第16話 縁
MM支部 R災害対応班 エレウシスの秘儀 臨時対策本部
窓の外、夜の闇の中でいてさえエレウシスの怪物のその姿ははっきりと禅斗の目に映る。
今すぐにでもその場所に向かいたい。逸る気持ちとこの場を取りまとめる責任感がぶつかり合い、思考が纏まらなくなっていく。
「っ……」
そして脳が容量を超えかけた時、声が聞こえた。
『大丈夫か、禅斗支部長』
落ち着いた、低い声。
多くの勇士らをまとめ上げ、率いてきた、友の声。
「……ああ、大丈夫だ。心配かけてすまないな、"ヴァシリオス"」
彼が話しかけるは隣にいる、マスターレギオンと呼ばれていたはずの男。
その彼は狂気に落ちてなどおらず、かつての信念を宿したままで彼の隣に立っていた。
「ヴァシリオス、どうして俺はあの時見ている事しかできず、咄嗟に止めてやれなかったのだろう」
『無謀に突っ込み命を失うよりはいい。生きていれば機会は必ずまた訪れる』
「だが、あの子が巻き込まれる必要があったか……?オレたち大人が終わらせなければならなかった筈なんだ……支部長などという肩書がなければ今すぐにでも……!!」
『焦る気持ちはわかるが、君はMM支部を率いる長だ』
「分かっている……だがオレは長である前に一人の戦士だ……ヴァシリオス、仲間を率いながら戦場を駆け抜けたお前ならわかるだろう……!!」
強く感情をあらわにした禅斗。
それは決して部下たる垂眼らには見せぬ姿。友であるからこそ出せたその想い。
そして彼もまた仲間達と共に戦場を駆け抜けたからこそ、彼の思いを汲み取りながら厳かに答えた。
『だからだ禅斗。君と同じように私も前線で戦ったからこそ、我々が感情に任せて足並みを乱せばその被害は計り知れないものとなる。多くの命を背負っているからこそ、一つの命を救うために君は冷静にならなければならない』
「……オレはお前が羨ましいよ、ヴァシリオス。オレはお前のような指揮官にはなれない」
『私とて多くの同胞を失ってようやっと気づいた。だが命は、失われてからでは何もかもが遅い。そして禅斗、お前はまだ間に合うんだ』
彼はそのまま、静かに付け加えた。
『目的の為に冷静に、理想の為に心を燃やせ。お前ならそれができるだろう、禅斗』
その言葉は他の誰の言葉よりも重く、それでいて優しく。そして尾張禅斗に確かな道を示した。
「……ありがとう、友よ」
『何、あの時の夜景の借りを返しただけだ。最初は"工場夜景"など何を馬鹿なとは思ったがね』
小さく笑うヴァシリオス。彼もまた、部下の前ではあまり見せないその笑顔を禅斗に向けていた。
「で、副官殿とはいつ結婚するんだ?オレとしてはここのレストランとかの予約もしなければならないから決まったら早く教えて欲しいんだが」
『全く気の早い男だ。まずはエレウシスの秘儀を止めるぞ』
「ああ。頼りにしてるぞ、友よ」
拳を突き合わし、互いの信頼を確かな物と確認すると同時。
「っ……」
再度彼の頭に痛みが走った———
—————————————————————
「しぶちょー、起きてますかしぶちょー」
声が聞こえる。大切な仲間の声だ。
「っ……ああ、すまない。少しボーッとしてたようだ」
「またですか支部長。この戦いが終わったらちゃんと休んでくださいよ」
「マリアさん達がイリスちゃんを救う方法を見つけたみたいですよ。早くいきましょう」
心配そうに声をかけてくれた千翼と甘宮。
彼らの懇意を受け、意識をはっきりとさせ足を運ぶ。
時折見る白昼夢。
いや、あれは夢などではない。
あれは"並行世界"の記憶だ。
確かに彼は並行世界でヴァシリオス・ガラウスと友であった。
そして確かに肩を並べ、あの少女の為に戦おうとしていたのだ。
この世界では分かり合うことはできず、それでも友である記憶があるからこそ、その記憶を掻き消すように彼の理想を否定した。
そして彼の真なる理想を果たす為に。
「オレは戦うよヴァシリオス。誰もが笑える、この世界のために」
彼もまた覚悟を決めた。
少女の、そしてオーヴァードらの平穏な明日を、掴み取るために。
※
場所は会議室。彼らが集められると同時、アイシェから皆に説明が行われる。
