わたしの大切なおともだち

蝶一

第1話 私の大切なおともだち

 私の大切なおともだちの名前は天鈴。あめりって読むの。素敵でしょう?


 天鈴(あめり)と初めて出会ったのは、まだ保育園の年長さんの時だったの。


 天鈴は、髪もおめめも真っ黒な、とってもかわいい女の子。


 私には、なかなか治らない怪我があるのだけれど、怪我をした所に手を当ててくれて、『痛いの痛いの飛んでいけ』を何度もしてくれたの。本当に優しい女の子。それに、天鈴は他の子達と違って、私を無視したりしなかった。本当に本当に優しい女の子。


 私は保育園から帰る時、いつも天鈴と手を繋いでいた。天鈴の手は暖かくて、ぷにぷにしていたの。一緒に歌を歌ったり、追いかけっこしたり、とっても楽しい時間だった。


 天鈴には双子の妹の愛鈴(あいり)がいて、よく三人で遊んでいたわ。でも、愛鈴ってば意地悪で、天鈴がいない時は私のことを無視するの。


 天鈴に「愛鈴っていじわる」と言うと、「ごめんね」と、なぜか天鈴が謝ってくれた。


 あんまり困った顔で言うものだから、私は愛鈴に無視されても怒らないことにしたの。だって、天鈴が悲しんだら嫌でしょう?


 天鈴のお父さんは神社の神主さんで、天鈴は神社の隣の家に住んでいるの。だから、いつも神社でバイバイ。毎日その神社の近くになると、とても寂しくなるの。


 家に帰ると、お母さんがまたベッドに横になっているわ。体調が悪いみたいで、とっても心配。それによく泣いているの。どこか痛いのかな。


 早く良くなるように、私も『痛いの痛いの飛んでけ』するのだけど、天鈴のと違ってあまり効かないみたい。


 お父さんはちょっと前に家を出ていって、いなくなっちゃった。


 お父さんがいなくなってから、家にはよく市役所の人がきてくれるようになったのよ。お金の事とかを話していたわ。難しい言葉がいっぱいで内容は良く分からなかった。でも、体調が悪くて働けないお母さんを応援してくれているのは分かったわ。


 お祖母ちゃんやお爺ちゃんはもう死んじゃったんだけど、お母さんには弟が一人いて、よく食べ物とかを送ってくれた。でも遠くに住んでいて、家に来ることはほとんどなかったの。おじちゃん、元気にしているといいな。


 色々な人がお母さんを支えてくれている。でもね、お母さんの一番側にいるのは私だから、私が一番に守ってあげないといけないの。頑張らなくちゃ。




******




 私と天鈴は小学校も中学校も一緒よ。


 小学校五年生の夏だったかな。天鈴は賢いから、私立の中学校に入るための試験を受けるっていう話が出たの。私は天鈴みたいに頭が良くないし、私立中学校に行けるほど、家がお金持ちだとは思えなかったから、天鈴と離れ離れになっちゃうって悲しかった。


 わがままだってことは分かっていたけれど、どうしても離れたくなくて、天鈴に言ってみたの。


「一緒の中学校に行きたいな」


 そうしたら、少し困った顔をしたけれど、ゆっくり笑って、「うん。私達は友達だから、一緒にいようね」と言ってくれたの。


 結局天鈴は受験をやめて、私と同じ地元の学校に行くことになったのよ。本当に嬉しかった。


 夏のプールって、太陽の光が反射してキラキラしているじゃない? そのキラキラを天鈴が私の心の中にポーンと投げ入れてくれた感じがしたわ。分かるかな?


