勇者はアラフォー!?

霜月かつろう

少女たちと砂漠

 ディスサイト王国の東に位置する広大なリシア砂漠。

 その砂漠を通過する商人の積み荷を狙う盗賊集団がある。

 リシア盗賊と呼ばれる彼らは、助けを呼ぶことが困難な砂漠で神出鬼没であり、商人の間では危険な因子として有名である。

 積み荷を全て盗まれた日にはそのまま砂漠に野垂れ死ぬ事だってある。

 それらを防ぐために大抵の商人は冒険者を雇っては用心棒として旅路に同行して貰う。

 その為、リシア砂漠の西の外れにある町――リノビシアには自然と冒険者達が集まる。

 宿屋にある掲示板には商人からの依頼が毎日のように貼られ、それを我が物にせんと冒険者が群がる。そんな光景が日常茶飯事だったのだが……。

「やっぱり誰も掲示板に依頼を貼らなくなったです」

 ティルはため息混じりに掲示板とにらめっこしている。

「グラゴスは誰だって怖いからね」

 ティルの後ろで腕を組ながらアスナは表情一つ変えずに呟く様に言う。

 まだまだ幼い少女が掲示板の前で真面目な顔をしているのは妙な光景だった。何せ掲示板に貼られているのは魔物退治がほとんどであり、子どもにどうにか出来るような物はない。

