第262話

 こうして病院へやってくるのは1年ぶり。

 リョウの父が緊急入院することになり、不破パパの手術を受けて以来だ。


 エレベーターに乗ったとき、ほんのり消毒液の匂いがした。

 気になるのはレンも同じらしく、小さい鼻をくんくんさせている。


「ついたぜ」


 レン、リョウの順にエレベーターから降りる。

 はじめて訪問する病院のはずなのに、レンは目的地まで最短ルートで進んでいく。


「ちょっと待った、レン先生」

「ん?」


 リョウはトイレの表示を指さした。


「ファンレターの女の子と会う前に、手を洗っておきたい」

「それは悪くないアイディアね」


 いったん別れて30秒後くらいに合流した。

 レンが持っているハンカチの隅っこには『A &R』が刺繍ししゅうされていた。


 まずは患者さんの両親にごあいさつ。


「お忙しい中、娘に会いにきてくださり、本当にありがとうございます」


 どこかの教祖様みたいにあがめられるレン。


 娘は昔からマンガが好きで、特に斬姫サマを愛読しており、毎日のように読んでいる、という話を聞かされたあと、両親の目がリョウの方を向いた。

 たったいま存在に気づいたというように。


「そちらの方は?」

「私のアシスタント兼荷物持ちです。いちおう、マンガ家のはしくれです」


 マンガ家として紹介されたことに安堵あんどしたリョウは、


「無量カナタというペンネームで活動しております」


 そういって頭を下げておいた。


「まあっ、マンガ家の先生がお二人も……。娘に声をかけてきます。少々お待ちください」


 両親は病室へ入っていき、四之宮先生が会いにきてくれたよ、みたいな話をしている。


「ねえ、レン先生、これって本当にサプライズ?」

「1週間くらい前に告知しているに決まっているでしょう」

「そうなんだ。突撃、隣の晩ごはん的に、いきなり押しかけた方が、強烈なカタルシスを演出できそうだけれども」

「これだからデリカシーのない男は……。どうして女心をかいさない人間が、アキちゃんの恋人なのかしら。あ〜、ヤダヤダ〜」


 舌打ちされた。

 兄の次くらいに嫌われたかもしれない。


「どうぞ、お入りください」


 いざ病室へ。


 1人部屋だった。

 壁は優しいベージュ色で、カラフルな切り花が飾ってある。


 棚の上にはフルーツが、棚の中にはマンガが置かれている。

 テレビとゲーム機もあったが、コードがぐるぐる巻になっており、しばらく遊ばれた形跡がない。


 レンがベッドの真横に腰かける。

 リョウは少し離れたところに椅子を置く。


 会話の口火を切ったのは、くだんの女の子だった。


「わあっ! 本当に四之宮先生だ!」

「そうよ。私が本物の四之宮レンよ」

「写真で見るより美人で大人っぽい!」

「そうかしら。だとしたら服装のせいね」


 女の子は入院着ではなく、きれいに着飾って、うっすらとお化粧していた。

 11歳と聞かされていたけれども、中学生くらいに見える。


 近所のショッピングモールにいそうな普通の子。

 だからこそ、病棟という空間では浮いている。


「そちらの方は?」

「私のアシスタントよ」


 リョウは折り目正しく頭を下げておく。


「無量カナタです」

「いいな〜。私も四之宮先生のアシスタントになりたいな〜」


 本心からそういっている風だったので、リョウの良心がチクチクと痛んだ。


 女の子はきれいなロングヘアをしている。

 アキラのウィッグを何回も観察しているリョウは、それが地毛じゃないと理解できる。


 明らかにきれいなのだ。

 すれ違った患者たちと比べて、不自然すぎるくらいの清潔感がある。


 なぜウィッグなのか?

 おそらく放射線治療で髪が抜け落ちたから。


 小児がん。

 それが女の子の病名だろう。


「あなたもマンガを描くの?」


 レンがベッドのかたわらに置かれているお絵描きノートを気にした。


「うん」

「見てもいい?」

「お願いします!」


 自分の作品を見せることに、少女は一瞬もためらわなかった。


「けっこう上手いわね」

「本当⁉︎」

「11歳の私と同じくらい上手い」

「本当の本当に⁉︎」

「四之宮レンは嘘はいわない」


 いやいや、本性は大嘘つきだろうが、とリョウは突っ込みそうになったが、レンの復讐リベンジが怖いので我慢しておく。


「私は12歳から15歳にかけてマンガ家としての基礎を完成させていった。これから4年くらいが、あなたにとって勝負の時期よ」

「こんな私でも、四之宮先生のアシスタントになれる?」

「なれるも何も……」


 レンは女の子の頬っぺたに手を触れる。


「一緒にプロとして活躍できるわ。デビューしたあかつきには、四之宮から一文字、あなたのペンネームに採用すればいい。そのためにも、目の前の手術をちゃんと乗り切らないとね。お姉さんとの約束、いいね?」

「うん! 約束する!」


 2つの小指が指切りを交わした。

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