第15話 決断
MM地区 赤レンガ倉庫 桟橋
海の向こう、空は雲が渦巻き、泣き声のような音が聞こえる。
黒鉄は遠くからただその光景を眺めるのみ。
少女がそこにいるからこそ逸る気持ちはあっても、己のみでは敵わぬことは分かっているから。
故に彼は、次の戦場をただ見据える。
そんな中、一台のバイクが止まる。
車両を止めるや否や運転手が声をかける。
「悪りぃな。待ったか?」
ヘルメット片手、その背中にはその背からはみ出しそうなほどの大きなバッグを一つ。そしてその腰には黒い刀が一つ。
「予想よりは早かった。それよりも本隊の動きはどうだ」
「混乱に混乱で中々周辺の戦力さえも集まらねえ。お陰様で俺も駆り出されたし、幸か不幸かまだ暫くはエレウシスの秘儀への攻撃はできねえよ」
「具体的には」
「4時間、ってところかね」
黒鉄はその言葉に表情は変えないが、決して快い反応は見せない。
「とりあえず頼まれてた予備マガジン4つとコンバットナイフ8本、それと————、」
手渡される鞄。
「FHにいた時のお前の、あの装備含め一式入ってる」
ずっしりとした重みから、確かにその中に全てが揃っていることがわかる。
かつての忌まわしき過去も、共に。
「助かる」
受け取るや否や、彼はペンダントを取り出す。
ペンダントは馬へと姿を変える。黒鉄がその背に手を乗せ飛び乗ろうとした。
その直前、彼が問うた。
「別に答えたくなきゃ構わねえけどよ、"UGN嫌い"のお前がどうしてそこまで力を尽くす?」
「……ただ、俺や楓のような結末にしたく無い奴がいた。それだけだ」
黒鉄は誰かの為に自らの命を犠牲にした少女を、そしてその手が彼女の血で濡れたあの日を思い出す。
「そう、か」
青年は納得したような様子を見せるとそれを黒鉄に投げつける。
「そろそろ切れる頃だったろ?」
投げられたココアシガレット。
それは、彼が忌まわしき過去と決別した証。
「お前にしては"珍しく"気が利くな」
手にしたそれをポケットに仕舞い込みながら悪態をつく。
「悪かったな珍しくでよ」
いつも通りのやりとり。
「だが、助かる」
そのはずが、彼が少し付け加えた。
黒馬に姿を変えたアリオンの背に乗り、皆の場所へと帰る直前。彼は振り返ることなく一言だけ放った。
「万が一の時には、頼んだ」
彼は答えを聞くよりも早くアリオンに先にいかせようとした。
だがそれよりも早く青年が答えた。
「ったくお前がいるんだ、億が一でもそんな事は起きねえだろうからよ。くだらねぇ心配はしねえで行ってこい、ヒーロー!!」
黒鉄はそれに答えることもなく、真っ直ぐとその場所への帰路へとついた……
そして後方に彼の姿が見えなくなった頃、アリオンが話しかけた。
『マスター、あの人と仲良いんすねえ。俺嫉妬しちゃいますわ』
「……ただ、どうしようもなく付き合いが長いだけの腐れ縁だ」
アリオンに答える中、彼の頭の中で一つの単語が何度も、何度も繰り返された。
「
不満そうに呟く。
だがその瞳には確固たる決意が満ち満ちていた。
—————————————————————
MM支部 R災害対応班 エレウシスの秘儀 臨時対策本部
R災害対応班"マルコ"の面々、そしてMM支部の全メンバーが慌ただしく動き続ける。
「垂眼君、この資料お願い!!」
「あいよ!!」
それもただ一つの目的のため。
エレウシスの秘儀の封印、いや、イリスを救出するため。
彼らは全力を持って事態に取り掛かっていた。
その中でアイシェが声を上げる。
「隊長、エレウシスの秘儀の行き先が判明しました」
「モニターに出せ」
端末を操作し正面のモニターに映し出されるその光景。
場所はベイブリッジ。あのイリスを飲み込んだ筈の化物は空高く浮かび、海を広げる事なく、ただ穏やかにゆらゆらと浮かんでいた。
「オーヴァード化、ジャーム化の報告も上がっていません……しかしこれは……」
アイシェは言い淀むが、それもそのはず。
「これは文献の情報とは異なります……」
彼らが、誰もが知るエレウシスの秘儀とは何もかもが異なるのだ。
だが彼らもまた、何故かは気づいていた。
「海の膨張スピードが明らかに落ちている……これは、彼女か」
「人から離れ、留まっているその姿。これこそがイリスちゃんなんだ」
イリスの存在が確かに感じられる。
「恐らくは……彼女も必死に戦っているのだと思います……」
「その筈だ。そうでなければ、被害はこの程度な訳がない……」
感傷に浸る余裕など無いことは分かっている。
だがそれでも、そこにいることが分かっているから、尚のこと焦りが募った。
「っ……隊長!!」
その中でアイシェがマリアに声をかけた。
「どうした、アイシェ」
「その、少女を……イリスちゃんを救う方法を文献より発見しました……」
この上ない朗報であるはず。にも関わらず彼女は言い淀んだ。