「お前らみたいな子どもに何がわかるって言うんだ!ええっ!?」

 突如として少女たちの後ろから怒声が飛ぶ。手には酒瓶。足元がおぼつかないことから、酒におぼれているのが見て取れた。

 ティルとアスナは怪訝な顔で男を見上げる。それが男には気に食わないようで今にも襲い掛かりそうなほど、頭に血を登らせている。

「おい。止めとけよ。相手は子どもだ」

 その様子に気付いたのか男の仲間の一人が止めようと肩に手をかけた。

「うっせぇ!引っ込んでろ!」

 しかし、もう時すでに遅しとでもいうのか、男はその手を容赦なく振り払う。あまりの勢いに仲間がテーブルに倒れ込んだ。派手な音を立てて料理と酒が床に散らばる。

 そんな男をティルはたじろぎもせず真っ直ぐと睨み付けている。

「てっ、てめえ!!なんとか言ったらどうなんだ!それともビビッて声も出ないか?」

 男は絞り出したかのように声を張る。しかし、その様子にティルは肩をすくめた。

「やれやれです。何も出来ない大の大人が子どもに八つ当たりですか。こんなのしかいないから砂漠護衛の依頼がこないのです」

 ティルはそんな男にそう言い放った。

「ちょっ、ティル!?」

 それに焦ったのはアスナだ。

 そんな火に油を注ぐような真似をしたら……

「い、いい度胸だぁ……」

 男は怒りの余りにプルプルと体を震わす。当然の反応といえる。

「アスナ!」

 男の我慢の限界を察知したティルがそう叫んだ。

「なに!?」

 突然名前を呼ばれてアスナは困惑する。なんだっていうのだ。そう刹那の間に疑問が沸く。

「泣いたって許さないからな!覚悟しやがれっ!」

 そんな疑問が頭の中で渦巻いている間に、ティルの倍以上はあるであろう体格で男は拳を振り下ろした。

「あとはよろしくです!」

 ティルは素早くアスナの後ろにまわり込む。

「えっ!?ちょっとっ……!?」

 アスナが困惑する中、男の拳は着実にアスナへと振り下ろされる。

 もう避けられない所まで近づいている男の拳を……。

――ガシッ

 アスナは片手で受け止めていた。

「なっ!?」

 予想だに出来なかった光景に男は固まる。

 アスナはその隙に男に近寄ると膝、腰、肩を順に足場とし男の頭まで飛び上がる。

「えっ……」

 その動きに唖然としていた男の頭にアスナの膝がめり込んだ。

 大きな音を立てて男が倒れる。だらしなく伸びた四肢に対して誰も目をやることはない。その隣でパンパンと服の埃を払うアスナにその場の全員が目を奪われていた。

「ティルあなたねぇ」

 ギロリと睨みつけてくるアスナを見てティルは後ろを向いて耳を塞ぐ。

「いつもいつも後先考えないで面倒事ばかり起こして!言動には注意してって言ってるでしょっ!その上、後始末は私ばかりに任せて……って聞いてるの!?」

 もちろん耳を塞いで後ろを向いているティルは煩わしそうに隠れて舌を出すだけなのだ。

「まぁまぁ、その辺にしといてやんよ。悪いのはそこで伸びてるそいつなんだからさ」

 奥から宿屋のオカミらしき人物が現れアスナをなだめる。

「あんた達こいつの仲間だろ。邪魔だから部屋まで運んでおくれ」

 男に振り払われた仲間が男を担ぐ。

「すまなかったね。こいつも普段は悪い奴じゃないんだが、こうも仕事がないとね。図星を付かれて焦ったんだと思う」

 そうオカミに横目で見られる男たちは、ばつが悪そうにしていて、それじゃあと言って男を担いで行ってしまった。

「さあ。片付けるから一旦出ておくれよ。こんな昼間っからぐだぐたとしてないで仕事してきな!」

 オカミの声でほかの客たちが全員しぶしぶと宿屋から出ていく。

「さてと。あんた達、相当腕が立つみたいだしさ、頼まれてくれないかい?」

 オカミの勢いをポカンと眺めていたアスナはコクコクと頷く。まだ、耳をふさいでいたティルはそろりとオカミの方を見た。そのオカミは満面の笑みだ。

「素直で良い子だ。実はね……」


□□□


「アスナはいつも考えなしにホイホイ依頼を受けちゃってです」

 リノビシアの商店街をティルは後ろ向きで歩きながらアスナに文句を言っていた。

「しょうがないじゃない。オカミさんの勢いが凄いんだもの。それに私達にとっても悪い話じゃなかったじゃない」

 前向きなよ、と促すアスナに頬を膨らませてティルはそれでも、と返す。

「結果論でしかないのです。目的の為に真っ直ぐ進まないといつまでたっても会えないのです」

「ティルがそれを言う?」

「それにしても妙な依頼です。リシア盗賊に会いたい人がいるなんて」

 ティルは頭を傾け、悩み始める。

「恋人が盗賊でグラゴス騒ぎで会えなくなった。それが有力です」

 ティルは自分なりの結論を出す。

 宿屋のオカミさんから頼まれた事は単純だ。

『実はねリシア盗賊に会いたいって人がいるんだよ。その人を盗賊のアジトまで護衛してくれないかい?』

 と言うことにらしい。しかし、その理由までは教えては貰えず、実際に会ってから聞いてくれと言われたのだ。

「そんな理由でグラゴスがいる砂漠に行きたいかな?」

「恋をしたことのないアスナにはわからない理由です」

 ティルは自分が恋をしているような口振りだったが、恋などしたことがないのはアスナが一番知っていた。

「それもティルに言われたくない」

 ブスッとするアスナに対してティルは楽しそうに笑う。

「そんなことより、当人に聞くのが一番早いです」

 トットットとティルは駆け出す。同時にふわりと金色の髪が浮かび上がる。さらさらの髪は風でたゆたう。その姿はどこか神々しく、周りの人々も感嘆の声をあげ、ティルに目を奪われる。

「だからティルがそれを言う!?」

 しかし、アスナはそんな周囲の反応などいつもの事なので気にはしない。離れていくティルに向かってアスナは思わず大きな声を出してしまう。

「はっ……」

 好奇の目は一気にアスナに集まり、その視線を感じたアスナは顔を赤く染める。

「し、失礼しました!」

 タッタッタとアスナは駆け出す。元気良くはね上がる赤いポニーテールがアスナの内面を良く表している。ティルとは違うがアスナも人の目を惹く。しかしながらそれは容姿だけではなく、むしろその背中に携えた大きな剣にある。

 大人が使う分には少し大きいが力自慢ならば使いこなせるであろう。しかし、それに対してアスナの身体は余りにも小さい。明らかに自らよりも大きい剣は幼いアスナには不釣り合いだった。

 そして何人かはおや、っと思ったはずだ。そんな大きな剣を背負いながら普通に走り去るアスナの後ろ姿を見て違和感を覚えたのだから。


□□□


 そこは砂漠からの強い風と砂や日光から身を守るためにレンガで出来た家だった。丁寧に積み上げられたレンガの隙間には砂が溜まっていて、硬質化している事からずいぶんと古くから建っている事が窺える。その一角に木製のドアがあって、その前にティルはいた。

