消えた夏休み

金星人

消えた夏休み

「はーい、静かに。じゃあちゃんと夏休みの課題を終わらせるように。それと自由研究の方も何でもいいから1つやって来て下さい。それじゃあ今日の日直さん挨拶お願いね。」

「きりぃーつ、きょぉーつけぇ、れぇい。」

「さよーなら」


一斉に椅子をガタガタギィーギィーとしまう音が教室中に鳴り響き、生徒たちがキャッキャと嬉しそうに友達と話しながら教室を出ていく。今日から夏休みが始まる。皆の頭の中は楽しいことでいっぱい。然し1人笑みを浮かべず、ぼぉっとしている男の子がいた。

「あー、自由研究どうしよっかなぁ。もうクワガタの標本作るのは飽きたしなぁ。」

「何か悩んでんの?早く朝顔の鉢とって帰ろうぜ」

「あぁ、うん。ねぇ自由課題決めた?もうクワガタの標本は飽きちゃったんだよね。なんかいいネタないかな」

「俺は紙飛行機の中で一番飛ぶのはどれかみたいなやつにするよ。1日で終わりそうだし。」

「それいいな。パクっていい?」

「いいけどやったら盛ってチクるよ。」

「もう、やんないよ。なんかねぇかなぁ。」

「あれでいんじゃね?ネットのやつで街作るやつ。」

「あれ時間かかるよ。第一先生受け悪そうだな。絶対あいつそれ見せたら、そんな年頃から引きこもりみたいなことやらないでお外で遊びなさい?とか言うだろ。」

「ハハッ、似てる似てる。でもそんなに先生の評価気にしなくてもよくない?」

「いやぁ、来年中学受験するからさ、担任から一筆もらう時こういう課題も真面目に取り組んでましたとか書いて貰えた方がいいじゃん。」

「大変だな、お受験組は。俺は多分父ちゃんの工場継ぐから早く機械の使い方慣れないとなぁ。」

「あー飛行機の部品造ってるんだっけ。格好良いなぁ。」

二人はグレーのタイル張りの階段を降りて昇降口を出ると花壇の方へ向かった。レンガで出来た花壇の傍に置いてある朝顔は夏の日を浴びて葉が何枚か黄色くなっていた。青いプランターを持ち上げると下に潜んでいたワラジムシがカンカン照りの日差しに慌てふためき走り回る。そして近場の雑草に隠れてやり過ごす。

「もうめんどくさいから適当にお爺さんのとこで生き物買って日記でもつけようかな。」

「お爺さんのとこって?」

「知らない?ほら、裏門を出て右曲がって道なりにまっすぐ行くとさ、駐車場があるだろ?そのはす向かいのところにあるペットショップだよ。」

「そんなんあったっけ?覚えてないな。」

「そう?俺も入ったことはないけど、あるのは確かだよ。そうだ、その向かい側に文房具店があったんだ。お前紙飛行機やるならケント紙とか買うでしょ?今行こうよ。」

「いや、俺作らんよ。JavaFoilでやれば大丈夫でしょ。」

「シミュレーションできるやつだっけ。」

「そう。そっから適当にデータ作って終わらしちゃおうかなって。簡単な翼形しか出来ないけどこんな炎天下で飛行機飛ばして調べるなんてやりたくないし、あの先生も理系関係のこと疎いからバレないだろ。」

「せこいなぁ。生き物育てるシミュレーションとか知ってる?あったら俺もそうしよっかな。」

「んー、ごめん知らない。」

「そっかぁ、まぁいいや。手頃な値段のやつ買いに行くよ。お前門を出て左だよな。」

「うん、じゃあまた。」

「じゃあね」

僕は友達と別れ右へ向かった。


てくてくと歩いていくと間もなくして例の店が見えてきた。


あのお爺ちゃんまだ元気かな


お爺ちゃんとはその店のペットショップをやっている人だ。実は帰り道で何度かこの前を通ったので外から覗いたことがあり、生き物の世話をするお爺ちゃんが見えたのだ。しかしその時目が合って気まずくなり走って逃げてしまった。それ以来、その道を避けて帰るようにしていた。


信号が青になると通りゃんせのメロディが流れる。ここの信号は短いので少し早歩きで渡った。 店の前に着くと人影は見えないが中の明かりはついているのでどうやら営業しているようだ。プランターを一旦置いて腕で汗を拭い、ポケットに手を突っ込み小銭を出すと800円だった。

「なんか買えるかな。」

そっとドアを開けるとカランカラン、とベルが鳴った。生き物を置いているためか、とてもヒンヤリとしたエアコンの冷気が流れてくる。

「御免下さい。」

店の中は薄暗かった。そして直ぐに奥からはぁーい、としわがれた声が聞こえた。多分あのお爺ちゃんだ。まだ元気だったんだ。彼はコツンコツンと杖をつきながらこっちに出てきた。

「何かお探しかね。」

「あの、小学校の夏休みの自由研究で生き物を飼って日記をつけようと思ったんです。それで生き物を買いに来ました。何かお薦めってありますか。」

「そうだね、じゃあこれなんかどうかい?中々採るのは難しいんじゃ。」

彼がそう言って飼育ケースから出したのはミヤマクワガタだった。しかしこれは去年旅行先で灯火採集をして捕まえたのだ。

「えっと、ミヤマは去年捕まえて標本にしました。」

「おや、そうか。中々採集が上手なんじゃな。ではとっておきのを出すしかないのぉ。」

そう言うと彼は杖をついて奥へ戻ってしまった。

暫くしてまた出てくると小脇に透明の容器を抱えている。

「何ですかそれ。」

覗いてみるが土が数センチ詰めてあるだけで何も見えない。

「これはな、ワシが初めて見つけたものだ。」

「えっ?じゃあ新種ですか。」

「いや、そういうことではない。恐らくこの世にこいつ一匹しか存在しない。」

「絶滅危惧種とかですか?」

「んー、そういうことでもないんじゃ。」

僕にはよく分からなかった。新種でもなければ絶滅危惧種でもない。それなのにこの世に一匹しかいない。そもそも土に隠れているせいか、どんなやつなのかさっぱり見えない。

「よく見えないのでその生き物の姿を見せて貰ってもいいですか?」

「申し訳ないがそれは出来ん。とても明るさに弱いんじゃ。だから気になってほじくりだしたらすぐに死んでしまう。」

「そうなんですか。じゃあ餌は何をあげればいいんですか。」

「餌はお前さんの好きなもの、そうじゃなぁ、例えば晩御飯に出てきたおかずの中で一番食べたいものとかが良いだろう。嘘をついて嫌いなピーマンとかを与えては駄目だぞ?ピーマンが好きならそれをあげるべきなんじゃが。もし嫌いなものをあげるとこいつはそれに勘づいて極度のストレスを感じて死んでしまう。飼い主の好きなものを分けて貰ったということを感じて生きることが出来るんじゃ。」



…ボケてるんじゃないかと思った。動物図鑑は何冊か持っていているがそんな生き物なんて見たことがない。だいたいしつけもしてなければ言葉にも発していない人の感情を読み取れる動物なんているわけがない。そんな事いくら僕みたいな子供にさえ分かる。もしかしたら僕が小学生だからってバカにているのかもしれない。早いところ帰りたくなってきた。

「なんか飼育も難しそうだし、そんなにレアなら僕要らないです。」

「何を言うか、お前さんのような若者にこそコイツを託したいんじゃ。仕方ない、これも何かの縁。ただでくれてやる。」

「いや、僕、」

「きっとお前さんなら大切に育てられると見込んだのじゃ。頼むぞ。」

そう言ってお爺さんはその容器をたちまち器用な手付きでポケットから取り出した布で包んだ。杖をついてもたもたと歩いていた様子からは想像もつかないような手さばきで。そして丁寧に包まれたビンを僕のプランターを抱えていない方の手に渡した。全く欲しくなかったが早く店を出たかったのでそれを持ったまま店を出てきてしまった。

結局家まで持って帰ってきてしまった。どこかで捨ててしまおうかと思ったが流石に出来なかった。

「ただいま。」

「遅かったわね。今日は午前で終わりでしょ?」

「うん、まぁ。」

「学校の課題なんてさっさと終わらしちゃなさいよ?夏期講習あるんだから。」

「分かってる。」

自分の部屋に入りランドセルを隅に放って庭に朝顔をおくと急いで部屋に戻った。そして布の結び目ををそっとほぐし、例の容器の中を覗き込むがやはり土しか見えない。本当に生き物が入っているのだろうか。居ても立っても居られなくなり引っくり返して見てみたい欲求が沸き上がる。ボクはその衝動に任せ、蓋に手をかけて開け逆さにしようとしたとき、彼の言葉を思い出す。



明るさに弱いんじゃ__



「やっぱり、止めとくか。」

もどかしいが我慢して蓋を閉めた。

「どんな姿なのかな。そもそも昆虫なのか、爬虫類系なのかも聞くの忘れてたな。まぁ、そもそもこん中になんか入っているかも怪しいけど。」

勉強そっちのけで眺めていた。土の表面がもぞもぞと盛り上がったりするんじゃないかと思ってじっと見ていたのだが、それすらも無かった。

騙されたんだろうなぁ。そう思った。そうなるとまた別の課題を作らないといけない。面倒くさいなぁ。

そう思っていると下でお母さんが呼んでいる。ご飯が出来たようだ。降りて食卓を見るとカレーだった。僕はカレーが大好きだ。特にカレーのルーが浸みた、ホクホクのジャガイモは好物である。ということはこれがやつの餌になるんだろうか。よそってもらったカレーをたいらげた振りをして、こっそり1欠片だけ部屋に持っていった。そして蓋を開けてころんと入れてみる。手についたカレーを舐めながら横目で見るがやはり音沙汰は無い。やっぱり駄目か。仕様がない、明日庭にこの土を撒いて空き瓶は小物入れにでも使おう。

