第02話】-(ありきたりだけど特別な幸せ

〈主な登場人物〉

紬/イトア・女性〉この物語の主人公

トゥエル・男性〉ギルメン、半分心は乙女

その他ギルメン〉カナタ、ユラ

──────────


 長髪を振りみだしながら、息を荒げながら、早く、早く。


 溢れてくるこの分からない気持ちを持ちかかえながら。自室の扉を閉めると扉に寄りかかり天井を見上げた。


 口を開け大きく息を吐く。


 頬を濡らした涙が顎先あごさきから首に流れていく。そこへ部屋にいたユラが私の様子に驚きすぐさま駆け寄ってくれた。


「おい‼ どうしたんだ‼」


 ユラの顔を見るとほっと安堵あんどし、私は顔をくしゃっとゆがめ彼女の胸に勢いよく飛び込んだ。彼女の柔らかな胸の中で私の心は小波さざなみを起こしていた。


─────


 私は気が付いてしまった。

 トゥエルは私に想いを寄せてくれている。

 あの顔はおもい人をみる瞳だ。


─────


 それなのに彼は自分の気持ちを差し置いて私を優先した。カナタの元へ、みずからの手で手繰たぐり寄せたその糸をそっと手離した。そこが私の場所なのだと、安住あんじゅうの地なのだと。そう聞こえてならない。


 その切なさが、優しさが、私まで切なくなってたまらない。そして自分の気持ちにも気がついてしまった。ユラに涙の理由を話すことが出来なかった。それでもユラはずっと抱きしめてくれていた。



 そして。逢いたい。



 ユラのお陰で落ち着いた私は、彼女にお礼を告げ。部屋を後にしようとする。心配してくれる彼女に、理由は後から離すと約束を交わし送り出してもらった。


 ──私は。


 彼の、トゥエルの部屋の扉の前に立ちすくんでいた。


 扉をノックしようとも途中で手が止まる。

 勇気がない。

 何度この行動を繰り返した事だろう。

 どのくらいこの扉の前で立ちすくんでいた事だろう。

 まぶたをぎゅっと閉じ、意を決して一回だけノックした。


 しばらくして扉が静かに開いた。


「やっぱり……お前か」


 トゥエルは何故か扉が開く前から知っていたような口ぶりをみせた。私は涙で濡らしたひどい姿でトゥエルの顔を見るので精一杯だった。


 ポツリと。


「トゥエルが悪いんだよ、あんな事するから」


 私がそれだけ口にすると、トゥエルは何も言わず。

 扉に身を寄せ部屋に通してくれた。


 バタンと扉が閉まると。


「折角カナタに気が付かれないようにしてやったのに、何で戻ってくるかね」


 扉に手を当てトゥエルが少し困ったような表情を浮かべていた。部屋に入れてもらった私はその質問に答える間もなく。


 閉じた扉の前で立ったまま呆然ぼうぜんと涙を流す。床にぽたぽたと涙のしずくが落ちていく。トゥエルは私からの答えを求めることはせず。


 私の溢れ出す涙をまるで親のような庇護ひごの瞳をしてハンカチでぬぐってくれた。私は言葉を詰まらせながら。


「……あんなこと、するからだよ、私が困らないように、あんな愛情を、示すから、忘れられない……じゃない」


 私は子供のように腕で涙をごしごしこすりながらわんわんと泣きじゃくった。


「お前もそこまで鈍感じゃなかったんだな」


 泣くことで頭がいっぱいの私の近くでトゥエルの声が聞こえた。トゥエルからハンカチを受け取り自分で目元をぬぐう。


─────


 その気持ちはごく自然と。

 トゥエルに触れたい、と願う。

 でもまたしてもそんな勇気がない。


 するとトゥエルが私の指先に触れ軽く握る。

 そして尋ねてくる。

「今だけ、約束を破ってもいいか?」、と。


 私は涙を落としながらゆっくりとうなずいた。

 既に私もトゥエルの腕を握っていた。


 そしてトゥエルの胸に顔をうずめる。

 背中に手を回す。

 離れたくないと懇願こんがんする。


「馬鹿者」


 トゥエルが叱咤しったしてくる。

 抱きつく私の両肩に手を置いたトゥエルは。



 ──「俺は、お前が誰を好きでも構わない。俺にとってお前は特別なんだ。それ以上の理由が必要であるなら俺に教えてほしい」



 そう告げると私の頭に頬をり寄せ、私の背中に手を回した。

 もう離れないように。


─────


 これが好きという気持ちなのだろうか。今まで恋をしたことがない私には正直分からない。それでもあんな切ない顔で私を送り出した彼を忘れることなんて出来る訳がない。手放されたことがショックだった。