 私、プールに反射している夏の日の光って、一年で一番力強くて、一番眩しくて、一番見ていて悲しくなるの。


 なんでかな。


 もしかしたら、眩しすぎて、目を閉じないといけないからかもしれない。私は目を開けて、綺麗な光を見ていたいのにね。


 ちなみに、愛鈴は受験したけれど不合格になってしまって、結局同じ中学に行ったの。 

でも中学校に入って三人で遊ぶことはもうなかったわ。もともと明るい性格の愛鈴は、派手な人達の集まるグループに入って、ちょっと距離ができたの。帰り道に男の子と手を繋いでいたのも見たことがあるわ。


 だからかしら。天鈴と愛鈴が一緒にいることもほとんど無くなったの。


 私は天鈴とずっとずっと一緒。とっても穏やかで優しい時間。私はそれが永遠に続くって思っていたの。まるで、冷凍庫の中のアイスクリームをいつまでも美味しく食べられると思っていたようにね。




******




 中学校三年生になるまで、天鈴はお昼休みに、いつも私と一緒に図書館で本を読んでいたの。

本当に色々な本を読んでいたわ。古事記っていう古い日本の歴史書から、ダンテっていう人の神曲っていう小説まで、本当に色々。


 時折、読んだ本の話をしてくれたわ。一番記憶に残っているのは、古事記とかに描かれている『常世』の話。


 常世って、古代の日本で信仰された、海の彼方にあるとされる異界のことなんだって。死後の世界とも、不老不死の理想郷とも、穀霊の故郷とも言われている場所。


 私には良く分からないけれど、どんな場所だとしても、きっと、天鈴と一緒ならばそこはきれいな光に包まれた場所だわ。


 でも、最近天鈴に新しい友達が出来て、私と過ごす時間は少なくなっていったの。私はそれがどうしても嫌だった。ずっと続くはずだった二人だけの世界が、夏に外で食べるアイスクリームみたいに急に溶けていくようで嫌だったの。


「いままでみたいに図書館に行こうよ」


 すると、天鈴はまた少し困ったように言ったの。


「私達はもっと外の世界に目を向けた方が良いと思うの」


「私は二人でいられたら、それだけでいいのに」


 そう言って泣いちゃった。


 天鈴はまた少し困ったようにしていたけれど、涙が止まるまでずっと側にいてくれたの。


 この頃になると、お母さんは少しずつベッドから出られるようになって、少しずつお仕事に行くようになっていったわ。市役所の人が家に来る回数も減ったかな。土日にお出かけすることも増えたよ。一人でお留守番をするのは悲しかったけど、楽しそうに帰ってくるお母さんを見ると私も幸せな気持ちになれたの。


 でも、まだ体調が悪い時もあるみたいだから、私がお母さんを守ってあげないとね。


 男の人が家に来るようになったのは、ちょっと嫌だったな。私とお母さんの二人の世界に、私に何の断りもなく入ってくるのって、失礼だと思わない?




******




 中学の卒業式当日。無事に式を終えて、私はいつも通りに天鈴と一緒に帰ったわ。毎日毎日繰り返される私の大切な時間。


 お母さんは卒業式には来てくれなかったの。今頃はあの男の人と一緒に居るのかな。


 でもいいの。私には天鈴がいて、これかもずっと一緒だから。


 バイバイしようとしたら、天鈴が少しためらったように、声をかけてきたの。


「あのね……」


「なぁに?」


「あの、ね……」


「どうしたの? 明日も一緒に遊ぼうね」


 私がそう言うと、天鈴は決意したようにしっかりとした、でも悲しみを帯びた声で、私に告げたの。


「私、考えたの。これからもずっと一緒にいていいのかなって」


「どうして?」


「だって若葉は、六歳の時に死んでいるから」


「死んでいる?」


 天鈴ったら何を言っているのかしら。戸惑う私に天鈴が続けたの。


「若葉は六歳の時に、病気で死んじゃったんだよ。だから若葉はいつまでも六歳の時の姿のままなんだよ。本当はもう気づいているでしょう?」


 天鈴は今まで一回も嘘をついたことはないし、今もとても真剣な表情をしているから、嘘ではないみたい。


 ああ、そうだったの。そうだったの。


 天鈴以外の人達は私を無視していたのではなく、私の言葉が聞こえなかったのね。


 でもね、私、天鈴の言う通り、そのことに薄々気づいていた気がするの。


「私は愛鈴と違って、上手く友達が作れないけれど、若葉はずっとそばにいてくれた。いつも笑っていてくれた。若葉がいてくれたから、独りぼっちでも寂しくなかった。でも……」


