12 第1章 最終章 恋した先で世界は私に無邪気に笑ってみせた。 [全11話]

第01話】糸を紡いで

〈主な登場人物〉

紬/イトア・女性〉この物語の主人公

トゥエル・男性〉ギルメン、半分心は乙女

カナタ・男性〉主人公に想いを寄せるギルメン

──────────


──異世界


 早朝。

 私は少し肌寒い外で魔法書に目を通していた。

 すーっと息を吸い吐く。

 身体中に新鮮な空気が巡っていく。


 私の目の前には青い空が見える。

 手を伸ばすとつかめそうな距離で。

 長髪が私の顔を通り過ぎ青い空に向かう。


 私は風の魔法を使って、身体を宙に浮かせていた。

 見えないベッドに仰向あおむけになり、ふわふわと。

 海中から空を眺めるよりも鮮明なこの視界。


 目を細めてもこのあおさは変わらない。

 両手を伸ばし魔法書のページをめくっている。

 ご機嫌に鼻歌なんて歌ったりして。


「おい、朝っぱらからそんな所で何してるんだ」


 ふと顔を横に向けるとトゥエルの姿が見えた。私が宙を浮いていた距離は、丁度二階の窓の位置と同じ高さにまで到達していた。


「あ、おはよう、トゥエル」

「おはようじゃないだろ。窓の外を見たら人が浮いてるんだ。驚くだろうが」

「えへへ」


 私は上半身を起こし魔法書を太ももに置き片手で頭をく。トゥエルは窓を開き出窓から頬杖を突きながら私の姿を涼しく眺めていた。彼は、起きたばかりなのか少し頭に寝癖をつけ、シャツのボタンを少し開け、まだ眠そうな顔をしていた。


 そしてぽつりとつぶやく。


「神は何故あんな力をお前に与えたのか。死亡フラグ立ちまくりだ」

「あはは……そんな物騒なこと言わないでよ」


 そのつぶやきはしっかりと私の耳まで届いていた。

 私は苦笑いを浮かべ必死に否定する。


「これから練習に行くんだろ。初歩魔法でいけよ。身体が慣れるまでは」


 トゥエルは私が朝、リミット解除の練習をしていることを知っていた。


 すると彼は何を思ったのか窓から少し身を乗り出し、私の方に向けておもむろに手を差し伸べてきた。何かを試すかのように真っ直ぐな瞳で私を見てくる。私が手を伸ばせば届きそうな距離だった。


 この時見えない糸が、私には見えた気がした。


 私は何も考えずただその糸を手繰たぐり寄せようとする。トゥエルに向かってすっと右手を伸ばす。やがて私の手はトゥエルの伸ばす手の先まで到達する。何故かトゥエルは瞠目どうもくし、そして私の手をしっかりと握ると私の身体は彼の元へ引き寄せられていった。


「え……⁉」


 私の身体は完全に宙で起き上がった状態になり、引かれるままにするすると。


「馬鹿。右利きになっている。それにここは部屋の外だ」


 私が呆然ぼうぜんとされるがまま引かれている姿を見ながらトゥエルが私の思考の先を読む。私はハッと目を見開いた。そうだった、トゥエルとの約束は部屋の中だけだったことに。


 まさかとは思うけれど……。


「トゥ、トゥエル⁉」

 私はこの行為に驚嘆きょうたんした。


 窓を挟みトゥエルは私の上半身をぎゅっと抱きしめてきた。トゥエルの胸の中で急停止した私の身体。長髪が大きく乱れる。私の両腕が行き先を彷徨さまよっている。いつものトゥエルの甘い香気こうきが私を酔わせていく。


 女性の姿のトゥエルとは何度もハグをしたことがあったけれど、少年の姿のトゥエルにこんな事をされるのは初めてだった。抑々そもそも、トゥエルにとって私はそんな対象じゃないと思っていたから。いつもなら赤面しそうなものなのに驚きの方が勝っていた。


 私はきっと目を丸くしていたと思う。私の心中を余所よそにトゥエルは私を叱咤しったしていく。


「あいつの為にお前は代償を払うというのか。馬鹿者。お前は本当に馬鹿者だ」


 なげくように私の頬先でトゥエルはかぶりを振った。この間、おとがめから逃れたと思っていたけれどやはり怒られてしまった。そういえば、最近は部屋でも女性の姿のトゥエルばかりだった気がする。


 トゥエルは私を自分の身体から少し離すと右手に自身の指を絡め強く握ってくる。私が戸惑とまどいとまもなく、耳元に吐息といきをかける。


「次はないと思え。俺が許さない」


 そしてその勇ましい言葉に熱するいとますらも与えらずトゥエルは私の首筋に唇を沿わせた。


 瞬時に私の身体をトンと引き離す。

 突き離す。


「えっ……」


 浮いている私の身体は押された反動で風に乗る様に身体がゆっくりと後退していく。手の先が宙をつかむ。いまがたされた行為の余韻よいんを残さずしてトゥエルとの距離が離れていく。


 彼は自ら手を離したのに私と瞳を重ね合いながら儚く笑う。その瞳、そっと微笑むその表情、私は釘付けとなった。それはまるで大事なものを遠くに送り出すどこかうれいの瞳で。


 トゥエルがこんな表情をするなんて。私の瞳は大きく揺らいだ。私の心の中にすっと入り込んでくる。


 これは何……⁉


 私が混乱していると酔いを冷ますかのようにそこへ今度は地上から声が掛かった。


「紬、探しましたよ」


 顔を降ろすとカナタが私を呼んでいた。カナタは私がいつの間にか落とした魔法書を拾ってくれている。トゥエルは私より先にカナタの存在に気が付いていたんだと悟った。だから私が困らないようにあの手を離したのだ。


 トゥエルどうして……?


 頭を振り払い私はカナタの方に集中する。

「あ、カナタもう時間?」


 私はさっきの出来事を隠すようにつくろう。

 それを知らないカナタは爽やかな笑顔でうなずく。


 ──ズキン。


 ふとトゥエルの部屋がある二階に視線を向けると、彼は無言で不愛想ぶあいそうに背中越しに手を振り部屋の奥に入っていった。


 ──ズキン。


 さっきの表情が頭から離れなかった。

 なんでそんな事をするの? 

 そんな切ない顔を私に向けるの?


 ──ズキン。


 私はゆっくりと下降し地面に足を着けた。そんな事を知らないカナタが話しかけてきてくれる。


「僕が初めて紬と宙を浮いた事がもうだいぶ昔のように感じますよ」

「う、うん……」


 私にはその言葉が頭に入ってこなかった。振り払ったはずなのにトゥエルの顔ばかり浮かんでくる。


 ──ズキン。


 彼は卑怯ひきょうだ。


 こんな切ない思いだけ残して去って行った。胸の痛みがズキ、ズキと。切り刻まれるようにうずきだす。気が付くと私はポロポロと。涙を零していた。我に返りその涙を手で拭うと。


「ごめん……カナタ、今日は練習お休みね、ごめんねっ‼」

「紬、その涙……どうしたんですか⁉」


 カナタが動揺するのは分かる。急に私が泣き出すのだから。私はカナタに思い切り頭を下げると、理由を探すカナタを置き去りにしてうつむいたまま部屋まで駆けた。


(続く)

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