第18話 大盾のレギオン

太陽は傾いて、橙の光が空覆う。黄金と青の二つの光の粒は空に煌めき、彼らの戦いを見守るようにゆらゆらと静かに降り落ちる。


繰り広げられる死闘は過激さを増し、鉄と鉄は幾度となくぶつかり合っては甲高い音が空へと響いて。

少年が剣を振るえば大盾が受け止め、弾けた鉄は火花となって夕空に消えゆく。

「……どいて欲しいんだけどな。俺はな、後ろの男に用があるんだよ」

「通さんさ。この身が朽ち果てるまではな」

彼女が構えるはその身に余る程の大盾。その盾に刻まれた傷は彼女が守った証。それを示すかのように彼女と彼には傷の一つもつかず。

対して攻撃を仕掛けんとする彼らは満身創痍で、垂眼もマリアもカケルも深い傷を負って、一手が彼らの命を奪いかねない。


「だったら、ぶっ飛ばしてやらァ!!」

だがその傷が彼ら足を止める事はない。ヴァシリオスらが阻むのはイリスという一人の少女の未来。傷つく事も、命を失う事も躊躇わずにここまで来た。

繰り出されるその鋭爪が示すは彼らの覚悟そのもの。鋭く、抉るようにその爪は盾に食い込み、離すことはない。


瞬時、駆け寄る垂眼の斬撃がヴァシリオスへと放たれて。重しとなったカケルを振り払うために一歩僅かに出遅れる。

「行かせん……!!」

「くそ……ッ!!」

されど、その足より出でた氷壁は彼を阻むのには十分に機能して。

「このまま仕留める……!!」

足止められたその瞬間をヴァシリオスは狙い澄まし、その剣を一気に繰り出した。


「させんよ、マスターレギオン」

縛る。重力の枷が彼の足を縛り付けて。垂眼への追撃も僅かに一歩足らず、垂眼も再度反撃へと一気に剣を振りかざす。

だが僅かな隙を突いたのは彼女も同じ。カケルがしがみついたままの盾を彼の眼前に繰り出して。

「っ……!!」

「僅かな迷いが……命取りだ……!!」

シールドバッシュ。攻撃を躊躇った彼に向けて鋼鉄の壁が叩きつけられる。

衝撃は重く、意識は一瞬失われて。彼らの追撃はままならず、二人の体は後方へと吹き飛ばされる。


それでも、好機を逃すつもりなどはない。

「押し通す……!!」

剣穿。赤を纏ったマリアの刃が大盾を抉るように突き刺さって。

「このくらい……!!」

「いいや、まだ……!!」

赤が散る。その巨壁に空いた穴を拡げるように、弾ける様に爆ぜて。

「っ……ぐっ……!!」

後ずさる。それは遥かに強力で、ミサイルを無傷で受け止めた彼女でさえもわずかに体心が揺らぐ。


だが、だから守れないという事はない。

「っ……ハァ……ハァ……!!」

傷は負えどそれも僅かで、空いた穴も氷で塞ぎ、後ずさる足も凍らせ止めて。

「これでも耐え切るというのか……!!」

「当たり前……だ……!!」

マリアの、彼らの繰り出せる最大火力を持ってしてもその盾を穿つことはできず。大盾の名に相応しきその守りは揺るぐ事なく、その様相からは想像もつかぬほどに硬く、大きな障害として未だ立ち続ける。


「奴をどうにかせねば……!!」

一度下り体制を整えようとするマリア。大盾のレギオンの守りは硬く、己が血を使った一撃でも傷はさほど与えられず。重ねてその傷は深く、あのような攻撃はそう何度も繰り出せない。

