楓の葉が散る頃に
岸泉明
第1話
楓の葉が散る頃に
茜色の空に吹く秋風が一度楓の木を揺らせば、たちまち見上げる緋色の天井が色鮮やかな紅の錦を纏う。一羽の浮浪烏が寂しそうに鳴き声をあげながらあの夕日の向こうに消えてゆく。
僕はそんな様子をぼうっと見つめながら、赤紫色のバラ数本を片手に、校舎裏である人物が来るのを待っていた。あと一時間もしないうちに、あのアルプスの向こう側に紅日は落ちてゆくだろう。僕はちらりと黒い腕時計を見た。午後四時二十七分。そろそろ来るはずだ。いつもなら三十分を過ぎるころに彼の方が来るはず。刻が一秒、また一秒経つたびに、僕の心臓の鼓動も早まった。
この時僕はある名もなき詩人の詩の一を思い出した。たわいもない散文詩だ。
あの楓の葉とともに
私の命は風に吹かれて散るかもしれぬ
あのガーベラの花のように
私の命は枯れるかもしれない
あの朝露のように
私の命は今日の昼を知らぬかもしれぬ
あの泡沫のように
私の命は儚く消えて無くなるかもしれない
嗚呼、人も花も木も草も
明日を知らぬかもしれぬ儚き命
僕は生きることになんの執着もなかったが、もし死ぬのであればただ一つの未練があった。この数本のバラには、僕の想いが全て込められていた。今から約一年前、ちょうどこの楓の木下で巡り合ったあなたに、想いを伝えたい。
気がつけばとけいのはりはすでに四十五分を過ぎていた。
遅い。そう思ったその時だった。校舎の方から人影が来るのがわかった。その人こそ、僕が想いを寄せる彼の方だった。僕は手に持ったバラをぎゅっと握り直し、一つ深呼吸をした。心臓が、燃えているかのようにひどく痛む。僕はとうとう意を決した。少しずつ近寄る彼女の元に行き、彼女の瞳を見つめながら必死に言葉を絞り出した。
「好きです、僕の気持ちを受け取ってください」
と。
彼女は一瞬「えっ?」という表情を浮かべて戸惑っていたが、もうその次の刻にはありふれた言葉が僕の胸に突き刺さった。
「ごめんなさい。私、彼氏いるの。」
そんなこと、ずっと前からわかっている。わかっていたんだ。でも、ここで伝えないときっと後悔する。そう思った。
「ごめんね」
僕は差し出していたバラを引っ込め、振り向きもせずに夢中になって彼女の帰り道と逆の方向に走り出した。
「ハア、ハア………」
息を切らしながら無我夢中で走ってたどり着いたのは昇降口前だった。野球部の練習する音が校庭に響いている。
「おい、時間だぜ」
僕は時計を見た。五時二分前。そうか、終わりだな。
「後悔は、もうないのか?」
「ああ、もう言いたいこと言えたよ」
「そうか、それは良かったな」
死神は皮肉な笑みを浮かべた。
僕は夕日に照らされた校庭の楓の木を見た。真っ赤に染まった葉は、一度風が吹けば散ってしまいそうだった。
「時間だ、最後になるが、もう後悔はないな?」
「ああ」
最後の最後に想いを伝えられて、よかった。
そしてアルプスから颪とも呼べる風が吹き荒んだ。楓の葉は散っていった。
楓の葉が散る頃に 岸泉明 @Kisisenmei
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