第5話  神様 その1

 シロは何処からともなく情報を仕入れて、あたしクロのとこを訪れ情報の正否を確かめる。それ自体消して悪い事ではない、むしろ褒めてやりたい位だ・・・

が、返答に困る事が多々ある。今回はその一つの例で、自分自身の定義の再確認を強いられる事になった。


「なんだって?」

 あたしがとある質問の答えに戸惑った。シロは満面の笑みを浮かべ再度あたしに問いただす。

「神様って何処にいるの?」

 結論から言うと、あたしクロ自身は無神論者だ。神なんて信じていない。

しかし言の葉が存在する以上、その存在を否定する事はやぶさかではない。

 特に子供相手に『すでに神は死んだ』と伝える事は、手間のかかる話ではある。もっとかみ砕いた言い方をすると、そんな残酷な処断は出来ないと言う事だ。

 自分らしくない考えではあるが、とにかく他の解決策を模索した方が良さそうだ。     まぁ、自身の定義を見直す良い機会と捉えよう。

「ちょっと待て、今思い出す」


 さて、どうしたものか?神の定義とは何だろう?私の中の定義で考えても、出てくる答えは一つ『妄想の産物』と・・・・これは答えにはならない。ならば

「シロの言う『神様』はどんな奴なんだ?」

「どんなって・・・なんでもお願いを聞いてくれる人かなぁ」

シロはしどろもどろに返答した。クロは続けて尋ねる。

「どんなお願いをしたいんだ?」

「クロちゃんの胸がもっと大きくなりますようにって頼むの」

“ゴツッ”鈍い音と共にシロはうずくまった。

「いったーい。そうやってすぐ怒るクロちゃんが嫌なの‼胸大きかったら怒らないでしょ⁉」

 呆れてしまう・・・が、嫌いじゃない。

「大きなお世話だ。胸が大きくなってもあたしはアタシで変わりようがないだろう。」

「そんな事ないもん。シロはクロちゃんともっと仲良くしたいの‼」

 あたしは言葉に詰まってしまった。シロは純粋なのだと再認識させられてしまう。こんなくだらない事に正面から向き合えるシロに尊敬の念すら感じてしまう自分に出来る事は何だろう。


 慎重に言葉を選び紡ぐ事しか、あたしにしてやれる事は無いだろう。

しばし物憂げに考え込む。『結論』は出ている・・・が、その『結論』を捻じ曲げる必要がありそうだ。さて、どうしたものか?


 誰かが言っていた「神は死んだ」死は生と相対的存在なものだと言う事、とどのつまり今この瞬間にも無数の神が誕生している事の証明が必要になる。長々と思考と検証を繰り返す。シロの中での神の存在は何でも出来る存在だと・・・

 存在?つまりシロの内包的神格と言う事なのだろう。ならば、壁を打ち建て限定的な存在にしてしまう事が、手っ取り早そうだ。

 内包的神格と言うならば、自由に出来るのは自身の体のみなのだと証明する事にしよう。

 では内包的神格とは何か?自身の頭つまり心の問題であり、その原動力となり得る物である。そう神は体の一部分にすぎない、カラダの道具なのだ。


 下世話な話、アタシ自身が望み努力をすれば胸は大きくなるかもしれない。だが、シロがどんなに願ってもあたしが試みなければ成長足りえない事だ。

 そう、想像を描き形にし得る道具が神たる存在だと言う事かもしれない。

 まだ足りない。これでは神が死ぬ理由となりえない。想像が誕生と言うならば死の要素が何処にあるのだろう。

 形作られ名を与えられた神々が無数に点在する理由になり得ない。彼らは死んだのだろうか?

 死の概念とは何だろう。簡単に答えるならばカラダの滅びであろうか?


 記憶、時間が止まった世界、過去の遺産。遺産とは死してなお残す物である。


 うん、この線ならば繋がる。神は誰かの妄想の記憶である。

 記憶は共有可能なものながら、見る角度によって様々に形を変えるが、ここでは大した問題ではない。いずれ考える事にしよう。

 誕生は錯覚であり妄想であり自身の意思に過ぎない。生死の説明はこれで大丈夫だろう。


 問題はこの先にある「神の存在意義」だ。厄介な問題で妄想を検証しその意義を唱える事は無意味でしかないと言うあたし自身の答えだ。無意味に無意味を重ねるのは私の意義に反するが、あえて検証してみよう。

 これは先ほど述べた通り原動力足りえる物であるがそれでは足りない、明らかに不足しているのだ。

 自身の内包的神格である事は明らかであるが、他人を自由に出来るはずがないのだ。そう、神の上位に自由意志が存在すると言う事の証明になるだろう。


 だが、自由には制限をかける必要がある。皆が好き勝手に振舞ったらそれこそ混沌だ。困ったものだな、神の存在がここまで色々な要素を含むとは、想像すらし得なかった。となるとこういう解釈はどうだろう。

『神の上位に自由は存在するが神はその自由に干渉し得る物』

 神と言う共通認識を持つ事で、自由を制限して社会を円滑に回す存在。これが正しい認識なのかな?


これは道徳だ。つまり神は道徳を司る神格となる。神は何もしてくれないのだ。道徳とは行動に制限を課すもので、社会を形成する要素である。

 その上位が「法」となる。とすれば法を促す存在が神になるのか。違うな、まだ足りない、これでは願いを叶える理由にならない。


 ここまでをまとめて見る事にしよう。

1・神の死は創造者の死を意味する

2・神の誕生は個人の妄想の産物である

3・神は創造者の原動力足りえる

4・神は道徳と法を司り自他の自由を制限する


 ちょっと待て、個人の妄想だとしたら何故他人の行動をも制限出来るのか?つまりここはこうだ。

『神に名を与えて記憶にする事で共有の原動力足りえる』

 こうだ。うん、実にくだらない。くだらなすぎてあくびが出そうだ。だってそうだろう。神の名を呼ぶのは常に創造者たる一個人だ。

 個人の書き連ねた妄想を聞いた者が、更に妄想を書き連ねて肥大化していった結果がシロの言う神の正体だ。

 神と言うには禍々しい化け物にすら思えてくる。とどのつまり神も化け物も紙一重と言う事か。

 さてシロにどうやって説明しよう・・・・ん?シロの奴寝てしまってるじゃないか


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る