「このままじゃジリ貧だ」

禅斗が戦況を分析する通り、大盾を打ち破らねばわずかな勝ちの目さえも摘まれてしまう。

「っても、どうやって……」

「知らねェ!!ぶっ飛ばすだけだろうがァ!!」

垂眼とカケルも再度立ち上がり、攻撃に転じようと足を踏み出そうとした。


それよりも早く、彼らが動き出す。

「ナタリア!!」

「ええ……!!」

大盾を仰ぐ様に掲げ、身を屈ませる。ヴァシリオスも即座に駆け、跳躍。

その両足を盾に乗せ、大盾のレギオンも彼が乗ったことをその腕の感触で感じ取れば盾ごと前方へと向けて。

「猶予など、与えん……!!」

飛ぶ。カタパルトが如く彼の体は宙へと放り出されて。

「この……!?」

迎撃の猶予も与えずに彼は一気に接近し、その赤き斬撃は禅斗の体躯に大きく傷を与えた。


「よくも支部長を……!!」

通り抜けた彼目掛け風纏いて一気にその距離を詰めて剣を振るう。

「反応はいい……着地と隙を狙った判断もいい……だが……!!」

左腕から滴る赤は剣となりて。逆手に持ったその刃で彼の一撃を受け止める。

甲高い音とともに火花は散って、彼が振り向くと同時赤き刃が彼の眼前を通り抜ける。

頬が切り裂かれて赤が滲む。傷は次第に熱を帯びて焼かれる様に痛む。だが彼はそれさえも気に留めず、再度その剣を振るう。


ぶつかり合う二つの剣。一撃一撃、その全てが命を切り裂く致命の刃。鼓動は既にその限界たる早さで刻まれ続け、視界の端は黒に染まっていって。

「今だ……!!」

「子分に言われなくてもわかってんだよォ!!」

そして意識の外より迫り来る爪牙。それはヴァシリオスの首筋めがけて放たれて。

「面白い……!!」

彼は二本の剣で受け流す。流石に死角からの一撃を無傷で受け切ることはできず、赤を撒き散らしながらもそのまま垂眼からの斬撃を受け止めて。


同時、その身体を重力が縫い付ける。今までよりも遥かに強く、一歩踏み出すのも困難になる程の力で。

「やれ、マリア!!」

「ああ……!!」

守らせることなく確実に仕留めんと霧となりてその姿を眩まして。

「来るか……!!」

構える。たとえその身が思うように動かないとしても。

「終わりだ……マスターレギオン!!」

「終わらんさ……!!」

彼もまた、彼女を信じていたから。


「くそっ……ナタリア……!!」

「今です……隊長!!」

既に距離を詰めていたナタリアによるシールドチャージ。それは禅斗のバランスを崩すには、彼をその力から解き放つには十分で。

「このまま……!!」

「悪くはなかったがなァ!!」

マリア、カケル、垂眼による三方からの攻撃。それを予測した上で彼はその剣を構えていて。

薙ぎ払う、と同時に血が爆ぜる。

「っ……ぐっ……!!」

それはマリアではなく、ヴァシリオスの血液。爆ぜたそれは刃が如く形をなして彼らを切り刻む。

たとえ霧となって姿を隠していようとも攻撃の瞬間には実体化している。その隙を突くように放たれた広範囲の斬撃は、彼らの陣形を崩した。


瞬間、彼の剣は夥しいほどの赤を纏い、身の丈を優に超える大剣となる。

狙いを定めるは手負のマリアと禅斗。どちらも崩れた体勢で回避は不能。もはやその死は抗えないものとなって。

「貰った……!!」

「させ……ねぇ!!」

今、少年が運命を変えんと力強く地を踏みしめた。




—————風が、暴風へと変わる。




ヴァシリオスの一撃はこの場の誰もの時間を奪い去って。だがその奪われた時間さえも取り戻すように少年は加速する。

限界超え、暴風纏って彼との距離を零にする。


これ以上誰も奪わせない。イリスを悲しませない。

そんな想いが、彼の身体を導いて。


「うおらああああああっ!!」

繰り出される一閃。ガラ空きのヴァシリオス目掛けその刃は飛んで。


必殺とも言える、決死の一撃。あの日、彼に届く事のなかった、全力の刃。


だがそれは一つの盾に防がれる。

「させんよ……少年……!!」

「邪魔しないでくれよ……!!」

同じ想いで彼の前へと立ち塞がった大盾のレギオン。



彼女もまた、失わない為にこの戦い方を選んだ。



誰かが傷つくことも、誰かを傷つけることも望まなかった彼女は盾を携え、皆を守ることを選んだ筈だった。



その筈なのに大切な仲間たちは守れず、三度も殺してしまって。

それでも彼らは託してくれた、信じてくれた。

ならば己が使命を最後まで果たす。彼を守り通し仲間達の想いを、願いを成し遂げる。

その覚悟が音速をも超えた彼の一撃を受け止める。


だが彼の速度に対応しようとしたが故にその体は体勢を崩して、次の守りさえもままならない。


そして彼、尾張禅斗はその隙を逃さず。

「貰った?それはこっちのセリフだぜ、ジジィ」

己の守りさえも捨てて、その照準をヴァシリオスへと合わせる。


構えるは黒星。光を飲まん程の質量を持ったそれは弾丸ほどに圧縮されて、その密度はこの世界に存在し得ないものとなって。

「貫け、我が奥義————」

射出。

発火炎も、発砲音もない。ただ真っ直ぐ敵を、全ての障害を撃ち抜かんと放たれる。

