最新話

片翼の鳥1

 真っ黒な気持ちの悪い塊がよろよろと近づいてくる。開いた口から長い舌がだらりと垂れ下がり、不自然なほどきれいに並んだ歯が見えた。黒い塊には瞳らしきものがないのに、迷うことなく朝陽の方へと向かってくる。


 自分はこのよくわからない化け物に食べられてしまうんだ。そう悟った朝陽の目に涙が滲んだ。家の中でじっとしていればこんな目にあわなかったのに、なぜ家を出てしまったのだろう。家の中に入ってきた黒い塊は一匹だけだったのだから、今の状況よりもマシだった。

 自分をとりかこむ数十匹の黒い塊を見渡して朝陽は泣きながら叫んだ。


「助けて!」


 そんなことを言ったところでほとんどの人間に黒い塊は見えない。いくら朝陽が説明しても理解してもらえない。それがわかっていても叫ばずにはいられなかった。「お母さん、お父さん」と震える声で助けを呼ぶ。がむしゃらに走ってしまったのでここがどこかも分からない。


 黒い塊は朝陽の声に反応して近づいてくる。唾液でぬめる赤い舌が目の前に迫り、もうだめだと思ったとき、目の前に金色の光が見えた。


 それは同い年くらいの少年だった。夕日でキラキラと輝く金髪は危機的状況を忘れるくらいに美しく、朝陽は状況も忘れて目を奪われた。

 少年は朝陽を取り囲んでいた黒い塊を容赦なく蹴り飛ばして道を作ると、朝陽の手を掴んで走り出す。朝陽は少年の金髪から目がなせないまま、手を引かれて走った。先ほどまでの恐怖を忘れて、熱に浮かされたような感覚がする。感じたことのない高揚感にただ朝陽は戸惑っていた。


「大丈夫?」


 しばらく走って、黒い塊からだいぶ離れた頃、少年が振り返り朝陽に声をかけた。輝く金髪の隙間から真っ赤な赤い瞳が見える。


「きれい……」


 気づけば口から言葉がもれていた。夕日みたいな金髪、太陽を閉じ込めたような赤い瞳、こんなに美しいものがこの世界にあったのかと幼いながらに感動を覚えた。

 そんな朝陽の反応に少年は驚いたようだった。


「俺の目、怖くないの?」

「なんで? こんなにきれいなのに」


 首を傾げるて少年を見つめると少年は泣きそうな顔をした。くしゃくしゃになった顔を見てもったいないと思う。沈みゆく夕日は少年を照らすスポットライトみたいだ。笑ったらもっときれいに違いないのに。そう朝陽は思いながら少年を見つめた。


「ありがとう」


 少しの間を開けてから少年が笑う。朝陽が望んだ満面の笑みとは違ったけど、儚いけれど嬉しそうな笑みに朝陽は衝撃を受けた。撃ち抜かれるとはこういう気分なのかもしれない。


「交番まで送るよ」


 そういって差し出された手を朝陽はつかんだ。もう一生、この手を離したくないと思った。



※※※



 生まれて初めてみる木造建ての広い屋敷に朝陽は周囲を見渡した。かぎなれない木と畳の匂い。座布団に座るのだって初めてだ。

 家や保育園では見たことがない障子に襖。椅子が必要ない低いテーブル。知らないものばかりでドキドキした。


 しかし、朝陽以上に両親は緊張しているようで母は朝陽の手を握りしめながら視線をさまよわせているし、父はテーブルを見つめたまま固まっている。朝陽は周囲の観察を終えてから両親を見て首をかしげた。


「ねーママ、金色のお兄ちゃんは?」


 繋いだ手を引っ張ると部屋の隅に置かれた生け花を眺めていた母が朝陽と目を合わせる。何のことを言われたのか最初は分からなかったらしい母は一拍間をおいてから、「あぁ」と声をあげた。


「朝陽を助けてくれたっていうお兄ちゃんね、この家にいると思うから、お話が終わったら聞いてみましょう」

「本当にここにいるのか?」


 朝陽と目を合わせてそういった母に父は疑いの目を向けた。朝陽は母を疑っていなかったが、早く会いたいという気持ちで母をじっと見つめる。母は父に顔を向けるとムッとした顔をした。


「何度も説明したでしょう。金髪に赤い瞳の子っていったら鳥狩様に違いないわ。朝陽と同い年ぐらいの子はそんなに多くないと思うから、すぐに誰だか分かるわよ」

「金髪はともかく赤い目って……」

「もー疑い深いわね。私のいうこと、そんなに信じられないの」


 母がすねた様子でいうと父は頭をかいた。「君がウソをつくとは思えないけど」とつぶやく声は小さい。


「赤い目、すごく綺麗だった!」


 朝陽が父の服の裾を引っ張ってそういうと、父は「そうか」と微妙な反応をする。朝陽がいってもいまいち信じ切れないらしい。

 それも仕方ないかなと朝陽は思う。朝陽だってあの少年に出会うまで、あんなに綺麗な瞳を持つ人間がいるなんて思わなかった。


「ここに相談すれば朝陽は変なモノを見なくなるのか?」

「……それは私には分からないわ」


 父の疑問に今度は母の声が小さくなる。重たい空気を漂わせる両親を交互に見て、朝陽は顔をしかめた。自分のせいで両親が困っていることは朝陽にも分かった。


 朝陽は小さい頃から両親には見えないものが見えた。それは幽霊と言われるものらしい。公園でいつも一緒に遊んでいた友達は父には見えなかったし、朝陽の話をにこにこ笑いながら聞いてくれたお婆ちゃんも母には見えなかった。

 保育園の友達も朝陽と同じものは見えなくて、朝陽は嘘つきだとか気味が悪い子だとか言われるようになった。そんな現状を見かねて、母が連れてきたのがこの場所。鳥喰という家だった。


「この家の血筋の人は霊感持ちが多いんですって。私たちには朝陽と同じものは見えないし、どうしたらいいか分からないけど、この家の人ならなにか助言をくださるはずよ」


 明るい母に対して父の表情は険しかった。不安を押し隠すように朝陽の頭をなでる父の所作はいつもよりも力が入っていて、朝陽も父に釣られて緊張してくる。


 そんなとき、閉じていた障子の前に人の立つ気配がした。気づいた両親、特に母の背筋が伸びる。父は警戒した様子だったが母の表情は期待で輝いていた。


「失礼します」


 そういって障子を開けたのは金髪の女性だった。昨日、朝陽を助けてくれた少年と同じ色。しかし少年よりもくすんだ色のように見えた。赤い瞳も少年に比べると薄いように思える。

 しかし父は女性の瞳を見て驚いた。


「本当に赤い……」

「失礼でしょ」


 呆けた顔をする父の背中を母がたたく。バシンという大きな音がして父が体を震わし、その姿を見た金髪の女性は控えめな笑みを浮かべた。

 

 向かい合うように座布団に座った女性は持ってきた赤い箱をテーブルの上に置く。それから母、父を順番に見て最後に朝陽の顔を見た。少年の赤い瞳はずっと見ていたいほど美しかったのに女性の瞳は恐ろしく、朝陽は母の背に隠れる。女性は朝陽の反応を見て苦笑してから母に向き直った。


「奥様は夜鳴市が出身だと聞きましたが、旦那様は違うようですね」

「はい。旦那は五家のことも鳥狩様のことも知らず、失礼な態度を取ってしまい申し訳ありません」


 頭を下げる母に対して女性は柔らかく微笑んで、手を左右に振る。


「気になさらないでください。お母様は我々のことを信じてくださっているようですが、夜鳴市出身の方でも私達を信じない方はいらっしゃいます。疑う方々に対して我々が出来ることは信じてほしいと誠心誠意お伝えするくらいです。見えないものを信じることは難しいですから」


 そういって女性は笑みを消し、両親に赤い瞳を向けた。


「お二人は幽霊は見えませんね?」

「……はい」


 母が朝陽の手をぎゅっと握りしめながら小さな声で答えた。父も眉間にしわを寄せて黙り込む。その沈黙を肯定として受け取った女性は柔らかな笑みを浮かべた。


「深く考えないでください。視力と同じようなものです。生まれつき目が見えない子、色の識別が出来ない子がいるでしょう。朝陽くんはそれと似たようなもので、ただ見えすぎるんです」


 女性の言葉に両親は目を見開く。朝陽は両親の顔を見比べてから、女性と目を合わせた。その目はやはり赤くて、朝陽が今まで見てきた大人とはまるで違う。


「そんな簡単なことなんですか?」

「厳密に言えば違いますが、心の持ちようとしては同じです。目が見えない子はメガネをかけて視力を補います。朝陽くんの場合はもっと複雑な対処法が必要となりますが、悲観するものではありません。周囲と本人が気をつければ十分対処可能です」


 女性の言葉に母は安心したようだった。朝陽と繋いでいない方の手を胸に置き、大きく息を吐き出す。そんな母を見て朝陽も安心する。


「具体的にはどうすればいいんですか?」


 先程よりも真剣な顔で問いかける父を見て、女性はテーブルの上においた箱を開いた。その中に入っていたのはアニメでみた、忍者が持っている巻物。朝陽は目を輝かせる。


「巻物だ!」

「その通り。賢い子ですね」


 歓声をあげる朝陽に女性が笑いかける。母も当初よりは肩の力が抜けたようで、微笑ましそうに朝陽を見つめていた。


 女性は巻物を解くとテーブルの上に広げてみせた。くるくると転がって巻物の中身が見えてくる。そこには白い髪の女性と五匹の動物が描かれていた。蛇、犬、猫、狐、そして鳥。金色の体に赤い瞳を持つ鳥を見て、朝陽は昨日会った少年を思い出す。あの少年と描かれた鳥の姿が重なって見えた。


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