第3話 先生と珠希ちゃん

「熱は……、ないみたいね。

頭が痛いとか、お腹が痛いとかある?」


 本当はどこかで一人になりたかったけど、学校を抜け出す度胸もなくて、結局保健室にきてしまった。


 長くて柔らかそうな髪を後ろでひとつに束ねた保健室の先生は、私から受け取った体温計に視線を落とす。


「いえ、なんかだるくて……。

昨日眠れなかったから、かもしれないです」


 熱もないし、特別痛いところがあるわけでもないのに、仮病だって思われるかな……。


 ただのサボリじゃないと怒られるかもしれないけど、本当のことなんて言えるわけなく、言葉に詰まりながら言い訳をする。


 授業中に考えごとしてたら、泣きそうになったから逃げてきた、なんて言えるわけないよ。

 そんなこと言って、おかしいこだと思われたくない。


「そうなんだ、眠れなかったんだね。

それはよくあることなのかな? それとも、昨日だけ?」


 怒られるかなとビクビクしてたけど、だるいから保健室にきたと言っても、先生は特に怒ったりはしなかった。先生は柔らかい笑みを浮かべながら、私の目を見つめる。


「よくあるってほどじゃ……。

たまに、です」


「そっか、お勉強してるのかな?

それとも、何か悩みごと?」


「いえ、特にそういうわけじゃ……。

なんとなく眠れなかっただけです」


 なんだか何でも受け止めてくれそうな優しい先生の雰囲気に、つい本当のことを話してしまいそうになる。この先生に話したら、もしかしたら聞いてくれるのかもしれない。


 だけど、何をどうやって話したらいいのか分からない。いじめられてるとか、家庭で虐待されてるとか、何か大きな悩みがあるわけじゃないから……。


 どうでもいいことやほんのささいなことまでいつまでも引きずって、さっきの発言は失敗だったかなとか、何であんな失敗したんだろうとか、そんなことをぐるぐる考えているだけ。


 そんな頭の中のザワザワが何時間も止まらなくなって、眠れなくなったりとか、授業中に泣きそうになったりするの。


 そんなの……、おかしいよね。

 どう考えても普通じゃないよね。

 私以外のみんなはすぐに切り替えて次のことを考えているのに、何で私はこんな性格なのかな。


 やっぱり話せないよ……。

 誰かに聞いてほしいけど、誰かに話しておかしい子だと思われるのが怖い。


 もしも否定されたら?

 そんなのは普通じゃないって責められたら?


 そう思うと誰にも心の内を打ち明けることができず、先生にも苦笑いを返すことしかできなかった。


 せっかく私のことを気にしてくれたのに、何にも答えることが出来ずに申し訳なく思っていると、先生は私の目をじっと見て、それからふわりと優しく笑った。そういう時もあるよね、と。


「じゃあ、少しベッドで寝ていく?

今ちょうどひとつ空いてるのよ」


 先生は特に根掘り葉掘り聞くこともなく、カーテンがしまっていない壁際のベッドを指す。


「え、あ、はい……」


 私としては助かるけど、いいのかな……。

 熱もないし、そこまで体に異常があるってわけでもないのに、こんなに簡単に休む許可を出して、他の先生から怒られたりしないのかな。


 こんなに甘くても大丈夫なのかなと考えながらも、先生に促されて、空いているベッドのそばでスリッパを脱ぐ。


「先生-! ちょっとだけ寝かせて-!

もう、限界ー」


 スリッパを脱いでベッドに上がり、白いカーテンを半分くらいまでしめていると、保健室に騒がしく誰かが入ってくる。


 にぎやかなその子は、去年同じクラスだった佐藤珠希(さとうたまき)ちゃんだった。


 珠希ちゃんは校則違反ギリギリまで色を抜いた髪をてっぺんでおだんごにして、これまた校則違反ギリギリの短いスカートをはき、そして大胆に第二ボタンまで開けられた白シャツからは蝶の形のネックレスが見えていた。


 見た目も性格も派手な珠希ちゃんは、珠希ちゃんと同じような派手で目立つ子たちばかりのグループに属していて、珠希ちゃんのグループの人は私からしたらちょっと怖くて話しかけづらかったんだけど、珠希ちゃんだけは別だったんだよね。


「珠希ちゃん、体調が悪い人ばっかりなんだから静かにね。今日はどうしたの?

あ、でもね、今ベッドがいっぱいなのよ」


「え~!」


 珠希ちゃんはベッドが空いていないことに不服そうな声を出すと、カーテンがしまっているベッドをひとつひとつうらめしそうに見る。……あ、目が合っちゃった。


「つっきーじゃん! 久しぶり~!

