星の子ポンタ

鴨川京介

01.今日もいい天気だ

 ザク…ザク…ザク…ザク…


 俺は今日も家の裏の畑を耕している。


 ここの生活にもずいぶん馴れたもんだ。

 今日も空気がうまい。日差しは厳しいが、風が心地よい。


 俺は3年前にこの土地に移り住んだ。

 現在28歳。

 大学を卒業して、一流といわれる商社に勤め、朝も夜もなく働いた。


 いや、働かされた。


 無理だといっても「大丈夫。みんな通ってきた道だから。」と話を聞いてもくれない。

 無理が無理を呼び、誰に話しても助けてくれるどころか、それ以上に重荷を背負わされる…。


 そりゃ…壊れるわな。


 ある日、客先ともめた上司が、一度もその客先と話をしたこともない俺の所為にして、首だと宣告された。身に覚えのないことを上司に訴えるも、あろうことか、横領の罪まで着せられそうになった。

 さすがに事ここに及んで俺の中で何かが切れた。


 俺は人事部の部長に話をし、様々なパワハラを受け、身に覚えのない横領などを着せられそうになっていると訴えた。


 しかし、それらは認められることもなく、俺は懲戒解雇された。


 さらに俺の横領を追求しようと動き出していることを知り、俺の方でも弁護士を雇い、パワハラの発言が録音されたボイスレコーダー、横領したといわれていた帳票類の筆跡鑑定などを請求し、最近ようやく勝訴した。

 会社からは弁護士費用なども併せて1,500万円ほどの賠償金を得た。しかし、それだけだった。

 そのような横領事件などなかったかのごとく、今でもその社員たちは横領事件について知らないらしい。

 俺は会社から懲戒解雇された後、心が病みかけていたこともあり、あまり人目に付く場所を避けていた。

 この山を買わないかと持ち掛けられたのは、ちょうどそんな時だった。

 俺はそれまで住んでいたワンルームマンションを出て、こちらに越してきた。


 裁判のために何度か東京に足を運んだが、基本はここでの山暮らしだ。

 もっとも、周りには畑があり、自給自足とまではいかないが、自分が食べるための野菜なら、ここの畑で事足りた。


 その畑の先は山だった。

 たまに山にも分け入ってみた。

 いろんな虫や動物、植物を図鑑を片手に見て回るのが、俺の趣味となった。

 俺はこれらの山と畑を含めた土地を売ってもらっていた。


 お金は大学時代から始めた株で、大学卒業までには10億ほどの資産を作っていたので、それを使った。もっともこの山と畑とで1,000万円ほどで売ってもらったのだが。

 買った土地に少し大きめの山小屋風のログハウスを建てた。

 元からあった旧農家の家屋に住みながら、少しづつ、1年がかりで自分で建てた。

 もっとも1階部分のガレージや基礎は鉄筋コンクリートで作ったので、地元の工務店にお願いした。その工務店で建築の確認申請なども手配してもらった。


 シャベルカーやクレーン車なども必要になったので、わざわざ免許を取り、中古でそれらの建設機械も買いそろえていった。

 俺には時間だけはたくさんあった。コツコツと、ひとつずつ焦らず作っていった。

 これが思いのほか性に合っていたのもあるが、ふさぎ込んでいた心を徐々に癒してくれていた。


 都心までは4時間ほどかかるが、逆に言うと4時間も車で走ればこんないいところがまだまだ残っている。

 良い場所を譲ってもらえて、隣に住む朝峰さんには感謝している。

 朝峰さんちの親父さん、源蔵さんは俺の畑仕事の師匠でもある。


 源蔵さんとは入社したての頃、チンピラに酔って絡まれていたところを助けてからの縁だ。源蔵さんも酔っていて、チンピラに殴り掛かったもんだから、収まりがつかなくなっていて、そこに割って入って、源蔵さんを救い出したのだ。

 もっとも、相手のチンピラは気絶させておいたので、俺のことはほとんど覚えていないだろう。しかし、念のため、俺はそれからその町の繁華街には飲みに出歩いていない。


 救い出した後、源蔵さんも酔って暴れたために酔いが回って寝てしまったので、仕方なく俺のワンルームのマンションに連れて帰ってそのまま寝た。

 翌朝俺が出社する時間になっても起きないため、仕方なく置手紙を置いて、鍵をかけて、ポストに入れておいてもらうように頼んでおいた。

 その日、帰宅すると迷惑をかけたと詫びが書かれた手紙が置いてあり、そのうちまた上京するので改めて礼はすると書かれていた。携帯電話の番号も書かれていたが、俺は電話を掛けないでおいた。


 1週間後、俺はすでにそのおじさんを助けたことも忘れていたが、俺の部屋を訪ねてきて俺がまだ帰宅していないことを知り、マンションの前で待っていた。

 俺ははじめ不審者だと思い、こちらに歩いて来るのを身構えて待っていた。

 外套の明かりがその人物の顔を照らしたときにはじめてその助けたおじさんだと思いだしたのだ。

 それから俺たちはまた、駅の方に戻り、駅前にある居酒屋で飯を食いながら話をした。


 あの日は東京で寄り合いがあり、その帰りに一杯ひっかけていたところを絡まれて、いさかいになったこと。あくる日気が付いたら見たことのない部屋で、置手紙があったこと。見ず知らずの他人を助けてくれて、家にまで泊めてくれたことを感謝された。

 俺もその日はたまたま研修終わりで同期の人間と飲みに出かけていたところ、チンピラが暴れているのを見かけて、割って入ったこと。子供のころから近所の祖父の家の道場で日本拳法を習っていたことで腕には自信があったこと。とりあえず相手を気絶させて、担いで逃げたことなどを話した。


 俺の祖父は先祖代々受け継がれていた拳法を継承していて、俺も子供のころからしごかれていた。祖父は日本拳法だけではなく、中国の方にも出向き、拳法と名の付くことは片っ端から学んだそうだ。俺にもその手ほどきをしてくれた。その時、身体に巡らせる「気」についても教えてもらい、今でもその鍛錬は欠かしていない。その「気」を応用した当身で、チンピラの意識を奪ったのだ。


 源蔵さんも若いころにはよくケンカしていたらしく、その日もチンピラが吹っ掛けてきた因縁に真正面から立ち向かったそうだ。しかし若いころと勝手が違って、酔っていたこともあり、思うように体が動かず、相手から殴るけるの暴行を一方的に受けていた。そんなところに俺がやってきたようだ。


 俺たちは親子ほど年は離れていたが、意気投合し、その日は駅にあるステーションホテルに泊まるというので、結構遅くまで飲んで話した。

 それ以来、俺は源蔵さんに気に入られたようで、源蔵さんが東京に来るたびに電話がかかってきて、一緒に飲みに出かけていた。

 それでも3か月に一度ぐらいの頻度だったろう。


 俺が会社を首になり、部屋で何もせずぼうっとその日を過ごしていた時に電話があり、源蔵さんと会った。事情を話しているうちに源蔵さんが怒りだしたが、もう終わったことだし、あの会社にも戻りたくない。どこか田舎でのんびり暮らしたい。金なら大学時代に作った金があるから、贅沢しなければ一生働かないでも済むと話をした。


 それならうちの隣に引っ越して来いと源蔵さんが言い出した。

 山と畑を売ってやるから、そこでのんびりすればいいと誘われた。


 俺にはその提案がすごく魅力的に思えて、即答で返事をし、翌日には地元から息子の智也君を呼んで売買契約書を交わしてくれた。源蔵さんはその一帯の地主で、息子さんはそれらの資産管理のための不動産管理会社を起こしていたのだそうだ。


 あれからもう3年。

 俺はログハウスができた後はそこに移り住み、その横に新たに工房も作っていった。元々何かを作るのが好きだったのだが、今まできっかけもなくてやれなかった陶芸やガラス細工、革細工に金属工芸などいわゆるハンドクラフトといわれるものを作ることができる工房を作ったのだ。


 暇さえあれば源蔵さんが来て、その工房にある囲炉裏で酒を酌み交わす日々が続いている。最近は源蔵さんも陶芸にはまったらしく、よく一緒に土をこねている。


 土をこねた後、工房の横に作った露天風呂に入って、冬は囲炉裏端、夏は縁側で酒を酌み交わす。

 そういう時、俺はこの土地に来て本当に良かったとつくづく思うのだった。

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