恐怖の時間
「これ、バレンタインのお返し」
そういって差し出されたラッピングされた箱の意味が本気で分からず、リリアは固まった。
「は?」
思わずそんな声がもれ、小林が手渡してきたプレゼントと小林の顔を交互に見つめる。小林は嫌味なほど爽やかな笑みを浮かべており、それが一層不気味だ。
「今日ホワイトデーだよ。リリア覚えてないの?」
「それは知ってるけど」
今日は3月15日。ホワイトデーだ。
バレンタインにチョコをもらった男子がお返しする日。バレンタインと同じく浮足立った空気が教室内に流れ、バレンタインとは逆に男子がお菓子を配り歩いていた。
美姫としかチョコの交換をしていないリリアには関係ない日である。美姫へのお返しは次の休みにお揃いのアクセサリーを買いにいくことに決まっていた。だから当日である今日はリリアにとってなにもない日と変わらない。
二度目になるが、リリアは美姫としかチョコの交換をしていない。小林になどチ〇ルチョコすらあげていないのだ。
「チョコなんてあげてないけど」
「皆の前だからって、そんな照れなくても」
小林はニコニコ笑いながらプレゼントをリリアに渡そうとする。リリアは慌てて机から立ち上がると小林から距離をとった。
ケガレと遭遇したときと同じか、それ以上の怖気を感じた。
「えっリリアちゃん、チョコ渡してたの」
「ってことは、ほんとは付き合ってたの?」
周囲からそんな声が聞こえてリリアは顔を青くした。慌てて違うと叫ぶが周囲の生ぬるい空気は変わらない。
いまはホームルームが終わった直後。クラスメイトは全員教室内に残っていた。だから小林の発言をみんなが聞いている。
そんなに照れなくていいのに。とクラスメイトたちは笑う。誰も小林の発言が嘘だとは思わない。
バレンタインチョコを貰っていないのに、もらったような顔でホワイトデーのお返しをする奴がいるなんて考えもしないだろう。リリアだって今の今まで想像もしなかった。
だからリリアが否定すればするほど周囲は照れているのだと思い込む。それが小林の狙いだと気づいて鳥肌がたった。
なんだこれは。とリリアは思った。恐怖でリリアの体は動かないのに、小林は満足げの笑みを浮かべてバレンタインのお返しだというプレゼントを押し付けようとしてくる。
これをもらったら最後、リリアはなりたくもない小林の彼女だとクラスメイトに認知される。だから絶対に受け取りたくないのに小林はプレゼントを引っ込める気がない。周囲はなにも知らずに受け取ってあげなよとはやしたてる。
目の前の小林も、無邪気に受け取れとリリアに圧を与えるクラスメイトたちもすべてが恐ろしく、リリアは呼吸が苦しくなった。
「リリアちゃんはチョコ渡してない!」
動けないリリアと小林の間に割ってはいったのは美姫だった。両手を広げてリリアを守るように小林と向かい合う。その姿をみてリリアは少しだけ呼吸が楽になった。目立つことも異性も苦手とする美姫が自分を守ってくれようとする姿に安堵と嬉しさで泣きそうになる。
しかし小林の表情はリリアとは真逆にゆがんでいた。先程までの胡散臭い笑顔が消え失せ、鬱陶しいと隠しもしない顔で美姫を見下ろす。その顔はクラスの中心にいる明るい少年とはまるで違って見えた。
「……またかよ。どれだけ俺とリリアの邪魔すれば気が済むわけ」
不機嫌な声と視線に美姫は一瞬ビクリと肩を震わせた。それでもリリアの前からどくことはない。
それを見て周囲には白けた空気が広がった。クラスメイトたちは美姫の方が空気の読めない邪魔者だと思っている。違うとリリアは言いたいのに恐怖で喉が張り付いて、思うように声が出ない。
「美姫さんさあ、いい加減にしなよ。狩人だかなんだか知らないけど、今更そんなの古いって」
小林が美姫を鼻で笑う。馬鹿にした顔で美姫の緑の髪と黄色の目を値踏みする。髪と目の色にコンプレックスのある美姫が震えていた。それでも美姫はリリアの前から動かない。その姿にリリアは嬉しくなると同時にふがいなさを感じた。
自分は守人で美姫を守るために存在する。それなのに今は美姫に守られて、美姫が傷つけられている。それに気づいたら恐怖が怒りで吹っ飛んだ。
「あんたこそいい加減にしてよ! 私はあんたにチョコは渡してないし、告白だって断ったでしょ! 付きまとうのもいい加減にして!」
リリアはそういって美姫をかばうように前に出た。美姫が戸惑った顔でリリアを見て、それからリリアの手をぎゅっと握りしめる。すぐ隣に美姫がいる。握りしめられた手から体温が伝わってくる。それだけでもう大丈夫だと思った。
そんな美姫とリリアを小林は気に食わないという顔で見下ろした。
リリアの様子にクラスメイトたちも少しずつざわめき出す。照れているにしては様子がおかしいとやっと気づいたのだ。
