してるわけだ。待ち構えたのは中道往還と東海道、さらに根方街道が結ばれる平家越あたりと見て良いはずだ」


 頼朝は富士川の後に大きく勢力を伸ばし、反平家の旗頭的な地位に昇り詰めるけど、この時期だけで言えば、まだまだ源氏の一勢力。甲斐の武田信義とどちらが格上かは微妙。そりゃ、義朝の子だから河内源氏の嫡々だけど、自前の手勢とか所領があるわけじゃないものね。


 でも褒められて嬉しかったな。頑張って調べたかいがあったと思ったもの。それより伊集院さんに褒めてもらったことが、もっと嬉しい感じがする。そう、なにかすっごい楽しい時間を過ごしてるって感じるもの。ここは聞いちゃえ、


「ところで伊集院さんは、お医者さんだからもてるんでしょうね」

「もててたら、一人で飲んでないよ。医者であるのはもてるために十分条件かもしれないけど、必要条件がなければ、もてないってこと」

「でもこれだけ歴史の話が出来るじゃないですか」

「オタクはもてるためのマイナス条件だよ」


 かもしれない。かもしれないけど、そこを気に入られたら文句なしだよ。これで四回目だけど、優しいのは間違いない、それに誠実なのはよくわかる。スタイルだって抜群じゃないけど悪くない。顔も右に同じ。


「結崎さんこそもてるんでしょ。こんな男と歴史の話をするより、もっとイイ男がわんさか湧いてきそう」

「それがサッパリ。やっぱり歴女なのが必要条件のマイナスかも」


 そこで二人で大笑い。後は雑談みたいなものになりましたが、


「良く飲まれますね」


 やっべえ、三十階の調子で飲んでた。あそこで飲むと感覚狂うのよね。とにかく底なしと大ウワバミの競演だものね。コトリ先輩は女神依存性と言ってたけど、ホントにそう思う。ワイン一本ぐらい食前酒みたいなものだし。


「結崎さんの歴史知識が素晴らしいから次回はキモ中のキモに入れそうだよ」

「私なんか・・・」

「ずっと驚かされっぱなしだよ」


 シノブも楽しい。ムックってこういう事実の積み重ねを楽しむんだって、よくわかったもの。次も頑張って気に入ってもらうんだ。

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