戦争の臭い

舟虫

足音がしない男

 昭和30年頃の小樽駅前は「靴みがき」がずらっと並んでいた。

 駅を海へむかって少し下った角に郵便局舎があり、その二階が私の生家だった。築大正14年、局舎・住宅兼用の古い建物で昭和23年に、父が戦地から帰還し局長として勤務を引き継いでいた。一階が電信・電話ボックスが付随した局舎で、二階へ続く廊下の床下は石灰入れ、二階に続き三階は、はしごで登る隠し部屋のような風で一家八人が住んでいた。

 4人兄弟姉妹のうち、私を含め下3人が戦後っ子である。

 年も近くお転婆、ワンパク共は体を余していたし家中を遊び場にしていた。階段の上り下りは音が局舎に響かぬよう、特に厳しく云われていたがしょっちゅう「うるさいぞ」と父が階下から怒鳴っていた。階段を隔てて二階の局員用の休憩室は昼食用等に使っていた。

 局員の中に手品が好きで、私達子供にも、披露してくれたYさん、穏やかで生真面目な人だったが、どうしてなのか足音もなく階段を上り下りしていた。

 ある時、母に「どうしてあのおじさんだけ階段の音がしないの?」と聞いたことがあった。「あの方はね、陸軍の中野学校の出なのよ」それだけ言うとあとは口をつぐんだ。わからない答えであったが、中野学校の名前は恐いものとして耳に残った。

 それが、私と戦争との初めての出会いであった。

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