第12話 不穏と薄明

元治二年三月


「誰が猪だコラァァァアッ!!」

「「あっはははは!」」


 軽やかな二つの足音を、ドタドタと鈍い足音が追う。最近の屯所では見慣れた光景だ。


――――スパァァァァンッ


 走り回る三人が通り過ぎたある部屋の襖が突然開く。

「原田!引っ越し早々暴れるな!」

「ぅぇえ!?誤解だよ土方さん、だってあいつらが……」

「言い訳抜かすんじゃねぇ!」

 足音がまた増えた。土方の部屋にいた山南は微笑みながら彼らの追いかけっこを見守っている。

「ふふ。全く、土方君が一番はしゃいでいますね」


「本当ですよね~土方さんもそろそろ大人になってもらわないと」

「沖田さんにその言葉は言えないと思います」


 さっきまで廊下を走り回っていたうちの二人……沖田と小夜はいつの間にか山南の隣に並んで座っていた。

「あまり年長者をからかうものではありませんよ。一体、原田君に何をしたんですか?」

 穏やかに笑う山南はまるでやんちゃな弟を諭す兄のようだ。

「やだなぁ、私が原田さんを馬鹿にするわけないじゃないですか~。今日は小夜ちゃんですよ」

「い、言い出したのは僕ですけど事を大きくしたのは沖田さんじゃないですか」

 ムキになって言い返す小夜を沖田は笑顔で受け流している。山南は兄妹喧嘩でも眺めているような気持ちになっていた。

「ケホッ、ゲホッ……」

 不意に、沖田の笑顔が歪んだ。

「沖田さん?」

「げほっ……はい、何ですか?」

「また風邪ですか?」

「違いますよ。さっきまで走ってたから、むせただけです」

「…」

 でも、この前は熱出してた……

 沖田は話題をすり替えるように山南の方を向いた。

「そういえば山南さん、新撰組を抜けなくて良かったんですか?」

 あまりに率直な問いかけに山南は一瞬目を見開いたが、すぐに相好を崩した。

「……沖田君には適いませんね」

 屯所を移転する前に山南が新撰組から脱走するのではないか、という噂が流れていたのだ。

 今、屯所として使っている西本願寺に引っ越す前の土方と山南の間にあった険悪な雰囲気は、平隊士にも知られていた。だからそんな噂が立ったらしい。

「良かったぁ。これで安心して過ごせます」

「こらこら、私は便利屋じゃないんだよ。沖田君が何かする度に土方君を宥めていたら私の身が保たないでしょう」

 繊細な話題を躊躇いなく口にした沖田さんは、らしいと言えばそうなんだけど……

 慈しむような山南さんの笑顔を見ていたら、山南さんがいなくなったりしなくて良かったなと思った。沖田さんだけじゃなく隊内には山南さんを慕ってる人は多いから。

 脱退の噂が流れていた頃は『総長が脱隊なさるなら自分もお供する』とか何とか言い出した隊士もいたって、サブから聞いたし。

 何はともあれ屯所は西本願寺に移転されて部屋は広くなった。それは嬉しいんだけど、引っ越し前に伊東参謀が山南さんの肩を持って土方さんに対立するような意見を述べた、なんてことも聞いてたりする。