触れただけで全てを飲み、打ち砕く一射。コンマ一秒にも満たぬ間、必殺の一撃は彼という存在を破壊せんと目前に迫って。


それでも————

「まだ……だァ!!」

大盾はその身が傷つくことも、命が砕けることも厭わずに。再度彼を守らんと立ち塞がった。




————衝撃が、走る。

音もなく放たれた弾丸。それが大盾とぶつかり合い、轟音が鳴り響く。

「っ……ぐっ……!!」

その威力は彼女が受けてきたどの一撃よりも重く、鋭く。不死の化け物さえも穿ったその弾丸。それを人の身で受け止めるには余りにも無謀が過ぎる物で。


腕が、足が、命が砕けていく。

もはやこの一撃を受けて立ち続けることが叶わないのは自明で。


それでも彼女は立ち続ける。

守らねばならぬ物がその背にあるから。

この手で守り抜くと決めたのだから。



それが大盾のレギオンとしての、最後の矜持だから。



「っ……ぐっ……ガあああああああッ!!」

守り抜く。

たとえその一撃が神話さえも打ち砕くものであろうとも。

己の命が失われようとも。もう奪わせないと誓ったのだから。

「ッ……ハァ……ハァ……!!」

「……やるじゃないか、ナタリア」

大盾というその身を犠牲にして、彼女は守り切ったのだ。



だが、もう大盾としての役割をもう果たすことはできない。

「隊……長……!!」

大盾のレギオンに出来ることは半分に折れた盾を握るのみ。

立ち尽くしてなお、彼のことを信じて。

「終いだ……ナタリアぁ!!」

もはやカケルの一撃に回避する術も、守る術も持ち合わせていない。それでも彼女が作り上げた間が、確実に禅斗とマリアを斃せると分かっていたから。次に繋ぐことが、彼女の望みであったから。


故に悔いも恐怖もなく、彼女は静かに死を受け入れようとした。



筈なのに。



「————すまない」

赫き剣が、その爪を遮った。



「隊長……どうして……!!」

彼は答えず、それでも一度振り上げた大剣を彼は解きその一撃を受け止める。

もしその命を見捨てていれば二つを斬り裂き数の差など埋められていたのだろう。



それでも彼は、彼女を失う事を許せなかった。


一度目の喪失でさえも彼は拒んで、その恐怖をその胸に刻み込んだ。

ならば二度目も同じ、いいやそれ以上の恐怖に襲われただろう。


そもそも見捨てる事が出来るのならば、こうも狂うはずなんてなかったのだ。



だが、その彼の人間としての甘さが隙を生んだ。

「今度こそ……終わりだ……!!」

距離を詰めたマリア。その刃には既に赤という赤が塗りたくられていて。


狙うはヴァシリオス。マリアは全ての戦いに終止符を打たんと、己の最後の命を刃に乗せて振り翳す。誰が見てもそれが彼女の全力である事は明らかで、それを受ければ人ならば容易く血へと還るだろう。


「ハアアアアアアアッ!!」

振り下ろされる斬撃は、一秒にも満たぬ間にヴァシリオスを切り裂かんと振り下ろされる。彼女を守った彼が避けることは能わず。彼自身その死を受け入れるようで。



それでも————

「ナタリア……何を……!?」

「貴方をまだ、死なせる訳にはいかないのです……!!」

彼の死を拒むように彼女の手が彼を払いのけて。




—————赫き斬撃が、その体躯を斬り裂いた。



「っ……ガッ……!!」

右肩を落とすように振り下ろされた斬撃は確かに彼女の体に線を刻み込む。

「爆ぜろ……!!」

そしてマリアが力を込めると同時、その全ての赤が炎を帯びて燃えるように爆ぜ散る。

爆ぜた赤は肉という肉を抉り、骨という骨を砕く。

もはやそれを受けて立ち続けられる訳もなく、力なく彼女の身体は崩れ落ちるはずだった。

「まだ……です……」

「何……!?」

ただ一つの、意地がその身を支えるまでは。


炎は未だ燃え、彼女の命を焼き続ける。それでも左手に残った盾を彼女は離さず、目の前の彼女を睨みつける。

命は僅か、虫の息のはず。にも関わらずナタリアの冷き眼光からは未だ闘志が見え続けて。

「マリア、貴方が譲れないと言ったように……!!」

「くっ……!?」

一歩踏み出す。もはや右半身はまともに機能しない。未だ炎が燃え盛る中で、逃がさんと言わんばかりにその距離をゼロにして。


「私にも……譲れないものがあるのです……!!」

繰り出す。残る左腕で最後の一撃を。大盾のレギオンではない。守るべき存在ではない。"ナタリア・メルクーリ"という、一人の女の意地によるその一撃が今解き放たれて。



————砕く。



その一撃は、守る術しか持たなかった彼女の最後の意地。


いつか己を打ち破った者への、ささやかな復讐だったのかもしれない。


それでも、確かにその一撃はマリアの右肩を打ち砕いた。



そして彼女は未だ立ち塞がる。

大盾は失えど、あの日を繰り返しはさせまいと。

倒れる事なく、ただ気丈に、彼の前で立ち続けた。



ナタリアとして、最後まで彼と共に戦わんと。



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