「もう。ティルのせいで恥かいたよ」

 目的地に着いた途端、アスナから文句が出てきた。

 そんなパートナーにティルは両手を天にかざし首を横に振る。

「それこそアスナの自業自得です」

「……もういい。私が悪かったわよ」

 何を言っても無駄だと悟ったアスナはぐったりと脱力する。

――ドンッドンッ。

 ティルが依頼主の家の扉を叩いた。

「すみませんです。私達、宿屋のオカミさんに聞いて依頼を受けに来た者です」

 暫くしてドアがゆっくり少しだけ開いた。目だけがドアの隙間から覗くのが見えた。

 その目は二人を見定める様に一巡する。

――ギィィ。

 木がしなる音がしてドアが開いた。

「早く入って」

 女の人の声がする。急な出来事に戸惑う二人に、早く!と若干語気を強めて繰り返す。

 それなアスナがいち早く反応して、前にいるティルを押し込むような形で家の中へと流れ込むように入った。

 中はロウソクが灯っているだけで、陽光は射し込まない薄暗い部屋だった。砂が入るのだろう埃っぽさがどうしても目立つ。しかし、湿気が逃げる隙間も無いからなのか空気が肌にまとわりつく。

「ずいぶんと小さいね」

 女の人が二人をしげしげと見ながら呟く。

「それが依頼に関係あるですか?」

 顔をブスッとさせてティルが言った。

「ああ。ごめんごめん。悪意はないよ。正直にそう思っただけさ」

 思った事がすぐに口に出ちゃう質でね。そう続ける彼女は無邪気で正直なのが伝わって来る。

「オカミさんの紹介に間違いはないからね。信用はするよ。それにいっこうにだれも来てくれないから困ってたんだ。私はラキ。貴方達は?」

「ティルです」

「アスナよ」

「ティルにアスナね。よろしく」

 ラキはそう言って握手を求めてくる。特に断る理由も無かったので二人はそれに応じた。

「さてと、とりあえずそこにでも座わっておくれ」

 ラキは木を切って丸太にしただけの簡易的なイスを指差す。

「はいです」

 ティルは元気良く返事をし、アスナはうなずいてからイスに座わった。

「これをリシア盗賊団に届けて欲しいの」

 唐突にラキは布に被さった球体を持ってきた。

「それは?」

 部屋の暗さもあってアスナは身を乗り出す。

「……ファラスです」

 ティルがぼそりと呟き、ラキが驚きの表情を浮かべる。

「よくわかったね。これがあればグラゴスが倒せるって聞いた。だからこれを弟に渡して欲しいんだ」

 ラキの表情はどこか焦っている様に見える。

「盗賊団に弟さんが?」

 アスナの問いかけにラキは素直にうなずく。

「家は昔っから貧乏でね。暮らしていくには盗賊にでもなるしかなかったのさ。でも、グラゴスなんかが来るから……グラゴスなんかに襲われちゃ、盗賊団だって太刀打ちできない。そんなことで弟を失うくらいなら、これに頼ろうと思ってね」

 ラキの表情が怒りへと変わっていく。

「ファラスって何だか知ってますか?」

 アスナがゆっくりと口を開く。それはどこか気が進まない様子だった。

「詳しくは知らない。でも、グラゴスを倒す兵器だって言うのはみんなうわさしてるだろう?遂にグラゴスの驚異から解放されるって……」

「対魔獸封印装置。通称ファラス。出所は不詳。錬金術の権威であるジェイスター帝国が総力を上げて開発した対グラゴス兵器とも言われているけど確かじゃない。でも、いつの間にか人々の間で広まり希望と称される様になる」

「それがこのファラスです」

 布をティルが外すと黒い表面が姿を現す。

 黒くてつるつるとした表面。今にも転がりそうな球体は不思議と微動だにしないでその場にとどまっていた。

「でも……」

 アスナが言い難くそうにする。

「これじゃあグラゴスは倒せないです」

 そんなアスナに見かねてティルは、はっきりとそう言った。

「なに言ってるの!?ファラスならグラゴスを倒せるって……」

「騙されたの」

 アスナはその言葉を絞り出す。

「えっ……」

「です。何を言われたか知らないですが、騙されたです」

「何故そんな事が言えるのさ!?」

 ラキは勢いよく立ち上がると大声を張り上げる。

「これには大金をつぎ込んだよ……弟がこれじゃあ稼ぎにならないって言うし、グラゴスに襲われたら無事じゃあすまないと思って……。大体あんた達もこれがファラスだって認めてたじゃないか」

 悲痛な叫びに聞こえた。だからといって事実は事実だ。曲げることは出来ない。

「確かにこれはファラスです。けれど使用済みです」

 ティルの言葉にラキは明らかに動揺している。

「使用済み……使い古しを買わされたってかい」

 ラキは力が抜けたのかイスに座わり込む。

「誰から買ったです?」

 ティルの声色に怒気が混じり始める。

「……ちょっと前までリノビシアに滞在していた商人だよ。砂漠を越えられないから暫く滞在していたけど、これを買ったらどこかに行ってしまったよ」

 ふう。とラキはため息を付く。

「よく考えてみたら怪しいよね。砂漠を越えたかったらそれを使って自分でグラゴスを倒せばいいんだ。それなのに私ってば……」

「許せないです」

「えっ……」

「その商人取っ捕まえて縛り上げるです」

 ティルは勢いよく立ち上がると拳をプルプルと握りしめる。

「また始まった」

 そんなティルを見上げながらアスナは呟いた。ティルの悪い癖だ。正義感に溢れると言うか、悪人が許せないらしい。そうなると自分を抑えきれずに爆発してしまう。

 ちょうど今みたいに。

「行ってくるです」

 ――バンッ。

 ドアが閉まる音と共にティルは家から出ていってしまう。

「……いっちまった。あんたは追わなくていいのかい?」

 心配するラキに対してアスナは落ち着いた様子だ。

「気が済んだら帰ってくるから」

 妙に自身満々にアスナは言ってのける。

「そ、そうかい。しかし、参った。こんなことになるなんてね」

 ラキは自らを責める様に笑った。

「大丈夫です。なんとかします。ティルはああなった以上、首を突っ込まざる追えないでしょうし、そうなったら私も付き合います。だから大丈夫」

 ラキはこの時、一回り以上も歳が下であるはずのアスナが頼もしく見えた。妙に落ち着き払っている姿は同年代とは余りに異なっていて、子どものだと言うのに年寄り臭ささえ感じた。

「あんた達は一体……」

「ただの冒険者ですよ」

 ラキの言葉にかぶせるようにアスナが答える。

「ふぅ、わかったよ。もう聞かない」

 アスナにそんなつもりは無いが、ラキは何かを感じ取ったのか引き下がった。

 同時にラキはこの不思議な少女達に惹かれ始めている自分に気づく。この二人になら任せてもいいと思っていた。

「さて、ティルが帰って来るまで商人の話を詳しく教えて貰っていいですか?」

「ああ。もちろんだよ。だけどその前にお茶でも淹れるから少し待っておくれ」

「あっ……。ありがとうございます」

 素直に嬉しそうにうなずくアスナに対してラキはさらに好感を持った。


 □□□


「私が知ってるのはそれだけだよ」

 ラキは一通り話終えた後に一呼吸置いてため息をついた。話っぱなしだったので疲れたのだろう。

「見慣れない商人か……ティルの方で収穫は無いかも」

 アスナは相方の落胆ぶりを目に浮かべて、一緒に落胆する。

「いや、どうだろう。フードを被った商人なんてそうそういないし目立ってたからね」

 ラキはそういうが、見かけた人は多いかもしれないが商人が何者であるかなんて、見当がついている人はいないだろう。

「でも、この町で見かけたのは初めてなんでしょう?」

「まぁね。今まで来たこと無かったかな。私はこれでも町に来る連中は片っ端からチェックしてるからね。まず間違いないよ」

 ラキは何故チェックしているのかは語らなかったが、おそらく弟に連絡する為なのだろう。カモになりそうな商人を選んでいたのだ。アスナにもリシアと言う町の仕組みが少しわかってきた。