 天鈴が小さく震える声で言葉を紡ぐ。


「私は生きているから、この世に目を向けなくちゃ。若葉は死んでいるから、逝くべきところに逝かなくちゃ。

 ごめんね。本当はもっと早くに伝えなきゃいけなかったのかもしれないけれど、私も若葉と一緒にいたかったの」


 その黒い瞳には、自分を奮い立たせようとする気迫がみなぎっていて、目にはキラキラした涙が浮かんでいる。


 ああ、夏のプールのキラキラのように力強く、眩しく、悲しい。


「でも私がお母さんを守ってあげなくちゃ」


「若葉のお母さんは、若葉の死がずっと受け入れられなかったけれど、長い時間をかけて、少しずつ受け入れられるようになって、体調も良くなっているよ。市役所や会社の人、それに婚約者さんとか、支えてくれる人も沢山いるから、きっと大丈夫だよ」


 ああ、私はきっとそのことにも薄々気づいていたの。


 そうだね。最近のお母さんの頬の色は、スイカのように瑞々しく赤くて、心は向日葵のように、まっすぐ伸びるようになったね。


 そうだね。私も本当は、気づいていたよ。


 私を取り残して変わってしまう現実が、徐々に明るくなっていって、次第に眩しくなっていったの。私はただ、目を閉じていたかった。


「私は何処へ行けばいいの? 分からないよ。恐いよ」


「私、図書館で沢山調べたの。死んだら何処に行くのかって。でも確かなことは分からなかった。だって、私はまだ生きているから。でもね、分かったこともあるの。あなたはこれから、何処かへ行く。それだけは確かなの。でもそれが何処かは分からない」


「そんなところに行ったら、もう天鈴に会えないよ」


「そんなことないよ。きっと若葉はまた生まれることが出来る。私達はまた出会える。そうしたら、また一緒に時を過ごそう?」


 ああ、ああ、天鈴やお母さんが新しい人達と出逢って、新しい世界を作ったのは、二人が生きていたからなのね。


 私の時だけが止まっている。二人の時間は螺旋のように先へと伸びているのに、私の時間だけが円環で、季節を繰り返しているだけだ。


 もう一度、天鈴に出会えるかなんて分からない。それはきっと天鈴も分かっている。でも、もう一度出会えるという希望が無いと、私達は前に進めない。


 私は天鈴の大きな手を握って言ったの。


「約束ね」


 すると私は光に包まれた。それは今まで見たどの夏の光よりも、ずっと力強くて、ずっと眩しくて、ずっと悲しい光だったわ。


 私はいつも眩しさのあまり目をつむっていたけれど、今回は瞼を閉じなかったの。前に進もうとしている天鈴と共に、私も進もうと思ったから。その道がどこへ続くかは分からないけれど。



******




 私が天鈴の死を知ったのは、インターネットに掲載されていた震災の死者の名簿を見た時。中学校を卒業した日だったわ。


 小さかった私の手が天鈴の大きな手を握ったあの日から、ちょうど二十年の月日が経っていたの

 お母さんや愛鈴の名前は名簿には無かったわ。二人が無事で良かったと思う反面、なんで天鈴だけが亡くなったんだろうってずっと思っていた。


 天鈴。


 あなたは『また一緒に時を過ごそう』と言ったあの日の約束を覚えている?


 私はその約束を思い出すことなどないわ。だって、その約束を忘れたことなんて一度もなかっなかったから。


 そして今、私は彼女の亡くなった海に来ている。


 海の中に入ると、冷たい水が私の足を包む。天鈴もこの冷たさを感じていたのかな。


 力強い波が、私を岸へと押し戻し、蠱惑的な波が、私を彼方へと誘う。


 寄せては返す波の中で、私は海の彼方をじっと見つめる。


 天鈴が言っていた常世は、この先にあるのだろうか。


 あなたはそこに逝ったのかしら。


 私はそこに逝けるのかしら。



                     《了》

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