第6話 サブの過去

文久四年


「うう、寒い」

 手に吐きかけた息が白く漂う。小夜が新撰組に入ってから初めて年を越した。

 ただ布団とご飯を求めて来たこの場所は、日を重ねる毎に居心地の良い場所になっていて、

 ずっとここに居れたら楽しいだろうなぁ

 最近そう思うようになっていた。

「それにしても……」

 寒い寒い寒いっ

 さすがにこんな天気には誰もいないか

 灰色の空からはひらひらと雪が降ってきて、時折こちらにも舞い込んでくる。

 縁側に行けば大抵、沖田か斎藤がいるため来てみたのだが、今日は誰もいない。

「おい」

 振り返ると、懐手にした土方の姿があった。

「お前なぁ、雪の日にわざわざ縁側に出るか普通」

「土方さんだって縁側にいるじゃないですか」

「うるせぇ。俺は通っただけだ」

 憎まれ口を叩き合い、そのまま通り過ぎようとしたが、ふと足を止めた。

「たまには小姓らしいことしろよ。熱い茶でも淹れて来い。俺は部屋にいるから」

「……」

 めんどくさ

「何あからさまに嫌そうな顔してやがる」

 どうやら面倒だと思ったのが顔に出てしまったらしく、こちらを睨む土方に慌てて勝手場へ向かった。

「あいつ、ちゃんと表情変わるようになってきたじゃねぇか」

(まぁ、ちっと生意気だけどな)


 土方の睨みに怯んだ小夜は勝手場へやって来た。

「お茶葉~お茶葉っと、よいしょ」

 折角だから自分も飲もうと二人分の茶を淹れ、土方の部屋へ向かう。

 再び縁側を通りかかると…

「おぉ秋月君。ちょうど良いところに」

「近藤局長?」

 小夜や斎藤、沖田の定席となっている縁側に、局長の近藤が腰掛けていた。

「どうかなさったんですか?雪、降ってるのに外にいたら寒いんじゃ……」

 さっき自分も同じことを指摘されたことを棚に上げて近藤の元へ駆け寄った。

「なに、雪が見事に積もったから眺めたくなってな」

「そうですか……」

 穏やかな笑顔に、複雑な思いを抱いた。

 局長は、私が新撰組にいるのを快くは思ってないんだろうな

 近藤は小夜の入隊を躊躇っていた。もちろん彼の人柄が誠実で、人を惹き付ける魅力を持っていることはこの数ヶ月で重々わかっている。隊士への指示は組長や土方が行っているが、近藤はもっと、隊士達の拠り所のような感じ。

