変貌
私は現在、世界クラスの芸術家である師匠のもとで修行中の若手芸術家だ。
「師匠、お茶が入りました。それとこちらが頼まれていた彫刻刀と…」
いつものようにお茶を出しに行くと、師匠が珍しく苛立っていた。
「ええい、ダメだダメだ。やり直しだ。
いつになったら良い作品ができるんだ。」
「大丈夫ですか?ずいぶんと休まれてないようですが。」
「このところスランプ気味でな。
いっそ何か新しい発想に触れたい気分なのだよ。」
様々な賞を受賞し、新たなスタイルを確立しつづけてきた、
天才ともいえる師匠だからこその悩みなのだなと私は思った。
その後も師匠は何日も工房にこもって作業を続けていたが、
ある日満足げな顔とともに部屋から出てきた。
「ようやく新しい作品を思いついたぞ。」
「師匠、本当ですか。」
「ああ、私自身もどんな完成形になるかはわからないが、
早く制作に取り掛かりたい気分でウズウズしている。
さぁ、取り掛かるとしよう。」
そうして再び師匠は工房に戻ると、長い間作業を続けた。
そこからさらに数日経つと、私は師匠に呼び出された。
「ついに作品が完成したからお前にも見て欲しい。
すこし歩くことになるが、ついてきてくれ。」
私は言われるがままに外に出てついていくと、
師匠は小高い丘の上の一番目立つ場所に置かれた、
布のかかった銅像の前に立ち止まった。
「これが私の新作、題して”変貌”だ。」
そう意気込みながら師匠はかぶされた布をとると、
一組の裸の男女が手を取り合っている、よくある普通の銅像が現れた。
「どうだ、弟子の率直な感想が聞きたい。」
あまりにもありきたりな作品に私は言葉がなかった。
同じようなものはそこら中にあるのに、
あえて人通りの多い丘の上にこれを作った意味がわからなかったのだ。
「どうって…そうですね…」
言葉に詰まる私を責めることはなく、師匠はなぜか満足げにうなずいていた。
「よし、私のできることはここまでだ。
さぁ、一緒に帰って別の制作に取り掛かるとしようじゃないか。」
「はぁ…わかりました。」
いつも斬新で新しい芸術のあり方を模索していた師匠が、
よりにもよってありきたりな銅像を突然作り出したので、
私はすっかり混乱してしまった。
「いったい師匠はなにがしたかったのだろう…」
師事する相手を間違えたのかもしれないという不安が浮かびはじめたが、
師匠にもきっと何か考えがあるのだろうと信じ、私は再び師匠の工房に戻った。
そこから数日、数週間、数ヶ月が経ち、新たな制作に熱中していた私は、
すっかりあの記憶にも残らないありきたりな銅像のことなど忘れていたのだが、
師匠の思いがけない一言によってそれを再び思い出すこととなった。
「そろそろお前にも、私の新しい作品を見せてやろう。
しばらく前に見せた丘の上の銅像だが、お前も覚えているか?」
「あ、そんなのもありましたね。でもあれはすでに私が見ている作品なのでは…」
「そうなんだが、時を経ると事情が変わることもある。
まぁとにかく、ついてきなさい。」
またあのつまらない銅像を見るために外に出るのかと思い、
ややうんざりした表情を隠しきれないまま私は師匠の後を歩いたが、
目の前に現れた光景を見て、驚きから声が漏れ出してしまった。
「あ…変わってる…全く、別のものに…」
そこに立っていたのは、手を取り合う裸の男女の銅像でなく、
カラフルで前衛的に彩られた、手を取り合う家族の象だった。
しかも像の足元は色とりどりの花で飾り付けがしてあった。
「師匠、どういうことなのですか。
もしや、私に黙って設置後も作業を進めていたのですか。」
「まさか、私はなにも設置後は手をつけておらん。
ここに銅像を置いて、どう変わっていくかを見守っていただけだ。」
「と、いいますと…?」
「まず最初に動いたのは、子供を持つ一部の頑固な保護者たちだった。
裸の銅像など、子供の教育に悪いものを目立つところに置くなと騒ぎはじめ、
何者かが勝手に銅像に細工し、二人に服を着せた。
次に、偏った街の政治家が『子供を欲しがらない若い夫婦が増えたから、
街の少子化が進んだんだ』などといい始め、二人の間に子供の銅像を増やしおった。
そこに平和活動家が現れ街中から刈り取った大量の花束を持たせたと思えば、
環境破壊を訴える奴がそれを嘆きながら撤収したりなど、
皆思い思いの細工をこの銅像に加えたそうでな。
そして最後に、これら一連の流れを見守っていたどこぞの仮面芸術家が、
型にはまった固定概念を壊すだとかどうとかいいながら、
銅像に前衛的に色を塗ったらしい。」
「なんと…じゃあ師匠は、
その不確定要素さえも作品に取り込むおつもりでこれを…?」
「そうだ。一人で完結しない作品というのを、たまには楽しんでみたくなってな。」
そうして師匠が設置した銅像は、
様々な人間の様々な意思によって変貌を遂げたのちに完成すると、
今までにない斬新なコンセプトと制作過程が話題を呼び、街の観光名所となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます