仁禍応

 組長オヤジの死体を穴の中に無造作に放り込む。


「昼間、居なくなったと思ったら穴掘ってたんだ。準備が良いのね。確かにあなたのほうが、組長の仕事は上手かも」


 雨花はケラケラと笑っていた。

 ケンはクーンと鳴いて俺の足元にすり寄る。

 抱き上げて、頭を撫でてやった。手を舐められた。


「雨花、埋めるぞ。手伝え」

霊媒ワザシの仕事じゃないわ」

「手伝え」

「本気?」

「当たり前や。俺一人で組長オヤジを殺した訳やないんやぞ。なんで俺一人で埋めなあかんのや」

「じゃあ仕事増えた分だけボーナスおねだりしていい?」

「言うてみ」

組長オヤジさんの首、欲しいわ。仕事道具にしたいの」


 霊媒ワザシの言うことだ。何か意味があることは分かる。

 だがさっきまでの会話を踏まえると、単に呪術以上の執着を感じてしまう。きっと気の所為なんかじゃない。


「あー……勘違いしてない? あなたの首じゃないわよぉ? 確かに今はさんだけど、私のさんじゃないもの」


 一々訂正するのもだるい。


「ハハッ、安心したわ。けどお前、上の連中に首見られたらどないするつもりや」

「ちゃんとお骨になってから一人で掘り返すわよ。見たくないもの、オヤジさんの腐った顔なんて」


 別に悪い話ではない。俺には関わりの無いことだ。


「一人でやる気か」

「迷惑はかけないわ」

「……勝手にせい」


 スコップを手渡す。俺も雨花と一緒にオヤジに土を被せた。

 会話は無い。

 お互いに無言でスコップを振るう。

 俺の隣で死んだ主を見つめるケンの黒くてつぶらな瞳が辛かった。


「帰ったら、なんか美味いもんでも食い行くか」


 そう言った直後、ケンがこちらを向く。

 こいつにも俺の言葉は分かっているのだろうか。散歩の時も、びっくりするほど聞き分けが良くて、賢い子だった。もしかしたら今も――。


「ギャンッ! ガァアアアアア!」


 小さな体で牙を剥き、精一杯唸りを上げている。

 なんだ? 分かっているのか? 俺がお前のオヤジを殺したって。


「ア゛ウア゛ウッ!」


 違う。

 俺に向けて吠えている訳ではない。

 ケンの視線の先をゆっくりと振り返る。


「――雨花ァッ!?」


 細い槍で身体を貫かれた雨花が、幸せそうに微笑みながら、オヤジを弔う穴の中に落ちていく。

 貫いた犯人は立っていた。

 月の明かりに照らされた病的なまでの白い肌。作り物めいた赤い唇と同じ鮮血を浴びたまま、こちらを冷たく睨んでいた。

 金色の刺繍とフリルが随所に施された白いドレスも血の赤で点々と染められていた。見れば分かる。犯人は“箱入り娘”。この御山を守る呪術人形。


「なんで……!?」


 箱入り娘は呪術だ。美しい女の人形で、御山に入った余所者を殺す。

 それは分かる。だが俺も雨花も組のものだ。組長しか知らない呪術の“術理”が有ったとしか思えない。


「逃げるぞケン!」


 箱入り娘は雨花を刺した槍をこちらに向けて投げつけた。

 バァンと大きな音が鳴り、車のタイヤが破裂して、ボディーがかしげた。

 唸るケンを抱きかかえて俺はとにかく森の方へと走った。


 ――ええか、夜に森の奥入ったらあかんで。


 オヤジの声が聞こえた。気のせいだ。昔、呪霊との戦い方をこの森で教えてもらった。その時の記憶を思い出してしまっただけだ。

 箱入り娘が近づいてくる。一度投げた槍を拾って、山の中にまるで不向きな白いドレス姿のままで、ゆっくりと歩いて距離を詰めてくる。ケンを抱く腕が震えているのが、自分でも分かった。


「あかん……俺もや」


 俺も、山歩きの為の装備ではない。あまり暗い森の中には入れない。たとえここが組の縄張りだったとしても、箱入り娘から身を守るどころではなくなる。


「ヴァウッ!」


 ケンは箱入り娘に盛んに吠えかかっている。だが奴が狙っているのは俺だ。


「ケン、ええか」


 俺はケンを地面に下ろし、目を見てしっかりと語りかけることにした。この子は賢い。分かってくれる筈だ。


「お前は、はよ逃げ。んで隠れとき。朝になっても帰らんかったら、俺の部下が迎えに来る手はずになっとるさかい。そいつは何も知らん。もしかしたらあの箱入り娘は組長を殺した奴らを自動的に殺しにかかってくる機能もあったのかもしれん。お前や部下たちは何も知らんから大丈夫。俺とあいつだけが苦しめばええ」