入れて~」


 唯一カーテンが半開きのところにいた私と目が合うなり、珠希ちゃんはこちらに直進してきて、私の返事も聞かずにベッドに上がってくる。


 やっぱり珠希ちゃんは相変わらずだね。

 つっきーなんてあだ名で呼ぶのは珠希ちゃんくらいだよ。


 珠希ちゃんはフレンドリーでオープンな性格で、分け隔てなく誰とでも気さくに話すし、去年同じクラスだった頃はこんな私にもよく話しかけてくれていた。


 それに、斉藤月子(さいとうつきこ)と佐藤珠希(さとうたまき)で出席番号も近くて、一年生の時は何かと同じグループになる機会も多くて、必然的に話すことも多かったんだ。


 会えば話すし、たまたま帰りが一緒になった時に何度か一緒に帰ったこともある。だけど、今年クラスが離れてからはわざわざメールでやりとりすることもないし、休みの日に遊んだこともない。


 だから、珠希ちゃんと友達かと聞かれたら、正直答えに迷ってしまう。


 でも、私は珠希ちゃんが好き。

 珠希ちゃんは本来なら苦手な部類の派手なグループの女子だし、返事も聞かずにベッドに上がり込むなんて、もし他の子にされたらちょっと嫌だなと思ってしまうかもしれないけど、珠希ちゃんだと不思議と嫌な気分にならない。


 たぶん、珠希ちゃんは私にとって他の子とは違うから……。珠希ちゃんはきっとそうじゃないだろうけど、私にとって珠希ちゃんは特別な子なの。


「つっきーのベッドに入れてもらうからいいや、先生。あたしら友達なの。ね?」


 ……珠希ちゃん私のこと友達だと思ってくれてたんだ。珠希ちゃんに友だちと言われたことが嬉しくえ、少し照れながらうなずくと、珠希ちゃんはシャッとすばやくカーテンを閉める。


 それから、珠希ちゃんはベッドの半分にゴロンと横になって、早速スマホを取り出した。

 相変わらずマイペースだよね……。


「あの、珠希ちゃん?

珠希ちゃんは、どこか体調悪いの?」


 高速でスマホを操作してる珠希ちゃんを見てると体調が悪そうには見えないし、むしろ元気そうだけど……。


「ん~、実は昨日フラレちゃってさぁ。

ショックで授業どころじゃないの。

ほら失恋休暇ってやつ?」


「え? また別れちゃったの?」


 学校にも失恋休暇とかあるのかな。


 いや、それよりも、つい、またとか言っちゃった。 

 失礼だよね……。

 失恋したばかりの珠希ちゃんに何てことを……。


「そう。また、またまたまた! フラれた~」


 私の発言なんて全く気にしてないのか、珠希ちゃんはむしろそれをネタにするかのようにあっけらかんと笑う。


 もう少し静かにね、とカーテンの外から先生に注意されると、珠希ちゃんは舌を出してから、私に体を近づけて声をひそめる。


「もっとノリのいいやつかと思ったのにイメージと違った、重すぎるって毎回フラれちゃうんだよね。あたしって重いのかなぁ」


 珠希ちゃんは笑顔は崩さなかったけど、はあと小さくため息をついた。


 珠希ちゃんは少し惚れっぽいみたいで、先輩だったり、同じクラスの男子だったり、しょっちゅう付き合う人が変わってる。

 でも、毎回本気で、一途で、すごく尽くしてるように私には思えた。


「そんなことないよ。

可愛くて明るい珠希ちゃんみたいな子を振るなんて、相手に見る目がないんだよ」


 もし私が男の子だったら、珠希ちゃんみたいな子と付き合えたら、きっとすごく嬉しいと思うのに。

 だから、なんで毎回フラれちゃうのかが全然分からない。


 本心を言うと、珠希ちゃんはにぱっと笑って、すぐに私にぎゅうと抱きついてきた。


「も~! つっきー大好き!

つっきーが男だったらよかったのに」


 声を抑えながらも、嬉しそうにする珠希ちゃんの声がやけに近くて、珠希ちゃんのぬくもりになんだかドキマギしてしまう。


 軽いノリだとしても、誰かに好きと言ってもらえることはやっぱり嬉しい。こんな私を好きなんて言ってくれる子なんて、めったにいないから。


「あ、そういや、つっきーは恋とかどうなの?

あの例の前田くんと同じクラスなんだよね?

なんかあった?」


 珠希ちゃんは思いついたようにぱっと体を離すと、ちょっとニヤニヤしながらも私をつつく。


 そういえば去年珠希ちゃんに気になる人を聞かれた時に、前田くんの名前を出したかな?


