食文化

ねこねる

食文化

 5年生になったすぐのこと。わたしの通う小学校に転校生の女の子がやってきた。彼女の名前は酒井りこちゃん。都会からきたりこちゃんの話は、田舎で暮らすわたしにとっては何もかも刺激的だった。都会には見たことも聞いたこともないようなものがたくさん溢れている。ミーハーなわたしは、転校生であるりこちゃんにすぐに話しかけ、間もなく親友になった。学校以外の時間もよく一緒に過ごすようになった。りこちゃんは野山で遊んだことがほとんどないらしい。虫とりは少し嫌そうだったが、山の中に秘密基地を作ったり、そこらへんの草や実などを使っておままごとをしたり、初めてのことばかりで楽しいと言っていた。


 しかしそんなりこちゃんのことで、ひとつだけ不思議に思うことがあった。彼女は給食に手をつけない。給食は近くの席のこたちと机をくっつけて食べる決まりなのだが、りこちゃんは誰と一緒に食べても俯いてじっと座っているだけだった。話しかければ反応はあるがあまり楽しそうにはしない。誰が見てもわかる愛想笑いでかわすだけ。転校してすぐの頃に一度だけ食べない理由を聞いたことがあるが、なんでも給食は家庭では出ないメニューばかりなんだとか。りこちゃんの家庭ではどんなものを食べているんだろう? それも聞いてみるが、お米以外はよくわからない単語ばかりであんまりピンとこなかった。きっと彼女の転校前の地元では変わった食文化だったのだろう。文化が違えば受け入れられないこともある。食べないことへの心配はあったが、食への感覚の違いにそれほど興味もなかったので給食の話はもうそれきりだった。給食が終わってお昼休みになればいつも通り元気なりこちゃんだったので、遊ぶ分にはなんの問題もない。


 そんなある日、わたしはりこちゃんの家にお泊まりすることになった。りこちゃんの食生活を知ることができる、とわたしはワクワクしていた。りこちゃんの家に着くと、りこちゃんのおばさんはお菓子やジュースを出して歓迎してくれて、とても優しい人で安心した。しかし、ジュースはともかく、お菓子は手作りのようで、見たことがない変な色や形であまりおいしそうではない。なるほど、確かに食文化が全然違うようだなとわたしは思った。食欲がわかなかったので、夕ごはんを理由にわたしはお菓子には手をつけなかった。

 この村にはおばさんの望む食材を買えるお店がなくて、買い物は遠出する以外になくお菓子作りも大変なんだそう。おばさんが残念そうにしていてすごく申し訳なく思った。看板はないからわかりづらいが、橋本さんがお店をやっていることを伝えておいた。この村ではみんな橋本さんのお店でお買い物をするのだ。おばさんはありがとうと言って台所へ向かっていった。わたしはりこちゃんにりこちゃんの部屋へと案内してもらい、一緒に宿題をしてから遊んだ。


 あっという間に時間は過ぎていき、夕ごはんになった。お菓子のことを思い出しあまり乗り気にはなれなかったが、せっかく作ってくれるのだからとリビングへと移動する。テーブルに並べられた料理を見て絶句してしまうわたしとは対照的に、りこちゃんはパッと笑顔になった。

「オムライスだ!」

 オムライス? これが? わたしの知っているオムライスと全然違う。オムライスはカエルの卵をミキサーにかけてペースト状にしてから干物にしたダンゴムシをすりつぶして粉にしたものを混ぜて焼く料理のはずだ。見た目からしてとてもわたしの知っているオムライスではない。こんな、派手な黄色の塊なんかではない。膜の上には赤いドロドロした血液のような何かでわたしの名前が書かれている。恐る恐るスプーンで黄色の膜を割ってみると、中には赤く色づいたお米が入っていた。

 スプーンを持って固まっているわたしを見て、りこちゃんもりこちゃんのおじさんとおばさんも心配そうにこちらを見ている。りこちゃんはわたしの背中に手を置いて言った。

「ねえ食べてみて。あなたも、学校の子たちも変だよ。これがごはんだよ」

 何を言っているのかわからなかった。おばさんも、変なものを作ってごめんねと謝っている。わたしはいたたまれない気持ちになる。みんな悲しそうな顔をしている。わたしのせいで……。自然と涙が溢れてくる。

「ごめんなさい、食べられない」

 わたしは泣きながらりこちゃんの家を飛び出し、振り返らずに走った。


 家に駆け込むと、ママがびっくりした顔で出てきた。

「泊まるんじゃなかったの?」

 わたしは泣きながら説明をするが、動揺で要領を得ずママはあまり理解していない様子だった。伝わったのはごはんが合わなかったことだけ。ママはわたしが落ち着くまで背中をさすってうんうんと話を聞いてくれたあと、「これしかないんだけど」とほかほかの白米とセミの佃煮を出してくれた。わたしはうれしさと安心感でまた泣きそうになった。これがごはんというものなのだ。りこちゃんの食べているものと決定的に違うのは色だ。あんな派手な色をしたものは毒に違いないのだ。その辺にいる虫だって動物だって、派手な色をしたものには大抵毒がある。

「夏といえばセミよね。橋本さんがね、たくさんくれたのよ。お隣さんと一緒に佃煮にしたの。あんた好きでしょ?」

「大好き!」

 いつもの食事のありがたさに、わたしはまたわんわん泣きながら平らげた。


 次の日、学校でりこちゃんと目が合ったが、なんだか気まずくてお互いに言葉を交わすことはなかった。家を飛び出したことを謝る勇気もなく、向こうも何度かチラチラとこちらを気にする様子はあったが話しかけてくることはなかった。わたしたちはそれきりになった。


 しばらくして、りこちゃんはまたどこかへと引っ越していった。わたしはこの村にずっといるから大丈夫だけど、彼女の一家はきっと、彼女たちの口に合う食材という幻を追いかけて、あちこちを転々とする生活を送るのだろう……。

 わたしは少しかわいそうだなと思いながら、青虫の汁を絞って飲み干した。

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食文化 ねこねる @ncn315

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