第21話 簪


 侍医からの許可も出て、久方ぶりの桜妃とのお茶会だ。

 数人の侍女たちが反物や装飾品を持って、部屋の中を慌ただしく行き来するのを見ながら疑問を口にする。


「何か催し物でもあるんですか?」

「七日後に差し迫った御花園でのお花見よ。以前にも言っていたと思うけれど、桃花タオファさんもぜひ参加しましょうね。そのための衣装合わせよ。私からの贈り物だから、遠慮せず受け取ってちょうだいね」


 煌びやかな装飾品がずらりと並び、一目で上等だとわかる反物に目が眩む。体調は万全なはずなのに眩暈がした。きっと、このうちのひとつだけで家が建つだろう値のするものばかり。

 身の丈にあった服を着たいと思うが、なぜか桜妃や侍女たちはここぞとばかりに桃花を着飾らせたがった。


「……。そのお花見ではどんなことが行われるんですか?」


 桜はすっかり緑が混じり、新緑の香りが庭園に満ちている。御花園の桜はまだ見頃が続き、菖蒲や杜若もそろそろ咲き始める頃だ。

 御花園の広場に宴席会場が設けられ、役付きの官吏や武官も出席するいわゆる真昼間からの飲み会だとか。


 飲み会て、と呆れてしまうが、姫や侍女たちにとっては気が抜けない行事のひとつだ。どれだけ美しく、綺麗に姫を着飾れるかは侍女たちの御役目であるし、同時に、婚約者のいない侍女にとっては相手を見つける絶好の機会チャンス

 宮廷お抱えの楽士隊が音楽を奏で、詩を詠み、花を愛でる会であり、十九人全員の姫君が参加し、王を誘惑して気を引く一大行事イベントである。


 桜妃は黄家の姫君というだけあり、用意された反物は黄色系統の色彩が多い。派手過ぎず、地味過ぎない、けれど目を引く装いが妃には求められる。侍女たちが桜妃に布を当て、ああでもないこうでもないと言っているのを見ながらお茶を飲んだ。

 花見には三人から六人の侍女を伴っていくため、妃だけでなく侍女たちの衣装選びの場でもあった。天真爛漫な桜妃の影に隠れて普段はおとなしい侍女たちも、どこか楽し気で気分が上がっている様子だ。


 舞い衣装は内儀がいつも用意してくれるので、用意された衣装を着るだけの桃花は自分で服を選んだことがない。少し色味が違うだけで、どれも同じに見えてしまう。何が楽しいんだろうかと内心で首を傾げていた。


「――賑やかだね」


 ひょっこりと顔を出した桃真に侍女たちが頬を染め、ちらりと桃花を見る。

 意味深な視線にげんなりして、決して桃真と目を合わせないように、手持ち無沙汰に簪のひとつを手に取って眺めた。銀に琥珀の珠が連なった簪だが、わたしには似合わないな、と卓子に戻す。


「これが気になるのかい? ……こういう色よりも、君には蒼や寒色系のほうが似合うよ」

「……どうしてもわたしに蒼を身に付けさせたいんですネ」

「僕は君にソウを名乗ってほしいからね」


 きゃぁ、と甲高い声がして、今度こそ溜め息を我慢できなかった。

 珍しくひとりで来たのか、王様の姿は見当たらない。


 なんだかんだで、顔を合わせるのはあの身請け宣言ぶりだ。王様が来ることはあっても、桃真がくっついてやってくることはなかった。

 変に意識してドキドキしていた自分が馬鹿みたいじゃないか。

 とっさに返事ができなくて、「わたしにはわかりかねます」と答えた桃花に、桃真の笑みを歪めた表情がいつまでも脳裏に残っている。夢にまで出てきたときは思わず飛び起きてしまい、しばらく寝付くことができなかった。どうしてこんなにも悩まなくてはいけないのだと憤りすら感じている。


 当たり前のように、いつものように、勝手に椅子に腰かけた桃真はにこにことご機嫌な様子。呆れを滲ませながらも、興味を隠しきれていない桜妃が扇子の先でその平たい額を小突いた。


「随分ご機嫌なのね」

「えぇ。面倒な仕事は終わったし、桃花に会えたのでね」

「……それで、用もなくここを訪れたわけではないのでしょう? 私、というよりも桃花さんにご用事かしら?」


 にっこりと笑みを深めた桃真は、袖口から取り出した細長い小さめの桐箱を卓子に置く。す、と目の前に置かれたそれに、桃花は眉を顰めて色男を見た。


「どうぞ。僕からの贈り物だよ」


 またか、という思いに開けずに突き返したかった。

 桜妃の期待のこもった目に耐えられず、短く息を吐いて箱に手をかける。紐をするりと解き、蓋を持ち上げる。

 ――簪だった。銀に、透ける蒼い華の簪。銀の先に小ぶりの蓮が花開き、花びらはとても薄く蒼みがかった透明で、水面を模した銀細工が吊り下がっていた。


「――きれい」


 思わず吐息と感嘆の声を漏らした桃花に、満足気な桃真。


 簪を見た桜妃は、広げた扇子の裏で嘆息する。

 男性から女性へ簪を贈る意味を、少女は知らないのだろう。簪は、鋭い先から武器ともなり、「お前を守る」という意味と、「一生を添い遂げたい」という意味がある。つまるところ、求婚プロポーズだった。

 蓮の花は蒼家の紋花。蒼色は文字通り蒼家の色。銀細工の水紋は水と自然の美しい蒼州を表している。

 今までの贈り物も蒼色が多めで露骨だったが、ここまではっきりとした表現アピールに元婚約者の桜妃もドン引きだった。しかも本人は初恋で、まともな恋愛経験をしていない。完全に物で釣ろう作戦だ。桃花が簪を贈られる意味を理解していないとわかっていての犯行である。

 ちらり、と控えている侍女頭に目線を送れば苦笑いが返ってきた。


「これ、いままでの物よりずっと高価なんじゃ」

「気にしなくていいよ。僕から、桃花への贈り物なんだから。……あぁ、ちょうど髪を結わえているね。せっかくだから挿してあげよう」


 一目で簪を気に入ったのが目に見えて分かる。白い頬をかすかに赤らめて、目は簪に釘付けだった。しゃら、と銀細工が音を立て、桃真の手で髪に挿される。


「ど、どうですか?」

「ワァ、トッテモ似合ッテイルワ」


 棒読み加減が素晴らしかった。それでも嬉しそうな桃花に、桜妃は諦めた。


「やっぱり、僕の目に間違いはなかったね。うん、とってもよく似合っているよ。蒼い瞳と、黒髪によく映えている。以前贈った蒼いスカートと合わせたらぴったりなんじゃないかな?」

「さすがにそれはダメよ。私が許さないわ。そうね、その簪を付けるなら……その薄藍の反物をちょうだい」


 小柄な侍女が、端の方にあった反物を手に持ってくる。銀の織り込まれた糸で刺繍された蓮の花がきらきらと光を反射している。派手すぎない模様に、これなら、と桃花も妥協した。

 上衣には白を合わせ、清涼感のある装いは季節にもぴったりで桃花に似合うだろう。簪と同系色にすることで全体がまとまり、色合いこそ落ち着いているが銀の刺繍で華やかさが増す。

 どうせなら、黄の同系色でお揃いにしたかったのに、という不満は胸の内にしまいこんだ。


「当日は僕も参加するんだ。それまで、君の服装を楽しみにしているよ」


 きっと、綺麗で可愛らしいだろうね、という甘い言葉に背中がむず痒くなった。


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