第12話 旅の始まり<2>


 あばら家を出た途端、武器や農具を持った村人たちに囲まれていた。


 問題を先送りにするにも限界がある、と村長は言っていた。

 しかし、限界にも程があるだろう。

 もう少し遅かったら洒落にならない事態になっていたに違いない。

 

「……来たら、村長の命はない!」


 驚く間もなく、にじり寄ってくる村人の足を止めさせる。

 一芝居。それは村長を人質にすること。


 村人たちは怯えや怒りを視線と表情で俺たちに訴えてくる。

 こんなに生々しい感情に晒されたのは生まれて初めてかもしれない。


 少しでも穏便に出ていけると思った自分が甘かった。

 とことん悪者になるしか道は残されていなかったのだ。

 これが魔獣に対する反応。

 

 そして、村人たちと一定の距離を置きながらじりじりと村から離れ、完全に外に出た。


「私を突き飛ばして……このまま真っすぐ走って」


「……助かりました」


 それだけ言って、言う通り村長を突き飛ばし俺たちは駆け出す。


「フレア・バレット!」


 背後から村長の炎弾が飛んでくる。しかし、当てるつもりはないはずだ。


 一瞬だけ振り返る。

 炎弾は確かに俺たちが先ほどまで居た場所に炸裂していた。

 俺たちを撃とうと見せかけて、アーツの勢いで追いかけようとしていた村人たちの動きを止めたのだ。


 罵声や村長を気遣う声が聞こえる。

 もう振り返ることは出来ない。

 ヨルム村そのものでは散々な目に遭ったが、願わくば村長にいつか恩返しをしたいと思った。

 


「……っはっ、はあっ、流石にもう無理……」


 全力疾走してどこまで行ったのか。

 無心で走って走って走った。振り返ればヨルム村はとっくに見えなくなっていた。


 気が緩んだことで、その場に座り込む。

 ダメだ、しばらく走れそうにない。


「ごしゅじん、大丈夫?」


 リルが心配そうに俺を見下ろす。

 余裕。全く息が切れていない。

 むしろ俺の速度に合わせてくれていたんじゃないかとさえ疑ってしまう。


「リルは……はーっ、っ、お前流石というか、なんていうか……駄目だ、一旦休憩」


 多少休憩したっていいだろう。

 前も後ろも真っすぐ道が続いているだけでまだ何も見えたものではない。


 袋から水袋を取り出す。

 飲み干す訳にはいかないのでちびちび口に含むようにして飲む。

 それでも喉は随分潤って落ち着く。


「良かったの、あれで」


「……いいんだよ、あれで。あれ以外、上手いやり方がない」


 村から見ると俺たちは略奪者になり下がってしまったわけだが、これで村長も被害者側に回ったことになる。


 そこまで他の街や村と交流がある訳ではなさそうな小さな村だったから、俺たちの噂はきっとこれから行くノウスに伝わることはないだろう。


 伝わったところで、それまでには俺たちは冒険者としてどこかの街に行くなり、別人だと思われてあっという間に風化する。あくまでも魔獣による被害が表沙汰にされるに違いない。

 きっと村長の書状もそんな内容になっているのだろう。

 

「これからどうするの?」


「まずはノウスに行く。それで冒険者になる、それから……」


「それから?」


「レベルを上げなおして、旅をしようと思うんだ。この世界の隅から隅まで」


 ブランクの間に実装された要素を満喫する、俺と同じくログアウト出来なくなった奴を探す。

 そしてもう一つ旅の目的が増えた。


「あいつらを探すんだ」


 右手の甲に刻まれたリルの紋章。

 あと三つ刻まれるべきものが、今はない。


 俺のデータと共に消えてしまったはずのリルがこうやって俺の前に現れたのなら、きっとどこかに居るに違いない。そんな気がし始めていた。

 

「また、ごしゅじんと一緒に冒険できるの?」


「ああ、そう――」


 ――そうだ、と言おうとして、今になって彼女にここへ来た理由を話してしまっていたことに気付いた。


 殴られたような気分だった。

 五年弱。ゲーム時間にして十年。


 そんな時間ずっと放置されて。

 それでもなお俺を信じて待ち続けて。

 挙句、戻ってきたと思ったら別れを言いに来たと告げられた側の気持ちは。


「リル、俺」


「いいよ、ごしゅじん。私は気にしていないから」


 何を言おうとしたのか、彼女は気付いたらしい。


「またこうして会えた。私はそれだけで十分――」


 風に銀髪を靡かせるリルの表情は窺い知れない。

 ゲームをしていない時、俺はリルたちがアクティブになっていないと思っていた。

 放っておいて悪かった、というのはあくまでも俺自身の気持ちの問題でしかないと思っていた。


 だが、本当にそうなのだろうか。

 もしかすると、本当にリルはずっと待っていたのかもしれない。

 いや、きっと待っていたのだ。


「――それに、今はちゃんと繋がってる。ごしゅじんを感じられる」


 俺に刻まれた紋章を撫で、そして、リルは自身の胸元を開く。

 手の紋章に似たデザインのものが鎖骨から胸のあたりに刻まれていた。

 狼の姿の時にはなかったものだ。


「……お前が、リルがそれでいいなら、いいんだ」

 

 指先で紋様をなぞるその姿に、彼女の瞳に湛えられたものを前に、それ以上何も言うことは出来ない。


「私はごしゅじんと冒険がしたい。さ、行こう。ごしゅじん」


「ああ」


 止めていた足を動かして、また歩み始める。

 そよ風が俺たちをすり抜けて、先に続く道先へと走っていく。


 ノウスの街までは遠いと聞く。

 背負った袋は少しだけ重たく感じる。


 この世界は全て俺の脳が錯覚しているはずのもの、仮想空間。

 けれど、あの時――再契約の時、流れてきたビジョン。

 リルの記憶。掻き毟られるような寂しさ。


 あれを錯覚というには、あまりにも鮮烈で現実感があって、リルに対して不誠実だと思った。

 俺はそれだけのことをしてしまったのだ。

 

 そして、いつかまた俺は彼女を傷つけることになる。

 突然ログアウトするかもしれない。

 俺はリルにどうしてやればいいのだろう。

 明確な答えは出ない。


 逆に、本当にしばらくログアウト出来ないかもしれない。

 だから、今は考えないことにした。


「袋、持つ?」


「ああ、大丈夫。今はこれがいい」


 一歩、二歩と踏みしめながら進んでいく。

 袋の重さが、間違いなく俺の存在がここにあると教えてくれている。


「ごしゅじん、腕掴んでいい?」


「って、もう掴んでるじゃないか」


「ふふ、人間になったらやってみたかったんだ」


 そして、確かに感じる彼女の掴む腕の感触と温度。


 この時初めて、ログアウトしたくない、と思ってしまっていた。

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