貴族令嬢はもふもふがお好きなご様子

ゆむ

もふもふのはじまり

第1話 出会いは衝撃的に

 お昼下がりの気持ち良い日差しが降り注ぎ、春先の街道は雪どけの真っ最中だ。道は泥濘ぬかるんでいるが、それは今は問題ではない。

 私たちの馬車のすぐ横手には巨大な魔獣の死骸が横たわっているが、それも、もはや問題ではない。


 学院の一年生が終わり、生徒である貴族はそれぞれ自分の領へと帰る。その途中、我がエーギノミーア領に立ち寄ったハネシテゼを送っている最中に、魔物が出没するくらいは想定の範囲内だ。


 客人であるにもかかわらず、その魔獣を一撃で倒してしまったハネシテゼの非常識さには色々な意味で驚くばかりだが、それすらも今はいい。


 道の先、真正面に立ちはだかるようにこちらを睨んでいる巨大なもふもふ、もとい黄豹おうひょうが、私が今、直面している課題である。



「ティアリッテ、頑張ってください!」


 背後からのハネシテゼの声援を受け、私は右手に魔力を集中していく。


 護衛たちを後ろに、最前に出た私の前には、守るものは何一つない。

 対峙する獣は、見るからに強大だ。口には騎士たちの剣ほどもありそうな巨大な牙が覗き、体躯は馬車よりも大きく、その巨体を支える頑強な脚には鋭い爪が光っている。

 そんな巨獣が、数十歩ほどの距離で、低い唸り声を出しながら不規則に前足で地面を叩いている。これはどう見ても、威嚇されているようにしか見えない。


「ティアリッテ、子供がどうにかできる相手じゃない! 早く逃げるんだ!」


 後ろから兄や姉たちの悲鳴のような叫び声が聞こえるが、伝説の魔獣とも言われる相手から逃げきれるわけがない。馬で逃げても、あっという間に追いつかれてしまうだろう。

 だが、恐怖し混乱に陥る気持ちも分かる。何しろ、この黄豹と呼ばれる獣を退治するお話は、いくつもの英雄譚となっているのだ。そのいずれでも、黄豹は人々に甚大な被害をもたらすことになっている。

 何も知らなかった頃の私がこんな巨大な猛獣に出会ったら、恐怖のあまり失神してしまっていたかもしれない。


「もっと集中するのです。魔力が小さすぎると相手にされません。」


 そんな中で、一人冷静に助言をしてくれているのがハネシテゼだ。彼女は周囲に魔力を振り撒き、黄豹の意識を引きつけると同時に時間稼ぎをしてくれている。


 それはいいのだが、これでもかというほどの全力を籠め、指先がビリビリと痺れてくるほど魔力を集中しているのに、小さすぎるとかハネシテゼは悪気なく酷いことを言う。私はこれでも一生懸命、必死に頑張っているのだ。痛いのを我慢して、さらに魔力を高め集中させた右腕を高く頭上へと伸ばす。


「えいっ!」


 掛け声とともに右腕を振り下ろし、これ以上はどう頑張っても無理、というくらいに集中した魔力を解き放つ。指先から放出した私の魔力は真紅の球となって、狙い違わず真っ直ぐに黄豹へと向かって飛んでいった。


『グルゥ』


 一声低く唸り、黄豹は魔力の玉を前足の爪先でちょんと突く。勢いよく飛んでいった魔力の玉は、それだけで止まってしまった。そしてそれをじっと見ていたかと思ったら、鼻先で押して私の方に返してくる。


 黄豹に返されたとはいえ、そもそも自分の魔力だ。そして、わたしはハネシテゼから魔力の扱い方を習い、自分の魔力を受け止めて、再度吸収できるようになっている。

 両手を伸ばして魔力の玉を受け止める。魔力の再吸収はとても集中力と体力を使う。息が乱れ、頭がふらふらしてくるが、これができなければ、もふもふ、ではなくて森の主との交流はできない。


 やっとのことで全て吸収した私は、肩で大きく息をする。しばらく休ませてほしいのだが、黄豹はお構いなしだ。今度は自分の番だと言わんばかりに空に向かって軽く吼えると、前肢を振って魔力塊を飛ばしてくる。金色の尾を引きながら私に迫ってくるそれは、ものすごい圧力を放っている。

 私の数倍はありそうな魔力を受け止め、何度も練習したステップを踏み、左回りに一回転。


 なんとか投げ返すことに成功し、魔力塊はふわふわと黄豹へと向かっていく。


「できた……!」


 安堵すると、一気に疲労が全身に溢れだす。ハネシテゼによれば、これは、森の主の挨拶なのだそうだ。種類が違う獣でも、この挨拶は共通しているそうで、上手くできれば害を及ぼしてくることはない、とハネシテゼは胸を張って言うのだ。


 だがこれは、体力の消耗が激しすぎる。私はその場にへたり込んで、大きく肩で息をする。

 本当に、しばらく、休ませてほしい。


 そんな私の目の前に、いつのまに近づいてきたのか黄豹の大きな影が落ちた。顔を上げるとそこには、大きな、とても大きな口があった。


「はへ?」


 間の抜けた声をあげた次の瞬間、私は黄豹に頭からたべられてしまった。

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