Session02-05 怒髪天

「……長居をしてしまったな。マーリエ、そろそろ失礼する。……また、折を見て顔を出す。」


 そう言うとアイルは席から立ち上がった。日が落ちてきて、橙色だいだいいろの光が教会の窓を赤く染め上げる。そろそろ、闇の帳が覆い始める時間であった。ルナもアイルに続いて立ち上がる。近くにいた子ども達の頭を撫でてやるが、皆が二人が帰るのを寂しく思っていた。


「……みんなで途中まで見送りましょうね。さぁ、立ちましょう?」


 マーリエがそう言うと、皆が笑顔で立ち上がる。そして、三人の手を引っ張りながら入り口の方へ向かっていった。そして、孤児院の入り口の扉を開けると、子供たちが怯えるように三人の足にしがみついた。年長の子どもも空元気を出しているが、怯えて居るのが見て取れる。入り口の外を見ると……五人。がらの悪い男達がニヤニヤとこちらを見ていた。


「……別嬪が三人もいるぜ。……たしか狙いは修道女だったか?」


「……ああ、そいつを攫えば金貨十枚よ。……ついでに一緒にいるやつらも攫っちまって楽しむとしようぜ。」


「俺の相棒でヒィヒィよがらせてやるぜ!」


 男達が下卑た笑みを浮かべて、舐め回すように三人の姿をみる。荒事に慣れてないはずのマーリエだが、子供たちがいるからか、気丈にもキッと睨んで見せていた。ルナに至っては、臨戦態勢を取っていた。流石に街中ということもあり、武器を下げてはいなかったが、彼女も戦女神の神殿で素手での技術を学んではいるため、身を守ることはできた。

 しかし……。


「……誰を攫うだと?」


 アイルが底冷えするような声で言った。


「……俺の花嫁を、誰が攫うだと?」


 ズンッ、ズンッと石畳が割れそうな音を立てながら一歩ずつ、男どもに近づく。


「……お前か?」


 ギンっと言う音がなりそうな程の勢いで、一人を睨みつける。その眼光の鋭さは男どもに息を呑ませるのに十分な強さだった。


「それとも……お前か?」


 また別の男を睨みつける。眼光の鋭さに「ヒィ!?」と悲鳴が漏れるのが聞こえた。このままでは自分たちの沽券に関わると判断したのだろう。腰に下げた剣を抜き放ち、アイルへ向かって構えた。


「ルナとマーリエは、俺の嫁だ。それを奪うと言うなら、容赦はしない。……さぁ行くぞ?」


 男どもが構えたのを見据えて、自身の腰を落とし構える。そして、正面の男……ではなく、右端にいた相手に飛びかかった。自分が攻撃されると考えていなかったのであろう。右端の男に素早く近づいたアイルは、構えていた剣の下から男の手を蹴り上げた。アイルに飛び込んだ勢いがあったとは言えども、心のどこかで”簡単な仕事”と見くびっていたのだろう。しっかりと握っていなかった為か、剣が上空へすっ飛んでいく。その光景に、所持者である男自体が呆けたように「へ?」と声をあげた。そして、そのまま、蹴り上げた足を男の頭に叩き落とす。足を戻す勢いを維持したまま蹴り倒し、地面に叩きつけた。ドサッと言う音と共に男は倒れ、ビクッビクッと小刻みに痙攣をしていた。

 気を失った男の隣に居たやつが「ヒィィィ!?」と声を上げながら、斬りかかってきた。アイルの眼光と、今の一瞬の攻撃に恐れをなしたのであろう、腰が引けている上に大振りな攻撃であった。アイルはその攻撃に対して、避ける事を選択しなかった。一歩……一歩踏み込み、左手で振り下ろしてきた手を抑える。そして、右手の掌底で相手の右肘を打ち抜いた。

 ゴギン!

 そんな鈍い音が響き、相手の腕が本来曲がらない方向に折れ曲がる。男が悲鳴を上げる暇を与えず、手を抑えたまま、一歩踏み込み、くるりと背を向け男を背負い投げた。

 ドスン!!

 と、石畳の上で鈍い音が響いた。その恐ろしい武技の冴えに男どもは、戦慄していた。しかし、一人はアイルが背を向けている今が”隙き”と考え、自身を鼓舞するためか、雄叫びを上げながら剣で突きかかった。男達の中で一番貫禄がある男が止める暇もなかった。アイルが襲いかかってくる男に、今気づいたかの様にゆっくりと振り返る。後少し。後少しでこの鬼人族を殺せる。男はそう思った。だが、その緩慢な動きこそがアイルの誘いであった。男の突き込んでくる腕を両手で抑え、自分の身体の横を通すように引っ張って勢いを作り、そのまま肩から相手の身体に体当たりを浴びせたのだ。自分から襲いかかった勢いとアイルに引っ張られた勢い、そして、アイル自身が突っ込む勢いが相乗して、もの凄い衝撃が男の身体を走り抜ける。アイルが男の体から離れ、立ち上がると、男はグラりと身体を揺らし、ドサリと倒れ込んだ。


「な、なんだあいつ!?あ、あんなのがいるなんて聞いてないぞ!?お、俺は抜けるぜ!!」


「……馬鹿野郎!!」


 貫禄のある男が止めるのも聞かずに一人が逃げ去った。二人がかりで戦えば、勝算は……ない。男はそう踏んでいた。五人でかかれば得物がある分、可能性はあったかも知れない。だが、初めの威圧、その後の各個撃破によって完全に士気を砕かれた。一人は逃げ、自分しか残っていない。底辺の傭兵ではあるが、曲がりなりにもここまで生き延びた直感が囁く。プライドなど銅貨一枚にもなりはしない……と。


「ヒィィィ!?お、俺は関係ねぇ!!俺は騙されたんだ!?」


 逃げた男が、眼帯をした男と、小人族の女に捕まってこっちに向かってくるのが、視界の片隅に見えた。”前門の虎、後門の狼”って奴か。男はそう呟いた。虎は今も殺気を撒き散らし、男が隙きを見せた瞬間、躍りかかってくるだろう。逃げようとしても、眼帯の男と小人族の女は、”その筋”の輩だと予想がついた。ならば、逃げ道はない。で、あれば……。


「降参する。そして、一点、提案がある。」


 男は剣を捨てた上で、両手を上げてみせた。しかし、アイルは表情を変えず、殺気を撒き散らしながら、一歩、また一歩と近づいてくる。そして、アイルの拳の間合いまで縮まった。女として見れば美しい顔が、怒りによって壮絶な凄みを持っていた。拳を呼吸と共に引き、気合いと共に掌底を男の顎に向かって放つ。

 男には、それがゆっくりと進んでくるように見えた。流石に年貢の納め時かと考えながら、迫る掌底を目を逸らさずに見続けた。これが自分に届けば首の骨が折れ、そのまま死ぬだろう。そう予測できる鋭さだった。自分に死をもたらす一手を、土産と考えて見つめ続ける。そして……顎に当たる寸前に止まった。


「……一切合切を話せ。まずはそれからだ。」


 男は、自分の見立てが間違ってなかったこと、そして賭けに勝ったことを神に感謝した。

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