第2話 若様の依頼(23.1.8改稿)
酒を持って戻った
「メ、
「お願いして、君と二人きりにしてもらったんだ」
「は、――いやいやいやいや、わたしは客は取らない!」
「もちろん聞いている。店主と、その奥方には話は通している。僕は、君に用があって来たんだ」
酒を落とさなかった自分を褒め称えたい。
はじめから光雅楼へ来たのは、桃花が目的であった、と桃真は言った。
客を取らず、座敷にも上がらない舞姫を手っ取り早く座敷へ呼ぶには、最上級遊女を指名できる金があると示すことが必要だった、と。
面布の下で、頬を引き攣らせる。
きっと姐はだしに使われたと拗ねているだろう。あとから甘菓子でも持って機嫌を取らないと、数日は拗ねたまま口をきいてくれなくなる。そんな子供っぽいところも愛らしい、と客には人気だった。
面倒な客ならそもそも内儀は、美美を新規のお客にあてがったりはしないだろう。客を見極める内儀の目は、桃花も信用していた。
「君の噂は聞いているよ。花街一の舞姫。色変わりの瞳の美しい舞姫。実際に観て、感激した。剣を自分の手足のように扱い、一切の呼吸の乱れもなく三曲を踊り切った。細い体にあるとは思えない力強さに圧倒され、天女の如く舞う姿に息を飲んだ」
「あ、――ありがとう、ございます」
褒められれば、素直に嬉しい。脳裏で情景を思い出しながら、語る桃真に気恥ずかしくなる。
お客様と接することのない桃花は、面と向かって賛辞を述べられることなんてなかった。拍手や喝采を受けるのみで、遊女や禿から労わられるくらいだ。
面布をしていてもわかる美しい相貌を、桃真は目を眇めて見つめる。ほかの男共が、素顔を暴きたいと言っていたのがわかる。どうして遊女ではないのか、首を傾げるほどに桃花は美しい。否、あどけなく可愛らしいと桃真は思った。
舞台の下から見上げた美しい舞姫と、ぎこちなく照れ笑う可愛らしい少女の
蒼い瞳を伏せ、ぎこちなく隣へ座った桃花は、慣れない手つきで酒を注ぐ。
禿に用意させた白酒は、口当たりはまろやかで香りも濃厚であり、飲みやすいが度数が高い。ついつい飲みすぎてしまうと、次の日に後悔する良い酒だ。
舐めるように一杯を呑んでしまった桃真に目を見張る。
空になった杯に酒を注ぎながら、早くこの時間が過ぎればいいのに、と願う。姐さんたちのように口も上手くないし、会話下手だから話も広げられない。ただ時折、桃真の言葉に相槌を打ちながら、酒を注ぐのを繰り返した。
「あの、わたしに用があるって、酒を注がせたかっただけなの、ですか?」
「――あぁ、初々しい君が可愛らしくて、本来の目的を忘れるところだった」
「そういうのは、姐さんたちに言って、ください」
きらきらしい顔面で甘い言葉を囁かれると砂糖を吐きそうになる。
「来月、王城にて武闘会が開催される」
「はぁ、舞踏会」
「戦う方の、武闘会だよ。有体に言ってしまえば、門番から精鋭兵まで入り交じりの腕試し大会ってところかな。普段厳しいあの上司に下克上、なんて目標を掲げている人たちもいてね」
「はぁ……それで、その武闘会とわたしと、何が関係あるのでしょう?」
酒が回っているのか、かすかに赤らんだ頬を笑みに緩ませて、桃真は口を開く。
「五、六年ぶりに開催されるとなって、大将たちがとても張り切っているんだ。会を盛り上げるために、花街から遊女を呼ぼうって話になって、そのお願いをしにここを訪れたわけなんだけども」
「なおさら、わたしではなく美姐さんや
「君に、武闘会を盛り上げる前座として剣舞を披露してもらいたい」
「――……は?」
ぽかん、と間抜けに口を開いたまま、固まってしまう。
蒼い双玉が、吊り灯篭の光を受けてきゅるりと煌めく。
空のように澄んだ蒼というよりは、陽の光の届かない深い海の色のようだと桃真は思った。
この国の民にはない、珍しい色だ。面布によって顔の下半分が隠れているが、どことなく異国の情緒を感じさせる顔立ちだった。
顔を隠す面布が、少女の
舞っている姿を見るまでは、尾ひれのついた噂だろうと高を括っていた。実際にこの目で見て、なんということか、想像していた倍以上に素晴らしい舞だ。
はたから経費で落とすつもりでいたので、金を惜しまず最前席を取ったのは正解だった。最前の席ともなれば、大華を買うのと同じ値段だったが、金額にふさわしい舞台だったと大満足だ。
汗臭い武闘会の前座を彼女が務めてくれたなら、会場の空気も澄み渡るだろう。青空の下で舞う彼女を、想像して頬が緩んだ。
「や、いや、待って、武闘会って、王様とかも見るんじゃ」
「そうだね。でも、君はそんなこと気にする性質なのかい?」
「気にするに決まってるだろ! わたしなんかよりも、もっと素晴らしい舞い手がいる」
「そりゃそうだろうね。けれど、僕は君がいいんだ。君の舞は粗削りなところもあったけれど、心がこもっていた。見る者を感動させ、心を動かすものがある。洗練された動きで、指先ひとつひとつが繊細で美しい。僕は、君の舞をぜひ我が君に観て欲しいと思ったんだ」
まるで口説かれている気持ちだ。
他じゃなく、桃花の舞がいい、と彼の御人は言う。これ以上ない誉め言葉に、顔が熱くなる。
「店主殿は笑顔で良いと仰られた。奥方は、君が良いと頷けば良いと。僕は今日、この夜の出会いに感謝している。天女のように素晴らしい舞い手と出会えたのだから。あとは君さえ頷いてくれればいいんだ。もちろん、謝礼はする。金でも反物でも、なんでも用意させよう」
真っすぐな瞳に見つめられ、熱い頬を隠そうと膝を見つめた。
「――わかりました。わたしでよろしければ、そのお話、お受けいたします」
熱烈な言葉に、桃花は頷くほかない。
「本当かい!? よかった……! これで僕の首も飛ばずにすむ!」
「ひぁっ!?」
酒の勢いもあり、喜びの感情が赴くまま、桃真の腕の中に閉じ込められた桃花は勢いよく手を振り上げた。
バッチーン、と苛烈な音が弾ける。
頬にモミジの痕を付けた色男は、ご機嫌に光雅楼を後にするのだった。
翌日、赤いモミジをつけて王城へ出仕した桃真に、周囲があらぬ噂話を広げることになるとは、当の本人も知らぬところであった。
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