第4話 クラウスの修理

 シュナジーはレース出場の準備に追われていた。


 チームの仲間であるボブがそのサポートをしている。


「なあシュナジー、今日もあいつが来ているぜ! このレースも優勝は難しいな」


「そんな事ないさ、ボブ。その為に改良をしてきたのだ」


「しかし、予算不足だし、相手の車と装備が全く違う」


「そこは俺の腕でカバーするさ!」


 改造したシュナジーの車はとても馬力があって足周りも整っている。

良いパーツは限りなくあり、性能を上げようと思えばいくらでもできる。だが部品もお金がかかり、シュナジーには買えない。


 地元の小さなレース会場に出場する車の大半は、勝負を競うものではなく、改造を施された車を会場の皆に見てもらおうとした物も多くあった。

 シュナジーも始めはそれと同じだったが、十回ほどレースに出た頃、スピードと性能を重視するやつが現れた。名前はキュリーだ。


「お前の車は俺に絶対勝てない、始めからわかりきっている」


 その時の言葉に火がついた。


 シュナジーは車の販売店の社員だ。ピープルというメーカーの車を売っている。レースに出す車も同じメーカーを購入してから独自で改造を施し楽しんでいた。またキュリーらも別のメーカーの販売店をしている者達だった。


 職種は同じ販売業だが、扱う車の車種も違えば性能も違う。シュナジーの車はピープル社製、相手のメーカー名はJCR社製。二つを比べると向こうの車種の方は人気があり、売れている。性能が上である分値段も張る。シュナジーの勤める販売店が扱っているメーカーといえばどちらかというと、低価格で一般ユーザー向けの物が多く、仕事向けのトラックが専門だった。


 間もなく予選が始まる。シュナジー達の前をキュリーのチームが通る。


「また負けに来たのかシュナジーよ!」


「口の悪さは相変わらずだな、キュリー」


「お前の車はいくらいじっても俺達には勝てないよ」


「そういうお前らの車は車体が大き過ぎるさ。燃料を多く使い過ぎて、単なる石油の無駄使いにすぎない」


「レースに燃料の事を考えてどうする? お前の乗っている車こそそれ自体が無駄だよ。それを改造する時間と費用が更に無駄、JCR社製の車に乗り換える方が手っ取り早いぞ。まあそれでも俺の腕には勝てないだろうしな」


 キュリーは相変わらず強気でレースに挑む。周りの参加者もつられ、皆スピード重視になってきて、シュナジーにとって以前よりおもしろくない。それにキュリーとは仕事中にもお客の取り合いになる事が時々ある。


「確かにJCR社製の車は高級で性能がいいものな」


「ボブ、何言っているのか? どっちの見方だ」


「いや、冷静に見るとね、でもどちらも改造しているから元の車が何でも関係ないだろうよ」


「当たり前さ、俺はずっとこの車で乗り続けて行くのさ」


「そうだな、シュナジーの腕はピカイチだからな」




***




 マナ村でいつものように仕事を続けている。

 工場はボスとマッキーの他にあと二人のおじさんが働いていた。おじさんというよりほぼおじいさんと言った方がいいくらいの年齢。

 マチと言う名前のおじさんはギャンブル三昧で借金まみれ、奥さんに逃げられ、金を返す為に働いている。

 もう一人ホーリーは酒好きで毎日飲んで既にアルコール依存症だ。こちらも一人身だ。 マッキーにとってはおじさん達が酒は飲んでも、父と違い、働いているだけまだましだと思っている。