そんな事を考えながらタンスから着替えを取って風呂に入ろうと部屋を出ようとしたら急に耳鳴りのような音が鳴った。


キィーーーンッ


思わず耳をおさえてしまうほど。音源が何か気になり周りを見渡し、ふと机の方に目を向けるとビンの中のジャガイモが無くなっている。机の上を探してもジャガイモは無い。もしかすると食べたらしい、中の何かが。


次の日も自分の好物を入れた。肉じゃがのよく汁に浸った玉ねぎだ。入れて目線をそらすとまた鋭い音がなる。どうやらそれはあいつのモグモグしている音らしい。咀嚼音ってやつだ。


その次の日も、またその次も。僕の好物はそいつに喰われた。焼き鮭のカマに玉子焼きの端っこ、炊き込みご飯のお焦げ、餃子の羽根のところなど__。毎日欠かさず「エサ」をやった。だんだんそのキィーーーンを聞くのが癖になっていった。


世話をし続けて3週間くらい経った頃だった。今日は朝から夏期講習があり18時くらいに家に帰ってきた。

「お母さん、今日のご飯何?」

「お刺身よ。夕方スーパーに行ったら半額シールが貼ってあったから。」

パックの中を見ると色々な種類の刺身が盛られている。鮪も好きだが僕はやっぱりこれが一番だ。甘海老だ。色々刺身を食べると醤油に魚の油が出る。そこに減ってきたわさびを足し、丁寧に尻尾の殻を取った海老を醤油に多めに浸してご飯に乗っけて頬張る。想像しただけでたまらない。1人3匹分あるが、仕方無いあいつの為だ。2匹で我慢しよう。今日も親にバレないようにこっそりと手に持ち、2階へと昇った。

部屋のドアを開けようとドアノブに手をかけたとき僕は異変に気付いた。部屋の中からあのキィーーーンとも違う不気味な音が聞こえてくる__。


グワァーン、グワァーン…


僕はゆっくりとドアを開け、その隙間から覗くと驚いた。その音に合わせてビンの中で何かが鈍い点滅を繰り返しながら濃いオレンジ色に光っている。とっさにこれは大人になったんだ、成長したんだ。そう思った。何故かは分からなかったがそれは間違っていないと思った。

「おぉ、つ、ついに、出たぁ。」

とても嬉しかった。なんと言ったって僕は未知の生物を育てたんだから。僕は興奮を抑えられなかった。そしていち早くあのお爺さんに報告しようと思った。急いで支度をする。夕方といってもまだ明るいのでこいつにはよくない。慌ててタンスからTシャツを引っ張りだしそれでビンをぐるぐると覆って部屋を駆け出しドスドスと階段を降りた。

「どうしたの?慌てて。」

「あ、あぁ。じゅ、塾に忘れ物した。まだ開いている時間だからチャリで急いで行ってくる。」


親の気を付けてねも聞かずに家を飛び出し、かごにやつを乗っけてペダルを全力でこいだ。きっとあのお爺さんビックリするだろうな。


勢いに任せて自転車を走らせること5分。例の交差点が見えてきた。店の前につきブレーキに手をかけキィッと止める。そしてペットショップへ駆け入ったのだが、僕は中の様子を見て眉間にシワをよせた。中には物1つとして置かれておらず、まさしく空っぽだった。

「あの、お爺さぁん?」

呼んでも誰も答えない。寧ろ返事があった方が怖かったかもしれない。入った時のあのベルの音も無かったし、この前のヒンヤリしたエアコンの風も、その稼働音も無い。僕は少し不気味に感じて、なるべく部屋の内側へ背中を向けないようにそっと出た。

お爺さん、どこ行っちゃったんだろう。そう思いながら自転車のところまで戻るとかごに乗せたビンが無くなっている。辺りを見回すが無い。誰かに盗まれたのか、一瞬そう疑ったがそれはすぐに違うと分かった。かごにはビンを包んだTシャツが綺麗に畳まれていた。僕が店を入ってものの数十秒だ、こんな早業が出きるのはビンを一瞬で布に包んだあのお爺さんしかいない。

青信号になって通りゃんせが流れてきた交差点の向こうにふと目をやると太陽が真っ赤になって沈んでいく。


「お爺さん、僕上手に育てたでしょ?」


別に日の入りなんて珍しくないのに今日は何故か眺めてしまった。結局僕は何を育てたのだろう。何かを大事に育てたのは確かなのだが。しかしお爺さんが持っていってしまった今となっては確かめる術はなかった。折角なら持ってくる前に部屋の明かりをつけて中身をよく見てからシャツにくるめばよかったなぁ。


そんな事を考えていると間もなくして通りゃんせの音楽がぶつりと切られて信号が点滅を始める。と、その時向こうから杖のつく音が聞こえた。もしやと思い交差点に近寄るが直ぐに信号は赤になってしまって向こうへ渡ることが出来ない。目を凝らすが日が暮れてよく見えなかった。自転車のライトをつけて探そうか、と思ったが止めた。


「やっぱ、明るいの、苦手だもんな。」


僕は交差点から引き返し帰ることにした。5、6歩程、ゆっくり自転車を押しながら歩いたところでまた交差点の方を振り向く。しかし杖の音は日の入りと共に消えていた___。




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