 前田くんは憧れの人だけど、恋……とは違う気がするし、私が前田くんと親しくなるなんて絶対にないと思う。想像さえも出来ないもん。


 実際同じクラスになってもほとんど会話さえもしたことがないし……あ、でも。


「特に何もないけど、今日前田くんがおはようって言ってくれたんだ」


 今朝は友達に言われたことがショックでそれどころじゃなかったけど、あの時おはようって言われたんだった。


 憧れの前田くんから挨拶してもらえたんだ。

 たった一言言葉を交わしたことを思い出しただけで嬉しすぎて、自然と笑顔になってしまう。


 そんな私を珠希ちゃんは呆れたような目で見る。


「つっきーさぁ……。

もっとガンガン押してかないと、誰かにとられちゃうよ?」


「え……、でも……芸能人への憧れみたいなものだから、付き合いたいとかじゃないから、大丈夫。話しかける勇気もないし……」


「え~、メンドクサイなぁ。

なんかじれったい~。あたしこういうのイライラするんだよね。ほっとけないっていうか~」


 珠希ちゃんは唇をとがらすと、すねたようにそう言う。


 メンドクサイ、イライラする。

 やっぱり、そうだよね……。

 珠希ちゃんにまで言われちゃった。


 何で私っていつも人をイライラさせちゃうんだろう。どうしたらもっと上手く人と話せるのかな……。


「そうだ! あたし、協力したげる!

実は~、あたし前田くんとちょっとした知り合いなのよね。元カレの友達?っていうか」


 またぐるぐると自己嫌悪して自分の世界に閉じこもりかけていたのに、そんなことを言い出した珠希ちゃんに拍子抜けしてしまう。


「ええ? いいよ、そんな。

なんで珠希ちゃんはそんなに楽しそうなの?」


 何でだか全く分からないけど、珠希ちゃんは楽しくて楽しくてたまらないといった顔をしている。


 さっき私のことメンドクサイって言ったばかりなのに……。珠希ちゃんも私に関わりたくないと思ったんじゃないの?


「だって、楽しいじゃん? こういうのって。

あたし誰かをとりもったりするの好きなんだよね~」


「でも、さっきメンドクサイって言ったし、私と関わりたくないと思ったんじゃないの?」


 恐る恐るそう言うと、珠希ちゃんは考えこむように目をつぶってから、それからぷっと吹き出した。


「なにそれ~、つっきーマイナス思考すぎ~! 意味わかんない!

友達なのに関わりたくないなんて思うわけないじゃん!」


 え? 目が点になっている私なんてお構いなしに、珠希ちゃんはケタケタと笑っている。


 その声が少し響いたのか、先生に静かにねと二度目の注意をされると、反射的に私たちは顔を見合わせて、シーと人差し指を口を当てた。


 それが何だかおかしくて、何がおかしいのか分からないけど、とにかくおかしくて、私まで笑いがこみ上げてくる。こみ上げてくる笑いをおさえるために両手を口に当て、必死で笑いをこらえた。


 さすがに三度目はいい加減追い出されそうだし、他の人にも迷惑だよね。


 珠希ちゃんを見ると私と同じことをしていて、それがよけいにおかしかった。


 こんなに心から楽しいと思ったことなんて、何年振りかな……。もしかしたら、初めてかもしれない。


 珠希ちゃんと話していたらあっという間に時間が過ぎていたらしく、しばらくして聞こえてきたチャイムの音でハッとする。


 もう1時間目終わっちゃったんだ。

 次の授業は、数学だったかな。


 うちの学校は、保健室のベッドを使えるのは一日1時間までで、それ以上休みたい場合は早退もしくは病院に行くというルールがある。


 私も、戻らないと。

 珠希ちゃんとベッドの外に出ると、すでに他のベッドのカーテンは開いていて、中にも誰もいなくて空っぽだった。私たちが一番最後だったみたい。


 先生にありがとうございました、と挨拶して背を向けると、待ってと引き留められたので振り向く。


「斉藤さん、だったよね。

もし何かあったら、いつでもきてね。

休み時間は難しそうだったら、朝でも放課後でもいいから」


 何かって、何だろう。何かって言われても、何も特別なことはないんだけどな……。


 先生は絶対にきなさいと強制することもなく、私を問いただすこともなく、ただふわりと優しくほほえんでいるだけ。


 保健室の先生に相談したり、スクールカウンセラーに聞いてもらわなきゃいけないほどの特別なことなんて私には何もないはずだけど……。


「......は、い。ありがとうございます」


 先生の優しい瞳に見つめられると、なんだかまるで私の全てを見透かされたような気分になって、少し居心地が悪かった。なんとか一言だけ返事をした私にうなずいてから、珠希ちゃんもねと付け足してから、先生は手を振る。


 珠希ちゃんが手を振り返した横で私も頭を下げて、それから二人で保健室を出た。

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