第309話

 掃除で疲れてしまったせいか、ロールケーキを食べたあと、アキラは居眠りをはじめてしまった。


 ベッドの陽が当たる部分でスヤスヤと。

 猫みたいに体を丸めちゃって。


 邪魔するのに忍びないと思ったリョウは、机に向かって勉強の続きに取りかかる。


 解いているのは大学入学共通テスト(旧センター試験)の過去問。

 科目ごとに100点満点となっており、国公立の場合、5教科9科目の成績が必要となるケースが多い。


 文系の生徒の場合、数学と科学は苦手だから、国公立はあきらめて、私立一本でいく人も少なくない。


 もちろん、科目が減るぶん偏差値は高くなる。

 国公立の偏差値50と私立の偏差値50はまったくの別物なのだ。


 リョウが力を入れているのは英語。

 長文読解がまだまだ苦手であり、時間をかけたら解けるけれども、流し読みしたらミスしてしまう。


 スピードと精度を上げたい。

 そのためには頭を慣らすしかなかった。


 マンガも似たような部分がある。

 プロの人が描くイラストって、びっくりするくらい速くて丁寧だけれども、あれは何百回何千回と描いてきた構図だから。

 目玉焼きをつくる、くらいの軽いノリで描けちゃう。


 英文を読み解く。

 それを毎日続ける。

 すると体に水が染みるように、すうっと英単語が頭に入っていく。


「この英単語は……」


 アキラから教えてもらったやつ。

 絶対にテストに出るから覚えておけ、と。

 本当にアキラがいった通りだったので、リョウはクスリと笑った。


 コーヒーが空っぽになったので、おかわりを淹れにいった。


 リョウは両親に似てカフェインに強い体質だったりする。

 バカみたいにコーヒーを摂取する日があって、勉強するためにコーヒーを飲んでいるのか、コーヒーを飲むために勉強しているのか、ときどき自分でもわからなくなる。


 コーヒーメーカーが完了のブザー音を鳴らした。

 ポット部分にたまった褐色の液体をマグカップに移す。


 あ〜あ、マンガが描きたいです、氷室さん。

 ここにいない編集者の顔を思い出す。


 マンガ家としての寿命って、だいたい40歳から50歳といわれる。

 リョウの場合、あと30年くらい。


 別に30歳を過ぎてもプロデビューできますよ、出版社は年齢でマンガ家を差別しませんよ、という意見はある意味正しくて、ある意味間違っている。


 デビューするのは早い方がいい。

 プロとして通用する期間が短いから。

 絵のセンスが時代についていけなかったり、キャラクターの性格が古臭くなったり、体力的にボロボロになったり。


 特に厳しいのは少女マンガ。

 一説によると、女性読者の方が精神的な成長スピードが早いから、といわれる。


 50歳といえば、サラリーマンなら一番脂がのっている時期。

 なのに役立たずの烙印らくいんを押されてしまう。

 それがマンガ家という職業なのだ。


 ぽっと出の新人がヒット作を飛ばすのも、この業界の特徴といえる。


 読者は一言でいうと『ヤバい』作品を求めている。

 ヤバいとは、言い換えると、まだ見たことのない新しいセンスの持ち主。


 絵が下手くそ、といわれる作品が大ヒットするのも同じ理由だ。

 ちょっと歳をとった読者だと、知らないセンスの持ち主=絵が下手くそなマンガ家、と考えがち。


 絵の上手い下手は難しい。

 作品に合っているか、の方が重要だから。


 冷蔵庫を開けた。

 ストローで飲むタイプの野菜ジュースが入っている。


 アキラが好きそうだな。

 目を覚ましたらすぐ飲めるよう、枕元に置いてあげることにした。

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