「詳しく聞かせろ」
「……一人で来ていただいてもよろしいですか」
「ここでは話せないことか」
「ええ、申し訳ありませんが……」
それは決して良き結果のみをもたらすものではないとアイシェのその表情から読み取れた。
そして聡明な彼女がそうも躊躇うという事は、余程のことなのだろう。
「禅斗支部長、私が外す間ここの指揮を貴方に預ける」
「承知した。時間はあまり無いが、決して後悔のない決断をするといい」
「……ああ」
マリアは頷き、部屋を出て行く。
この時、アイシェの足取りが何時もより重いのだけは彼女でも容易に見て取れた。
※
そして別室にて二人切りになる。
周りで誰が聞く様子もなく、壁に掛けられた時計のカチカチという音がはっきりと聞こえる。
「それで、方法とは」
マリアが聞くと共に、重々しくその口を開く。
「現在、イリスさんと"エレウシスの怪物"は同化していません。完全に同化するよりも早くエレウシスの怪物を止め、我々マルコ班の解呪武器である遺産『鬼切りの古太刀』によってとどめを刺すことで封印が可能であると考えられます」
「なるほど……確かにそれなら……」
レネゲイド災害対応班にはそれぞれの班に解呪の武器たる遺産が与えられている。
そしてその一つたる『鬼切りの古太刀』を持ってすれば、エレウシスの秘儀の呪いさえも抑えられるであろう。
ただ腑に落ちないことが一つ。
「アイシェ、これだけではダメなんだな?」
「はい……。一時的に力を削ぎ、抑える事はできてもイリスさんとエレウシスの秘儀を完全に切り離す事は不可能でしょう」
「私は何をすればいい」
マリアの問いかけにアイシェは一瞬答えを躊躇う。だが向けられたその信頼の目に応えるべく、彼女は再度重々しく口を開いた。
「鬼切りの古太刀の所有権を、隊長からイリスさんに移してください。そうすればエレウシスの秘儀の暴走を半永久的に抑えられる筈です」
「なるほど、そういう事か……」
マリアは全てを理解する。
少女を救うならば古太刀を手放す必要がある。
だが古太刀はレネゲイド災害対応班における必須であり象徴ともいえる武器。
これを手放すという事は、これから巻き起こる全てのレネゲイド災害への対応能力を失うと同義。
即ち、一人の少女の命か、これから失われるかもしれない数多の命かを天秤にかけられたのだ。
マリアは強く拳を握りしめる。
レネゲイド災害対応班マルコの隊長として、本来ならば被害をこれ以上出さないよう、確実に
だがマルコ班の隊長であると同時に、彼女はかつてレネゲイド災害にで大切な者を失った一人の人間である。
自分がR災害対応班で戦い続けたのは自分と同じ境遇の人間を増やさぬ為。そして出来る限り多くの人々を救う為。
だからここまで上り詰めた。
血反吐を吐くような努力を、弛まぬ鍛錬を重ね、マルコの隊長として幾つもの死闘を乗り越えてきた。
それでも、あそこに居るのはこの世界の事を何一つ知らなかった少女だ。
例え僅かな時間とは言えども、大切な時間を共にした一人の少女の命が無慈悲にも犠牲になろうとしている。
いつか救えるかもしれない多くの命と、手放せば確実に救える一つの命。
きっと本当はこの選択は間違いなのかもしれない。
だがそれでも、信念を曲げる事だけは彼女自身が許さなかった。
故に、迷う必要なんてものはなかった。
「責任は私が取ろう」
「隊長……」
即答。一瞬の迷いはあれどマリアはそれを表情に出すこともなく答えた。
「ですがその……隊長のこれまでの実績も無かったことになりかねませんが……」
「なに、初心に返るのも悪くない。また一からやり直すさ」
清々しく応えるマリア。むしろアイシェの方が今にも泣きそうな様子だ。
「隊長……副官ではなく一個人としてお願いがあります」
「何だ」
「もしその時が来たら……また副官として貴方に支えさせてくれませんか……?」
マリアは小さく微笑む。
「ありがとう、だが君にはやる事があるだろう?」
「私の……やる事……?」
「君は私の副官だが、次期隊長候補でもある」
「そんな……初耳ですよ!?」
「ああ、今決めたからな」
驚きを隠せぬアイシェと優しく笑うマリア。
「私がいなくなった後は、マルコ班をよろしく頼む」
「…………隊長が……そうおっしゃるなら……!!」
感極まって涙を零す。
「泣いてる場合じゃない。まだ何も終わってないぞ」
「はい……!!」
「では行くとしよう。全員を会議室に集め最後のブリーフィングを開始する!!」
二人は確固たる決意と共にその足を踏み出す。
手放す事で多くのものを失うのだろう。今まで積み上げた全てが崩れ去るかもしれない。
それでも彼女らは選んだ。
今確実に救える一人の少女を。
それが彼女らの、マルコの決断だ。
続
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