 屯所が広くなったってことは人が増えたということで。それはそれで大変みたい……


――――――…


「うおりゃぁぁぁぁっ!」

 境内の庭で、小夜と原田が立ち合っていた。それを永倉が欠伸をしながら眺めている。小夜は竹刀だが、剣より槍が得意な原田は先端に布を巻いた長い棒を手にしている。

「秋月。相手は槍だ。それに左之は無駄にでかい。間合いを考えたら正面からじゃあ一撃入らねぇよ。足元から崩せ」

「なるほど」

 小夜は素直に頷くと、

――――バキッ

 原田の脛を思い切り蹴飛ばした。

「いってぇぇぇぁぁっ!?!」

「隙ありー」

 ひっくり返って悶える原田に余裕で打ち込み、試合は小夜の勝利に終わった。

「新八てめーっ!」

「いや、俺こいつの師匠だし」

「ちげーよ!無駄にでかいってなんだ!」

「何で怒ってるの?師匠は本当のことしか言ってないのに」

「小夜まで!ちくしょう!!」

「あっ、タマ」

 小夜は原田の咆哮を鮮やかに無視して足元にじゃれつく猫を抱き上げた。

「そいつ、八木家にいたノラ猫じゃねぇか。何でここにいるんだ?」

 タマ達は引っ越しの数日後には西本願寺に現れるようになった。引っ越す時には、もうお別れなんだと思って淋しかったからすごく嬉しい。

 話を聞いた藤堂さんは、

「斎藤君か秋月の着物にマタタビの匂いでも付いてんじゃないの?」

 って言ってたっけ。

 でも、斎藤さんがタマ達に会いに来ることは少なくなってきたけど……

「今日も平助は来ねぇなー」

「伊東参謀の講義に出てるんだっけ」

『武術だけでは今の時勢に乗り切れない』

 この伊東の意見に近藤が同意したため、伊東は隊内で文学や思想の講義を行っている。参加しているのは主に伊東が連れてきた彼の門人達だがこの中には藤堂、そして最近は斎藤の姿もあった。

「あいつらどういうつもりであっちにいるんだろうなー?」

「さぁな。色々あるんだろ」

「平助も何か悩んでんのは見え見えなのに、何で相談してくれねーんだ?水臭ぇよなー」

 局内の不穏な空気を振り払うように、近頃はよくこの面子で話したり稽古したりする。そうすると二人は大抵、藤堂さんの話になる。普段は私ではなく藤堂さんがここにいて、三人でよく一緒にいたから二人とも淋しいんだろうなぁ

「そういや総司の様子はどうだ?」

「まだ熱が下がりきらないんです」

 沖田さんは昨晩からまた熱を出した。それほど高い熱ではないけれど、なかなか下がらないし、よく咳が出るみたい。

「あいつ好き嫌い多いからなー。団子ばっか食ってたって風邪なんか治らねーのによ」

「原田さんは食い意地張りすぎだから」

「それにしても、こんなに長引く風邪って…なんか変じゃねぇか?」

 新撰組が徐々に二分されてきていることは、ここの情勢にそれほど関心の無い小夜にもわかる。だが、隊内の空気が不穏になっている理由はそれだけではない。

 一番隊の組長である沖田が、近頃頻繁に体調を崩すことにも関係していた。

 確かに苦しそうに咳をする沖田さんを見ていると、なんだか不安になる。

 でも沖田さんが重病とか想像つかないけどな、この前だって原田さんをからかって一緒に走り回ってたし。

 だけど不安を感じないわけはない。

 一回ちゃんとお医者さんに診てもらえばいいのに。みんな心配してるんだから。

 でも本人は「自分の身体のことは私が一番わかってますから」と聞き入れてくれない。

「ま、総司が風邪だと言ってんだから風邪なんだろ」

「問題は平助と斎藤だよな。あとオレのような優秀な隊士」

 最近、剣技や思想に秀でている者に伊東が声をかけて回っている。

 しかも、

『今の新撰組に不満は無いか』

『幕府に縋っていては生き残れない』

 など公になれば切腹も免れないようなことを言っているらしい。

「原田さんみたいな単純馬鹿は要らないと思う」

「さっきから何で小夜はオレに冷たいんだ!」

「……引き抜き、か。これじゃあ本格的に対立しちまうな」

 対立って、敵同士ってこと?同じ新撰組なのに?

「お前も伊東に声かけられるかもしれねぇぞ。気をつけろよ」

「え?」

 何で私が?

 否定しようとした矢先に、頭に浮かんだのは……

『ほう……秋月君、か』

 あの時の伊東参謀の目つきを思い出すと今でも背筋に寒気が走る。でも、どうして仲間同士で疑ったり気をつけなくちゃいけないの?新撰組は仲間って、最初に烝くんが言ってたのに。

 仲間だからって、いつまでも一緒にいられるとは限らないのかな。ここは、やっと見つけた私の居場所なのに。

 もし新撰組にいられなくなる日が来たら、私は一体どこへ行けばいいんだろう。


――――――…


「手を放してください沖田さん。あの、こういう場所は苦手なんですけど。そもそも僕は女なんですけど。帰っていいですか。いいですよね。沖田さん放してくださいどうして僕が来なくちゃいけないんですか。おかしいじゃないですか。てゆうか皆さんがおかしいんじゃないですか……「はいはい小夜ちゃん、観念しましょうね~」