エレウシスの秘儀を止め、イリスを救い出す方法。それに対する作戦。
そして、マリアがこの作戦をもってして隊長を辞することも。
「じゃあ……マリアさんこの任務終わったら隊長じゃなくなっちゃうんですか……」
「まあ、そうなるだろうな」
「……ありがとうございます……ここまでしてくださって……」
深く頭を下げる垂眼。
「感謝するのはまだ早い。やるべき事があるだろう」
「そうですね」
二人はそれぞれの決意を再確認する。
見据える結末はただ一つ。少女の救いのみ。
「俺も最大戦力を持って当たらせてもらう。頼んだぞ、UGN」
声をかけるは装いを新たにした黒鉄。
灰色のロングコートに、以前よりはるかに大きな黒い鞄。
「さっきから気になってたんすけどどうしたんすかそれ」
「この服の方が武器の収容量も多くてな」
裏地に取り付けられた大量のナイフと予備マガジン、見たこともない大型拳銃と、確かに先ほどまでの姿と比べればその数は段違いだ。
「にしてもその背中に背負ってるものはなんだ」
「これはいわゆる秘密兵器だ。奥の手は多い方がいいだろう?」
「ああ、多いに越したことはない。オレもまだ奥の手は使い切ってないからな」
「まだあるんすか……」
半ば呆れた様子の垂眼に、したり顔の二人。
「作戦開始は30分後だ。それまでに用意しておけよ」
僅かに緩んだ空気を再度引き締めさせたマリアの言葉。
「うっす!」
「承知した」
「ああ、言われずとも」
彼らもまた気持ちを引き締め、戦場へと赴こうとした。
そして禅斗が部屋から出ようとした時だ。
「あの、禅斗支部長」
「ん?」
声の主はマルコの副官のアイシェ、その人。
「あの時、イリスと二人で出掛けた時、私は貴方があの子に良からぬ事をするのではないかと、薄ら疑ってしまったのです。その非礼を今詫びます……」
「ああ……あれか」
深く頭を下げたアイシェ。禅斗も何となく身に覚えはあるようだ。
そして思わぬ答えを快活に口にした。
「いいのだよ、だって今までのあれ、演技だもの」
「……はい?」
「だって……だって!!そうでもしないとモテない言い訳をできないじゃないか!!」
「はぁ……」
もはや呆れに呆れ、ため息の様な言葉しか出なかった。
「どうあがいても好かれない人柄を演じていれば……あるいは!!諦めがつくじゃないか」
「……バカな人ですね」
自然と漏れ出た笑み。
「そうさ、オレはこういう男なのさ」
禅斗もそれに対して笑みで答え返した。
「それでも、この支部の人たちが貴方を慕う理由が、分かった気がします」
「それはただ心の広い皆がオレの事を受け入れてついて来てくれている、それだけですよ。オレは別に何かした訳でもないさ」
彼は決して謙虚ではなく、彼自身が皆の事を信頼しているから出た言葉そのものであった。
「しかし、だからこそ今までの勘違いをお詫びします」
改めて頭を下げるアイシェ。
「いいんだ。それよりもまずは、イリスちゃんをだろ?」
「……はい!」
優しく落ち着いた声でその場を収めた禅斗。
二人が各々の立場に戻ろうとした時。
「あ、あの……アイシェさん!!」
「はい?」
禅斗が呼び止めたのだ。
「今度、俺と一緒に……いいですか……素のままの私、いやオレで演技なんてしなくてもいいよう、頑張りますので……!!」
少し片言になりながらもその想いを必死に伝える。アイシェも少し驚いたようだがしばしの無言の後、ゆっくりと口を開いた。
「普段の貴方が演技というのなら……そうですね、一杯くらいなら」
小さくはにかんだアイシェ。
「ありがとうございます」
ただ小さく、感謝を込めて頭を下げた禅斗。
「この戦いが終わったら楽しみにしていますからね、禅斗支部長」
「ああ、必ず後悔させないさ」
交わされた小さな約束。
それは同時に、彼を支える確かな縁。
いくつもの人との交わりが、それも世界を超えた交わりが彼を織り成し確かな強さへと変えていく。
そして彼もその足を進める。
紡がれた"縁"と、そして仲間たちとの"絆"をその胸に抱えて。
続
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