第296話 前線視察

 結婚式の翌日、父は前線を見たいと所望してアーウィゼへと向かう。すぐに馬が用意されて父も騎乗用の服を用意しているところを見ると、以前から話はしていたのだろう。


「私も一緒に行って構いませんか?」

「もちろん、そのつもりだ。其方そなたの提案の砦も建築が進んでいる。」


 発案者の視察を拒否する理由など何一つないとブェレンザッハ公爵は言う。それに、ブェレンザッハへと移動してきた以上、防衛の最前線は私にとっても重要なことだ。今後、全く関わらないなどという話もないだろう。


 とはいえ、案内のためだけにブェレンザッハ公爵当人が動くこともないようで、私たちを先導するのはジョノミディスだ。彼も成人したことで、堂々と次期当主筆頭候補として動くようになっている。


 領都からアーウィゼまでは馬で移動して三日かかる。馬車で移動すればさらに日数がかかるため、父がそれを嫌ったらしい。いくらなんでも二週間近くもブェレンザッハに滞在している時間的余裕はない。


 途中に泊まる町は、小領主バェルが結婚式に来ていなかったことに今更気付いた。私は全然知らされていなかったが、当初から予定に組み込まれていたのだろう。それぞれの小領主バェルに二人で結婚の報告をする。



 アーウィゼに着くと、その日のうちに町の防衛体制を確認し、翌日は朝からスゥミガシ跡地へと向かう。建築中の砦はその途中にあり、スゥミガシよりも奥の整備はまだこれからということだ。


「敵を町の近くにまで引きつけるのは不安ではないのか?」

「物資運搬の労力と時間を考えると、スゥミガシよりもウンガスよりに砦を作るのは現実的ではございません。」


 父は他国からの防衛などということはしたことがない。集めた情報から自分の感覚で想像して言うしかできるはずもない。何かを変えたら、それがどれほどの影響を周囲に及ぼすのかは、実のところ想像がつかないのだろう。


 さまざまな利点や欠点を加味して考えていくつかの候補から実際に砦を築く場所や規模を決定している。ジョノミディスはそれを丁寧に説明していくだけだ。


「地形的や距離的に最も早くに完成できるのが手前の砦でございます。素晴らしい戦術があろうとも、敵が攻めてきたときに砦が未完成ではその効果は限定的でしょう。まずこちらの第一砦を完成させることを優先しています。そして敵を食い止め倒すのに適しているのが奥に築いています第二砦でございます。」


 地形を利用し崖にくっついてウンガス側からはそうと分からないように塔が建てられ、その横には堀と段差が作られている。通れる箇所は一つで、道の幅は馬車が一台通ることができる程度だ。すれ違うには砦の前後どちらかで片方が待たねばならない。


「このような段差を作るのは、労力が掛かりすぎるのではないか? 壁の方が早くできそうなものだが。」

「壁を作ろうとすると、高い技術を持った石工が必要になります。技能のない者は運搬程度しか携わることしかできないので、人の運用を考えると不効率なのです。」


 対して、岩や土砂を積み上げていけばできる段差は技能の有無を問わない。積み上げる石の大きさを揃える必要もないため、非力なものでも参加しやすいという利点もある。


 私も最初から壁を作るのは現実的ではなく、攻撃に有利な施設を作る程度で考えていたくらいだ。



「こちらはほぼ完成しているのではありませんか?」

「食糧庫や厩がまだできていません。騎士が常駐できるようになるまで、あと一ヶ月ほどは必要かと思われます。」


 塔に登って周囲を見てみると、十分に敵を食い止める機能は働きそうだ。段差を馬や馬車で乗り越えてくることはできないだろうし、一列になって街道をやってくる敵を上から叩くのは、地形的には最も有利な状況と言える。一年でここまで形になっているのは、随分と頑張ったのではないかと思う。


 私がそう言うと、ジョノミディスは苦笑いで答える。


「ウンガスの民が意外と働いてくれているのですよ。彼らは相当に貴族や騎士というものを恐れているようです。」


 ウンガス王国を捨てた民を、ウンガス貴族は赦さない。彼らは本気でそう思っているらしい。もし攻めて来たら、自分たちは容赦なく処刑される対象になってしまうので、ここの防衛を突破されるのはとても困るという。


「まあ、そんな理由でも一生懸命に働いてくれるなら良いではございませんか。」

「騒ぎや問題を起こされるよりはずっと良い。住む場所と食べる物、そして仕事を与えれば真面目に働くのだから私としても彼らを切り捨てる理由がない。」


 一時は治安の問題などもあったが、次第にウンガスからの民もブェレンザッハのやり方に慣れてきているらしい。


 ジョノミディスが「あそこで作業をしている者は皆、ウンガスから流れてきた者たちだ」という方を見ると、二十人ほどが木を切り加工している。役割分担や指揮系統も機能しているようで、皆、一生懸命に作業を進めている。


「なるほど。食料支援が完全に不要とはならないのは、あのように防衛のための作業に勤しむ者が多いこともあるのか。」

「はい、石の切り出しや運搬も含めると、数千名が従事しています。」


 町一つ分の食料を賄うとなると確かに大変だ。奥の第二砦の方は現在三百人体制で築いているというのだ。しかも騎士は常にアーウィゼに余裕を持って待機させねばならない。エーギノミーアのようにほぼ全ての騎士を魔物退治に回すなどできるはずもない。


 それでも、少数ながらも訓練を兼ねて魔物退治に励んでいる者もいる。確実に騎士の能力を向上させて、少しでも農業生産量を増やせるように努力はしている。他の領地と比べて、その進度はどうしても遅いだけだ。



 驚いたり納得したり感心したりしながら二つの砦を見てさらにその先に進み、スゥミガシ跡地に着くと父の表情は明らかに変わった。


 瓦礫の広がっていた跡地は、今はもう草の生える草原と化している。もはやここに町があったなどとは思えないほどだ。


「数年前までここに町があったと、本当にそれは事実なのか?」


 目の前の光景が信じられないとばかりに父は言う。既に死臭も血の臭いもすっかり消えているし、建物らしきものは全く見当たらない。そんな草地を指して町の跡と言われても、ただの悪い冗談のようにしか聞こえないだろう。


「廃墟の残るイグスエンの方が、まだ実感はあるのでしょうね。」


 滅びたというにも程というものがある。ここまで跡形もなく踏み潰されてしまっては、実際に見ても実感は湧きづらいだろう。


 それでも、馬を進めていけば足下の様子が変わるのは分かる。畑だった場所を通り過ぎると足下は土から瓦礫にかわる。その隙間から草が伸びてきているが、人工物と分かるものも見え隠れしている。


 本当に町が消えてしまったことに父は表情を引き攣らせるが、その場でそれ以上の言葉はなかった。思いを口にしたのは領都に戻ってからのことだ。


「あれがエーギノミーアでなくて良かったという思いは少なからずある。」


 父の告白にブェレンザッハ公爵は顔を曇らせる。


「だからこそ、あれを絶対に繰り返したくないという気持ちは理解できる。」


 協力を惜しみはしない。そう言って伸ばす父の手をブェレンザッハ公爵もがっしりと握った。

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