2-09 ★章ラスト

《水の神都アクアリア》に〝下着着用禁止の日〟が設けられ、後に〝ノーパン・ノーブラの役〟と呼ばれる記念すべき日の、正午頃。

《水の神都》を北側から出たナクトの傍らには――レナリアとリーンが控えていた。

 もうすっかり元気になったレナリアだが、どこか緊張している様子で。


「ま、まさか《水神の女教皇》リーン様と、共に旅に出る事になるなんて……なんだか、緊張してしまいます……」


 率直な感想を口にしたレナリア、だが、それに対してリーンは。


「レナリア様――わたくしに〝様〟付けは、おやめください」

「えっ? な、何か……お気に障りましたか?」


 焦るレナリアに、リーンは――にこり、微笑み、優しい声を放つ。


「わたくしはもう、《水の神都アクアリア》を統治する者ではありません。《水神の聖十字》はわたくしを選んだままなので、《水神の女教皇》ではありますが……でも、今のわたくしは――ナクト様とレナリア様の、仲間なのですからっ♪」

「! …………」


 リーンのウインクを受け、沈黙したレナリアが、暫くして返した答えは。


「でしたら――レナリアにだって、〝様〟は不要ですっ。仲間だというのに、堅苦しいですよ、全くっ。……そうでしょう、リーンさんっ♪」

「! はい……レナリアちゃんっ♪ ……うふふっ」


 互いに敬称を正し合うと、リーンは楽しそうに笑い、そして感慨深そうに言った。


「レナリアちゃんは以前より……強くなっていますわね。心も、体も……本当の意味で」

「え? 本当の意味、って……っ!? リーン様は、私が〝偽りの希望〟と知って……?」


 リーンほどの実力者なら、当然かもしれない……が、彼女は優しい声色で。


「あらっ。人々が《光冠の姫騎士》に抱いていた希望は、〝偽り〟ではなく〝真実〟ですわ。でも更に、本当の強さが加わるのなら……無敵ですわねっ♪」

「あ……は、はい! 私はまだまだ、未熟ですけれど……精進します! ……えへへ」


 微笑み合う二人は、どうやら上手くやっていけそうで、ナクトも微笑ましく頷く。


(特にリーン、〝下着着用禁止〟とか言い出した子と、同一人物とは思えないな)


 ちょっぴり余計な事も考えてしまうが、それも仕方ない――



「ところでレナリアちゃんは、下着を履いておられるのですか?」

「へ?」



 やはり、同一人物なのは、間違いなかった。

 聞き違いだろうか、とレナリアは呆気に取られているが――そこでナクトも、ついでにリーンに尋ねてみる事にする(話を逸らすとも言う)。


「……ところでリーン。仲間を〝様〟付けしないっていうなら、俺のコトも〝様〟付けは止めるとか――」

「いいえ! ナクト様はナクト様、そこは譲れませんわっ!」

「そうなのか……どうしてなんだろう……」


「だ、だって……は、はしたないでは、ありませんかっ」

「俺の名前を呼び捨てるのは、はしたないコトなのか……?」


 リーンの恥ずかしがるポイント、圧倒的にズレている気がする。

 ただ……リーンの胸の内、考えている事はといえば。


(……ナクト様にもお教えした予言、『《女教皇》は彼の者と命を共にする』……そしてナクト様から頂いた『一緒に行こう』というお言葉……それは、つまり)


 リーンは祈るように、胸の前で両手を組み――ぽっ、と頬を赤らめて。


(わたくしとナクト様は、生涯、命を共にする――伴侶たるも同然! 旦那様を呼び捨てにするなんて、はしたないですわっ。裸の名前で呼び合うのは、それこそ、褥を共にする時……きゃーっ、きゃーっ! リーンったら、いやらしいですわーっ!)

「!? 何だ、今……《神々の死境》では良くあった、獲物を狙う天然の狩人の気配を感じたような……!?(しかも超難敵の気配……!)」


 警戒するナクト、「やん、やん」と頬に手を当て身動ぎするリーン。まるで年頃の少女のようにはしゃいでしまうのを、誰よりもリーン自身が新鮮に感じていた。


(今までのわたくしは、《女教皇》として清廉潔白であるべきと、周りの期待に応えるべく……本当の自分を、抑え込んでいたのですね。でも、昨晩ナクト様に、あのマントの中で抱きしめられて……わたくしの心も、剥き出しになりました。そう――)