「使用済みとは言ってもファラスを手に入れるのは困難なはず。もしかしたら厄介な相手だと思いますよ」

 一介の商人が持っていていい代物ではない。それこそ国の重要人物くらいした見たこともないはずだ。

「ふーん。私も話にしか聞いたことなかっから騙された訳だしね。珍しい物であることは確かだね。でもそんなに貴重なのかい?」

「貴重ですね。少なくともその辺に転がってる物では無いです」

「それならさ。これを売って金にすれば元は取れるって事かい?」

 途端にラキの瞳に輝きが戻る。

 アスナはそんなラキに呆れながらも仕方がない、とも思う。誰だって生きるのに精一杯な世の中だ。お金があればそれだけでずいぶん違う。

「買った値段比べればずいぶん安くでしょうが高値は付くと思います」

 そんな人がこの町にいるかは不明だが。

「そうか……だったら商人を追いかけなくても、私は構わないよ」

 ラキは少しだけ安心した表情になる。そう簡単に買い手が見つかるとは限らないがこの町のことだそれ専門のルートでもあるのだろう。

「そうですか……でもティルは……」

 その続きをアスナが口にする前に部屋の扉が勢いよく開かれる。

「アスナ!商人は諦めるです!だから代わりにグラゴスを倒しに行くです!」

 驚くラキにアスナはため息をひとつ吐く。

「正義感に溢れてるから、ラキさんがなんて言おうと止まらないんです」

 呆然とするラキに向かってアスナは満足そうな表情を浮かべる。

「私……グラゴスを倒すとか言う人は初めて見たよ」

 ラキはなにがなんだかわからないと言いたげな表情でそう呟いた。


□□□


 グラゴスはこの世界を破壊で満たす魔獸だ。

 かつて世界に蹂躙した獣が魔に落ちた姿だとも、魔族が新たな身体を得たのだとも言われるが真実は確かではない。

 その姿は巨大で十数メートルある。獅子に似たその姿は漆黒の毛に覆われている。瞳は金色に輝きあらゆる物を見通し尾は鋭い刃となってあらゆる物を切り裂く。口からは炎を吐き、咆哮は全てを震え上がらせる。

 その力は絶大で普通の人では太刀打ち出来ないとだけは確かに言える。

 一晩で町を焼き付くしたこともある。王国軍が旅路で偶然遭遇したときも兵力の半分を奪ったこともある。かと思えば人の少ない砂漠に現れては恐怖だけを人に与え続けることもある。

 それは、積極的に人を襲う訳ではないと言うことを表していた。

 その為、人々の認識はグラゴスに関わってはいけない。それは風に固まっていった。

 対してファラスとはグラゴスを封印する為にジェイスター帝国が作り上げた叡知の結晶である。

 誰が作ったのかは謎だったが人々はその球体に希望を見いだした。

 しかし、それでもグラゴスが、世界から消えることはなかった。グラゴスは複数体存在したのだ。

 グラゴスは複数体存在することがわかったのはファラスによる封印が成功したからである。突発的に存在が発見されていたが、同時に目撃されたことはなかった。しかし、明らかに封印したはずのグラゴスの目撃情報が消えない。貴重なファラスを何個使ってもグラゴスがこの世に居続ける、その噂は世界中に伝播し、人々に安息の時を与えることはしなかった。


□□□


 そしてアスナ達は今、砂漠の真ん中にいた。

「さあ、グラゴスの目撃情報を言うです」

 盗賊の首にナイフを突きつけて白状させるティルは、よっぽど盗賊に見えた。

「わ、わかった話すから。そのナイフをどけてくれ」

 その盗賊……まぁラキの弟なのだが、ダキはティルに誠意を見せる為に精一杯だ。

「わかればいいです」

 ティルはダキの身体から飛び降りると地面に着地する。ナイフをダキに返すと手に付いた埃を払う。

 ラキに教えられた通り、砂漠に突き出した岩肌の影にダキの住処はあった。

 なんの警戒も無しに近づいたアスナ達も悪かったのはわかっている。でも、いきなり襲ってくるのはいかがなものかと思う。少なくとも私達は子どもなのに、とアスナは後でティルに愚痴る。

