手紙

岸泉明

第1話

手紙


水晶みたいなガラスに閉じ込めたこはく色した飲み物は、林檎の果実を炭酸水の中に閉じ込めたアップルサイダー。ガラス瓶に口づけしながら僕はその甘い蜜の味のする液体を口に含んで飲み込んだ。甘いキスに似たその感覚は、僕をひとときではあるけれど絶望の底からすくい上げてくれた。

屋上から見る鈍色の街並みは酷く錆びているように思えた。例えば灰色のビルとか、毒キノコのような色合いの住宅の屋根とか、どこかメランコリーな生気を感じさせない街の木々などはこの世が天国でないことを視覚的に証明していた。世界は悲しみの色でできている。

屋上もこの世の一部だ。赤銅色になってしまったベンチや古い鉢植えがこの世は地獄なんだと僕に何も言わないで教えてくれる。

塾の数学の授業をサボってしまった。サボるのは、今日が初めてだ。なぜサボったのか、それを説明するには少々長い説明がいる。誰にも言いたくないけれど、言葉にしなければ何者かに押しつぶされてしまいそうな気もする。

アップルサイダーを錆びついたベンチに置いて、ひとつ大きな深呼吸をした。

「ふぅ」

ため息が、空に消えた。腕時計の青い針は冷たいまま動いている。


遡ること一時間前。僕は信じていた。自分の中の女神を。僕の手には純白の封筒が握れていた。その封筒の中に僕が閉じ込めていたのは恥ずかしいようで、美しいと信じていた感情だった。その手紙にはクラスメイトの明莉への秘めたる想いが綴られていた。

明莉は綺麗な女だ。クラス一、どころかこの世で一番綺麗だと思っていた。僕は去年から秘めていた刀鍛冶の鉄のように真っ赤に燃え盛る感情を一枚の便箋に込めた。放課後、さりげなく彼女に渡すべく完璧な計画を夜遅くまで考えていたけれど、もう全て終わりだ。

「あ、雨」

不気味に微笑んだ暗雲が先程までの青空を侵犯した。その鈍色の雲はこの世の景色によく似合っていた。ポツリポツリと降る雨が屋上を寂しく濡らしていく。雨宿りをしようかと思ったけれど、もうなんだか動くのも憂鬱で、傷口に塩水をかけるように僕の体に冷たい雨が染みていった。

ポケットに入っていた手紙はびしょびしょに濡れて、もはや文字が読めないくらいになっていた。こうなればもはやただのゴミ屑だ。僕の恋心はゴミ屑になってしまったのだ。

僕は手紙を屋上から放り投げた。こんなものが落ちてきても誰も怪我しないだろうし、投げたってなんの問題にもならないだろう。仮に地面に落ちてだれかが拾っても、読もうとも拾おうとする思わないだろう。

屋上から落としたびしょ濡れの感情が風に飛ばされていく。僕は涙に濡れた街を屋上から見つめていた。そらと僕は泣いていた。ただ、僕の流している涙と雨はもはや区別がつかなかった。



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手紙 岸泉明 @Kisisenmei

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