girls be ambitious! side story

英 蝶眠

Episode1

海と風と星と─郷原優子編─


 造り酒屋は蜜柑畑を縫うように走る坂の果ての、小高い丘の上にあった。


 朝になると広縁に朝日が目一杯射し込んで、午後は陽が山の陰となって、海風で夏場は特に涼しくなる。


「優子、宿題終わらせてから遊びに行きんさい」


「はーい」


 二階の屋根裏部屋は特に涼しかったので、郷原ごうはら優子は早々と宿題を済ませると、自転車を駆って蜜柑畑の坂道を下り、集落に一つしかなかった小中学校のグラウンドを目指した。


「造り酒屋の優ちゃん」


 といえばよく自転車を乗り回し、グラウンドで走り回ったりする活発な女の子として集落では知られている。


「フリフリでヒラヒラな恰好ばしよるけん、余計目立っとった」


 呉の駅前にある手芸用品の店でレースを買って、和裁の得意であった祖母から習った裁縫で、ワンピースやブラウスの襟や袖口に片っ端からレースをつけて、遊びに行くのも日常茶飯事であった。



 集落の小中学生は全部で四十人もいるかいないかで、その中で特に優子の服は少し変わっていたからか、


「郷原さんとこの優ちゃん、少し変わっとるけぇありゃ何かの病か何かじゃなかろうか」


 などと言われ、さすがに思春期を迎え中学も受験生となると、寄り付いて遊ぶ者もほとんどいなかった。


 生徒の間では、


──あれは中二病ぞ。


 などと噂され、たまにではあるが椅子に画鋲を撒かれたり、鞄がゴミ箱に捨てられたりというのが起こるようになっていた。


 しかし。


「郷原、一緒に帰らん?」


 いつも誘ってくれたのは、造り酒屋の手前の駐在所に住む、警察官の息子の清平きよひら翔馬であった。


「うちといると、ショーマも一緒にいじめられるけぇ…」


 消極的な優子に、


「おなごを守るんが男じゃ、そげなもん構わん」


 気にすることなく並んで坂をのぼってゆく。





 翔馬は警官の倅だけに正義感は強く、


「郷原の鞄ばゴミ箱に捨てよったん誰じゃ!」


 などと食ってかかっては、取っ組み合いの喧嘩で顔に傷を作ったりもする。


 優子はそれが胸が痛かったのか、


「もうやらんでえぇって…」


「何してや?! お前が言えんことを俺が言うちゃっとるんぞ?!」


 翔馬は優子の肩を掴んだ。


「…俺が、郷原ば守っちゃるけぇ安心せぇ」


 痛いぐらい真っ直ぐな眼差しで言われると、優子は何も言えなくなる。


 小さい頃は同い年というぐらいで意識すらしていなかったのに、いつから気にするようになったのかは優子にも分からなかったらしい。



 今は仕方なく並んで通学したり帰ったりしているが、


(出来るなら別々がえぇ)


 けど、いざ一人の帰り道となると寂しくてたまらない。


 これが何であるか、優子はよく分からない。


「…どうしたらえぇんじゃろか」


 屋根裏部屋へ帰り着くと、ブレザーの制服姿のままぼんやりと考えることも増えた。


 そうした週末、


「郷原、頼みがあるんじゃけど?」


 電話の声の主は翔馬である。


「今度、ちょっと宮島まで届け物のあるけぇ、ついてきて欲しいんやけど」


「…一人で行かれんの?」


「ったく…郷原もカンが鈍いのぉ」


 とりあえず約束だけは取り付けて電話を切った。



 約束の日曜日、朝早くバスターミナルで待ち合わせた翔馬と優子は始発のバスでまず島と本土を結ぶ橋を渡って呉まで出て、呉線で広島駅まで出てから、宮島口を目指した。


 優子は真っ青なワンピースにレースがついたお気に入りの一着を着て出てきた。


 たまにレースを買いにぐらいしか来ない呉の街ですら混んでいるように見えるのに、まして広島は当時の優子にすれば大都会で、翔馬とはぐれたら二度と島に帰れないのではないかと、心細くなってきた。


「郷原とはぐれたら、俺が困るけぇ」


 急に翔馬は優子の手を握った。


「…」


 優子は言葉にならない言葉を探したまま、首まで真っ赤になるぐらい耳まで紅潮した。



 それからは手をつないだまま、とうとう宮島口まで来てしまった。


 桟橋まで歩いて、フェリーで宮島に渡ると外国人が数多あまたいて優子は人酔いしそうになったが、翔馬とはぐれるのが怖くて手をつないだまま、土産物屋の角を曲がって奥まった、翔馬の親戚だという家まで届け物を無事に済ませた。


「せっかく来たけぇ、お参りだけでもしとく?」


 優子が初めて意志をあらわした。


 翔馬と優子は拝観料を払って、寝殿造の廻廊を巡ってから本殿で参拝し、札所でお守りを買った。


「な、交換しとかん?」


 さっき優子はピンク、翔馬は青のお守りを買ったのだが、


「互いに持ち合いしとったら、互いに守ってくれそうじゃろ?」


 翔馬の提案で、優子は青のお守りを渡された。


(ピンク良かったのに…)