「つきまとってなんかないよ。リリアだって普通の女の子みたいに恋愛したいだろ。家のしきたりなんか関係なく」
「私がそんなこと一度でもいった!?」
「家の都合じゃ本音なんて言えるわけないでしょ。だから我慢してるんだ」
俺は知ってるんだよという顔で小林は微笑んだ。素直になれないリリアを諭す懐の広い男みたいな顔をしているが、言っていることは無茶苦茶だ。
クラスメイトたちはなんとも言えない顔で小林とリリアを見比べている。どちらの主張が正しいのか分からないという子もいれば、小林の主張を正しいものとして受け入れている子もいた。
リリアと美姫はクラスで浮き気味だ。家の都合で部活にも入っていないし、放課後はすぐ帰宅する。五家出身というのも遠巻きにされる要因で、美姫が人見知りなこともあり積極的に友達をつくろうという気持ちもなかった。
それがここにきて足を引っ張っている。クラスで友達が少ないリリアたちよりも、クラスの中心人物である小林の方が味方になってくれる人間は多い。よく知らない人間よりも身近な人間の味方につく。そうした心理を小林はうまく利用しているように見えた。
クラスメイトとも少し遊んでおいた方がいい。そう四郎に忠告されたことを今更思い出す。時間の無駄だと取り合わなかったが、今になって忠告の意味が分かった。あの時四郎の言葉を真面目に受け止め、少しでも友達を作っていたら味方してくれる人もいたかもしれない。
「そろそろ素直になって。正直にいっちゃえよ。守人の務めなんてやりたくないって」
小林はそういいながらリリアに一歩近づいた。リリアが言ったことも、思ったこともない言葉が事実であるかのように口にして周囲を味方につける。ケガレによる異能でもない。五家による霊術でもない。なんの能力も持たない人間の言葉なのに、周囲は不気味なほど小林の言葉に耳を傾ける。
今まで戦ってきたケガレよりもよほど恐ろしい。
リリアは握られた美姫の手を握り返す。美姫も先ほどよりも強くリリアの手を握ってくれた。大丈夫だと手から美姫の気持ちが伝わってくるような気がする。けれど美姫の手は緊張で震え、汗ばんでいた。リリアだって怖いのだ。もともと怖がりの美姫はもっと怖いに違いない。
美姫を守らなければいけない。けれど、どうすればいいのか分からない。ケガレと戦えても人間相手にどうすればいいのかがわからない。もっと友達を作っていれば。話を聞いてもらえるくらいクラスメイトと会話していれば。そう後悔したって今の状況を覆すことはできない。
考えれば考えるほど気持ちが焦る。小林が勝ち誇った笑みを浮かべてこちらを見下ろしているのも腹が立った。
朝陽には使うなと言われたけど、霊術で小林を叩き潰してやろうか。そんな不穏な考えが頭に浮かんだ瞬間、教室のスライドドアが音を立てて開いた。
「失礼しまーす。蛇縫美姫と蛇縫リリアのお迎えに参上しましたー」
突然の乱入者に教室中の視線がスライドドアに集まった。入口に立っていたのは金髪に赤い瞳をした少年。教室内に響き渡った声と同じく明るい空気。キラキラと輝く赤目を好奇心で彩り、教室内を見渡している。
着ている制服は他校の高等部のもの。教室内の何人かは鳥喰の人間が通う飛禽高校のものだと気づいただろう。
「生悟さん!」
リリアはそう叫ぶと同時に美姫の手を取って生悟の元へ走っていった。小林含めたクラスメイトたちが状況についていけてない今がチャンスだと思った。リリアの思った通り、逃げるリリアと美姫を止めるものはいない。
生悟の後ろに隠れようと回り込むと廊下に朝陽が立っていた。突然現れたリリアたちに目を丸くする。それからすぐに状況を理解して、リリアたちを隠すように前に出てくれたのはさすがと言えた。
朝陽の登場に教室内はまた静まり返る。朝陽は黒髪、黒目。多くの人と変わらない色彩だが、落ち着いた空気と整った容姿で洗練された雰囲気がある。生悟とは違った意味で目を引く容姿だ。
それに生悟と朝陽が並ぶと生悟の色彩が一層華やかに見えるのだ。この相乗効果は見慣れているリリアでも息をのむことがある。
「鳥喰だ……」
「初めて生で見た」
鳥喰の金髪赤目は五家の中でも人気がある。目をのぞき込まなければわからない猫ノ目や犬追、色彩が違いすぎて話しかけるには気後れする狐守、蛇縫と違い、適度に親しみやすさがあり特別感がある。性格的にも陽気なものが多く、話しかけやすいのも人気の理由だ。
今も初対面のクラスメイトに笑顔で手をふっている。分かりやすく女子から黄色い声が上がり、教室がいつもと様変わりして見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます