22
12月22日
乾いて澄んだ空気に、涼やかな潮風が吹く。日は暮れ始めて、空の端は鮮やかなオレンジに染まっている。もう時期クリスマスが近いこともあり、平日の昼間にも関わらず人通りは多い。特に横浜のMM地区と呼ばれるこの地域においては毎年イルミネーションで彩られることもあり、カップルも行き交っている。
「まだ……かなぁ」
そんな行き交うカップルを駅前で眺めながら、高校の制服纏った白藍の髪の少女は浮き足立たせながら人を待つ。吐く息は白く、手を温めようとしても直ぐに冷えてしまう気がした。そんな彼女に二人と一匹は優しく声をかける。
「そう心配しなくても大丈夫ですよ。あの人達は約束を破ったりなんてしませんから」
「子分の分際で約束ブッチしたら俺が引っ掻いてやるから安心しな」
「大丈夫だよ。少なくとも私の見た未来ではあと五分もすれば……」
壮年の彼の、いつも通りのしたり顔。時折変なことも言うけれど、彼の言う未来がそう違ったことはなかったからどこか安心感を覚えた。
途端、駅の方からドタドタと音が聞こえてくる。全力全速、誰かの走る足音が聞こえて来て、その瞬間に少女の顔はパァと晴れて浮いたままの足でそのまま彼女も駆け出していく。
二つの足音が近づいていく。互いにその姿を見れば、また加速。
そして手が届くより少し遠く、二人は同時に飛び出して。
「おかえり、タレメ!!」
「うおおおおおお!!久しぶりイリスさん!!」
青年になった少年が受け止めるように、あの日のように少女のことを抱き止めた。
「イリスさん、またおっきくなった?」
「うん!この間よりまた身長も伸びたんだよ!タレメは……あんまり変わってないね」
「なにおう、これでもマリアさんにしごかれてそれなりにはだなぁ」
久々の再会に二人が会話に花を咲かせていれば、双方の後方からゆっくりと落ち着いた足取りで。
「全く、我々を置いていくとは……」
「あれだけの環境にいたのなら致し方ないだろうさ」
「久しぶりだな、マリア、黒鉄。そしてアイシェさん、貴方は相変わらず見目麗しい」
「お久しぶりです。禅斗支部長、皆さん」
久方ぶりに顔を合わせて、双方誰もが思わず笑みが溢れていた。
「お久しぶりです!支部長!」
「無事で何よりだ垂眼。幾つかの世界線では死にかけていたみたいだが、この世界のお前は乗り越えたみたいだな」
「多分それこの世界線っす。割とマジで何回か死にかけましたし」
垂眼の背丈は伸び、禅斗のシワは増えたけれど、相変わらず仲睦まじく。
「お前……まだ生きてたのか……」
「猫は世界一強えからな!カカカカッ!そういうお前こそしぶてえな、マリア」
「仮にも部隊の長だからな、倒れるわけにもいかんさ」
マリアとカケル、どちらも五年の歳月など感じさせぬ程にどちらも未だ若々しく。
「ご無沙汰です、黒鉄さん。右眼は……」
「これは訳あってだが、気にすることはない。光、お前も元気そうで何よりだ。カケルも相変わらずのようだしな」
「はい、僕ももう大学生ですし、カケルは相変わらず中華街でボス猫してますよ」
右眼を眼帯で覆った黒鉄と、あの頃よりも随分と大人びた光。
「イリスちゃんも元気そうで良かった」
「お陰様で元気にしてます、アイシェさん!」
歳の離れた姉妹のように、抱き合う二人。
それぞれがそれぞれで再会を喜び、はたから見ても楽しげにしていた彼ら。
ただ、気づけば既に日は傾き始めていることに彼も気づき。
「さて、積もる話はあるだろうがそれは歩きながらにするとしよう。悲しくも時間は待ってくれないからな」
「うっす支部長!」
「はい!楽しみです!」
彼らはそのままゆっくりとその場所へと向かい歩き出していった。
※
「イリス、勉強にはついていけているか?」
「はい。分からない時も禅斗支部長や皆さんが助けてくれるのでなんとか」
「能力の方も安定しているみたいですし……本当によかったです」
新港地区へと向かう橋の上。支部を後ろに、遊園地を横目に彼女らは本当の親子のように並んで歩いていく。
そんな様子を後ろから眺めつつ、彼らもまた語り合う。
「マルコ班でも活躍しているようだな、垂眼」
「いや、ペーペーの俺はみんなの足引っ張ってばっかっすよ。まだまだっす」
エレウシスの秘儀事件から五年。あの戦いを経て内藤垂眼は今、マリア率いる『レネゲイド災害緊急対応班 マルコ班』の一員となっていた。
「とはいえ一年目であの規模の戦闘、損耗の中であれだけの活躍をしているのならば上々だ。特に先日の与那国島でのレネゲイドビーイングの大量発生については……」