 だからこそ、隊規を破って入隊していることを申し訳なく思っていた。

「ところで秋月君。みかんは好きかね?」

「?好きですけど……」

 突然の問いに戸惑いながらも首を縦に振ると、近藤はどこからか大量のみかんを取り出した。

「よし、では一緒に食べようじゃないか。ちょうど茶もあるようだし」

 思わず「はい」と言いたくなる、親しみやすい笑顔を浮かべる近藤局長。

 でもこれ、土方さんのお茶なんだけどなぁ

 しかも自分は隊規を破って入隊している身だ。

 ……でもでも、局長のお誘いを断るなんて失礼だよね。みかん美味しそうだし

「じゃあ、ご一緒させていただきます。お茶どうぞ」

「おぉ、すまんなぁ。では遠慮せずに食べてくれ」

 小夜は近藤の隣に腰を下ろし、みかんに手を伸ばした。

「秋月君。ここの生活には慣れたかね?」

「はい。皆さん良くしてくださるので」

 慣れた、と思う。サブは相変わらずうるさいけど面白いし、最近は幹部以外の隊士達と食事をすることもある。組長の人達も、何かと面倒を見てくれる。

 まぁ一番安心できるのは、もちろん烝くんの隣だけどね

「それは良かった。男ばかりで窮屈していないか心配していたんだ」

 近藤は、にこにこと笑いながら大きく開けた口にみかんを放り込んだ。

「我々が江戸から来たことは誰かから聞いたかね?」

「?いいえ」

 京訛りの人が意外と少ないから、余所から来たんだろうなとは思ってたけど……

「おれは、江戸の田舎で道場をやっていてな……」


 それから近藤は新撰組が結成される以前、皆が江戸にいた頃の話をしてくれた。

 農家の出でありながら剣の才能を見出だされ、試衛館という道場の主になったこと。

 幹部隊士の大半は、その試衛館で出会ったこと。

 近藤だけではなく、土方も武家の生まれではないこと。

 武家出身でない人間がこんな武装集団を作るなんて、常識的に考えたら不可能だ。急にこの新撰組がものすごい人達の集まりなんだ、と感じた。

「ほとんど皆、食客として住み込んでいたから食費が馬鹿にならなくてなぁ。原田君などは特に大食らいだから、腹一杯食べさせるのにも一苦労だったよ」

「は、はは……」

「苦労した」と言っているが、首の後ろを掻きながら笑う姿は、たとえ暮らしが辛くても彼は食客達を追い出したりしなかったんだろうと思わせた。

「橘君もなぁ……」

「?」

 出てきたのは意外な名前。サブも試衛館と何か関係があるのかな

「あ、いや、何でもない。そういえば三番隊は今日、夜の見回りだったね」

「はい」

「女子の君に、夜の巡察まで行かせるのは問題だな…」

「僕は隊士としてここに置かせていただいてるので、いいんです。

 それにしても、どうして急に江戸の話を?」

 皆が江戸にいた頃の話なんて初耳だったから面白かったけど、突然この話をした近藤の意図がわからなかった。

「あ、いや…えー、別に他意は無いんだが……」

「?」

「君が入隊した日のことを覚えているか?おれは、君の入隊を躊躇した」

「覚えています」

「実は、あの時おれが許可を出したのは……我々が入隊を断れば君は路頭に迷うことになる。それでは不憫、と思ったからでな」

「…」

「普段はおれよりトシの方が隊規には厳しいんだが……。本来女人禁制の新撰組に、皆はあっさりと君を受け入れた。それから稽古や隊務に皆と励む秋月君を見ているうちに、君には我々とどこか通じるものがあったのだと思うようになってな……つまり、えー…」

「面倒くせぇ言い方すんじゃねぇよ、近藤さん」

 言い訳をするように言葉を重ねる近藤の後ろから、呆れたような声が聞こえてきた。

「要するに『秋月を歓迎してる』と言いたいんだろ。ったく、秋月が屯所でよく居る場所なんて聞いてきたから、こんなことだろうとは思ってたけどな」

「へっ?」

「と、トシ!それは言っちゃあいかんだろう!」

 じゃあ近藤さんが縁側にいたのも江戸の話をしてくれたのも、私を新撰組に受け入れてるってことを伝えるため?

「いやぁはっはっは!トシには適わんなぁ。まぁ、そういうことだ秋月君。

 おれは、新撰組は、本当に君を歓迎しているよ。そして君もここを気に入っているなら実に嬉しい」

「近藤さん…」

 豪快な笑顔に、胸の中にあった小さなひっかかりが、スルッと抜けていく気がした。

「……ところで秋月」

 あたたかい空気を一瞬で凍らせたのは土方の声。

「はい?」

「俺の茶はどうした」

「…………あ」


 その日の夕食。

 土方の膳には彼の好物である沢庵の乗った小皿が何故か二枚あった。そして……

「土方さんの人でなしぃぃぃぃ」

「うるせぇ。黙って自分の分食いやがれ切腹にすんぞコラ」

「土方さんも、随分と幼稚な仕返しをするんですねぇ」

「それに真剣に腹を立てる秋月も秋月だと思うが」

 小夜の膳には、沢庵の乗った小皿が一枚も無いのだった。


――――――…


 松明の光がゆらゆらと揺れる影を映し出し、自分達の足音がやけに大きく響く。

「彼方。オレの後ろに白い着物の女の人とか来たらすぐ言えよ。あのさ、もしオレに霊感あったらどうしよう憑かれるよなオレ憑かれるよな。あれ?なんか急に寒くなってきた気しない?あああもうダメだオレ生きて屯所に帰れないよ」

「さっきから何」

 近藤の言った通り今日の三番隊は夜の巡察。いつも通り隣を歩くサブは妙にそわそわしていて、いつも以上に落ち着きがない。

「この辺、出るんだってさ」

「何が?」

「『何が?』って、こういう時はあれだろあれ!ゆぅぅぅれぇぇぇえぃぃぃいっ!!!」

「ふーん」

「あれ?怖くないの?」

「僕、幽霊とか信じてないから。少なくとも、死者の霊が人にとり憑くってのは無いと思う」

「うぇぇ?そんなに割り切れるもん?かっけぇなぁ」

 感心していたサブは、小夜が小さく呟いた言葉に気が付かなかった。

「もし本当に、死んだ人が生きている人をとり殺すなら……私はもうとっくに死んでる」


 その時、先頭を歩いていた斎藤が足を止めた。

「……囲まれたか」

 次の瞬間―――暗闇に無数の光が浮かび上がる。

「ひ、火の玉ぁ―――っ!?彼方ぁ!たすけてぇ!!」

「違う!サブ引っ付くな!夜襲だ!」


「「やぁぁぁっ!!」」

「「一人残らず討てぇぇ!!」」


 松明を振りかざして向かって来た男達に、新撰組隊士も素早く抜刀し、怒号と刀のぶつかり合う金属音が辺りに鳴り響く。

「死ねぇぇッ!!」

「っ!」

 相手の動きを見て斬撃を躱す。敵の目は血走っていたが、小夜の表情に焦りや恐れはない。命のやり取りにおいて、冷静さを失った方が負ける場合が多いと身をもって知っているからだ。

 思い切り刀を横凪ぎに振り回した敵の身体の重心が揺らぐ。その隙に素早く刀を抜いた小夜は、何の躊躇いもなく、

 相手の身体を深々と刺し貫いた。

「ギャアアアア!!」

 相手の断末魔が夜空に響いた。

「えーと、彼方って入隊してから剣始めたんだよね?」

「うん」

「……」

 サブは、信じられないような気持ちで小夜を見ていた。

 自分だって刀を差す身。人が死ぬ瞬間を見たことが無いわけではない。それでも、刀が相手の身体を傷つける感触は慣れるものでもない。だが、今の小夜の表情と動作はあまりにも自然だった。

 こいつ、本当にすげぇ奴なんだ

 自分が感じたのが憧れなのか恐れなのか、わからなかった。


 小夜は相手の腹からズルリと刀を引き抜いた。サブの言う通り『刀で』人を斬ったのは初めてだ。

 刃が相手の身体を貫いた時に感じたのは、恐怖よりも寧ろ……

 夜襲を仕掛けられたとはいえ、こちらは壬生の狼、新撰組。気付けば相手の数は半分ほどになっていた。だが……

「今だ!ひけ!ひけーい!」

 松明を大袈裟に振り回しながら、敵の一部だけが横道へ逃げ込んだ。

「追うな。隊を分けるのが狙いかもしれん」

「待てよッ!この卑怯者!」

 しかし、斎藤の制止を聞かずに走り出した浅葱色の羽織が一人。

「橘!隊から離れるな!」

 今は夜。単独行動を取ると合流するのは困難だ。それに待ち伏せをされている可能性もある。サブの後を追おうとした斎藤の羽織を、誰かが掴んだ。

「僕が行きます。斎藤さんが、ここを離れちゃダメです」

「秋月!」

 小夜は斎藤の返事も待たず、サブを追って駆け出した。


 どうして私が行くなんて言ったんだろう……

 考えての行動ではなかった。咄嗟に、サブを追おうと体が動いていたのだ。

 サブが迷子になっても私は困らないのに。やっぱり新撰組に来てからの私は何か変だ

 灯りの無い夜道は暗い。だが実家で訓練していたため、微かな月明かりでも視界を確保できた。


…ぐすっ、ひっく……ズズッ……


「!?」

 不意に足元から変な音がして、思わずそちらへ刀を向けた。道端に誰かが蹲っている。小夜は目を凝らした。

「……サブ?」

「……ぐすっ、彼方?」

 声から小夜と判断したのか、サブは手探りで抱きついてきた。

「うわぁっ!良かったぁ!もうオレこのまま死ぬんじゃないかと」

「だから、鼻水が出てる時はくっつかないでってば」

 小夜はサブを自身から引き剥がした。

「まったくもう」

 どうやら勇んで敵を追い掛けたものの、松明を見失って動けなくなっていたらしい。

「とにかく戻ろう。斎藤さんも、サブのこと心配してたし」

「駄目だ!あいつら全員捕まえるまで、オレは絶対戻らない!」

「何言ってんの。さっきの敵がどこへ逃げたかもわからないのに」

「でも今追わなきゃ駄目なんだ!彼方は戻りなよ。オレは行くから!」

 夜の闇で目も利かないくせに、ふらふらと歩き出したサブは何かに躓いて転んだ。

「ちょっと…」

「大、丈夫。オレが、あいつら全員、捕まえる……いてて」

「何で……」

 確かに新撰組にとって不逞な輩の捕縛は大切な仕事だ。けれど、それにしても違和感を覚えるほどにサブは必死だった。

「何でって、決まってるじゃん!今、捕まえなかったらあいつらはきっと誰かを傷つける。また誰かが悲しい思いをするんだ!だから、だから……」

『また』?

「…………サブ」

「何だよ。止めたって無駄だぞ」

「僕も行く」

「へ?」

「僕も手伝う」

 どうしてサブがこんなに必死なのかはわからない。でも一人で暗闇の中へ突っ込んでいくほどの理由があるなら、手伝ってみたい。そう思った。

 サブの手を掴んで引き起こすと、小夜は歩き出そうとした。

「い、いや、でもさ……」

 いざ暗闇に足を踏み出そうとしたサブは急に狼狽え始める。

「やややっぱり無理だよ。二人しかいないし、灯り無いから何も見えないし……」

「サブが必死になる理由が、何かあるんでしょ」

「……」

「大丈夫。僕は、夜目が利く」


 それから二人は、敵を探しながら歩き回った。

「――――!」

 ある角を曲がったところで小夜が足を止め、無言で刀を抜いた。察したサブも抜刀し、小夜と背中を預け合うようにして暗闇を睨む。

 夜の闇が辺りを覆い尽くし、耳が痛くなるほどの沈黙の中で小夜の耳が微かな物音を捉えた。

 来る――――!

「うわぁっ!」

 サブが上ずった声で叫んだ。二人の足元に松明が投げ込まれたのだ。暗闇に二人の姿がはっきりと浮かぶ。

 しまった!

 これではこちらからは相手の姿が見えず、相手からはこちらが見えてしまう。

「サブ!炎から離れて!」


「もう遅いぜぇ~?」

「!」

―――――キィンッ

 横合いから伸びてきた刀を寸での所で受け止めた。

「相手はたった二人だ!やっちまえ!」

 小夜とサブは既に、ぐるりと敵に囲まれていた。

 暗闇から縦横無尽に迫る刃。二人はジリジリと一人ずつ包囲される形で追い詰められていく。

「壬生狼め!」

「くっ」

 斬撃を受け止めた腕に痺れが走った。敵の数が多すぎる。

 このままじゃ二人とも斬られる。何とかしなくちゃ。

―――――ゴツッ

「!?」

 何かを打ったような鈍い音がした。相対している敵の肩ごしに見えた光景に、小夜の表情が凍り付く。そこには地面に倒れていくサブの姿が……

「サブ!!」

「仲間の心配してる場合かぁ!?」

「ぅあっ……」

 脇腹に焼けたような痛みが走った。そして、サブを囲む奴らが一斉に刀を振り下ろす……

「―――――!!」

 走っても間に合わない。それに自分も敵に取り囲まれている。小夜を嘲笑うかのように、サブに向かって振り下ろされる刃は、やけにゆっくりとして見える。小夜は、刀を"手放した"。

 サブ――――……!!!


――――――…


「橘!秋月!」

 剣戟音を聞きつけた斎藤達が駆けつけた時には、既に辺りは静寂に包まれていた。敵は全員血まみれの骸と化し、小夜が一人、サブの傍らにしゃがみ込んでいた。

 隊士達はすぐに事態の収拾に動き始める。斎藤は周りの様子を見回して眉を寄せた。

(たった二人で、これだけの人数を?)

 この路地に入る直前まで剣戟音はしていた。しかも橘は頭を打たれて気絶している。つまり、動けたのは小夜だけ。

 ふと、小夜が両手を羽織の中へ隠していることに気が付いた。

「秋月。手を見せろ」

「え、あ……!」

 強引に手首を掴み、その手を松明の灯りに翳すと、

「…」

 小夜の手のひらには、べっとりと血が付いていた。

「何だ、これは」

「返り血、です」

「嘘を吐くな」

「……」

「聞かれたくないなら良い」

 斎藤は手を離すと、指示を仰ぎに来た隊士の方へ歩いて行った。


――――――…


「オレぁ前から思ってたんだが、小夜って女子にしちゃよく食べるよな」

「そうかな」

「でも食べる割には小さいよねー」

「女ってのは少し太ってるくらいが、色気があるってもんだぜ」

「朝から一体何の講釈をしてるんですか」

 永倉の言葉にツッコミを入れて、小夜は自分の身体を見下ろした。

 色気、かぁ……

 幼少から武術をやっていたせいかあまり女らしい体形ではない。今まではそれをさほど気にしたことも無かったのだが、面と向かって指摘されると少し哀しい。

「もう一回おかわりしようかな」

「そうだなぁ、秋月くんにはもうちょっと太ってもらった方がいいですね~」

「へ?何でですか?」

 まさか、沖田さんまで色気が云々なんて言わないよね?

「だってそうすれば、ほっぺたが更によく伸びそ「や、やっぱりおかわりいらないです!」

 他愛ない会話を尻目に、土方と斎藤は昨晩の巡察について話していた。

「監察の調べじゃ昨晩の連中は、先月捕縛した奴らの残党らしい。意趣返しのつもりだったんだろう。

 だが、お前らにしては随分と派手にやったみてぇだな」

 隊務には冷静にあたる三番隊が、珍しく捕縛よりも斬殺した数の方が多かったのだ。

「歯向かってきたから斬っただけのこと」

 言葉少なにそう返すと、斎藤は自分の膳を持って席を立った。

「秋月」

「はい」

「食事が済んだら俺の部屋へ来い。昨晩の巡察について、聞きたいことがある」

「…わかりました」


(刀を握っていたならば、手のひら一面に返り血など付くものか。

 そして橘が気絶していたということは、秋月が一人で、しかも一瞬で敵を全員倒したことになる。

 それに……)


 足音が聞こえてきた。それは斎藤の部屋の前で止まる。

「秋月です」

「入れ」

「失礼します」と声をかけ襖を引いた。沖田の部屋以上に整頓された、悪く言うと殺風景な部屋だ。

「昨晩の巡察のことだが」

「っ」

「橘を見つけた後、何故すぐに俺達を探さなかった」

「え?」

 てっきり、手に付いていた血のことを聞かれると思っていた小夜は驚いて顔を上げた。

「答えろ」

 鋭い瞳から感じ取れるのは怒りと苛立ち。それと……

「……サブを、見つけた、時に」

 浪士を追うサブの姿に違和感を感じたこと。それでサブと二人で浪士達を探し続けたことを話した。

「勝手に動いて、すみませんでした」

「過ぎたことを咎める気はない。だが夜の単独行動は危険が増える」

 もしかして……心配だったの、かな?