 とはいえダキはティルの返り討ちにあった訳だが。ナイフを突きつけられたままラキに頼まれた事を説明されたダキもたまった物ではないだろう。

「で、グラゴスはどこにいるです?」

 少女の質問に大人がたじろぐ。それは奇妙な光景だった。

「グラゴスならここから北に10キロ位行った所のオアシスに住み着いてるよ」

 ティルの相手をするのも疲れたと言わんばかりの様子でダキは置いてあった石に腰かける。

「えっ!?そこってリシア砂漠を渡る時の……」

「そう。中間地点だ。だから商人達もいくら近づかなきゃ大丈夫って言っても迂闊に砂漠を渡ろうなんて思わないのさ。ってかそれくらい町でも話題になってただろ?」

 ティルは思わずアスナの顔を見る。しかしアスナもそんな話は聞いてないと首を横に振る。

「ま、まぁいいです。アスナ!北に向かうです」

「ちょっ、ちょっと待てよ。お前らホントにグラゴスを倒しに行くのか?」

 アスナとティルにしてみれば当然の事だったので二人は不思議そうにダキを見つめる。

「マ、マジかよ。でも冗談でその顔はできねぇな。ディスフリゲートの隊長さんといいお前らといい。どっからその自信が出てくるんだか」

 ダキは困った様に頭をかく。

 何もダキが困ることはないのにとアスナは思う。グラゴスを倒すのはアスナ達なのだから。とそこまで思考した所でアスナは大事な事に気づく。

「ねえ。ディスフリゲートの隊長ってダイガの事!?」

 思わずティルをどかして乗り出す。

「え?ああ。そうだけど。なんだ、お前ら隊長さんの知り合いか」

「知り合いじゃないわよ!?あのおっさん。なんでいまさら。……こうしちゃいられない。ティル行くよ!」

「またあのおじさんですか。厄介な相手です」

「何を言って……グラゴスを倒すのにあれほど力強い味方は……」

「あのおっさんが味方の訳ないじゃない!私達急ぐので、じゃ!」

 アスナはダキの言葉を遮ると、勢いよく走り始めた。

「アスナ待つです!置いてくのは無しです!」

 ティルも続いて走り出す。

 嵐の様な二人が去った後でダキは、

「なんだったんだ一体……」

 そう呟いた。


□□□


 ダイガと言えばディスサイト王国で知らない者はいない。

 国を守る王国軍――ディスフリゲートの一番隊隊長である彼は実力もさることながら、勇猛果敢で気前も良く、部下だけでなく国民からも人気が高い。

 そんなダイガは今、リシア砂漠でグラゴスと対峙していた。

「おーっ!相変わらずでっかいなー」

 山を見上げる様にダイガはグラゴスを見上げる。

 前足一本だけでダイガと同じ位の大きさだ。顔を見ようとすればそうなってしまう。

 しかし、そんな相手を目の前にしてダイガは臆した様子はない。むしろ楽しんでいる様にすら見える。

 砂漠に照りつける陽光が眩しくて目を細めるその下で口元が緩み始める。

「さて、おっ始めますか」

 よっ。と地面を軽く蹴る。よっ、よっ、よっ、と次々と魔法で足場を作りながら一気にグラゴスの顔の前までたどり着く。そしてダイガはグラゴスの顔を真横から水平に蹴った。グラゴスの巨体が揺らぐ。

 グラゴスにしてみれば突然の出来事に混乱していた。

 小さな生き物がやって来たと思ったら頭を攻撃された。とりあえず怒りに身を任せるしかない。前足を振り回した。

 ダイガは素早く薙ぎ払ったグラゴスの前足を見て口笛を鳴らす。

「やるぅ」

 岩くらいなら粉々に砕けてしまいそうな攻撃を易々と避ける。

「でも、俺には通用しない」

 ダイガは攻撃してきた方とは返対の前足に蹴りを入れる。すさまじいローキックがグラゴスの態勢を崩す。

 地響きを立ててグラゴスが倒れた。

「さて、グラゴスって言ってもこんなものだよな。もうちょっと楽しませて貰いたいね」

「おっさん!それは私達の獲物だから!」

 余裕のダイガの後ろからアスナが叫ぶ。

「おっ!?久しぶりだなぁ嬢ちゃん」

 突然現れたアスナに驚いたそぶり見せずにダイガは呑気に手を振る。

「なっ!?馴れ馴れしいのよ!」

 そんなダイガにアスナは一々突っかかる。

「元気かぁ?」

 そんなアスナが面白いのかダイガは更にからかう。

「うるさい!?元気よっ!って!後ろっ!」

 気づけばグラゴスが態勢を立て直しダイガへと鋭い牙を向けていた。

「おー。大丈夫、大丈夫」

 ダイガは刀身のない剣を腰から抜く。

 柄と鍔しかないそれは剣としての機能を失っているように見える。

 しかし、ダイガは無いはずの刀身の部分でグラゴスの牙を止めていた。

「ほらな」

 ダイガは満足そうにアスナに目をやる。その手に持つ剣には赤い刀身が現れていた。

 柄と呼ばれるその武器は持ち手の魔力を刀身に変える。ディスサイト王国の発明の一つだ。持ち主の魔力を剣の形に生成させる武器。数は限られているし、常時、刃を発生させるだけでも大きな魔力を使う。常人には使用できない代物だ。