 あまり仕事をしないが、この辺りでは人手も少なく、こんな人達でもボスは雇い入れている。


 いつになくボスの大きな声が響く。


「マッキー、今日は忙しくなるぞ。この車のエンジン分解とトランスミッションの交換を同時進行しなければならない」


「この車って大きいですね。うちの村ではあまり見かけないですけど」


 マッキーはギャンブルが大好きなマチと話す。


「昔は大きな車がはやった。景気もよく仕事もあまりしなくてよかった時代だよ。まあその時のつけが今、まわってきて忙しくなっているのだろうな」


酒好きおじさんホーリーも話にのってきた。


「わたしも昔これに乗って街を走りまわっていた。それも今となってはわたしと一緒で調子が悪くなってしまって、修理せざるを得なくなったのだろうな」



「そうですか……」


 マッキーはホーリーの話を一応聞いてはいるが、街は何処の事を言っているのか分からないし、整備する車が変わるたび話の中に昔乗っていた事を言うので、半信半疑になる。しかしこの車がかなりの距離を走っていたのは感じ取れるし、老朽化している事も間違いない。




***




 レースの予選記録が出た。



「やったなシュナジー、予選通過はともかくキュリーの記録を抜いたぜ!」


「このくらい軽いさ、ここはコースがそんなに広くない。俺の車にとっても好都合だし、それに今日は車の調子がいいよ」


「しかしシュナジー、油断はできないよ。あいつらはまだ本気を出していないかもな」


「まあまあ、そこは結果を出せば分かる事だろ」


 レースは順調に進んでいて、予選記録で区切られたグループが十台ずつスタートする。

 数台が同時に走行するので走りにくく、アクシデントも多い。


「なあ、シュナジー、いつもこのレースに出ているけど、よそではもっと大規模な大会をやっているだろ? 他のレースに出ようと思わないのか?」


「そうだな、俺だって出てみたいさ。しかしこの町の小さな大会でさえ強敵がいるのだぜ。よそに行くともっと速いやつがいて、俺なんて相手にされないと思うけどな」


「急に弱気だな、キュリーと話す時はもっと強気しゃないか」


「しかしな、最近になって俺のマシンはやっぱり限界があると、うすうす思ってきたよ。俺だっていずれはプロのレーサーになりたいと思っている。だけど車を極めようとすればするほど奥が深い事に気づかされて、先がとても長く感じる」


「ここまでやってきた事だけでもたいしたものじゃないか、俺はシュナジーが何処に行こうとも付いて行くよ」


「サンキューな、ボブ、おっ順番がまわってきた」




***




「よし、マッキー、ギヤケースとエンジンを組み上げるぞ」


「はい! こっちは大丈夫です」


 四人で息を合わせて、大きなエンジンを一斉に組み上げる。エンジン本体をウインチで釣り上げている機械はボスが操作する。


「待て待て、ゆっくりだ、そっちのクランクからかませていく。あー、じいさん! ギヤケースの向き違うよ、この車はフライホールを着ける部分が正面だ」


 なにしろ、いつもより大きな車体なうえ、エンジンも大きく重量もある。皆失敗しないように慎重になっていた。マッキーの顔は手で拭ってすすが付き、あとの三人も同じだった。


「よし、ズレが戻った。ボルトを締めてくれ」


「下のケースも留めますか」


「そこは最後だ。とりあえずエンジンを車体へ組み込み、釣り上げたワイヤを外すまで気を抜くな。ボルトの締め忘れに注意しろ」


 その大きい車のエンジンはみるみるうちにに組み上がっていき、作業している者は汚れて行くがエンジンは磨かれてピカピカだ。


「それでは降ろして行くぞ」


 車体にエンジンがのると大きなボディーが少し揺れた。


「ここまでくれば一安心だな。マッキー、下側を止めこんでくれ」


 ボスがウインチワイヤーからエンジンを切り離した。皆でエンジンを車本体にボルトで固定する。


「しかし、エンジンを降ろすのは大変ですね」


「そりゃー大変だよ、昔はよく降ろしていたけどな」



 またワンパターンの返事がホーリーから帰って来る。



 

***




 レースは終盤を迎えていた。トーナメント方式でいつものようにシュナジーとキュリーで一位争いが続いている。


 やはりJCR製の車体は直線ラインでは速く、キュリーが前の方へ出て有利だったが、カーブではシュナジーが前へ出る。レースはそれの繰り返しだった。


「クソー、なかなか離れないな。やっぱりキュリーの馬力の方が上だからな」


「うろちょろするなシュナジー、目障りだ」


「キュリーお前こそでかい図体で道幅を広くとりやがって、邪魔だ」


 キュリーの車は大排気量の力で、直線エリアを加速させシュナジーを突き放した。


「じゃーなー、先行くぜ! ヤッホー!」


キュリーの車を見失いかけながらも、必死に追いかけるシュナジー。


「バカだキュリー、カーブに早く入りすぎだ」


 キュリーの車はカーブを曲がり切れずに、車体が外側へ流れてしまった。後を続くシュナジーが攻めていき、軽い車体を使い、てこずっているキュリーをあっと言う間に追い越した。


「キュリーは張り切りすぎだな、残り一周、いける! ラストスパート」


「クソッ! 絶対勝たせん。あと一周もある」


 前を走るシュナジーに追うキュリー。

 二台の走る前方に周回遅れの車が見えてきた。

 その車は速度がとても遅かったので、追突しそうになったシュナジーが速度を落とす。その隙をみてキュリーがまたカーブを曲がりきれない速度で追い越しを掛けた。接触しそうになったシュナジーは慌ててハンドルを戻し立て直す。


 追い越したキュリーは周回遅れの車を引っかけて行った。その車は反動でスピンして止まった。シュナジーもその車への追突を避けようと同じくスピン。周回遅れの車にシュナジーは接触して止まってしまった。


「何する! キュリー! 卑怯だぞ」


 ボブはキュリーのを許せなかった。結局シュナジーは他の車にも追い抜かれ、順位は低かっだ。



「おおっ! シュナジーお疲れだったな、まったくキュリーのやり方は相変わらずだ。とても惜しいところまで来ていたのに」


 車を降りて帰ってきたシュナジー。


「まいったな、あいつのせいで順位は後ろの方だ。情けないぜ」


「いや、良くやったよ。中盤までは巻き返していたじゃないか、それで十分だよ」


「ボブ、今日はやけにフォローしてくれるじゃん?」


「そうか? 実際そうだったじゃないか。まあ次回取り返せばいいさ」


「そうだな……」




***



「皆、残業させてすまんな。もう少しだからがんばってくれ」


「はい!」


 ここでマッキーだけが返事した。


 マッキーのいる工場では、早朝から四人で一つの大きな車体のエンジンをバラして磨き、ギアを研磨して調整、また元の形に組上げるところまで行う。

 この作業は急いで行うものでもなかったが、同時に四人で部品を組み上げる事で効率よく手順を進めていける。

 また、この車の納期も迫っている。作業は深夜までかかって無事に終わった。


「マッキー、エンジンを始動させてみろ」


 車に乗り込み、マッキーは座ってエンジンをかけた、大きなシートに小柄な体で前が見えていない。


 大きな車のエンジンは音域の低い排気音をたて、スムーズにまわり始めた。


「マッキー、ありがとう、修理は完了だ。明日は休んで良いぞ。このところ働きっぱなしだろ」


「ありがとうございます」


 マッキーはその時、クラウスと書かれた不思議な車の事が頭に浮かんだ。


「ボス、ワシ達も休んで良いのかい?」


「お前達はこの間も休んだだろ。どうせ休んでもバクチをしているか家で酒を飲んで酔いつぶれているだけだろ、まだ働いている方が健康的だ」


 夜中まで灯していた工場の明かりがやっと消えた。




 翌日あんなに遅くまで働いていたマッキーだが、朝早く目が覚めた。不思議な車の事が気になってあまり眠れていなかった。



 マッキーは山手に建ち並ぶ工場の一部を借りて、そこを住居として生活している。


 辺りの工場は人がいなくなってからずっと閉鎖され、マッキーの住居としている工場も随分前に閉鎖、ボスの知り合いがここを使っていいと提供してもらった。


 ここは製糸工場跡地みたいで当時の機械類がそのまま残っており、壁の端にはボイラーが二基装備している。

 製糸工場は多量の水が必要なので外には大きな貯水タンクがある。それをボイラーで沸かして使っていたのだろう。

 ここに製糸工場があると言う事は辺には綺麗な水が湧き出ていたに違いない。しかし地下水が枯れた今となっては工場は機能しないのが当然で、ここで働いていた人々は職を失った。