 にこにこ笑顔の沖田に引きずられながら皆の後に続く。

 皆とは、近藤、土方、山南、沖田、永倉、原田、そして平隊士も何人か、そして小夜である。

「なんだ、秋月はまだゴネてんのか?」

「おいしいご飯を食べに来たと思えば良いじゃないですか。私だってそれが目的ですし」

「そういう問題じゃないです!」

 近藤が突然「皆で酒でも飲みに行かないか」と言って催された今回の島原行き。幹部だけでなく手の空いていた平隊士も来ているから人数もそれなりに多い。

 酒は飲めないし女である小夜はもちろん辞退しようとしたが、周りがそれを許すはずもなく……とうとう目的の屋敷に着いてしまった。

 何を隠そう、島原と言えば京で最大の花街だ。

 夜だからこそ明るさが引き立つ街並み、行灯から漏れる明かりさえ夢物語のように幻想的だ。格子の向こうでは、きらびやかな着物を纏った女が気だるげに外を見ているかと思えば、道行く男に声をかける派手な着物を着た女達もいる。

 屋敷に着くまで隣を歩いていた沖田、果ては男装をしているためか小夜まで何度声をかけられたかわからない。

 おいしいご飯は好きだけど、どうして女の私まで島原に来なくちゃいけないの!?

「そういえば沖田さん、体調は大丈夫なんですか?」

「はい。今日は大丈夫です」

「それは良かったです。じゃあ僕は帰ります」

「言い訳になってませんよ、それ」

「うぅ…」


「お晩どすえ。ようおいでくだはりました。新撰組の方々には毎度ご贔屓にしてもろうとりますさかい今晩は楽しんでおくれやす」

 女将の挨拶と共に豪華な膳が運ばれ、綺麗なお姉さんが楽器や扇子を手に現れた。

「今日は無礼講だ!皆、存分にやってくれ!」

「うおおおおおう!!」

 普段、危険な目に遭いやすいからか、お酒の席では皆楽しそう。サブはお酒を飲むと泣くからよくわからないけど。

「……おいしい」

 沖田さんの言っていた通り、ここのご飯は美味しかった。

 そうだそうだ。私は夕ご飯を食べに来たんだ。

 お酒が飲めなくても雰囲気を楽しめばいいんだ、ってお花見の時に土方さんも言ってたし。

 ……うん。ご飯食べに来ただけだから。

 本当は女だけど、ご飯食べに来ただけだから。島原に……うぅ

 黙々と箸を動かして自分が今、花街にいることを忘れようとした。が、

「あらぁ、可愛いお客はんがいてはるぅ~」

「へ?」

 いつの間にかお姉さん達に囲まれていた。嗅ぎ慣れない白粉の匂いに驚いて身を引くと、

「「可愛い~~~~~っ」」

 と何故か喜ばれた。

「見ない顔やねぇ」

「ここに来たのは初めてどすか?」

「……はい」

 普通は来ないでしょう、女は。

「いやぁん初々しい感じがたまりまへんなぁ~」

「今夜はウチらがもてなすさかい楽しんでいきはって」

「……」

 あの、あの、さりげなく両腕が拘束されてるんですけど。

「新撰組の方は美丈夫揃いやからウチらも楽しみにしてたんよぉ」

「はぁ、そうですか……」

 ふーん。新撰組のみんながかっこいいとか、そんな風に考えたことは無かったなぁ

 座敷で一番芸者さん達の視線を集めていたのは土方さんだった。

 髪が黒くてさらさらしてて綺麗だなーとは思ってたけど……睨まれると恐ろしいあの目も、見方によっては涼しげな感じがしないこともない。鼻梁が通っているから目鼻立ちもくっきりしている。

