第17話 戦場の修羅、涙

十二月半ば、新撰組は薩長軍との戦いに備え不動堂村の屯所から伏見の奉行所へと移ることになった。

 引っ越しや行軍の準備に隊士達は忙しく動き回っている。幹部の話し合いも連日続き、もちろん幹部の小姓を務める小夜も多忙そのもので……


「秋月。うちの伍長知らねぇか?」

「島田さんなら烝くんのところにいますよ」


「秋月。茶」

「たまにはご自分で淹れたらどうですか」

「ぁあ?」

「嘘です淹れてきます」


「小夜ぉ~オレ荷造りできねぇ~」

「お酒を減らせばいいと思う」

「あああっ!ちょ、待て待て、捨てるこたぁねーだろーっ!」


「小夜ちゃ~ん、一緒にお団子食べましょうよ~」

「沖田さんはちゃんと仕事をしてください!!」


(ふう)

 小夜は、白い息を吐きながら、土方が、町内で潜伏する監察方へ宛てた書簡を手に足早に縁側を通り過ぎる。昨日までは慌ただしかったけれど、今日の屯所は普段よりも人が少ない。

 縁側の冷たさを足裏に感じながら、今朝の土方さん会話を思い返していた。

 出立する前に、土方さんはみんなに給金を振り分けて所帯を持っている人は家で過ごせるようにした。

 原田さんは子どももいるし、それにすっごく仲が良いって隊内でも有名な奥さんもいるから、土方さんの計らいにすごく感謝しているみたいだった。

 でも……、

「それって、そのまま脱走する人とかいるんじゃないですか?」

 戦争を目の前にして、家族に会って、お金が手元にあるんだから逃げたい人は逃げられるよね?

「それならそこまでだ。そんな奴は戦場に連れて行ったってどうせ大して動けねぇからな」

「ふぅん」

 そういうものか、と思ったけど後から近藤さんが、

「この五年間の骨休めだよ。トシは素直じゃないからなぁ」

 こっそり教えてくれた。

 やっぱり土方さんって優しいんだよなぁ。

 預かった書簡を屯所に詰めていた監察方へ託したところで、ちょうど外出しようとしている斎藤さんに会った。

「斎藤さんは、時尾さんに会いに行くんですか?」

「あぁ。小夜も来るか」

「行きたいですけど…」

この後は師匠に呼ばれていて手が離せない。

「時尾は京を離れるそうだ。東北の国に伝手があるらしい」

「そうなんですか。……良かったです」

 戦場になるかもしれない京にいるより安全だよね。会えないのはすごく残念だけど……

「何か言伝はあるか」

「えーと……あ、ちょっと待っててください」

 急ぎ自室へ向かい、戻ってきた小夜の手には風呂敷包みが一つ。

「何だこれは」

「前に、明里ちゃんからもらった着物です。奉行所になんて持って行ったら無くしちゃいそうなので、時尾さんに預かってもらいたくて。あと、これも……っと」

 あの簪も、絶対落ちたりしないように風呂敷包みの中にしっかりと入れた。

 預けると言っても、もう着る機会は無いかもしれないけど。

 小夜の心を見透かしたように斎藤は口を開いた。

「まだ着る機会が無いと決まったわけではないだろう」

「…」

 にゃあん

 その時、甘えるような鳴き声がして、二人は振り返った。

 そこにはやっぱりいつもの猫達がいる。日常を錯覚させる光景が、逆に淋しさを感じさせた。

「伏見へ移ったら、流石にこいつらには会えないだろうな」

「そうですね……」

 しゃがんでタマの頭を撫でると、タマは気持ち良さそうに目を細めた。

 ……お別れかもしれないなんて、淋しいな

 屯所で辛いことがあった時、気付けばタマ達がそこにいて。何度も救ってもらったから。

「ありがとね」

「にゃん」

 まるで小夜の言葉を理解したかのようにどこか誇らしげに鳴いたタマやユキ達の後ろには、

「クロも……さようなら」

「…」

 結局、どうしても小夜に近付こうとしなかった黒猫のクロは、最後まで冷ややかな目で小夜を見ていた。


「俺は時尾のところへ行ってくる」

「は、はい」

 斎藤を見送った後、小夜はタマ達にもう一度手を振り屯所の中へ戻った。


―――――――――………


 この数日後、新撰組は伏見奉行所に移った。そして、


「トシ、いるか?」


「いるぜ。どうかしたの、か……!?」

「すまんな、油断した」

「油断した……って、何言ってんだよ!おい!おい山崎!医者呼んでこい!」


 近藤が、御陵衛士の残党に狙撃された。

 狙撃されたのは所用を済ませた近藤が奉行所へ戻る途中。馬に乗っていたところを背後から撃たれた。かなりの深手で、しかも弾は体内に残ってしまっていた。

「馬から落ちたら確実に死んでいたなぁ」

「すまねぇ近藤さん。俺の落ち度だ」

「おいおい、おれが撃たれたことまでお前が背負い込まなくていいよ」

「だが……」

「トシ。おれは生きているんだ。そんなに慌てるな。

 お前が冷静さを失ってはいかんぞ」

「…」


 撃たれた場所が少しでもずれていたら、近藤さんが咄嗟に馬を走らせなかったら、もうここにいる近藤さんが目を開けていなかったかもしれない……


 それは今まで感じたことのない恐怖だった。

 土方にとって、近藤を失うなど、考えたことすら無いことであった。


 それから近藤は治療のため大阪に移動することになった。

 小夜はそれを山崎から聞いた。

「じゃあ、近藤さんがいないまま戦が始まるかもしれないってこと?」

「せやな。隊士の士気が下がらんとえぇけど」

「……町の様子はどうだったの?」

 山崎は監察方として皆より一足先に伏見周辺の様子を探っていた。

「どこもかしこもピリピリしよったなぁ。それに武器はやっぱりあっちの方が何段もえぇもん持っとるわ」

「で、でも人数はこっちが多いんだよね?」

「それも戦が始まったらわからんで」

 山崎は意味深な言葉を残して、疲れたようにため息をついた。

「ほんま、時勢ってわからんな」

「烝くんにもわからないことってあるんだ」

「小夜ちゃんは俺を何やと思うとるんや」

「烝くん」

 力が抜けたように、ぷっと吹き出してから山崎はしみじみと口を開く。

「俺は監察やから、探る相手の懐に潜り込むことが多いんやけど、あんだけ血相変えて新撰組と敵対しとる連中も、普段はどこにでもいるただの人なんや。

 なのに、一度大きな流れが動き始めてしもたら、もう一人一人の力ではどうにもならへん。

 けったいなもんやな。日常の、歴史書なんか載らんような些細な出来事が、平凡に暮らしとった奴が、気付いたら時代になっとる。そういう流れに押し流されて、今こうして戦が始まろうとしとるんや」

