捕まったマトリョシカ

「それで、例の捕虜はもう部屋の中に?」

「ああ。敵のアジトから夜中のうちに拐って来てな。緊張するか?」

「はい、こういうのに立ち会うのは初めてで。」

マフィアの子分は拷問部屋に向かうボスの後を追うように歩く。

「さぁ着いたぞ。」

扉の鍵を開けると、薄暗い部屋の中には椅子に縛り付けられている一人の男がいた。


「おい、てめえこんなことしてただで済むと思うなよ。

今頃うちの構成員がここらを血眼になって探してる筈だ、覚悟しておけ。」

開口一番にものすごい剣幕で怒鳴り飛ばした男を前に、

子分の方は思わず後退りしてしまった。

一方、ボスの方は怖気付く様子もなく、男の方に話しかけた。


「やぁ、マトリョシカ。相変わらず元気だね。

早速だがそちらの方の情報をこちらに流してくれないか。」

「ああ?お前馬鹿にしてんのか。誰がそんなこと。」

捕まった”マトリョシカ”と呼ばれた男はボスに向かって唾を吐きかけた。

ボスはそれをハンカチで拭き取ると、ピッと指を上げ合図をした。

するとコップに透明な液体を入れた他の子分が現れ、無理やり男に飲ませた。

男がもがき始めたのを見て、

今飲まされたのは毒だったのだと子分はとっさに理解した。

しかし、しばらくすると男は顔を上げ、にこやかに笑い始めた。


「はて、ここはどこですか。早く配達に行かないといけないのに。」

男はさっき全くの別人のように振る舞い始め、子分は戸惑った。

「どうなってるんですかこれは。」

「こいつの愛称はマトリョシカ。

人格がマトリョーシカ人形のように何重にも重なっているんだ。

まだこれは二重目の、街の新聞配達の青年の人格だな。よし、もう一度だ。」

男は薬を飲まされるたびに様々な人格を表し、

6回目でとうとう最後の一人が現れた。


「あ、ボスじゃないですか。お久しぶりです。

このところずっと向こうのアジトに潜入捜査してまして。」

「長いこと今回もご苦労だった。少し休んだら情報共有といこうか。」

子分は二人のやりとりを見て驚いた。

「彼はこちら側の味方だったのですね。」

「そうだ。かなりとぼけたやつで、

はじめの頃は仕事でもドジばっかりだったんだが、

薬を使った人格操作に適性があるとわかってからはこうして活躍中だ。」

「何重にも人格を重ねることで、

ふとした時に本当の正体がうっかり出てこないようにしているのですね。」

「はじめのうちは用心に用心を重ねてな。

まぁこうして解除薬を飲まないかぎり人格が解放されないと分かって以降は、

マトリョーシカ人形を開けていく余興のような感じになってしまったがな。」


「ははは。それでいつの間にかついたあだ名がマトリョシカってわけですよ。」

捕まった男は縄を解かれながら笑う。

「それにしてもこの部屋暑いですね。このお水、もらいますね。」

「あっ、待て。そっちは水じゃなくて解除薬の方━━」

ボスが止めた時にはもう遅く、薬を飲んでしまった男は体を短く震わせたと思えば、

次の瞬間には廃人のような、うつろな顔つきになってしまった。

「惜しい子分を失ってしまった。何ということだ…」

あまりのことに子分は呆気に取られてしまった。

「なんと。マトリョーシカ人形の一番最後の中身は…虚無ということですか…」

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