 マッキーは当時の事や様子を全く知らないで暮らしていた。工場にある倉庫の屋根は隙間だらけで冬は寒い。広すぎる空間に夜の明かりは少なく暗い。奥の物置に一人で寝泊まりしている。

 こんなすすけた所に住んでいると病気になりそうだが、本人にとっては酒ばかり飲んで働かない父親の所にいるよりよっぽどましだった。



 マッキーはここに不思議な車、クラウスを持ってきていた。

それを修理してみる事に決めたのだ。


「見ればみるほど奇麗なボディー。虹色がかっているのは何故だろう。シルエットも自然に近い流線型、それに窓ガラスがないと思うくらいクリアー。このガラスは光すら反射しないのだろうか?」



 車体を片手で押してみると、やっぱり前へ押して軽く動かす事ができる。


「意味が分からないこの状態。浮いているのかと思うけど、そうじゃない」


 繋ぎ目の金具がかたく、油を差すと早速ボンネットを開けた。


「ん? これがエンジン? アルミでできている? この四角い箱は何だろう、それにボルト類がはまっていない」


 次にジャッキアップしてシャーシの腐食具合を調べた。車体をジャッキで上げる時はなぜか普通に重たい。


 このギヤボックスからシャフトが出てきて駆動輪につながっている。


 倉庫に保管していたからだろうかあんまり腐食は見られない。ただアルミでできているような四角い箱の底側からは沢山の細いパイプが数百本も異常に張り巡らされていて、エンジンルームの中を囲うように入り組んだ構造だった。


「うわー! やっぱりこれを修理しようなんて思ったのが間違いだった、仕組み自体、訳が分からないし交換する部品もないし、一体こんなの誰が造ったのだろう」


 張り巡らされたパイプ類は白く粉をふいている部分もあり、そのうちいくつかは外れて水が垂れていた。


「この車は最近の水冷エンジンなのか、しかし古い車」


 マッキーは朝早くから張り切っていたが、もう行き詰まってしまった。仕方なく眺めながらも外れていたパイプを一つ一つ繋ぎ、パイプ類を磨いた。


 バッテリーの積んである場所も分からない。


 動くはずのない車を見ていると、昨日の疲れが出て、そのまま眠ってしまった。



 高い山の上。厚い雲が山頂をかすめて行く。風が強く雲の流れが速い。

 その雲はやがて下界の方に雨を降らせ、川となり田畑へ流れ込んで行く。

 山の上の雲がなくなると太陽の日差しが直接あたり、暑くなってきた。


  マッキーの夢はここで覚めた。



 午前中だが日は真上に昇っていて、窓から入る太陽の光がまぶしく目が覚めた。


 マッキーはクラウスの車があるかすぐに確認した。この車は目を離すと消えてしまいそうな気がする。


「とりあえずパンクしているタイヤを交換しないと。確かうちの整備工場に廃棄する物があったはず。それと燃料が必要」


 飯も食べないで車を観察し、修理できるところは一つ一つ直した。どうせ一日何もする事がないし、今はこの車の謎過ぎていて、とてもワクワクし、心から楽しんでいた。車を直しても動くか分からないが、今はそんな事は考えていない。


 マッキーの一日はそれで終わった。




 車を発見してから幾日か過ぎた。整備工場は相変わらず忙しかった。


 毎日の生活を過ごして行く中で、少しずつではあるが、謎の車のパンクしていたタイヤを交換し、ブレーキ類はいったん分解して清掃。

 コツコツとクラウスを動くようにしていた。


 だけどいくつか分解できない所があり、エンジン部分もやっかいだ。ボルトもなければリベット留めしている訳でもない。

 これが分解できないとエンジンがまともに動くのか壊れているのかさえ分からないし、今の段階ではエンジンはかからない。

 燃料もガソリンや軽油、重油も入れて試してみた。目視でだけど、他には壊れているような部分が見あたらない。


 マッキーはまた壁にぶち当たった気分だ。




「おいマッキー! オイル交換は終わったか? 手が止まっているぞ!」


「はい、すみません。もうすぐ終わります」


「その車は、クリーナーシートも交換だぞ!」


「あっ、そうだった、はい! すみません」



 最近マッキーはクラウスの事で頭がいっぱいになっていて、仕事に身が入らない時が度々あった。自分でもそれはわかっていたが、気が付くとまたクラウスの事を考えていた。



 夕方、マチが外で誰かと話していた。

 またお客さんだろうか。


 何故ここの工場は車の依頼が多く、仕事は途切れないのか。夕暮れの影に映っている二人。話し声は微かに聞こえるが姿は見えない。

 マチとお客さんの影はやがて工場の中まで入って来る。

 わざわざ中まで案内するのか。そのときお客さんが誰だか判明した。



「マッキー、ここで働いていたのか。場所聞いていなかったからだいぶ探したぞ!」


「ああっ、シュナジー! よくここがわかったね」


「この村にはいくらも整備工場はなかったからな。行くところ一つ一つ聞いてまわったよ」


「いきなり来るからびっくりしたな、どうしたの?」


「突然思い出したように来てしまった、大した用事はないけどな」


「でも、この何もない村によく来る気になったよね」


「何もないかもしれないが、この村にはマッキーがいるだろ? それと一つ気になっていた事があったからな」


「ん?」



「この間の車だよ。もしかして、もうスクラップにかけてペタンコなのか?」


「ああっ、あの車は廃車にしてないしボスにも言ってないんだ。何かと気になってね。今は家に置いてある」


「やっぱりなぁ、俺もあれからど事なく気になっていたよ、直せば走るのじゃないかと」


「そうなんだ、俺もそんな気がして。同じだよ」


「それじゃー直しているのか? あれ、クラウス・スモービルだっけ」


「少しずつ直してはいるんだけど、今の段階じゃ動く気配全くないよ。構造がとても複雑でわかりづらく、息詰まっている所」


「やっぱり簡単には動かないかー、走ればおもしろそうな車だっただろ」


「それでも見てるだけでも楽しいよ。色もいいし、不思議な部分が結構あるからね。あとで家に見に来る?」


「おおっ、そのつもりだ。見たい見たい」


「もう少し待っていて、今日は残業なしで終われそうだから」


「わかった、外で待っているよ」




 外が薄暗くなってきた頃仕事が終わり、シュナジーを家まで案内した。


「すごいなここ。こんな所に住んでいるなんて、この工場を一個借り切っているのか?」


「いや、借りているわけではない、単に住ませてもらっているだけ」


「なんで住居でなくて倉庫なのか?」


「普通のアパートは家賃を払っていかなくてはならないからね。それにここは製糸工場跡、何も払いは要らないって言う事で使わせてもらっている。この辺りの工場群は水不足で廃業していて使っていないものばかりだよ。住宅地からは少し離れているけどね、俺にとってはそれがちょうど居心地いいんだ」




「いいな」


「えっ?」


「いいよな、俺も一度は広い工場や倉庫を借りて、自分のアジトとして暮らしてみたいと思った事がある。綺麗とか汚いとか関係ない。車を何台か置いて工具もそろえて、暇さえあれば車をいじっていたい。なにより車の見える所で寝られるのがいいよな、へへっ!」


 ウォータモルンにあるシュナジーの家庭はその辺の住民に比べても、それなりの裕福な家庭環境だった。

 しかし親と暮らしていた頃、両親は共働きで家族皆一緒に夕食を食べられる事がとても少なかった、故にシュナジーは車に興味を持っていたのもあって、ますます趣味として車の事に時間を費やし没頭していった。