 まあ、その割には――雨花の奴あっさりくたばりやがったけど。

 そう思うと少しだけ笑顔になれた。

 あの恩知らずのアバズレ、いい気味だ。

 別に知らない仲じゃないんだ。楽に逝けたお前の分まで、俺が苦悶たたかってやるよ。


「逃げて、隠れろ、分かったな?」


 箱入り娘が近づいてきている。

 時間は無い。

 ケンの返事を聞かずに、俺はケンから手を離し、立ち上がった。

 切手状に加工したN,N-ジメチルトリプタミン由来の化合物。覚醒剤クスリ

 買ったばかりのコルトガバメントM1070 CQBP。拳銃チャカ

 関で鍛えた銘入りの業物。短刀ドス

 呪霊は思わぬところから現れる。だから着込んでいた防刃コートの下に用意は充分あった。


「極道には二種類る。香具師やし博徒ばくとや。腕の良い香具師やし霊媒ワザシなんて呼ばれるが、呪霊相手に魂を賭ける博徒ばくとはな……怨霊を退けるって書いて怨退ホンビキちゅうねんて」


 箱入り娘が聞いてくれるとも思ってないし、仮に聞いてても既に知っていることだろう。だが、俺には必要なことだ。


「で、これも組長オヤジがおしえてくれたんやけど」


 覚醒剤クスリを舌の裏に貼り付けて、深呼吸。

 拳銃チャカを右手に握りしめて装填されていることを確認。梵字を刻んだフラッシュライトを点灯して、箱入り娘に照射する。弱い呪霊ならばそれだけで動きが止まるが、意に介する様子もない。

 短刀ドスを左手に握りしめて、自身に気合を注ぎ込む。


「お控えなすって。手前、竜頭会傘下沼淵組、次期組長を襲名いたします。怨退ホンビキ伊良子いらこひとしにございます。行く末お見知りおかれましてよろしくお引き立てのほど、お願いいたします」


 箱入り娘は一瞬だけ動きを止めた。

 仁義を切ったことで、俺を組の人間であると認識したのかもしれない。

 考えている暇はない。


「……さ、やろか」


 拳銃から弾丸を2発。胴体でもどこでも良い。とにかく当たることが大切だ。

 箱入り娘は槍で直撃を凌いだが、2発の弾丸を続けざまに受けて、槍が真ん中から真っ二つに折れた。


 ――拳銃チャカ拳銃ハジキとも言うが、これは呪霊の霊気を金属の弾丸でハジくことができるからそう呼ばれる。倒せんけど、呪霊の霊気を弾き飛ばせる。覚えたな? ええな?


 また組長オヤジの声が聞こえた。


「往生せぇっ! 箱入り娘おまえもっ、組長おまえもぉ!」


 ――覚醒剤クスリのな、覚醒ってのは目ぇがよう冴えるちゅーことや。だからそれ使つこぉ目ン玉開いてれば、は見える。


 また組長オヤジの声が聞こえた。

 昔、そうやって仕込まれたように、相手に銃口を向けながら、低い姿勢で短刀ドスを構えた。

 狙うのは怨霊の核にあたる部位、人形を使ってこの世界に顕現する箱入り娘であれば、急所は人間と同じ頭か心臓。


「死ねっ!」


 覚醒剤クスリにより加速された知覚が、俺の視界に未来の攻撃を映し出す。そのルートを紙一重で交わしながら、まずは腹を一突き。よろめいたところで両膝を打ち抜く。箱入り娘はまんまと俺の“急所を外した”奇襲を許す。

 その代償は、まだ動き続ける箱入り娘の反撃だ。


「ん゛っ!」


 箱入り娘は折れた槍をめちゃくちゃに振り回すが、腰砕けになっていたお陰で防刃スーツを貫くことはない。しかし高いスーツは僅かに破れて、内側に折り込まれた般若心経の刺繍が露出した。

 それでも、背中を叩きつけられて呼吸が苦しい。覚醒剤クスリで興奮している筈なのに、追撃ができない。自分が受けるダメージを見誤った。


「アオンッ!」


 目の前で箱入り娘の身体が崩れ落ちた。人の形をしている以上、人と同じダメージで動きが止まる。元からそれを狙って攻撃を重ねていたのだから、その状態に驚きは無い。


「ケンッ!?」

 

 俺が驚いていたのは、この戦闘に加わったチワワ――ケンだった。

 箱入り娘の狙いは、俺ではなくケンの方に切り替わる。

 声にならない叫びが喉から溢れる。馬鹿な弟分を庇うために飛び込んだ結果、折れた槍が拳銃を握る右手を貫いた。

 しかし。


「カァアアッ!」

「ええぞケン抑えとけ!」


 ケンが箱入り娘の髪に食らいつき、動きを止めた。


「おおぉおあああ!」


 短刀を箱入り娘の首に当てて、両断する。

 最初から狙いはこれだった。

 中からドブ川のような黒い粘液が溢れ出して、腐った肉の匂いが充満した。

 俺の血の匂いも、少し。

 だが動かない。


「せやから嫌やったんや……」


 使い物にならなくなった右手。握られているコルトも壊れてしまっていた。

 命の値打ちと思えば、まあそこそこ安い買い物だった。


「ワゥ!」


 ケンも嬉しそうに吠えている。

 けど、終わっていない。戦いは終わりじゃない。

 よく、よく、よく目を凝らして、箱入り娘の残骸を見つめる。

 箱入り娘から伸びる細い糸が、雨花と組長オヤジさんの眠っている穴へとまだ伸びていた。

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