「ふぅん」

 よくわかんないや

「……小夜ちゃん。逃げるなら今やで」

 見上げると、烝くんはとても真剣な顔をしていた。

「逃げる?」

「あぁ。戦火なんか届かん遠い場所までな」

「私は逃げないよ」

 この期に及んで、何言ってんの。烝くんたら

――――ふわり

「お願いやから……逃げてや」

 烝くんの声が柔らかく鼓膜を揺らす。

 小夜は山崎に抱きしめられていた。

「小夜ちゃんを……失いたくない」

 戦の中で失うくらいなら。

 もう会えなくたっていい。

 どこかで生きていてくれさえすれば、それでいい。

 わがままであることはわかっている。それでも、小夜ちゃんを守れなかったことを俺に繰り返させないで。


「烝くん……?」

 小さい頃と変わらず烝くんはあったかい。

 烝くんに抱きしめられると、鼓動がゆっくりになってすごく落ち着く。

 母鳥が待つ巣に帰ってきた雛鳥ってこんな気分なんじゃないかな

 でも、烝くんの腕は震えていた。

 烝くんが何を怖がっているのかはわからないけど……烝くんは何度も私に安心をくれたから、

「私はいなくなったりしないよ」

 ぎゅっと抱きしめ返した。

 大丈夫だよ。私は烝くんの前からいなくなったりしない。

「だから、烝くんもいなくならないでね」

「……あぁ」

 私の顔を覗き込んで笑った烝くんは、すごく淋しそうで……笑ってるのに、そこにいるのはいつもの烝くんのはずなのに……

 今にも消えてしまいそうな気がした。


―――――――――………


「近藤さんは大丈夫でしょうか……」

 仕事が一段落したところで沖田に茶を頼まれた小夜は、そのまま沖田の隣で自分も茶を飲んでいた。

「うん。やっぱり小夜ちゃんが淹れたお茶の方がおいしいですね」

「ちょっと沖田さん、真面目に聞いてくださいよ」

 近藤さんが撃たれたと知った土方さんの顔は、表情の全てが抜け落ちたように真っ青だった。それが逆に土方さんの切羽詰まった感じが伝わってきて……

「大丈夫ですよ」

 それなのに沖田さんはいつもと何も変わらない。

「何言ってるんですか。銃で撃たれたのに」

「近藤さんはそんなことで死んだりしませんから」

「?」

 不思議な返答に首を傾げて沖田を見上げると、当の本人は口を尖らせている。

「私には土方さんの反応の方が意外です。近藤さんがこんなことで死ぬような人じゃないって、土方さんも知っているはずなのに」

 えーと、それだけ沖田さんは近藤さんを信頼してるってことなのかな

 師匠の話では、沖田さんは幼い頃から試衛館で暮らしていて、近藤さんは兄代わりでも親代わりでもあったみたい。

 私にとっての烝くんみたいな感じに近いのかなぁ

「…」

 そう思ったらさっきの烝くんの淋しそうな笑顔を思い出してしまった。

 沖田さんはまるで私の心を読んだかのように話題をすり替える。

「あ、さっき山崎くんと抱き合ってましたね」

「?はい」

 なんだか意地の悪い笑みを浮かべているような気もするけど、嘘をつく理由も無いから素直に頷いた。

 そもそも何で知ってるんだろう

「……そんなきっぱり肯定されるとさすがに傷つくなぁ~」

 むにぃーっ

「いひゃいぇふっへぁ……(痛いですってば……) 」

「だって傷ついたんですもん」

「うぅ……」

 (小夜にとっては)理不尽に引っ張られた頬をさすりながら、小夜は何か考え込んでいたが……突然いたずらを思いついた子どものような顔をした。

「沖田さん。ちょっとこっち向いてください」

「はい?」

むぎゅぅぅぅぅっ

 手を伸ばした小夜は、いつものお返しとばかり、思いっきり沖田の両頬を摘んで左右に引っ張ってみた。

「…………ひゃよひゃん。いひゃい」

「ふふっ」

 小夜ほどではないが、沖田の頬もよく伸びた。

 なんか、ぷにぷにしてて気持ちいい、かも

 しばらく沖田の頬で遊んでから小夜は手を離した。

「沖田さんのほっぺた十分伸びるのに、どうしてわざわざ僕のを引っ張るんですか?」

 小夜の素朴な疑問に、沖田は頬を晴らしたまま、にこにこ笑顔で答える。

「小夜ちゃんだからに決まってるじゃないですか」

「何ですかそれ」

 それからしばらくお茶やおやつに手を出しつつ話していたのだが……


「あれ?」


 急に静かになった。

 隣を見ると、沖田は座ったまま目を閉じて左右に揺れていた。

 昨日も幹部の人達は遅くまで話し合ってたみたいだったな……

――――戦が、始まるんだ

『逃げるなら今やで』

「……逃げるわけないよ。ね、沖田さん」

―――すとん

 肩に重みを感じて再び隣を見ると、相当に疲れていたのか沖田は小夜に寄りかかって眠ってしまっていた。

 ……重い

 いくら小夜でも男の人から体重を預けられたら重い。

 でも動いたら沖田さんの頭が、ガクッてなっちゃうし……

 少し悩んだ後、小夜は沖田の頭に手を添え、起こさないようにそっと自分の膝の上に移動させた。


「ふぅ」

 肩より膝の上の方が楽だ。

 すうすうと寝息を立てる寝顔を見ていた小夜の顔には、自然と笑みが湧いていた。

 遊び疲れた子どもみたい

 手を伸ばし、沖田の髪にできるだけ優しく触れてみた。指の間を柔らかい髪がすり抜けていく。

「んー……」

 唇の間から洩れた声にまた笑みが零れる。

 さっきまで重くて仕方なかった頭の重みも、今は逆に安心する。

 沖田さんはここにいるんだ、って実感できる。

 静かだなぁ……

 これから戦争が始まるというのに、この部屋は、ここだけは、時間が止まっているみたい


……うぅん、止まってほしい。のかもしれない……このまま――――……


 沖田につられて小夜もそのまま眠ってしまい……

 目を覚ますと、もう障子戸から透ける光は夕焼けと藍色を混ぜたような色になっていた。

「ん……?」

「あ、起きましたか?」

 目を覚ました小夜の身体には着物がかけられており、沖田は刀の手入れをしていた。

「そろそろ起こそうと思ってたところだったんです。もうすぐ夕飯の時間ですよ」

 私、あのまま寝ちゃったんだ……

「……あ、すみません、これ」

 身体にかかっていた着物を慌てて沖田さんに返す。ぬくもりが無くなった肩が少しひんやりした。

「いえいえ。手入れの道具しまったら一緒に行きましょう?」

「はい」

 沖田は急に意地悪な笑みを浮かべると、小夜の耳にふぃっと顔を近付けた。

「またやってくださいね、膝枕」

「えっ?…………あ」

 さっきの自分の行動と"膝枕"という単語の内容が一致していたことに、やっと気付いた小夜は耳まで真っ赤に染まってしまう。

「ち、違います!あれは別にそういうんじゃ……!」

「あっ、あと寝顔、可愛かったですよ」

「~~~~っ……僕、先に行ってますから!」

「えぇ~何で照れてるんですかぁ?」

「照れてませんっ」

 まだ刀の手入れ道具を仕舞い終わっていない沖田を残して小夜は部屋を出た。

 うわぁぁあぁあぁぁ~っ

 と叫びたい衝動を必死でこらえ、肌を刺す真冬の空気に真っ赤になった両頬を晒す。足音高く屯所の廊下を突き進んでいると、

「秋月」

「……何ですか?」

「何で俺が呼び止めると面倒くさそうな顔すんだよ……」


 軽くへこんでから土方は声を潜めた。

「お前一人だよな。丁度良い。総司に聞かれたら困る話だ」

 それは、つまり……

「……労咳のことですか?」

「あぁ。お前は、近藤さんと一緒に大阪城に行ってもらう」


「嫌です」

「駄々捏ねてんじゃねぇよ。たまに咳してんだろ」

 土方は有無を言わせない調子だが、小夜も引くわけにはいかない。

「僕が何のために沖田さんの労咳を引き受けたと思ってんですか」

――――仲間だから

――――みんなと一緒にいたいから

 それは私がみんなと一緒にいたい、沖田さんを失いたくないって意味の両方。

 ……ち、違うっ、沖田さんだからっていうか、沖田さんは仲間だからで……!

「おい、何一人で百面相してんだ」

「……すみません」

「とにかく、今のお前は戦える身体じゃねぇ。それに女だろ。大阪に行く手筈は整えてやるから」

「絶対に行きません。ここでみんなと一緒に戦います」

「無茶言うんじゃねぇよ」

「……僕が労咳だって知ったら、沖田さんは不審に思いますよ。それでもいいんですか」

「ちっ」

 なぜ舌打ち。

「心配要りませんよ。今のところ何も無いし。たまに咳が出るくらいで」

「咳はしてんだろうが」

――――トントン

 ちょうどその時、誰かの足音が近付いてきた。

「じゃ土方さん、そういうことで」

「おい!」

 小夜はヒラヒラと手を振ってその場から逃げ出し、それから労咳の話をする機会も無く……


―――――――――………



慶応四年一月三日

 ついに、戦乱の火蓋は切られた。


 鳥羽方面から旧幕府軍による砲弾の音が響くと、薩長軍も伏見に向けて一斉に銃撃を始めた。


 甲冑姿の旧幕府軍に対し、身軽な軍服姿で最新式の銃を持つ薩長軍。戦闘が始まって間もなく戦局は旧幕府軍の敗戦へと傾いていく。

 新撰組は何とか得意な接近戦に持ち込もうと、一門しかない砲台を使い永倉を戦闘にした決死隊を送り込んだ。

 刀を抜いた新撰組の出現に、初めは相手も押されたが、恐ろしい素早さと統率の取れた動きで態勢を立て直し、砲撃を再開してくる。

 近付こうにも遠方から銃で撃たれてしまっては為す術も無い。物陰に身を隠すので精一杯。そのくらい容赦無い攻撃だった。

 土方の指示で、小夜は戦闘に出してもらえなかった。だから戦場の様子がいまいちわからない。だが、こちらの旗色が良くないのは空気でわかる。


みんな、大丈夫かな……


『気をつけてね、サブ』

 戦いが始まる直前、サブは私に会いに来てくれた。

 サブは、私が女だから戦場に行かないんだと思っていたみたい。

「おう。絶対また生きて会おうなっ」

「うん。待ってる」

 小夜とサブは拳をぶつけ合い、サブは陣の方へ駆けて行った。

 私は、戦えるのに……

 戦いが始まってから何度そう思ったことだろう。

 仲間が戦っているのを知りながら何も出来ないなんて……歯痒くて、悔しくて、今にも部屋を飛び出したいのを必死で堪えていた。

 やがて戦闘の中で伏見奉行所に火がついてしまう。火は冬の風に煽られ瞬く間に奉行所を包み込んでしまった。


「ここは退こう」

 会津藩の提案を飲み、新撰組は奉行所から撤退することとなった。


 翌日。

 敗走した旧幕府軍に追い討ちをかけるような事態が起きた。

「薩長軍が錦の御旗を掲げている」

 錦の御旗とは、朝廷が認めた軍ということを示す旗。攻撃すれば朝廷に歯向かったのと同じになる。

 これで旧幕府軍は賊軍となり、立場は逆転してしまった。

「何だってんだよ!オレ達は必死で戦ってんのに何が賊軍だちくしょう!!」

 知らせを聞いた原田は怒り狂っている。

「この前まで向こうは不逞浪士だったじゃねーか!ワケわかんねーよ!」

「落ち着け左之。官軍か賊軍かなんて大した問題じゃねぇよ」

 こんな時でも永倉は冷静だったが、旧幕府軍の大半は落胆し士気は完全に下がってしまっていた。

「そうそう。師匠の言う通りだよ」

 二人の様子を見ていた小夜は永倉に合意した。

「だってよぅ、オレ達は…」

「体裁なんか気にしちゃダメだって。実際僕たち悪いことしてないじゃん」

「そりゃあそうだけどよぅ……」

「そんなこと言ったら新撰組に来る前の僕は賊でしょ?人殺ししてたんだから。

 でもそれは僕の仕事で、その時は悪いことしてるつもり無かったんだ。それと同じだよ」

「いや、秋月。なんかめちゃくちゃな論法に聞こえるのは俺だけか?」


 それから先の戦でも事態は悪くなる一方だった。

 目の前で傾いていく戦局を変えられない。その無力感は土方にとって相当なものだった。

 自分の戦ができねぇ……

 新撰組はただ剣術をだらだらとやってきたわけじゃない。だが……

「もう、刀や槍じゃ戦はできねぇのか……」


 その後、旧幕府軍の上役から『淀城で籠城し援軍を待つ』と指示が来た。

 しかし旧幕府軍は淀城に留まることなく敗走を続けなければならなかった。

 薩長軍に追い付かれたのではない。淀藩が裏切ったからだった。

 城門を閉め、旧幕府軍が城内に入るのを許さなかった。この時、淀藩主は不在で、城にいた家臣の判断だったらしい。

 つい昨日まで味方だった人間達が、こちらが不利と見るやどんどん敵になっていく。

 幕府軍は悪い夢でも見ているような気分だった。

 そして、この敗走の中で六番隊組長の井上源三郎が戦死してしまう。試衛館時代からの同志を失った幹部連の衝撃は大きかった。

 それから幕軍、会津藩兵、新撰組は大阪城へ向かうことになった。

「大阪城には近藤さんも将軍もいる。あそこから戦のやり直しだ!」

 追ってくる薩長軍を食い止めるため、旧幕府軍の最後尾は新撰組が引き受けた。

 形勢は不利でも新撰組の武勇は薩長軍にも届いていたし、実戦の経験なら新撰組はどこにも負けない。

「とにかく大阪城に着くまでだ。なんとしても食い止めろ」

「任せてくれよ土方さん」


 新撰組の中でもしんがりを名乗り出たのは永倉だった。

「すまねぇな、永倉」

「何であんたが謝るんだよ。行くぞ!」

 永倉は隊士達を引き連れて、しつこく追ってくる薩長軍の中へ突っ込んで行った。土方達も必死で援護するが、味方はたちまち散り散りになってしまう。

「頼む……大阪城まで保ってくれ」

 大阪城には近藤さんがいる。援軍もいる。

 まだ戦をやり直せる。負け戦の連鎖を断ち切らなきゃならねぇ。


「副長!二番隊が!」

「どうした!?」

 隊士の叫び声に、砲台の間から林の中で戦う二番隊を透かし見た。

「あのままでは薩長軍に囲まれてしまいます!」

「くそっ」

 永倉に退却を伝えなければ。孤立させたら二番隊は全滅してしまう。

 助けに戻るか?だが、俺達が立ち止まったら……


「僕が行きますよ。土方さん」

「秋月!?お前、戦場には出てくんなって言っただろうが!」

「僕が師匠に退却を伝えてきます」

「待て!」

 踏み出しかけた小夜の腕を土方が掴む。

「お前は待機だ。そう指示しただろう」

「これ以上、みんなが戦ってるのを黙って見てるだけなんて嫌です」

「馬鹿言ってんじゃねぇ。お前は……」

「大丈夫ですよ。熱も無いし今日は一度も咳出てませんから。それとも土方さん、」

 小夜は振り返ってニッと笑った。

「新撰組の隊士を信じられないんですか?」


「……本当に、体調は悪くないんだろうな」

「平気ですってば。僕に任せてください」

 言うが早いか土方の腕からすり抜け、戦場へ駆けて行く小夜。


「二番隊は秋月に任せる!大阪城へ向かうぞ!」

 頼んだぜ、秋月


 だが、土方は後にこの判断を悔いることになる。


「師匠!」

「秋月か」

 飛んでくる弾を避けながら小夜は永倉のところまでたどり着いた。

「土方さんから伝令です。

 退却してください。このままじゃ二番隊は全滅してしまいます」

「……駄目だ。ここで俺達が引いたら、新撰組は薩長に追い付かれちまう」

 状況は確かにそうだった。だけど……


「師匠が死んじゃいます!お願いですから退却してください!」

「退却はしない。この戦いで死んじまった隊士もいるってのに、逃げられるわけねぇだろう」

 師匠の言いたいこともわかる。師匠はいつだって冷静で、でも情に厚くて、間違った判断なんてしない。でも、

「……すみません、言葉を間違えました。

 師匠、前へ進んでください」

「?」

「土方さんは『大阪城から戦をやり直す』って言ってたじゃないですか。だから大阪城へ向かうのは退却じゃありません。前進です」

「……わかった。隊士達は先に行かせる。俺は最後までここで戦う」

「師匠が行かなきゃみんなはついて行けません。この人達の相手は僕がしますから」

 今まで戦えなかった分、今度は私が戦わなくちゃ

「お前一人でか?」

「僕を誰だと思ってんですか。師匠の弟子ですよ」


────ドォンッ


 二人の足元に砲弾が叩き込まれる。

 そうしている間にも隊士の一人が後方に吹き飛ばされるのが見えた。

「……じゃあ、頼んだぜ」

「はい。僕も絶対に大阪城に行きますから」

「当たり前だ。お前ら!俺について来い!」

 永倉は先頭に立って大阪城の方角へ駆け出した。隊士達もそれに続く。

 小夜は一人で戦場に立っていた。


「あいつ……化け物か?」


 [蒼猫]を使った小夜の強さは凄まじかった。

 弾は当たらない。撃ち手は次々に斬られていく。しかもその素早さは目で追うことすら難しいほどだ。

 蒼い残光だけを残しながら、小夜は先程まで二番隊を苦しめていた薩長の兵達を一人で追い詰めていった。

 相手の軍勢が乱れ始めたのを見計らい、戦いながら大阪城へ向かう。

 よし、このまま行けば、もうすぐ大阪城だ


「げほっ……!?」

 咄嗟に口を抑えた手のひらからポタリ、ポタリと赤い液体が零れ落ちた。

 喀血……!?

 こんな時に……っ

「ごほっ……げほ、げほっ……くっ、ぅ……」

 喉が焼けるように熱い。眩暈と気持ち悪さに思わずその場に膝をついた。

 刀を地面に突き刺してなんとか体重を支えたが、[蒼猫]が解けてしまった。


 しまった……!


 身体の力がすぅっと抜けていく。刀から手が離れ、気付けば地面に倒れ込んでいた。

 小夜の異変に気付いた兵士がたちまち襲い掛かってきた。

「死ねぇぇぇぇッ!」

「っ!!」

 地面を転がり紙一重で相手の刃を避けたのだが、


────さくり


 何かが軽やかに切れたような音がした。

 だが不思議とどこも痛くはない。羽織か何かを斬られたのか。

 動けない……

 ヒューヒューと、自分の身体から出る雑音がやけに耳につく。口の中が不味い。

「この羽織。こいつも新撰組だぜ」

「時代遅れの人斬り集団め」

「動けない奴に銃弾使うなんてもったいなくねぇ?」

 口々に勝手なことを言いながら兵士達が近づいてくる。

 それでも身体は動かないまま。

 死ぬのかな、私は。ここで……

 恐れは無かった。常に死を覚悟しているのは今も昔も変わらない。だけど……

 みんなに……会いたい

「これで終わりだな」

 敵の刀が日の光を浴びてギラギラと光る。

 その光に目を射たれた瞬間、今まで感じたことの無い、焼け付くような衝動が全身を貫いた。


 死ぬことは怖くない。けど……

 死にたくない

 死にたくない


 …生きたい……!!