 だから彼の意にそむいて戻ってきてやった。


 これだけは分かる。私はトゥエルにかれている。カナタとパートナーと誓ったはずなのに。私はたどたどしく答えた。


「ごめんなさい。私はカナタと……パートナーとして、約束したばかりなのに……私って、頭、可笑おかしいよね」


 こんな私を地獄に落としてもらっても構わない。


「俺だって、俺のパートナーはエテルだ。それにパートナーと色恋いろこいは別物だ」

「初めて……触れたいと思ったの」

「俺にはそれで充分だ」


 私は思いのたけを自然と言葉にしていた。触れたいだなんて、はずかしめもなく伝えていた。するといつもはオレ様で素っ気ないトゥエルが饒舌じょうぜつに。


「俺は、お前が自分の事を大切にしてくれる相手を選んでくれればそれでいい。それが俺でなくてもいい。そんな風に思えた相手に出会えた事に、神に感謝するだけだ」


 自分を選ばなくてもいいなんて。

 そう簡単に言える言葉ではない。

 私は意地悪いじわるに答えた。


「トゥエルも、頭、可笑おかしいね」


 すると彼は拍子抜ひょうしぬけするくらい素直に認める。

「そうだな」


 私はトゥエルの胸の中で行先いきさきの見つからない自分の気持ちを尋ねた。

「どうして、こんなに……涙が止まらないの?……切なくてたまらないの?」


 するとトゥエルは少し間をおいてから。



「それを俺に言わすか。それは俺の事をお前が好きだからだろ」



 好き……。

 ああ、やっぱり私はトゥエルの事が好きなんだ。

 でもそれなら……。


「私はずっと……カナタの事が……好きだと……思ってた」


 涙を我慢して、ひっくひっくと言葉を詰まらせながら私は答えた。頭を振り私の耳元に口を添えトゥエルがささやく。


「馬鹿だな。俺がそれをさらってしまったんだよ」

「……卑怯者ひきょうもの


 私はトゥエルの言葉を借りて返事を返す。心をさらってしまうなんて卑怯者ひきょうものだよ。


「ゆっくり考えればいい。今はこれでもいいのかもしれない。だが俺はお前の全てを受け止めてやることが出来ないかもしれない。そうだろう? つむぎ」

「──⁉」


 私の瞳孔どうこうは大きく開き、呼吸が一瞬止まる。私が動揺をしているのに気が付きながらもトゥエルは続ける。


「気が付いていたよ。それがお前の本当の名なんだろ? 二角獣バイコーンの討伐の時、カナタがお前のことをそう呼んでいた。この俺がそれを見逃みのがすとでも?」

「……」


「俺の知らないところでお前とカナタには強い絆があるんだろ? 俺はそれを壊したくなかったのに、なんで戻ってくる? 馬鹿者。お前は知らないふりをしていればいい。これからも。俺はそれでも構わない」



 ──「どうか、お前にはみなが持つありきたりだが特別な幸せを送ってほしい。あんな有り余る力をさずかってしまって俺が変わってやりたいとせつに願うよ」



「俺が望むことはそれだけだ」、と。


 私は瞳を閉じ大粒の涙を零した。言葉が続かない。この言葉に私の呼吸は本当に止まってしまいそうだった。


─────


 また、糸が見えた。

 私の身体にぐるぐると巻き付き縛り付けてくる。

 トゥエル、またあなたはこの糸をバッサリと斬ってくるの?


─────


 私が目覚めてしまったあの力を変わってやりたいと。その言葉だけで充分だよ。自己犠牲じこぎせいは嫌いだなんて言っておいて、自分が一番、自己犠牲じこぎせいじゃないか。


 慈悲じひ深くて、愛情深い。


 大粒の涙がトゥエルの服を汚していってしまう。

 私はあさはかにも聞いてしまった。


「トゥエルが幸せにしてくれないの?」


 私がこの世界にいられる時間には制限がある。私の方がトゥエルを幸せにする資格すらないのに。そこへ思いがけない言葉が発せられた。


(続く)

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