 朝陽を反射する朝露のように、晴れやかなまでに美しい笑みをリーンは浮かべ――


(自分自身を〝解放ノーパン〟する事が――こんなにも、気持ちの良い事だと――! わたくしに教えてくださったのは……ナクト様ですわっ。うふふっ♪)


 リーンの変貌が〝大体ナクトのせい〟と知ったら、ナクトは自責の念に駆られるのではないだろうか。リーン本人は、幸せそうだが。

 とその時、リーンが視界の端に捉えたのは。


「うふふ……あっ。あれは、昨晩の戦いで……ナクト様が創った、河。…………」


 つい先日に出来たばかりとは思えないほど、しっかりと水を流していく立派な河。


 ……これは、余談。あくまでも余談だが。


 水上都市たる《水の神都アクアリア》は、都市内に水路を張り巡らせている性質上、雨季や豪雨、嵐などの影響により、水害が発生する事も少なくなかった。

 下流の南側に流れてゆく川は、ナクトとレナリアが遡ってきた大きな滝にも繋がる、たった一つだけ。しかも滝口の直前は、特に水深が深く、水が溜まりやすい。

 だからこそ、水害はなおさら起こりやすくなり――被害が出るたびに、歴代の《女教皇》は駆り出され、救済や治療のために能力を揮い……己の命を削っていった。

 もちろんリーンも、同様に――だがそれは、〝以前まで〟の話。


《魔軍》を撃退する際に、ナクトが創り出したこの河川は、水上都市を越えて南側へと続いていく、〝もう一本の流れ〟を生み出していた。

 要するに、二つの流れが南側へと水を押し出してくれる事で、水害の可能性は大きく下がったのである。しかもこの流れは、《光の聖城》どころか遥か南の《神々の死境》まで続くようになり、そこ至るまでの人里に、田畑に、豊穣を齎す事になる。


 つまり、結果的にナクトは、多くの人々と――リーンを、救っているのだ――


 今この段階で、その事に気付いているのは、〝水〟属性の達人である《水神の女教皇》リーンだけ。リーンが旅立ちを実現できたのも、これが理由の一つだ。

 元々あった南の滝へと続く河川は、太古から《女神の涙アクエリア》と呼ばれてきた。

 そして、《女神の涙》と交わる、この……新たに創り上げられた河川が何と呼ばれるのか、ナクトが知るのは、後々の話になるが。

 

その名は、今この瞬間に付けられた事を、リーンだけが知っている。


「《全裸神大河ナクト・リヴァー》――旅の最中にでも申請し、あっという間に認知され広まるよう、手配しましょう♪ うんうん♪」

「――おーい、リーン? そろそろ出発するぞー?」

「はーい、ナクト様っ。お待ちくださいませーっ♪」


 さりげなく〝新たな伝説〟が創られる中、にこやかに駆けよるリーンと、ナクトとレナリアが合流する。三人、笑顔で頷き合うと、レナリアが次なる目標を示した。


「さあ、次に目指すは北の要地、《城塞都市ガイア》です! ……とはいえ、城塞都市は難攻不落。今のところ、危機の知らせもありませんし――」


 少しはのんびりと向かえる、とレナリアが言いかけると、ナクトは同意するように頷きながら口を開いた。


「ああ――急いで向かった方がイイな」

「はいっ。……えっ!? な、ナクト師匠っ?」

「ん? あれ、違ったか?」


 ずっこけそうな勢いのレナリアに、けれどナクトの方が、むしろ怪訝な表情を見せる。

 だがそこで、落ち着いてナクトに尋ねかけたのは、リーンだった。


「ナクト様? 急いで向かった方が良い、というのは……もしかして、何か理由が?」

「うん? あ……そっか、二人は気付いていないんだな。ええと、俺は〝世界の風〟を通して、何となく感じられるんだけど……北の、《城塞都市ガイア》、だっけ?」


 ここからは目視できない、遥かなる北の方向を指さしながら、ナクトが告げたのは。


「そこ、今まさに、襲撃を受けていて――なんかもう、陥落寸前だぞ」

「「………………」」


 あっさりとした一言に、沈黙していたレナリアとリーンだが、直後。


「え――ええええっ!? た、大変じゃないですかあっ!?」

「大変ですわっ、大変ですわっ。ナクト様、レナリア様、急ぎましょう~!」


 それぞれの様相で俄かに慌てだす、レナリアとリーン。

 のんびりとした旅への夢想も、束の間の話。


 どうやら〝世界〟は、まだまだ――安穏を許してはくれないようだ。


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