「え、黒鉄さんなんで知ってんすか!?」
「仕事だ。あの作戦は戦術的にも戦況的にも分析のし甲斐があってな」
「そういえば黒鉄はUGNに戻ったんだったな」
「ああ。今は
五年前イリーガルだった彼も今はUGNに。それもいわば最前線の教官職に就いていた。
「部隊としてもだいぶ軌道に乗ってきたらしいじゃないか」
「お陰様でな。そういうMM地区は相変わらずと聞いてるよ」
「ああ。オレの眼が黒い内はこのMM地区で好き勝手させないさ」
「支部長の場合魔眼もありますけどそれは数えるんすか」
「中華街の方はカケルが仕切ってますし、なんだかんだこの辺はずっと平和ですね」
「ったりめえよ!ネズミたちだってみかじめ払ってんだからな。俺のシマで勝手するなら容赦しねえさ」
彼らの言う通りあのエレウシス事件以来、MM地区では大きな争い事も事件もなく、平穏無事な暮らしが続いている。その証拠に、橋を渡った先ではイルミネーションに彩られた街の中で人々が笑い続けている。
「クリスマス当日でもないのに、凄い人ですね……」
「そういや、今年はクリスマスイブもクリスマスも土日なのに、なんでわざわざ今日なんです?」
「そこは俺の予定が入ってるからな。ずらしてもらった」
「アッハイ」
「生憎とオレもだけどな」
「え、支部長も!?ひ、光くんは……」
「……すみません。僕も大学の友達と……」
言葉を失い固まる垂眼。
そんな彼の肩を、優しく肉球がポンと叩いた。
そうして、歩きに歩いて着いた場所は赤レンガ倉庫。
「テーマパークに来たみたいだぜ。テンション上がるなぁ〜〜」
この時期はクリスマーケットが開催されており、本場ドイツさながらグリューワインや食事を楽しめる。
そしてその傍らには、スケートリンクがあって。
「あ、あの、マリアさん」
「どうしました、イリス?」
「一緒に、滑ってもらえませんか……?」
少し不安げに。それはあの頃の少女のように。けど、それにマリアは優しく和らげに微笑んで。
「久々なんです、ワガママの一つや二つくらい言いなさい」
それには彼女の顔も晴れに晴れて、笑顔を浮かべて。
「じゃあ行きましょう、マリアさん!」
そのままマリアの手を引いて無邪気に駆けていく。
そんな様子を彼らは微笑ましく眺めて。
「では、私はこれから身体の冷えるだろう二人のために色々と買ってくるとするよ」
「私も着いていきます、禅斗さん。私、今日のために色々リストアップして来ましたから!」
「えっと、僕らも手伝ってきます!」
「おめーらはイリスのことちゃんと見とけよ!」
黒鉄と垂眼の二人、いい感じに取り残されてしまった。
「……あれから、五年か」
「そっすね。こう考えると、だいぶ経ちましたね……」
二人、しみじみと時の流れを感じながら口を開く。そんな彼らの視線の先には、楽しげに、軽やかに氷上を滑るイリスの姿。
「本当、大きくなったな」
「最初はあんなにちっさかったっすのにね」
二人して、ハチミツとパフェが好きだった幼き少女を脳裏に浮かべる。今もあどけなさは残しているけれど、随分と大人びたなと二人は思う。
けど、それは彼からしてもそうで。
「お前も、随分と成長したみたいだな」
「そっすか?あ、身長は確かに伸びましたけど」
「……レネゲイド災害緊急対応班にストレートに新人で入った奴は数えられるほどしかいない。それこそ、隊長格くらいだろうな」
彼はふ、と成長した彼に思わずほくそ笑んでしまう。
「買い被りっすよ。俺は、まだまだ弱いっすから」
そして答える彼の言葉はかつてと同じで、けれどそこにかつてのような悲嘆は一切なかった。
「ていうか黒鉄さん、俺のこと昔から過大評価し過ぎですって」
「俺は正当に評価しているつもりだ。戦闘力はまだしも、精神力や心の強さという点では俺が知る限りお前以上を見たことはないな」
「前にも言った通り、一度止まったらもう走れないと思ってるから走り続けてるだけなんですけどね」
「それだけであれだけの脅威に立ち向かえる奴など、そういないさ」
それも二度も踏み出すなどなんてな、と付け加えて、彼は懐からココアシガレットを取り出す。
「それで、敢えてにはなるがどうしてUGNのR災対に入ったのか聞かせてはくれないか?」
「えっとまあ、大した理由じゃないんすけど」
そう口にして、彼は今も楽しげにスケートリンクで舞う彼女に視線を向けて。
「あの一件が終わったとはいえ、これからまたイリスがどうなるかわからない以上、やっぱり俺自身も強くなりたいなって。それを考えたらやっぱりマリアさんのとこに行くのが一番だって思っただけっすよ。それに————」