 声音は厳しいが、心配されていたのが伝わったため素直に頭を下げた。

「あいつは幼い頃、浪士に家族を殺された」

「え……?」

「橘は母親に使いを頼まれていて助かったそうだ」

 母親に頼まれた買い物を済ませ、得意になって帰って来た幼いサブが目にしたのは、

 滅多刺しにされた家族、

 無惨に打ち壊された家、

 めちゃくちゃにされた思い出……

「それから橘はずっと一人で生きてきた。だが、幼い少年が一人で生きられるほど世間は甘くない」

 盗みや物乞いをして過ごす日々。掴まりそうになったことも殺されそうになったことも一度や二度ではなかった。

「そんな生活を続けて数年経ったある日、橘はたまたま江戸の、近藤さんの道場へ盗みに入った」

 道場とは、昨日近藤さんが言っていた試衛館のことだろう。

「だが、呆気なく捕まったらしくてな。事情を聞いた近藤さんが、橘を『うちに住まわせる』と言い出して……」

 しかしサブはしばらく逗留した後、試衛館を発った。

「ちょうど俺も、近藤さんの所に顔を出していた時期だったから、何度か橘を見た」

 初めて見た時は、奈落のように暗い目をした少年だった。滅多に口も聞かず、懸命に周りと距離を置こうとしていた。

「試衛館を出た後は、剣の道場を回りながら家族の仇を探して旅をしていたらしい」

 だが、やっと見つけた時には既に相手は別の咎で斬首されていた。

「その後、京で俺達と再会して、橘は新撰組に加わった」

 そうか。それであの時サブは……

『あいつらはきっと誰かを傷つける!また誰かが悲しい思いをするんだ!』

 自分と同じ思いを、ほかの人にさせないように……

「家族の仇は討てず、盗みを繰り返して生きてきたあいつは常にどこかで、自分が生き続けて良い人間かどうか悩んでいる。

 だが、普段はそのことを決して表に出さない。ほかの隊士にはそんな過去があったことを悟られぬよう、明るく振る舞って、自分の傷を隠しているんだ。お前のことも、放っておけなかったんだろう」

 サブはサブで、小夜に過去の自分を重ねていたのかもしれない。

「……」

 伏せられた斎藤の瞳を見つめながら、小夜は何も言えなかった。頭を過ったのは、今まで殺してきた人達のこと。

 サブの両親を殺したのは多分、私ではない。だけど、私が仕事で殺した人達にも、奥さんや子どもがいたんだ

 私は今まで何人の“サブ”を生み出してしまったんだろう

 人殺しという自分の仕事を恥じたことも誇ったことも無かったが、初めて胸が痛んだ。

「……お話し、してくれて、ありがとうございます」

 つっかえながらそれだけ言うと、小夜は斎藤の部屋を後にした。

 漆黒の瞳がその後ろ姿を見送る。

「……」

 本当は尋ねるつもりだった。昨晩の妙な現象について。

 山崎は否定したが、やはり彼女は新撰組に放たれた刺客なのではないか?

 確かに小夜は新撰組に馴染んできた。だが、それもこちらの油断を誘う演技だとしたら?あり得ない話ではない。

 他人を疑うのは癖だ。

 だが、結局俺は小夜に何も問わなかった。昨晩、唇を噛み目を逸らした小夜の姿が目に浮かぶ。どんな事情があるのかは知らないが、言いたくないのなら答えを強要したくない。

 彼女が新撰組に仇なす可能性が零ではないのに何故見逃したのか、自分でもよくわからなかった。

『お前が拾ってきた猫じゃねぇか』

 土方の言葉を思い出して、斎藤はひっそりとため息をついた。


「あ、彼方じゃん。どしたの?」

 偽名を呼ばれて、一瞬混乱してから頭が追いついた。

 斎藤の部屋を出た後、小夜が向かったのは三番隊士が寝起きする大部屋。ほとんどの隊士は出払っていたが、頭に包帯を巻いたサブは敷きっぱなしの布団の上に座っていた。

「ちょっと話したいんだけど」

「ぇえ!?ま、まぁ別にいいよ。でもなんかさぁ、あ~」

 何故かサブは慌てだした。

「あ、傷が痛むならここでいい」

「いや傷は平気なんだけど。男同士の逢引って何かアレじゃない?オレちょっと緊張してき

――――ボコッ

「うぉぉい!傷増えたし!うそうそ今のは冗談だってば!ぎゃあああああ~!!」


―――――ちーん


「……で、話って?」

 屯所の裏庭。先程までは無かったはずの立派なたんこぶを拵えたサブは痛々しい姿となっていた。

「大したことじゃない。ただ……サブはいい奴だと、僕は思う」

「へ?」

 サブの身の上話を聞いたことを、直接口にするのは躊躇われた。

「信じられないなら僕が何度でも言う。サブは、いい奴だ。自分が居ない方がいいとか、考えないでよ」

 何だかうまく言葉が出てこない。他人にこんな言葉をかけるなんて初めてだ。

 入隊して最初にできた友達はサブだ。サブは、私が周りとの間に作った壁を易々と越えて来てくれた。ほかの隊士とも、サブを通じて馴染んだようなもの。

 たとえ盗みを働いて繋いできた命でも、私はサブに救われたんだ。

「……」

 らしくなく押し黙るサブ。だが、言葉から小夜が自分の過去を知ったのを悟ったのか、いつも明るい光を灯す目に涙が盛り上がった。

「ぅ、うわ。オレ何泣きそうになってんだろ。

 オレがいい奴だって?何言ってんだよー。んなの当、然……」

 常のように冗談で返そうとしたが、途中から言葉が震えていた。

「烝くんが、前に言ってた。『心が痛い時も泣いていいんだ』ってさ」

「……」

 こんな心の奥深くまで、他人が入って来たのは何時ぶりだろう

(彼方なら、入って来てもいいや)

 不意にサブの表情が歪んだ。顔を覆った手の間から幾筋もの涙が零れていく。

 小夜は、サブが乱暴に涙を拭い続けているのを黙って見守っていた。


「本当、彼方って強いよな」

 案外サブは直ぐに泣き止んだ。徹底して自分の内面の脆い部分を表へ出したくない性格なんだろう。

「強くはないと思う。強くなりたくて戦ってるんだから」

「戦えるだけ強いと思うよ。オレなんて隠すので精一杯だし」

「……」

 サブの言葉が、剣ではなく心の強さを指しているのだと気付いて小夜は口を閉じた。

 私の心は強くない。だって殺してきた人達のことを、今まで一度も考えられなかったんだから。

「そろそろ戻るか」

 年が空けても、まだまだ空気は冷たい。日陰にはまだ溶け切らない雪が固まって残っていた。

「うん。呼び出して、ごめんね」

 寒さは怪我に響く。頭を打たれたサブを外に連れ出したことを申し訳なく思った。

「気にすんなって。早く中入ろ」

 歩き出したサブは、ふっと振り向いた。

「ありがと。なんかオレっていつも彼方に救われてるよな」

「そう?」

 自分がサブに対して感じていることを、サブも自分に感じているのかと不思議な気持ちになる。

「そうだよ。最初はオレの方が友達になりたくて話しかけてたはずだったのになぁ。

 昨日、夜道で迷ったところを助けてくれた時なんか特にさ。彼方が神様か何かに見えたし」

 そういえばあの時、サブは鼻水垂らしながら私に抱きついて来たんだっけ。

 ……ちょっと待って。

 思い切り抱きついておきながら私が女だって気付かなかったの!?

 てゆうか私って抱きつかれても女だってわからないの!!?

「あれ?どうかし……」

―――――ボゴッ

「ぎゃああああああああ!あれ?今いい雰囲気だったよね?何で?何でだあああああ!!?」

 無惨にも地面に倒れ伏したサブは気付かなかった。この日、自分の中で一つの思いが密かに生まれ始めたことに。


 その日の夕食。

「小夜って、女子にしちゃほんとよく食うよなー」

「うるさい。おかわり」

 小夜は、自棄食いをした。

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