 内心が口から出かかったが、こんなところで喧嘩なんかして帰れなくなるのは困るので、優子は黙っていた。



 帰りは行きのJRをそのまま乗って、たまたま呉行であったので、呉まで帰ることが出来た。


 バスまで少し時間があったので、ベンチで並んで座った。


「…郷原、お前好きな人おるんか?」


 いきなりなクエスチョンに優子は驚いた。


「おらんよ」


 優子は言った。


「…実は好きな子がいてな」


「うん」


「そいつ、明るいし楽しいんやけど、たまに一人ぼっちなときがあって、そいつのことずっと見とって。ほじゃけど、そいつ受験やから、邪魔したらいけんって思うん」


 翔馬の目は強い力がこもっている。



「…あのさ」


 優子がいいかけた瞬間、バスが来た。


 すぐさま乗った。


 かなり疲れ果てたのか、優子はそのまま翔馬の肩に頭をのせて、ターミナルまで眠ってしまった。


「…着いたで」


「うん…」


 目をこすりながら優子が起きると、夕暮れのターミナルである。


「郷原、なんか言おうとしたんか?」


「…寝とったけぇ覚えとらん」


 翔馬は苦笑いした。


「ま、思い出したら聞く」


 すでに暗くなり始めた坂道を、二人は登り始めた。



 それからしばらく、二人で通学して二人で帰るのだけは変わらなかったが、前のように話すことは少なくなった。


 蜜柑の収穫時期が終わって、優子の造り酒屋で蜜柑のリキュールの仕込みが始まった夕方、翔馬はいつもの帰り道で、


「…あのな、優子」


 初めて下の名前で呼ばれたので驚いたが、


「お前に、言うとかんといけんことがあって」


「何?」


「…目を閉じて」


 言われるがまま優子は目を閉じた。


 次の瞬間、何かが触れた。


 ビックリして目を開けると、翔馬の唇が優子の唇に触れている。


 翔馬はスッと離れた。


「お前のこと、ずっと好きやった」


「…急に言われても困る」


 無理もない。


 しかも、いきなりファーストキスまで奪われたのだから、冷静でいろということに無茶がある。



「前に言うてた好きな子って…」


「あれは優子のことじゃ」


 翔馬は背を向けてから、


「ずっと可愛い思うとった。顔も、仕草も、あとそのフリフリのヒラヒラの服も」


「えっ…」


「ほじゃけぇ、その服を活かせることしたらえぇん違うか?」


「ショーマ…」


 ずっと優子のそばにいてくれたのは、そういうことだったのかと初めて理解した。


 優子は自分の今までよく分からなかった気持ちも分かったようで、


「ショーマ、ありがと」


 今度は優子から翔馬へキスを返した。



 その頃から優子と翔馬は、手をつないで二人で歩くようになった。


 しかし。


 ほどなく通学の朝、優子は大きな封筒を抱えて坂をおりてきた。


「うち、島を出て進学しよう思う」


 薄い紫色の封筒にはライラック女学院高等部、とある。


「ここの学校、アイドル部いう部活があって、うち…そこ行こうって思うんよ」


「どこにあるん?」


「札幌やから、北海道じゃね」


 翔馬は驚いたが、


「…優子が行きたいならえぇと思う。だって、優子の夢なんじゃろ?」


 翔馬は横を向いたままである。



 クリスマスが近づいた頃、蜜柑畑の坂から少し入った丘の開けた穴場へ、優子は翔馬に連れてきてもらった。


「ここな、よう夜景が見えるん」


 遮るものがない海の向こう側に、まるで煌星きらぼしでも散りばめたような広島の街の灯が見える。


「俺は優子がどこに行っても、必ず待ってる。ほじゃけぇ、優子は優子らしく夢を追えばえぇ」


 優子は何だか申し訳ない気持ちになって、


「ショーマ、ごめん…」


 目には涙が浮かんでいる。


「泣かんでえぇ。俺も島を出て、大阪にスポーツ推薦で行くから」


 互いに夢を叶えて再会しよう、と翔馬は言った。



 二月の札幌での入試を終えて帰って来てすぐのバレンタインの日、優子は生まれて初めて手作りチョコレートを翔馬に渡した。


「少しいびつじゃけど…」


「優子の気持ちにいびつも何もあるか」


 そういった翔馬の武骨な優しさが、優子は男らしく感じられたらしい。


 翔馬は初めて、優子の好きなものを認めてくれた。


「…恋って、こげな感じなんじゃね」


 優子は屋根裏部屋で小さくつぶやいた。



 バレンタインの夜、翔馬は優子の屋根裏部屋の窓の下まで来ると、


「…OK」


 優子は物音をたてないように抜け出した。


「一応、ゴムだけは持ってきたよ」


 二人は前に夜景を眺めた蜜柑畑の中へ入ると、


「…会えなくなる前に、ね」


 翔馬と優子は、中学生らしからぬキスを交わしたあと、互いの初めてを捧げあった。


「…優子、大丈夫?」


「大丈夫」


 優子は翔馬がこんな時でも優しいとは思わなかったらしく、初めてのはずなのに興奮してしまった。


「…ありがと」


 二人はしばらく抱き合ったまま、星を眺めていたが、寒くなってきたのを頃合いにそれぞれ帰途についた。



 三月、他所より少し早く咲く桜を見捨てるように、優子と翔馬は島からバスで呉駅へ出た。


 呉からは空港までバスが出ていて、優子は午後のフライトで新千歳まで行く。


「ここで、とりあえずお別れかぁ」


 翔馬は広島から新幹線なので、呉線へ乗る。


「LINE交換しとこ?」


 優子に言われ、二人はLINEのIDを交わした。


「…うちの純潔ば奪ったんじゃけ、責任取りんさいよ」


 優子は小さく囁いた。


「お、おぅ…」


 翔馬は面食らったが、


「さよならはうちは言わんよ」


「…またな、優子」


 優子が乗った空港行のバスを、小さく消えるまで見送ると、翔馬は切符とリュックを手に、呉駅の改札へと消えていった。



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