彼が想いを馳せるのは、かつての仇敵と交わした言葉。
「俺は俺の方法で、不平等のない世界を目指したいと思ったんです。具体的な方法とかは分かんないすけど、とりあえず色んなやつに手を差し伸べてれば、いつか叶うんじゃないかって」
「……そうか」
その答えには彼も思わず笑みをこぼしてしまっていた。
そんな風に語らいを続けていれば、イリスがフェンスにもたれかかる二人の元へとやってきて。
「タレメも一緒に滑ろ!」
「え〜〜どうしよっかなぁ〜〜」
「隊長命令だ。行ってこい」
「ハイ」
マリアにそう言われて、何処か訓練か何かの名残が残ってるかのように彼は返答して受付へと走っていく。
そうこうしている内に、グリューワインにソーセージやら、色々食事を持って戻ってきた彼らと一匹。
「冷えてた頃だろう、二人とも」
「ああ、助かる」
「助かります」
黒鉄とマリアはカップを受け取り、ゆっくりとそれを喉の奥へと運ぶ。
ほんのりと温まる身体。そのままマリアも少し休むようで。
「イリスが世話になってるな」
「なに、幼子の行く末を見届けるのが大人の役割。オレはその役割を全うしたまでさ」
「その割には、色々なところに連れて行ってくれたようじゃないか」
「そうですよ禅斗さん。イリスちゃん、とても嬉しそうに色んなところの写真を見せてくれましたよ」
そう言われて禅斗は少し照れ臭そうに、けどいつもの様に和らげに笑って。
「この世界は広い。オレの一生を費やしても半分……いや、それさえも見届けられないほどにだ。だからこそ子供は子供のうちに世界を知るべきだとオレは思う。これからの視野を広げていくためにもな」
そう語って、垂眼と二人楽しむ彼女の方を向いて。
「特にイリスちゃんは小さい頃に酷い目に遭ってきた。だからこそ、尚更この世界は君に酷いことをする奴らばかりじゃないんだぜってことを、教えてやりたかっただけさ」
「本当に、助かるよ」
マリアと禅斗の二人、子を見守る親の様にその成長を喜ばしく見守っていた。
「それでマリア、マルコ班の隊長をやめてお前はどこにいくんだ?」
「え、マリアさん辞めちゃうんですか……!?」
「おいおいマジかよ」
「……秘匿事項のはずなんだがな」
あたかも世間話の様に切り出されて少し困った顔をするマリア。それに禅斗はいつもの様なしたり顔で。
「何、少し先が見えただけさ。生憎とそこから先は見えなかったがね」
「……隊長」
「そうだな、元より今日はこのこともあって来たわけだからな」
マリアはそのまま観念した様に、いつもの様に厳かに。
「私とアイシェはより上の立場に立つことになることを打診された。すぐにではないが、恐らく数年後にはマルコの隊長では……いや、下手したらこの世界にすらいないかもしれないな」
「それは……どういう……」
「詳しくは言えませんが、より高次のレネゲイド災害に対応するための部隊への異動を打診されました」
つまり、彼女はこれからこの世界を守るために更に過酷な戦場へと身を投じるということ。
「寂しくなるじゃねえか。折角イリスもあんなに大きくなったってのに」
「何、私とて死ぬつもりはないよ。それこそお前よりも先になどな」
「ハッ!言ってくれるじゃねえか!」
そんな彼女の答えに、彼はその足にポンと肉球を置いて。
「俺の子分を泣かしたら、容赦しねーからな」
「ああ、分かってるよ」
彼は、彼なりに激励を送るのだった。
「これを踏まえてにはなるが、改めてイリスのことをよろしく頼む」
静かに頭を下げる彼女。それに禅斗は落ち着いた声音で。
「もちろん……とは言いたいが、そうも行かないかもしれないと先に付け加えておこう」
「それは、どういう?」
「簡単なことさ。子供はいつか大人になる。我々大人は子供を守らなければならないが、その巣立ちを妨げてはならないからね」
いつものようにしたり顔で、それでいて優しい声音で彼は答えた。
そして彼らの語らいが落ち着いた頃、軽やかに滑る彼女と、子鹿の様に脚を震わせながら彼が戻ってくる。
「マリアさん!タレメ、すごい変な滑り方してた!」
「ちょっとイリスさん!?」
「ほう?」
それにはマリアは冷たき瞳を彼に向けて。
「これは、隊に戻ったら氷上訓練が必要というわけだな」
「ま、待ってくださいマリア隊長!!俺はまだ死にたくないです!!」
蘇るは、五年前のスケート場での悪夢。だがもう、誰も止められないと察して。
「垂眼、お前の事は忘れない」