 知らなかった……

 土方さんって世間に出るとかっこいい人に分類されるのか……

 だが当の本人は芸者さん達の熱い視線をまるで気にしていない(ように見える)。

 それがさらに彼女達を燃え上がらせているのに気付いているのかいないのか。

 上座の近藤さんも芸者さん達に囲まれていた。お酒に弱い近藤さんはもう真っ赤になっている。

 あれが噂の「拳骨を口に入れる」ってやつか。お花見の日は見過ごしちゃったんだよね。

 うん、楽しそう。

 芸者さん達もにこにこしてるし、近藤さんってやっぱり色んな人を安心させる力があるんだろうな

 あ、沖田さんも女の人に囲まれてる。綺麗な顔してるってのもあると思うけど、沖田さんが笑うたびに皆うっとりしている。

 いやいや、一回沖田さんの稽古受けてみなって。あの笑顔のままボコボコにされるんだから。ははは。

 小夜は自分がひどく乾いた笑いを浮かべていることに気付いていない。

 こちらから見る限り沖田さんはあまり積極的に芸者さん達の相手はせず、時折愛想笑い(もう見分けられますからね!)を浮かべながら葛餅ばかり食べていた。

 なぜ花街まで来て葛餅?まぁ沖田さんらしいけど

「はぁ」

 座敷にいる女の人はみんな大きな模様が染め抜かれた着物を着て、白粉や香の華やかな香りを降り撒いている。

 自分の袴姿を見るとなんだか妙にもの悲しい気持ちになった。

 ……あれ?そういえば原田さんがいない。どこ行ったんだろ?

「そんなとこおらんで、もっとウチらと遊んでや」

「わ、わわっ」

 座敷を観察したり溜息をついたりしていた小夜の目の前に、綺麗な女の人が現れた。

 そして……その女の人は刺身を挟んだ箸を持っていた。

 え?

「はぁい、あーんしてぇ~」

 えええええええええ!?!

 私、女なんだよ!

 多分男のお客さんなら羨ましがる状況なんだろうけど……けどっ

 いくら男装してたって女の人から「あーん」されたらダメだ、私。なんとなく、うん。

「えっと、謹んで辞退します」

「あんさん、ほんと可愛ぇな~。遠慮せんでよろしおすえ?」

 いやいや遠慮してませんから!

 移動しようにも両腕はさっきからお姉さん達にガッチリ羽交い締めにされている。無理やり振り払うわけにもいかない。せめてもの抵抗と口を引き結んだが目の前の女の人は瞳をキラキラさせて箸を近付けてきた。

 ひ、ひぇぇ……


「おぉ――――い!!」

 唇に刺身が触れる直前、座敷中に響き渡るようなアホっぽい大声がした。

 よくわかんないけど今だ!

 箸が止まった隙にお姉さん達の腕からすり抜ける。

「危なかった……」


「いいかぁっ!?オレの腹はなァ!!金物の味を知ってんだぜぇぇ!!!」

 あれ?なんか聞いたことある台詞が聞こえた。

 恐る恐る声のした方を見ると、片足を膳に乗せて酒を手に叫ぶ上半身裸の原田。

 なんか見たことある光景だ。

「おう、さょ……じゃねぇ秋月!どうよこの素晴らしい腹の傷!かっけーだろ!?」

「それ、前にも見た」

「まぁまぁいいってことよ!そんなことより今夜は楽しんでいけよーっ!」

 原田は上半身裸のまま「オレの誇りを見てくれーっ!」と叫んで座敷を駆け回り始めた。

「ったく、芸妓の姐ちゃん達が悲鳴上げてんじゃねぇか」

 呆れたような声がして、小夜は自分が永倉の隣に逃げてきたことに気が付いた。

 確かに、芸者さん達は黄色い声と悲鳴が混ざったような奇妙な嬌声を上げている。

「いくら色男でもあれじゃあみっともねぇな」

 色男?

