第23話 礼部侍郎補佐


 季節に一度行われる花見は、祭祀を司る礼部が主催である。礼部尚書は訪れる長官たちへの挨拶回りに忙しく、侍郎は礼部官吏たちの指示に忙しい。そこで、姫君たちの案内役に選ばれたのが桃真だった。

 王の妃たちの案内役とだけあり、桃真自身も見劣りしないように蒼家節全開の官服を着せられていた。じゃらじゃらと装飾品やら佩玉やらが邪魔くさい。いっそ雨でも降って中止になればよかったのに、と思わずにはいられなかった。

 どうして自分が好きでもない姫君たちのご機嫌伺いをしなければいけないんだ、とひそかに内心で憤っていたところ――桜妃率いる東南区画の姫君たちが到着した。

 頭を垂れて、拝礼をする。


「お待ちしておりました。桜妃様、世羅姫、英咲姫、雲緋姫」


 一瞬だけ彼女と重なった視線に、笑みを深める。

 なによりも嬉しかったのは、贈った簪を付けてくれていることだ。これでひとまず虫除けは安心できる。簪を贈られる意味を理解していないだろう桃花が愛おしい。

 いつもとは違う雰囲気の化粧は、元の張り詰めた糸のような雰囲気を和らげて、月影に咲く花が陽だまりに照らされたようだった。


「――とっても素敵だよ、桃花」


 甘やかな声に、頬を赤らめて視線を反らされる。


「簪も、してきてくれたんだね。すごく嬉しいよ」

「こ、これは、気づいたら挿されてただけです。あまり派手じゃないし、今日の服装にも合っているから……」

「気に入ってくれたんだ」


 むっすりと、頭から湯気を上げて黙り込んでしまった彼女に笑みがこぼれる。頬を撫でて、するりと髪をすくい上げて唇をつけた。周囲で「きゃぁ」と甲高い声が聞こえるが気にしない。


「な、な……!」

「もっと深い蒼を身にまとってくれていたなら、僕は極楽へ渡っていたかもしれない。天女のような君を、地上に繋ぎ止めることが僕にできるだろうか?」


 そのまま、顔を近づけて――目の前を金糸梅に遮られる。


「私のお客様にイジワルをしないでくださいませ。そろそろお仕事をなさった方がよろしいのでは?」

「……桜妃様」

「色ボケてないで早く案内をしてくださいませ」


 ツン、とそっぽを向いた桜妃は機嫌が悪そうだ。後ろに控える姫君たちは顔を赤らめていたり、ムスッとしていたり様々である。


 ムスッとしているのは世羅姫だ。以前から桃真に対して目立つ言動があり、近々主上に上言するつもりであった。主上がわざわざ桃真を連れて後宮内を歩くのは、目の役割もあるからだ。主上という慕うべき相手がおりならが、よその男に現を抜かす尻軽な姫は後宮には必要ない。

 遠くない未来、世羅姫は後宮から去ることになるだろう。せっかく六夫人にまでなったのに、もったいないことだ。


「さて、参りましょうか」


 上座に主上が座り、その左右に姫君たちが座することになる。右に椿妃と蘭妃。左に桜妃と葵妃だ。何とも言えない配置に思わず苦い顔をしてしまった。

 すでにほかの三妃はそろっており、桜妃を待っていたところ。言わずもがな、桜妃は葵妃と仲が悪いし、椿妃と蘭妃の仲もまた良いとは言えなかった。

 せめて違う組み合わせではいけなかったのだろうか、と礼部侍郎にこぼしたところ、占じ事での決定であるため、よほどの何かがない限り変更は難しいだろうとのこと。


 王城内での行事や催事の日取りや人の並び等は全て、神祀宮しんしぐうまじない師によって取り決められる。星読みなどを行う、三省六部とは別の独立した機関だ。

 神祇宮長官の小柄な老人はどことなく不気味な雰囲気で、桃真は苦手意識を抱いていた。そもそもまじない事というのが胡散臭くて信用ならない。

 神祇宮長官の呪いでは、第一に御子を身籠るのは夏の加護を受けた葵妃である、とされているが、流産である、とも占じられている。どうして最重要機密に近いそれを知っているのかと言えば、主上に呪いをする場に無理やり同席させられたからだ。職権乱用もいいところである。


「あら、御機嫌よう、桜妃様。今日も可愛らしいお召し物ね」


 さらさらと流れるせせらぎのような女性だった。深い真紅のスカートに、夜の闇の黒髪と白い肌が映えている。

 髪を編み込み結い上げている桜妃とは対照的に、艶やかな黒髪を流して花飾りに紅梅の簪を指しただけの葵妃だったが、濡れた瞳に、ぽってりと赤い唇はとても色香があり、微笑まれでもしたらコロッと男を落とせそうな傾城の美女であった。


「……御機嫌よう、葵妃様。葵妃様は相変わらず華のようでございますね」

「あらあら、ありがとう。嬉しい言葉だわ。ところで、桜妃様、わたし、」

「――お二人とも、そろそろ始まりますのでお席にお座りください」


 頭の痛くなる嫌味のやり取りに割って入り、桜妃が席に座るのを見届けてからほかの姫君も用意された席に着く。


「あの、桃真様、わたしはどこに座れば」

「僕の隣なんてどうかな?」

「わたしに死ねと仰ってる?」

「冗談だよ。桃花は桜妃様の後ろの席に座ってくれるかい」


 桜妃の斜め後ろに用意された席に「え」と表情を固めた。目立つ席だが、桃花の存在を周知するにはもってこいの場所だ。

 蒼い簪をつけた美しい少女。あどけなさを感じさせる面立ちだが、ひとつひとつが洗練されて、研ぎ澄まされた剣のような輝きを放つ少女――桃花に、桃真は周囲がどんな反応をするのか楽しみでしかたなかった。お気に入りの玩具を見せびらかす子供の気分だ。


「大丈夫、安心して。君はとても綺麗で可愛らしい。桜妃様の後ろに控えても問題ないよ」

「そ、そういうことを言っているんじゃない……! もっと目立たない席とか、ないのか!?」


 時折崩れる口調すら愛おしい。もっと素の彼女を見たいと思い、ついイジワルをしてしまうのだ。

 こうしている間にも、視線が集まりつつあることに彼女は気づいていない。見せびらかしたい気持ちと、大事に大事に箱にしまって鍵をかけて自分だけのものにしてしまいたいという気持ちが拮抗する。

 これが恋なのか、愛なのか定かではない。真っ当な感情じゃあないことは自覚済みだ。

 歪んだ感情を向けられていることに気づいていない可愛い(可哀そうな)桃花は、焦った表情で桃真の袖を掴んでいる。

 少女めいた、人形のような美貌をしていながら、口調は男童のようで、そんな懸隔ギャップすら魅力のひとつに見えてしまう。


「蒼官吏! 少しよろしいでしょうか?」

「あぁ、今行くよ。……ごめんね、もう行かなくては。僕がいなくて寂しいと思うけれど、いい子にして座っているんだよ」

「さ、寂しくなんかなんだからな!? 変なこと言っていないでさっさと行ってしまえっ」


 する、と解かれて手のひらを、きゅ、と引き留めて唇を寄せる。真っ赤になった顔で、振り上げられた手を躱して踵を返した。

 背中を向けた彼女がどんな表情かおをしているのかも知らずに、桃真は上機嫌に呼ばれた方へと向かうのだった。


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