「一度死ぬ目に遭えば男は更なる成長を遂げる。頑張れ!垂眼!」
「その、強く生きてください垂眼さん……」
「死んだら承知しねえからな!」
「いや止めてくれよ!?」
小さな叫びが、夜の空に響き渡った……
※
時刻は十八時を回った頃、すでに空は暗く夜の闇に包まれる。今日は冬至で、今年で一番夜の長い日。そんな夜さえもかき消すほどに地上は煌びやかに光り輝く。
その光の一つ、露店の前で悩む少女が一人。その彼女の眼前には可愛らしいクマのぬいぐるみ……の見た目をした湯たんぽが並んでいる。
最近冷えてきたこともあったり、デザインが可愛かったり、とても少女にとっては魅力的で。しかし高校生のお小遣いでは少し背伸びをする必要もあり悩みに悩んでいて。
「おじさん、この子くださいな」
「あっ」
「はいよ」
後ろから現れた彼が可愛らしいクマを受け取り、そのまま少女に渡す。
「はい、イリスさん。ちょっと早めのクリスマスプレゼント」
「……ありがとう、タレメ」
受け取った少女は少し頬を赤らめながら、顔を隠すようにぎゅっと抱きしめていた。
「あれ、そういやみんなは?」
「禅斗さん達はあっちでゆっくりしてる。カケルは子分たちに美味しいもの分けてやらなきゃって、先に帰っちゃったみたい」
そういえば、さっき来る途中で新しい子分が出来たと語っていた。少し赤みがかった毛の色の猫。何処かの誰かの生まれ変わりがようやく来たのだと、嬉しそうに口にしていたのを彼は思い出す。
「ほんと、この数年で色々変わったよな」
「そう?」
「確かに街はあんま変わってないけど、イリスさんは前よりこう、綺麗になったりさ」
「……ありがとう。タレメも、前よりカッコ良くなったと思う」
「へへ、そうかな?いやー、照れちゃうね」
二人、並んで巨大なクリスマスツリーを見上げながら静かに語り合う。
そんな中で、彼は彼女の方を見て。
「そういやイリスさん、もう少しで高校も卒業だよな」
「うん。来年の春にだね」
「進路、決まった?」
優しく聞いた彼に、少女は少し言葉を詰まらせる。そのまま後ろで手を組んで、海の方に目を向ける。
そして意を決したように一度息を整えて。
「私、UGNのレネゲイド災害緊急対応班に入ろうと思うの」
ハッキリと、笑顔で彼の問いかけに少女は答えた。
それに彼は驚き一瞬言葉に詰まるけれど、彼もまた口を開いて。
「支部長には、相談したのか?」
「うん。最初は少し反対されたけど、納得してくれた」
「でも、どうしてイリスさんも?」
その問いに答えようとして、同時にあの日に想いを馳せる。
「私ね、あの日のことは今でもはっきりと覚えてるの。ベイブリッジに、みんなが来てくれた事も、タレメが私にかけてくれた言葉も」
嘘をついて、自分さえも騙そうとした。それなのに彼らが諦める事なく手を差し伸べてくれたあの日のこと。
そしてまたあの日も、そんな彼らに助けられたからこそ、
「私、この力を使ってみんなに恩返しをしたい!みんなの力になりたいの!」
彼女はこの上ない笑顔で、彼に答えた。
少年は少し、答えにためらった。本当は彼自身も反対したい気持ちがないわけじゃなかった。
けれどそれ以上に、あの日かけた言葉があったから。
「イリスさんがやりたい事を見つけて選んだなら、応援しなきゃだもんな……!」
彼は一歩踏み出して、彼女に手を差し出す。
「マリアさんと、マルコ班で待ってるぜ!」
「うん……!」
そんな彼の手を、少女は元気よく手に取った。
ちらちらと、白き雪が降る。
灯りに照らされた白き粒は二人の選択を祝福するように煌めいて。
「それじゃ、一旦戻ろっか。寒くなってきたし」
「そうだね。ホットワインで温まろ!」
「そうだな!」
二人はその煌めきの中、手を繋いで一歩踏み出す。その中で少女は一言、彼には聞こえない声で呟いた。
「ん?何か言った?」
「い、いや、何でもない!早く行こ!」
「っと、そんな引っ張るなってー!」
二人、並んで駆け出していく。これからも一緒にいられますように、少女はそんな願いをその小さな胸に秘めさせて。
白き雪が降りしきる、22の夜。
これは少年と少女が大人になった、その一幕。
希望の名を与えられた一輪は、これから新たな花を咲かせる。
きっとその花の咲く未来は、無数の喜びに満ち溢れている事だろう。
彼らの明日に、終わりなき祝福あれ。
to be continued & Merry Christmas!!
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