 シュナジーにとってはマッキーのような生活が新鮮に見えた。


「へー、俺はあんまり理解できないよ。奥の部屋で寝てはいるが倉庫の中は油で臭いし。それに今は慣れたけど、始めは部屋が広過ぎて眠れなかった」


「やっぱり実際住むとイメージと違うか」


「まあ、そうはいっても気楽だけどね。俺は昔から人と接するのが苦手で、自分の中にあるリズムが崩れると、何もかもが嫌になる時があるんだ。そんな時は一人になれるし、その方が俺は楽なんだ。さあ早速例の車を中に入って見てみてよ、おもしろいよ」



 シュナジーは工場の中に入った。


「おおっ、出た、謎のクラウス。テンション上がるなぁ」


「とんでもなくすごい車じゃないかって思って、気づいたらここへ持ってきていた」


「こんな車だったっけ? 前に見た時と雰囲気が違うな」


「少し磨いたからかね、だいぶ修復もしたし。シュナジー、ここ下にもぐって見てよ、びっくりするよ」


 シュナジーは上着を脱ぐと、マッキーが言う所に仰向けになり、車の下側からエンジンルームをのぞいた。


「なんじゃこりゃ、まるで迷路のようだな。こんなの何処のメーカーが製造した? 特撮用の物か。にしてはよくできた偽物だな」


「偽物じゃないよ、ちゃんと機能するように設計して造られてある。あとはエンジンがまわればいいんだけど、今はこの作業は中断したまま」



「マッキー、ボンネット開けていいか?」


「いいよ、車体の下にレバーがある」


 初めてボンネット開けた時と同じように堅く、ゆっくり開けた。


「マッキー、この四角いのは何だ? 中央にある物」


「それね、勿論エンジンだと思うけど分解する事ができないんだよ」

「ふーん! マッキー一つ聞いていいか?」


「何!」



「これって燃料入れているのか」


「勿論さ。ガソリン入れている。ひょっとして違うのか?」


「石油とは違う。水だ! この車は水で動くんだよマッキー」


「なに、水で動く? そんなのある? 水と言う事がなんで分かるの」


「ここだよ、ここを見てくれ、文字が書いてあるだろ?」


「この文字? あるのはわかっていたけど、何と書いてあるの?」


「ヨウロ文字で、アクア、と読む。それに水蒸気のようなマーク、水に間違いないよな」


「ヨウロ文字? 聞いた事がないよ、シュナジーこの文字が読めるの? すごいね」


「なんとなくな。随分前に使われていた文字らしいよ。それにクラウスと言う水の神様が何かの神話に出ていなかったか? 話の内容は忘れたけどな」




「そうかー、水ね。だったら今入っているガソリンを抜かないと。洗浄に大量の水も必要。ここでは水が貴重なんだ」


「わかっているさ。マッキーの為に沢山の水をタンクへ入れてきたさ。車の中に有る。良質の水だ。車にはもったいないが、それ使うか?」


「ありがとう。生活に必要な水だが仕方がない、シュナジーもこの車の動くところみたいだろ?」


「見たいよ。ましてや水で動けばこれほどの発見はないからな」


「よし、じゃタンクを持って来るよ」



 シュナジーは一つ当たり、二五リットルは入っているだろうタンクを三缶、工場の中へ運び込んだ。

 マッキーはクラウスの車をジャッキアップして、下からガソリンを抜き、樽へ落とし込む。工場の中は石油の臭いが充満し、窓全て開けた。外は既に真っ暗だ。


 二人は夢中で時間の感覚が分からない。


「まずは洗浄剤を入れるね。でもこの缶は錆びているけど中身は大丈夫かな」


 マッキーは工場から持ってきた古い洗浄剤入りの缶を振り、燃料タンクへ流し込む。しかし灯油などにいつも混ぜ込む洗浄剤なので水と混ぜるのはものすごく違和感を思った。普通は混ざらないと考える。