 そういえば原田さんも、鼻が高くてキリッとした顔立ちをしている。背も高い。黙っていれば美形の類に入るのだろう。黙 っ て さ え い れ ば。

「そう、ですね……」

ずるずるずるずるずるずる

「ん?お前、何で段々離れていくんだよ?」

「春に行ったお花見の後に烝くんから、お酒の席では師匠と原田さんに近寄らないように言われたので」

 あと、池田屋騒動の後は沖田さんと斎藤さんと土方さんからも言われた。

「……」

「あれ?師匠、目から何か水が……」

「幻覚だ。それより、一ちゃんと平助が来てねぇな」

「伊東さん達と出かけてるんですよね。せっかくなんだから皆で一緒に来ればいいのに」

 同じ新撰組なんだし

「伊東さんがここに来たら、原田さんの醜態に驚いて卒倒してしまいますよ」

 葛餅の皿を持った沖田が、永倉と小夜の間にできた空間に腰を下ろした。

「さっきは大変でしたね、小夜ちゃん」

「み、見てたんですか?」

「はい。あんなに女性に囲まれて羨ましい限りですよ~」

 絶対そんなこと思ってないくせに。もう沖田さんの笑顔が本気かどうかなんてお見通しなんですから!

「見てたならどうして助けてくれなかったんですか」

「だって面白かったんですもん」

 なんて薄情な人なんだ、今に始まったことではないけれど

「ま、こんな場所に来たの初めてだろ?人生何だって経験だよ」

 永倉は、不機嫌な表情の小夜を宥めるように言った。

「来たことはありますよ」

「え?」

「でも花街ってあんまり楽しい思い出が無くて」

「ちょっと待て。そもそも女で芸者でもない秋月が、花街で楽しい思い出を作る機会なんて無いだろ」

「"仕事"で何度か遊女に変装したことがあるんです」

 標的がこういう場所に来る人物なら自然に近付けるからだ。

「えぇ!?じゃあ、もしかして小夜ちゃん……っ」

 沖田の目が丸く見開かれた。だが小夜は沖田の狼狽ぶりに気付いていない。

「でも揚屋(※)に潜入する"仕事"だと、いつも兄上に邪魔されてたんですよ」

 既に標的が始末されていたり、潜り込もうとした揚屋そのものが畳まれていたり……だから揚屋を通すといつも兄上に"仕事"を盗られてたっけ。

 (※揚屋…遊女さんを呼んで楽しくイチャイチャするための家屋)

「本当、何だったんでしょうね。結局揚屋が何を売ってるお店なのかも教えてくれなかったし……」

「「…」」

 綺麗な着物が着れるから楽しみだったのに、とぼやく小夜を余所に沖田と永倉は胸を撫で下ろしていた。危うく小夜の認識がひっくり返るところだった。

 ふと、沖田が不思議そうな顔をした。

「それって……」

 小夜の兄、秋月彼方とは池田屋で一度手合わせしている。あの時、小夜と彼方は互いに本気の殺気を発していた。家業が家業なだけに兄妹間も殺伐とした関係なのかと特に気に止めていなかったのだが、小夜が揚屋に行かないように先回りしていたってことは……

「秋月君。少しよろしいですか?」

「あ、山南さん」

 小夜は山南に連れられるままに座敷を出た。

 そういえば屋敷に入るまでは皆と一緒にいたのに、座敷に入ってから山南さんはいなかった。

「すみませんね、楽しそうなところを」

「いえ」

 師匠は目を丸くしてたし沖田さんは首傾げてたし、よくわかんなかったから、むしろちょうど良かったかも

「実は秋月君に会ってほしい人がいるのです」

「?」

 連れられたのは座敷より狭く、個室という感じの部屋だった。

「入りますよ、明里」

 中には女性が一人。お化粧をして綺麗な着物を着ているから、ここの人なのかな。多分私より年上だと思うけど、不安げな表情には幼さが残っていた。

「明里。この方の相手をしていただけますか?」

 山南は小夜の肩に、ぽんと手を乗せた。

「へ?」

 山南さん、何ですかその手は。『この方』ってどの方ですか。

 ちなみに部屋には"明里"と呼ばれた女性、山南、小夜しかいない。

「山南はんはどちらへ?」

「しばらくしたら戻って来ますよ。では」

「あ、あのっ山南さん!」

 私とここの女の人と二人きりにするつもりですか!?