 小夜は自分に向かって振り下ろされる刃を為す術も無く見ていた。


 刹那、黒い影が木立の奥から飛び込んできて、銀色の刃をその身に受けた。


「!?!」


────ドサッ


 空中に赤が舞う。人影は何も言わず地面に倒れた。

 必死で這うように身体を起こす。

 うつ伏せで倒れているため表情はわからない。だが、傷口から溢れて地面に染み込んでいくのは確かに……


 山崎の命だった。


「な、何で……」


────はらり

 その時、前髪にしては長く後ろ髪にしては短い髪の毛が額にかかった。

 あ……さっき斬られたのは、髪の毛だったんだ……

「ちっ、まだ仲間がいやがったの、か……」

 言い終わる前にその兵士は両断されていた。周りの兵士達が騒めく。今まで動くこともままならなかった少年が立ち上がり刀を構えていたからだった。

 しかもその瞳は異人か魔物のように蒼い光を湛えている。

「ば、化け物……」

 一部の兵は後退りしたが立ち上がった小夜を見た大半の兵士は数に任せて襲い掛かった。

「怯むな!行けぇ!」

 小夜は飛び掛かってきた兵を斬り捨て、飛んできた銃弾を次々に刀身で弾いていく。

 斬った。こいつら。烝くんを。

「誰も、逃がさない」


─────────………



 必死で大阪城までたどり着き、決戦に臨まんとした幕府軍は、ここでも悪夢を見なければならなかった。

 将軍、徳川慶喜が大阪城から逃げ出してしまったのだ。

 まだ幕府軍の負けが決まったわけではない。大阪城に到着した時の幕府軍の士気は上がっていたし、軍勢を見れば勝てる見込みもあった。

 それでも将軍は必死で戦っていた幕府軍を置いて大阪城から逃げ出した。

 戦の途中で将軍が逃げたという事実に新撰組を含めた旧幕府軍は呆然とするしかない。

 さらに……

「秋月が帰ってねぇだと!?」

 しんがりの永倉達二番隊が大阪城にたどり着いた。この戦いで隊士は戦死や脱走によって三十人近く減ってしまっている。

 それだけでも痛手だと言うのに、薩長軍の追討を撒くために一人残った小夜が、夜が明けても帰って来なかった。

「ちくしょう!やっぱり俺が残るべきだったんだ!」

 珍しく声を荒げた永倉が、地面に拳をめり込ませる。

「落ち着け。まだ秋月がどうにかなっちまったわけじゃねぇだろう」

「……そう、だな。あいつが負けるはずねぇよな。悪い、取り乱したりして」

 己に言い聞かせるように「あいつは俺の弟子なんだからな」と呟く永倉を横目に土方は歯を食い縛った。

 秋月が負けるはずねぇ、か……

 永倉は知らねぇんだ。秋月が労咳に侵されていることを。

 秋月の病状がいつ悪化するかわからない。なんだって俺はそんな状態のあいつを行かせちまったんだ……


『新撰組の隊士を信じられないんですか?』

 眩しいくらいの笑顔を浮かべ、軽やかに戦場へと駆けて行った後ろ姿。

 秋月の力強い瞳と言葉に過信してしまった。

 いや……秋月なら大丈夫だと、俺が思いたかったんだ。

「土方さん。山崎の姿も見当たらないらしいが」

「山崎には逃げ遅れた隊士がいないか見回ってもらってる」

 だが……それにしても、山崎もやけに遅いな

「じゃあ山崎が小夜を見つけて戻って来んだろー?元気出せって新八」

「仲間が危ないかもしれねぇのに元気なんか出るか!