「アスナ!チャンスです!」

 遅れてきたティルが叫ぶ。

「えっ!?あっ、そっか」

 ティルに言われてアスナはグラゴスの意識がダイガに釘付けになっていることに気づく。

「よしっ!はぁぁぁぁぁ!」

 アスナはグラゴスに向かって全力で駆け出す。

「えっ!?ちょっと……いや、待てって!?」

 それに焦ったのはダイガだ。せっかく追い詰めた獲物を横取りされてしまう。

 しかし、グラゴスはダイガを執拗に狙う。その相手で手一杯になってしまっていた。

「おっさん!!肩借りるよ」

 アスナはダイガの身体をかけ上がると、一気に跳躍する。

 ぐげ。と下で何かが鳴いた気がしたが気にしない。

 グラゴスの頭上まで浮かんだ身体を背中から引き抜いた剣に預ける。

「てぇりゃぁぁぁぁ!」

――ガキンッ!

 金属でも殴ったような音が辺りに響いた。

 振り下ろした両腕は跳ね返りによってジーンと痺れる。

「グ、グラゴスは!?」

 地面に着地するやいなやアスナはグラゴスの方に振り返る。

「あ、あれ?」

「グラゴス相手にエンチャントしてない武器で殴るかふつー?」

 ダイガが呆れている。その間もグラゴスの攻撃を捌いていたが、危なげがまったくない。

「う、うるさい!?自分の実力を試したかっただけよ!」

 アスナはスッと瞼を閉じる。自らの魔力を剣へと流し込む様なイメージを持つ。

 瞳を開けるとそこには黒い炎に包まれた剣があった。

「相変わらずだな。それ」

 ダイガはその黒い炎の付与魔法に感心する。

「今度こそ!ていやぁぁぁぁ!」

 後ろ足を目掛けて剣を振り下ろす。

――ドガッ!

 手応えが先ほどと違う。金属ではなく、岩を切るような手応え。

「よしっ!」

 アスナはその手ごたえに満足してガッツポーズをとる。

「なっ!?バカかお前は!」

 ダイガが焦った様に叫ぶ。

「へっ!?」

 アスナはそこで初めて気づいた。

 痛みを感じアスナを睨み付けているグラゴスに……。

「えーと。ま、負けない!」

 再び斬りかかろうとアスナは剣を振りかぶる。

――ガパァ。

 それはアスナの動きとほぼ同じだった。グラゴスが口を大きく開く。

 そう思ったのもつかの間、すさまじい炎がアスナを包んだ。

「バカアスナです」

 ティルは呟きと共に防御魔法をアスナの周囲に張っていた。

 薄く膜となった魔力が赤い光を帯びて炎をアスナから遠ざける。

「ありがとう!」

 ティルに対してお礼を言いながらもアスナは止まらない。

 先ほどと同じ場所に向けて剣を振り下ろす。

――グギャァァ!