 さっきだってあんな大変なことになったのに。まさか山南さんは私が女ってことを忘れているのでは……

「『彼女』を、よろしくお願いしますね」

 山南は柔らかな笑みを残して部屋から出て行ってしまった。

「あのぉ」

 明里と呼ばれた女性が遠慮がちに呼び掛けてきた。いきなり客を変えられて戸惑っているのだろう。

 私だってびっくりだよ。女性のお相手なんてしたことないもん。

「あんさんも新撰組の方どっしゃろ?」

「そう、ですけど……」

「最近の山南はん、何や悩んではる様子とか、あらしまへんどしたか?」

「え?」

 そういえば、山南さんは島原に恋人がいるってサブから聞いたことがある。

 もしかして、この人が山南さんの恋人……?

「う、ウチお客に何聞いとるんやろね。お酌しますえ」

 明里は我に返ったように赤面して徳利を持ち上げた。その様は、座敷にいたお姉さん達とはどこか違う感じがした。

「お酌はいいです。あの……何か心配事でもあるんですか?」

 私はお酒が飲めないし、それにさっき山南さんの様子を尋ねた時の表情がすごく辛そうだった。

「……秋月殿は、優しいお方どすな。実は、このところ山南はん、会う度に思い詰めた顔してはって」

 明里は徳利を盆に戻し、おずおずと話し出した。

「理由を聞いても話してくれへんの。あんな辛そうな顔してはるのに、痛みを分けてもらえへんのが堪らなく苦しゅうて。あのまま一人で抱え込んどったらいつか……」

 "辛そうな顔"と口にしている明里の方も痛みをこらえているのがわかる。

 こういう時、何と声をかけるべきかわからなかった。心を動かされなかったわけではなくて、でもそれを表す言葉が見つからない。

 だけど、懸命に涙を堪えながら山南さんを思いやる明里さんの姿は綺麗だと思った。容姿や着物だけではなく、もっと、深い部分が。

 小夜は言葉を探すのを諦めて、手を伸ばし明里の背中をとんとん、とゆっくり擦った。

「ぅ、っ……」

 すると明里は小夜に凭れかかるようにして泣き出してしまった。


「大丈夫ですか?」

「す、すみまへん、どした」

 まだ少ししゃくり上げながら明里は顔を上げる。

「ふふっ」

「?」

 すると今度は何故かクスクスと笑い出した。明里の急な変化に小夜は首を傾げる。

「敬助はんが秋月殿の相手をウチにさせはったのは、こういういうことどしたか」

 敬助って山南さんの名前だよね。こういうことって、どういうこと?

 ますます首を傾げる小夜。

「秋月殿は殿方やおへんどすな」

「えっ」

「今ウチを泣かせてくれはった時に気が付きましたえ」

 あ、そっか。凭れた時に身体の線でわかっちゃったんだ。

 サブなんて何回抱きついても私が女だって気付かないのに。

 小夜は心の中でひっそりと感動していた。

「敬助はんも、ウチが落ち込んどるのに気付いてはったんやなぁ。それで……なるほどなぁ、うふふっ♪」

「……惚気ですか」

「話聞いてもろたら随分楽になりましたえ。ウチはウチで山南はんを支えていこうと思います」

「はぁ」

 切り替え早っ!私、肩貸しただけなのに

「秋月殿は結局女人なんどすな?」

「……はい」

「なら友達になってや。お名前教えて?」

「小夜」

「ほなら"さっちゃん"やなっ!」

 さ、さっちゃん!?あだ名を付けてもらったのなんて初めてだ。

 明里は、ずいっと膝を乗り出し小夜の手を取った。

「嬉しいわぁ。こないな世界で生きとると、姉さんはたくさんおっても友達は出来ないんよ。あ、もう敬語は使わんといてな」

「う、うん」

 明里は小夜の手を両手で握ったまま首を傾げた。

「新撰組って、女人はおらんと聞いてたんやけど。何でさっちゃんは女の子なのに新撰組にいてるん?」

「えーとね……」

 自分が近藤局長の親戚という名目で小姓も兼ねていることを思い出し、自分は天涯孤独の身で、縁故を頼って云々と嘘と本当を織り交ぜながら、話せる範囲で新撰組にいる理由を話した。