「最後に脱脂剤だな。だけど油分がないとタンクが錆るか?」


「いや大丈夫だよ。このタンクはアルミで出来ていて、パイプ類もほとんどアルミだよ。よく考えてある。だけどこの車の特徴であるアルミの弱さが故障を招いたみたい」


「強度が足りてないって事か」


「こう古いと強度もなくなるのが当然かもね」



 車の燃料タンク内部の油分を完全に取り除く洗浄では、水を二缶以上使いきってしまった。


ジャッキから車を降ろした。



「シュナジー、水を入れていいよ」


「よし、残りの水を入れるぞ」


 シュナジーがウォータモルンからわざわざマッキーの為にくんできた水は、とうとう三缶とも使いきってしまった。

 しかし二人はかまわない。


「マッキー、何リットル入ったかな、まだ全然足りないみたいだけどしょうがないな、また今度持って来るさ」


 早速マッキーがエンジンをかけてみた。



「ん? やっぱりかからない」



「駄目か! 絶対水だと思ったけどな。損したな、水」


「ハハッ、こういう事もあるよ。休憩しようよ。コーヒーを入れるから待ってて、豆はボスがくれるんだ」



 シュナジーは離れたところから車を見ている。沸騰させたお湯を入れるとコーヒーの香りがしてきた。



「この車の謎は多いよ。ゆっくり探って行くしかないか。はいシュナジー、コーヒーできたよ」


「おう、ありがとう、マッキー、あの時にやっぱりこの車を俺がもらってもどうにもできなかったな」



 ふとシュナジーが窓の方へ目をやると、誰か見ていた気がしたが、暗くてよく見えない。


「どうしたシュナジー」


「今、誰かが窓の外にいなかったか?」


「誰かな? 近くの子供達かな、昼間だったらたまにおもちゃを修理してもらおうとここに来るんだ。でも昼間は俺もなかなかいないし、今日はシュナジーがいたから入ってこられなかったのかもしれないね」


「子供が近くに住んでいるのか、マッキーは優しいな……」


 シュナジーは小さく返事を返しながらも窓の方から目を離せなかった。



「マッキー、何かグツグツいってないか? 火を入れっぱなしだよ」


「えっ、きちんと止めているよ、ほらあそこ」


「そうだな、でも何か聞こえないか?」



 マッキーも耳をすました。虫の声だけが聞こえるが、じっと息を殺してみる。

 水が沸騰しているような音がかすかに聞こえた。


「ああ、何かグツグツ聞こえるね、何だろう」


 シュナジーは立ち上がり、窓の方へ行った。


「外からではないな、ひょっとしてこの車か」


 シュナジーは車のボディーに耳をつけた。


「これだ、ここから音がするぞ」


 マッキーもすぐ耳をつけた。


「ほんとだ、この車からだ。これって爆発するの?」


「爆発? まずいな、逃げないと。ここの工場も吹っ飛ぶぞ」


「すぐ外に出そうよ!」


「出そう! でもそうしているうちに爆発したら怖いな」


 グツグツの唸る音は神経を過敏にさせ、二人は車の周りをあたふた走り回った。


「とりあえず逃げよう! あらシュナジー、音が止まった?」


 車からの音は収まった。


「完全に音は止まったな」




 マッキーが車内のパネルを見ると、計器類のランプが点灯していて燃料の針は中間の位置を指している。燃料メーターの脇には何も書かれていなかったが、起動と同時に「パワータンク」の文字が表示されるようになった



「シュナジー、この車起動しているよ!」

「エンジンかけてみるか」


「うん!」



 マッキーは車に乗り込みエンジンをかけた。



 スフォーン!