 それに秋月だけじゃねぇ。俺についてきた隊士は……」

 決死隊と最後尾を務めた永倉に同行した隊士の戦死者は新撰組の中でも特に多かった。まだ行方不明の隊士もいるが、戻って来たら奇跡と言えるほどの状況だ。

「相変わらず新八って冷めてんのか人情深いのかわかんねーなー」

 原田も小夜が心配でないわけではない。原田なりに永倉を元気づけようとしているのだ。


「……私が小夜ちゃんを探してきます。ついでに山崎くんも」

 それまで黙っていた沖田が立ち上がった。

 疲労や怪我で身体のあちこちが痛むけれど、幸い重傷は負っていない。

 それにもし小夜ちゃんが今も戦いの中にいるのならこんな所でのうのうとしてはいられない。

「俺も行く」

「一くんはここで待っていてください。私一人で大丈夫ですよ」

 しかし斎藤は首を横に振った。

「秋月は三番隊だ。本来は俺が守るべきだったんだ」

 それに……総司にばかりいい格好はさせん


「……」

「……」


 大阪城から、さほど遠くなかった林の中で小夜を見つけた沖田と斎藤は言葉を失った。

 小夜を中心に薩長軍の兵士達があちこちに倒れて、みな死んでおり、小夜は死体に囲まれて一人ぽつんと立っていた。

 左右の手には[爪]を伸ばし、朝日を反射して光る蒼い瞳は冷たいほど無表情だった。

 そして、頭から血をかぶったのではないかというくらい[爪]からも着物からも血が滴っている。小夜自身も怪我をしているようだが、大半は返り血だった。


「……小夜ちゃん」

 どんなに全身が血で汚れていても美しい蒼い瞳が、ゆっくりと二人を捉える。

 目の下から頬にかけて付着した返り血が、まるで小夜が泣いているかのように見せていた。


「沖田さん……斎藤さん……」


 まるで、あの日みたいだ。まだ、みんながいた頃、花見の帰りに酔っ払った小夜ちゃんが浪士を惨殺した、初めて小夜ちゃんの蒼い瞳を見た夜。

 ただあの日と違うのは、顔を上げた小夜ちゃんの表情が不意に歪んだこと。

「烝くんが……」

 そこで二人は小夜の後ろに倒れた人影が山崎であること、小夜が山崎を庇うような位置に立っていたことに気が付いた。

「山崎!」

「あ……小夜ちゃん!?」

 ふらっと小夜の身体が揺れ、地面に倒れ伏した。


 新撰組はそれから二日後、大阪城を諦め軍艦で江戸へ向かった。

 軍艦には小夜を庇って重傷を負った山崎と、昏睡状態の小夜も乗っていた。

 船の上では食料も水も限りがあり、怪我人の手当ても十分にできない。さらに将軍に見捨てられたことも重なって船内には重苦しい空気が満ちていた。


 その空気を裂くような足音が、船内を歩いていた土方に走り寄ってきた。

「土方さん!」

「秋月お前、目ぇ覚ましたのか?というかその髪、どうした……

「烝くんは……烝くんはどこにいますか!!」

 小夜の必死な表情から逃げるように土方は目を逸らす。

「山崎は奥の船室にいる……会ってやれ」

 最期に、とは言わなかったが、土方の言葉からそれを感じとった小夜は奥の船室へ向かった。


────バタンッ


「烝くん……!」


 壊れるんじゃないかという勢いで扉を開いた。そこには……

「小夜ちゃん……?良かった、無事やったんやな……」

 肩から腹まで赤黒い血が滲んだ包帯に巻かれた山崎が横たわっていた。

「何言ってんの!烝くんは……」

 私を、庇って……

「ごめん……ごめんね……っ」

「何で、謝るん?」

「だって……」

 烝くんは私を庇ったせいで……

「俺は……小夜ちゃんを、妹みたいに思っとるんやで……妹を、守りたい……思うんは、当たり前……やろ?」

「烝くん……」

 烝くんの手を握りしめた。

 でも、いつもあったかい烝くんの手は、もう冷たくなり始めていた。

 血の気の失せた手に触れた途端ぼろぼろと涙が溢れてきた。それは、新撰組に来て、初めて見せる涙。

「私、は……烝くんがいたからっ……烝くん……私を、一人にしないで……」

 秋月一族として、暗殺者として育てられた私にとって烝くんは、いつだって私を守ってくれた人。

 人を傷つけるだけの人形にならずに済んだのは、人間らしい心を残すことができたのは、烝くんがいてくれたから。

「小夜ちゃん……笑って……」

「笑えない、よ……」

 笑えないよ。烝くんがこんなに痛そうなのに、笑えないよ……


「優しいなぁ、小夜ちゃんは」


 痛みで額に脂汗を浮かべながら、烝くんは微かに笑った。

 烝くんがいなかったら、私の心はとっくに壊れてた。嬉しい時も悲しい時も傍で優しく笑ってくれた。烝くんを失うなんて考えたことも無かった。

 でも今、烝くんの手はどんどん冷たくなっていく。私のせいで……


「烝くん……大好きだよ……」


 涙に言葉を遮られながら言葉を紡ぐと、烝くんはいつもみたいに優しく笑ってくれた。


「俺もやで。俺も、小夜ちゃんが大好きや……」


 震える手をぽん、と頭に乗せてくれた。そして……


────するり


 やがてその手は静かに寝台の上に落ちた。

「烝くん……?」



 山崎の目は、既に閉じられていた。



慶応四年一月十日

山崎烝

死去


─────────………



 山崎の遺体は水葬されることになった。

 近藤は傷を負っていたにもかかわらず甲板に出、深い海へ沈んでいく山崎を偲んで声も憚らずに涙を流した。

 そして、小夜は……

 まるで人形のように表情を失っていた。

 山崎が沈んで見えなくなると、何も言わずに自分の船室へ戻った。


「小夜ちゃん。大丈夫……なわけないですよね」

「……」

 心配して来てくれた沖田さんにお礼を言いたかったけど、どうしても言葉が出て来なかった。

 涙も、あれから一度も出て来ない。

 うぅん、違う。

 泣きたくない。とにかく感情を動かしたくない。

 何も感じたくないし何も考えたくない。烝くんのことに触れたくない。いっそ感情なんか無くしてしまったってかまわない。

────いやだ。烝くんがいないなんて……


 小夜の心は、山崎を失ったことに耐え切れず、閉じられようとしていた。

 沖田は小夜の寝台の傍らに腰を下ろした。

 小夜ちゃんの瞳には何の感情も浮かんでいない。まるで新撰組に来た直後、まだ山崎くんにしか心を開いていなかった時のように。

「悲しいですか?」

「……」

「悲しいんですよね。

 でも、意地を張って悲しみが外に出て来ないように必死で我慢しているんでしょう?」

「……」

「泣きたい時は、泣けばいいんですよ。女の子なんだし」


 烝くん……

『心が痛い時も、泣いてえぇんやで』

 幼い頃、父上の言い付けを守って、自分の感情に流されまいと何があっても涙をこらえていた私に、烝くんは笑って手を差し伸べてくれたっけ。

 でも、私は数え切れないくらいの人の命を奪ってきた。

 それなのに、自分の大切な人を失ったことに泣くことは許されるのかな……?