 声にならない叫びが辺りに響く。

 後ろ足に傷を負ったグラゴスは、バランスを崩しよろめく。

「よしっ!チャンス」

 降りてきたグラゴスの首を目掛けてアスナが駆け出す。

「やるな。でも詰めが甘い」

 ダイガの方が後に動いたはずだった。しかし、その斬撃はあっさりとグラゴスの首を跳ねていた。

 グラゴスは首がなくなるとぐらりと揺れて横倒しになる。

「わ、わわ」

 アスナの方向に倒れてきた為、アスナは慌ててその場を離れる。

「えっ!?倒しちゃったの!?」

 ダイガに向けて文句の視線を向けるアスナに対してティルは頭を抱えている。

「いや、だって嬢ちゃん達じゃ無理でしょ」

 ダイガは手にしていた柄を腰にぶら下げる。

「俺がいなきゃ辛い戦いだったよ?」

 ダイガの言うことは最もだった。

 それは知っていた。だけど、ダイガに倒される訳にはいかなかったのに……。

 アスナは天を仰いだ。

 グラゴスに変化が現れたのはその頃だ。

 体がどんどんと小さくなっていき、終いには両手で抱えられる位の球体になっていた。

「そうやって、またファラスを使う」

 アスナは天からダイガへと視線を移す。

 その隣には漆黒の球体が転がっていて、また負けたと肩を落とす。

「ん?ファラスを使うって……まさか知らないのか」

 ダイガは今日一番驚いた表情をする。

「何がです?ファラスを使ってグラゴスを封印したです。とぼけないでくださいです」

 アスナの元へ駆け寄ってきたティルが口をはさむ。

「あのな。それはだな……」

 ダイガが何かを言おうとした瞬間、その場に一陣の風が吹いた。

 そして明らかな悪意に満ちた視線、3人の表情が強張る。

「ずいぶん多いな」

「人です……?」

 ティルはアスナの裾を握る。

「多分……。でも、それにしては……」

「無機質な殺気だな」

 ダイガの言葉にアスナは頷く。

 なんと言っていいかわからなかった感覚をダイガが説明してくれた。

 殺気に無機質な物などあるとは思えないが、どこかしっくっりきた。

「でも、どこから?」

 砂漠の真ん中のオアシスに隠れる場所は少なく、あるのは多少の草木だけ。

「下だ!来るぞっ」

 ダイガの言葉を合図にした訳ではないだろうが、砂から十数人が現れる。

「リシア盗賊!?」

 その統率の取れた動き、物を盗むことだけに長けた連携は盗賊そのものだ。

「狙いは……ファラスか!?くそっ!途中で道を聞いた奴の仲間か!?」

「それってダキさんのこと!?そんな訳ないよ!私達ダキさんのお姉さんに頼まれてここにいるのよっ!?」

「ならなんで奴らがここにいる!?グラゴスがいるとわかって近づくバカなんか早々いないんだぞ」

 二人の口調が荒くなっているのはその間も盗賊の接近を許してしまっているからである。

「……まあいい。このままじゃあファラスを奪われる。お嬢ちゃん達であれを運べるか?」

 そう言われてもファラスはアスナ達には少し大きい。

 持てない事も無いが逃げろと言われたら厳しい。

「時間は俺が稼ぐ。その間に逃げるんだ」

 アスナが迷っている内にダイガが痺れを切らす。

「私が持つです。アスナは追ってきた奴らをよろしくです」

 ティルは素早くファラスに駆け寄る。

「う、うん!」

 アスナはそれに一歩出遅れて後に続く。

 ダイガが何人か殴り倒したのか、後方で悲鳴が聞こえる。

 ダイガなら足止め位、お手の物だ。その油断が招いた失敗だったかもしれない。

 盗賊が使う投擲網に気づくのが一瞬遅れた。

「っ!?」

 アスナが斬ろうとするが反応が遅れたせいで大きな剣を振るに至らない。

 ティルは網に足を絡ませて転んでしまう。

 しかも、衝撃でファラスを手放してしまう。砂の上に勢いよく落ちたファラスは重さで砂に埋まっていく。

「くっ!!」

 アスナは剣先を上手く使い網を切っていく。が、その隙に盗賊の接近を許してしまっている。

「ティル!」

「わかってるです!」

 アスナが剣を構え、ティルがファラスへと手を伸ばす。

 それは迅速な対応だった。

 それでも、相手の動きが素早かった。いや、盗賊達の目的をファラスを奪う事だと思っていた事がそもそもの敗因だったと言えよう。

 ティルの手が届く寸前だった。ファラスに何かが突き刺さる。少なくともティルにはそれだけしかわからなかった。

 アスナにしてみても何かを投げた。そしてそれが横を通っていった。それだけしかわからなかった。

 次に起きたのはすさまじい光の爆発だ。

 衝撃が起きる訳でもなく光の奔流が巻き起こる。

 光に包まれていく。

 音もなく、悲鳴を上げてもだれかに届くことは叶わない。

 ただ、ただ、真っ白な世界。

 しかし、それも長くは続かない。

 所々に穴が見え始め、先程までの砂漠が、目に入る様になる。

 その景色の中でアスナは必死にファラスを探す。

 でも、ファラスが見つかることはない。光の源はファラスであり、そこに穴が空くことは無い。

 そこに、もう一度激しい光の奔流が溢れ出す。

 アスナの意識はそこで途切れた。

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