「かかったよ。成功だな、マッキー」


 クラウスのエンジンは勢いよくかかった。だけど普通のエンジンよりも静か。シュナジーもワクワクしながら車内に乗り込む。


「すごいよなこれ、内装も昔の車とは思えないくらい未来的だな」


 ゆっくりした速度でタイヤは転がり、車体は少しずつ前進していった。さっき慌てて車を外に出そうとして、外したブレーキのロックを戻していなかった。


「マッキー、前へ転がっているぞ!」


「あっ、ブレーキ! あれっ、利かないよ、まずい」


 シュナジーがドアから足を出して止めようとするが、もう間に合わない。表が下り坂になっている為、車が前へ進む。更に続く坂道は車を加速させた。


「わわっー、車が勝手に進む。どうしよう!」


「マッキー、ハンドル! ハンドル!」


「利かないよ、ゆう事きかない」


「マッキー前見ろ、木にぶつかるぞ! 構えろ」


 車は木にスレスレの所を走った。



「おおー、危なかったよ」


 しかし止まる事なく走り続けた。


「また前だ、マッキー! また木がある。あれは狭くて無理だぞ」


「まずい、まずい……、あれっ?」


 車はえらく生い茂った林の中を走り、道なき道を考えられないスピードで駆け抜けた。大木や枝を回避し、自動に避けて進んでいる事に気づいた。



「シュナジー、恐ろしい事に今、上り坂を進んでいるよ」


「なんだって? この車は勝手に走っているのか? 気のせいじゃないのか」


「そうだよ、それに木を避けているようにも思えるよ」


「なんだこの車は! 何処まで走るのか?」



意思を持ったようにも思えるこの車は、真夜中の林の中を走り抜ける。


「シュナジー、メーター計器の様子がおかしいよ」


「どうした?」


「ランプが点滅している。パワーメーターのランプが赤色。レベルが低下しているみたいだけど」


 ランプに合わせるように速度は落ちて行き、やがて完全に停止した。車自体もうんともすんともいわなくなってしまった。


「ああ、やっと止まった……」



「燃料切れなのか」


「止まってよかったぁ」


「速いなこの車。なあマッキー、今思いついたけど、このを車レースに出せないかな?」



「レースに?」


「そうだ、俺、レースをやっている、この車きっと速いぞ」


「でも車は問題だらけだよ」


「すぐではないさ。レースはこの間終わったばかりで次の大会は一年後だ、そんな急ぐ必要はない、次はこの車を走らせたいのだよ」


「おもしろいかもね、わかった。それはいいけど、ここで止まったまま動かないこの車をどうする?」


「燃料切れって事だろ、また俺が水をくんで来るさ。ここに置いたままカバーでもかけておこう」




 黒い車を道端に停めるとマナ村では目立っていた、店の片隅に設置してある電話で黒いスーツを着た男が誰かと連絡をとっている。


「ラウル殿、車の居所を発見しました」


「なんと、それは確かか?」


「はい、随分探しました。マナ村の中心にある廃虚工場の倉庫にあります」


 クラウスをウォータモルンで見たという情報をもとに、ある組織が動いて捜し求めてきた。ようやくここマナ村の工場に置かれているところを発見した。


「よし、今すぐ持ち帰れ!」


「いえ、今は積載車が遅れていますので、後日様子を見ながら回収いたします」


「今そこにあるのだろ? 引っ張ってでも持って来い!」


「今は少し離れた場所にあります。それに工場の中には人がいて、気づかれてしまいます。慎重に進めていかないと……」


「なんと! 何故廃虚の工場に人がいる、やつか? モーリスか?」


「違います、ただの子供です。例の車を珍しがって触っていました。その子らに見つかります」


「かまわん、その時は始末しろ」


「しかし、誘拐したり殺したりすると、事が大きくなります、捜索願を出されては、それにもうすぐ夜明けです。あの車は明るい所では目立ち過ぎます。それに走る事が出来ません。時間を開けて様子を見るのがいいかと……」


「なら仕方がない、今から応援をそこにやる、時間をつぶせ、日暮れに遂行しろ」


「承知しました」

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