 涙はすぐそこまで来ているくせに、口の端を引き結んでいる小夜に沖田はふぅ、とため息をついた。


むにっ


 沖田は小夜の頬をそっと両手で包み込んだ。

「……」

 頬にぬくもりを感じた途端、視界がぼやけた。身体が震えて、息がうまく吸えない。

「やっと素直になった」

「ちが……わた、し……泣い……ません……」

「知ってますよ。私が小夜ちゃんのほっぺた引っ張ってるせいで、痛くてちょっと涙目になっちゃってるだけでしょう?」

 そう言いながら沖田はあとからあとから溢れてくる小夜の涙を指で拭った。

「だから、大丈夫ですよ。それに小夜ちゃんからまた表情が消えてしまうことを、山崎くんも望んでいないと思いますけどね」

「っ……」


『小夜ちゃん……笑って……』


 やっぱり笑えないよ。悲しすぎるから。でも、ここで気持ちを殺したらきっといつまでも私は暗闇の中だ。。

「ぅ……ふぇ…っ、……」

 人の死なんて慣れっこのはずだった。私自身、数え切れないほど手にかけてきてしまった。

だけど……烝くんの冷たい手を握った時に、私は"人の死"というものに初めてちゃんと触れた気がする。

 今までの私は、烝くんにたくさん守られてたんだ

 あの温かい手で、ぽんって頭を撫でて笑ってくれたら、私は何だって頑張れた。乗り越えられた。

 だけど……もういない。烝くんはいない。

 現実を受け入れた私は大声を上げて泣き続けた。


 身体の中にこんな大量の水があったんだって驚くくらい涙が出て……その間、沖田さんはずっとそこにいてくれた。


「落ち着きました?」

「ご、ごめんなさい……」

 ばあちゃんと烝くん以外の人の前で泣いたのなんて初めてだ。

 そしたらなんだか恥ずかしくなって無意識に掴んでいた沖田さんの着物から慌てて手を放そうとしたら、逆に抱き寄せられてしまった。

「…」

 何も言わずに、ぎゅって抱きしめてくれた。

 身体全体が包み込まれる感覚はすごくあたたかくて、また涙が出てきて……

 結局小夜が落ち着いたのは、それからまたしばらく経った後だった。

「すみません……着物濡れちゃってますね」

 自分の涙が沖田の着物に滲みてしまったことを詫びると、沖田は拗ねたように目を逸らした。

「本っ当ですよ山崎くんのために泣いてる小夜ちゃんをどうして私が慰めてるんですかちょっとはこっちの身になってくださいまったくもう」

「え?」

 限りなく早口で小声だったために小夜には沖田が何と言ったか聞き取れなかった。

「……気にしないでください。あ、そうだ」

 沖田は懐から小さな髪の束を取り出して小夜に手渡した。

「ごめんね。一くんと探したんだけど、これしか見つからなかったんです」

そっか。髪、斬られたんだっけ……


「いえ。探していただいただけで嬉しいです。ありがとうございます……

────ドタドタドタッ


「秋月君ー!」「小夜ー!」「秋月ー!」

 突然ものすごい音を立てて小夜の船室の扉が開かれた。


「こ、近藤さん!?原田さんに師匠まで……」

 息を切らせて飛び込んできたのは近藤と原田と永倉だった。鉄砲傷を負っている近藤は原田におぶわれている。

「ちょっと~、近藤さんまで暴れてどうしたんですか?小夜ちゃんは怪我人ですよ?」

「あああ秋月君!かっかか髪を斬られてしまったというのは本当か!?」

「べ、別に大丈夫ですよ。剃られたとかじゃないですし。近藤さんこそお怪我をしているはずじゃ……」

「おれのことはいい!問題は!嫁入り前の!女子である君がッ!髪を!き、き、斬られ……うぅ」

「泣くなって近藤さん。小夜は平気だって言ってんだから」

 だが近藤はおいおいと泣き続けている。

「秋月……すまなかった」

 

 永倉が辛そうに頭を下げた。

 “自分があの場に残れば良かった”そう悔いているのがひしひしと伝わってくる。

「謝らないでください。師匠が無事で良かったです」

「さすがにあれだけの数はお前でもキツかったか」

 うーん、キツくはなかったかな。多分、労咳の発作が起きなければ自力で大阪城まで行けたと思うし……

 そう思っていた矢先、

「けほっ、こほっ……」

「あれ?まだ風邪治っていないんですか?」

 沖田の言葉に原田と、土方から事情を聞いている近藤が凍り付いた。

「あー……おれは部屋に戻るとしよう。

 総司、すまんが送ってくれんか?」

「えぇ、もちろん良いですよ」

「じゃじゃじゃオレ達も戻ろーぜ新八。小夜は怪我人なんだしなっ!」

「どうした左之。お前がまともに気を利かせるなんて。明日は槍でも降るんじゃねぇか?」

「ふざけんなよ!伏見であんだけ銃弾の雨を潜り抜けてきたんだぞ!?さらに槍なんか浴びたくねーよ!」

「いや、これはこういう言い回しだろうが」

 二人も漫才を繰り広げながら船室を後にした。

 船室から誰もいなくなると、小夜は部屋に置かれていた小さな鏡を手に取った。

「…」

 完全に肩についていない長さになっている。結っていた部分をすっぱり斬られたようで幸いジグザグにはなっていなかった。

 髪を斬られたのは悲しいけど、まぁ髪なら、また伸びるもんね

 これで私は本当に見た目も男の子だ。

 だから、この先もみんなと一緒に戦えるよね?

 置いて行かれたり、しないよね……?



「総司」

 近藤を送った後、沖田は甲板で土方に声をかけられた。

「すまねぇ、総司」

「どうしたんですか?土方さんが頭を下げるなんて」

「秋月が戦場に出るのを許可したのは俺だ。

 あいつが、労咳だと知っていながら、行かせちまったのは俺だ」

 土方の言葉に沖田は目を見開いた。

「労咳!?どういうことですか土方さん!まさか私の……」

「落ち着け。違う。違うんだ。お前の労咳がうつったんじゃねぇよ。

 …………お前が、そう思うだろうからって、秋月は秘密にしているんだ」


 山崎を失い、髪を失い……それに、咳が出ている以上、もう何も言わずにいるなんて出来ねぇ。

 かと言って本当のことを知ったら総司は……

 真実と嘘を混ぜた俺の言葉に、ひとまず総司は納得したようだった。

「なぁ総司。江戸に戻ったらしばらく羽を伸ばしてぇな」

「へぇ。土方さんでも休息を欲しがる時があるんですね」

「どういう意味だよ」

「土方さんっていつも自分で自分を仕事に追いやっているような人ですから」

「うるせぇな。お前も、江戸に戻ればミツさんに会えるだろ」

 ミツさんは総司の実姉だ。

「そうですね。それは楽しみです」

 早くに両親を亡くした総司にとって、ミツさんは姉でも母でもある人だからな

「その後は、今度こそ戦のやり直しだ。近藤さんに負け戦なんか経験させちゃならねぇ」

 俺だって悔しい思いばっかりは御免だからな

「……そうですね」

 俺達が、命を賭してやってきたことが無駄だなんて言わせねぇ。

 もし時代の流れが俺達を押し潰そうとしているのだとしても精一杯の力で抗って、戦い続けてやる。

 潮風に吹かれて佇む二人を、東の空から昇る日が透明な光で照らしていた。

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