「へぇぇぇ、苦労してるんやね」

 明里は目を丸くしている。

 多分信じてもらえたのかな。嘘は嫌だけど、実家の話をするのはもっと嫌だからね。

 それから明里はさっきまでと一変して、よく笑いよく話すようになった。

 もともと京の生まれではなく、故郷へ帰る金子を貯めるため島原にいること。流行りの簪。質の悪い客、山南との惚気話などを、くるくると表情を変えながら話す。

 同じ年頃の女の子と話すのってこんなに楽しいんだなぁ。時尾さんといる時とはまた違った楽しさだ。

 明里の奔放な空気に、小夜も自然と笑顔も口数も増えていた。

「それで、その日は敬助はんがなぁ……」

「おや、私がどうかしましたか?」

 スッと開いた襖から山南が顔を出した。

「うまくいったようですね。二人共、楽しそうで何よりです」

 山南は明里と小夜、それぞれのことを考えて二人を会わせたらしい。明里には笑顔が戻ったし、小夜も、もっともっとたくさん明里と話していたいと思うほど楽しんでいた。

「秋月君。そろそろ座敷に戻った方が良いですよ」

「ええぇ、さっちゃんもう帰ってしまうん?」

「う、うん」

 そうだ。この二人は恋仲なんだしお邪魔しちゃ悪いよね

「追い立てるつもりはありませんが、貴女がいないと淋しい思いをする人も多いですからね」

「あ、そうやっ!次遊びに来たらウチの着物、着てみん?」

「着物?」

「新撰組におったら女物、着られへんやろ?」

「そうだね」

 男装が日常になってから一年以上が経っている。

「さっちゃんが女の子の格好してるの見たいわぁ、袴履いてても可愛ぇのに~」

「か、可愛いって……」

「だから、絶対にまた遊びに来てな。約束や」

 ギュッと包み込まれた両手に明里の体温が伝わってくる。

「うん。また来るよ、明里ちゃん」

 名残惜しく思いながら小夜は部屋を出た。


 座敷へ帰れば相変わらずのどんちゃん騒ぎ。それから間もなくして……

「平助に斎藤!どうしたんだお前ら。今日は伊東達と飲みに行くって……」

 開いた襖から藤堂と斎藤が顔を出した。

「へへっ、僕達がいないと盛り上がんないでしょ?だから駆けつけて来たんだよ!ね?」

「俺は藤堂がどうしてもと言うからついてきただけだ」

 その後、宴会はさらに盛り上がりを見せた。あちこちから楽しげな笑い声や皿の触れ合う音が響く。近頃、隊内を覆い始めていた不穏な空気がまるで嘘のようだった。

 本当はお酒に強くない近藤さんが皆をここへ連れて来たのは、これが狙いだったのかな。


「小夜ちゃん。そろそろ帰りませんか?あんまり長居すると、永倉さんにお酒が回っちゃいますよ」

「……帰ります」

 それは大変。お花見での失敗は繰り返さないようにしなくちゃ。

 声をかけてくれた沖田に感謝しながら小夜は席を立った。

「俺も帰る」

 座敷を出たところで土方が合流した。土方を見た沖田は不満そうに口を尖らせる。

「えぇ~もっと残っててくださいよ。土方さんが酔っ払うのを期待してる人だっているんですから」

「そりゃお前だろ」

 渋面をした土方にケラケラと笑う沖田。土方も釣られたように苦笑した。

「今日は、なかなか盛り上がったんじゃねぇか?あんな場を設けるのは久々だったからな」

「近藤さんもわかりやすい人ですよね。ま、そこが良いところなんでしょうけど。

 ……わぁ、すごい星!」

 沖田の声に空を見上げると、確かに満点の星空だ。

「総司。ガキじゃねぇんだから、星くらいではしゃぐな」

「あの星空で一句詠めませんか?豊玉せんせぇ~?」

「う、うるせぇ」

 微笑ましい二人の会話を聞きながら、小夜は空を見上げていた。

 星屑を掴んで夜空にばらまいたような一面の星空。そして目を瞑れば座敷中に響いていたみんなの笑い声が甦ってくる。

 やっぱり新撰組は変わってない。大丈夫だよね。ずっと一緒に、いられるよね?

 小夜は祈るような気持ちで、星空を見上げていた。

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