第249話

「ま〜〜〜〜〜ん!」


 アキラの泣き声がリビングで爆発した。

『あ〜ん!』と『わ〜ん!』の中間の『ま〜ん!』みたいな響きだった。


「パパが僕のことはずかしめやがった〜! これは立派な虐待ぎゃくたいだ〜! もう口を利いてあげない!」


 ボロボロと大粒の涙が落ちてくる。

 ティッシュを箱からむしると、顔面を隠してしまった。


「そうよ、パパ、いくら何でもアッちゃんが可哀想だわ!」


 そこに不破ママも加勢する。


「だいたい、ユキは子どもを甘やかしすぎなんだ」

「甘やかしていないわよ! これも教育よ! アッちゃんが独り立ちできるよう、ときどき手を貸しているだけよ!」

「一緒にお風呂入ったり、一緒に寝たりするのも、教育なのか? もう18歳なんだ。うちの医局で確認してみたが、母娘でそんなことやっている家庭はなかったぞ。娘のことを友人かペットと思っているのではないか?」

「あ〜! あ〜! あ〜! い〜けないんだ〜! い〜けないんだ〜! そうやって他所よその家庭と比べるの〜! そういう教育が子どもの自尊心を踏みつけにするんだ〜!」


 不破ママもおかんむりに。


「もうパパと口を利かない!」


 やべぇ……。

 リョウが原因となり、家庭内トラブルに発展してしまった。


 アキラのシクシク声がお通夜みたいに流れる。

 それを破ったのは、携帯の着信音だった。


「はい、不破です」


 相手は病院らしい。

 不破パパの顔つきが一瞬にして険しくなる。


「わかった。すぐに向かう」


 電話を切ると、


「オペを控えている患者の容体が急変した。今夜は病院で泊まることになると思う」


 そういって身支度に取りかかった。


「あ〜! パパはそうやっていつも逃げる!」

「逃げてはいない。この話はまた今度だ」

「今度っていつなのよ⁉︎」

「今度は今度だ」


 びゅ〜ん!

 つむじ風のように去ってしまった。


 リョウ、アキラ、不破ママだけ残された家は、しんみりムードになる。


 どうしよう……。

 謝罪した方がいいのかな。


「ほらほら、アッちゃん、もう泣かなくていいのよ」

「まんまんまんま〜〜〜ん!」

「あら、この子」


 不破ママがクスリと笑った。


「嘘泣きだわ。ママもだまされたわ」


 アキラはケロッとした表情を見せると、


「くそっ……泣いて損しちゃった」


 使い終わったティッシュを野球ボールみたいに丸めている。


 びっくりした。

 すごい量の涙だった。


「パパにあそこまで反対されるとは思わなかった」

「まあまあ、また来週に話せばいいわ」

「くぅ〜。それまで絶交だ〜」

「絶交だ〜」


 ちろりん♪ と不破ママの携帯が鳴る。

 不破パパからのメッセージで、


『さっきは俺が悪かった。アキラのことを任せられるのはこの世にユキしかいない。愛している』


 という文言が並んでいた。


「まあ、パパったら。本当はママのこと好きなのね」


 頬っぺたに手を添えてうっとり。


「ちょっとママ⁉︎ 絶交するって約束は⁉︎」

「え〜。どうしよっかな〜」

「にゃにゃにゃ⁉︎ 裏切ったな⁉︎ つ〜か、あいつ、なんで僕には何もメッセージを寄こさないんだ⁉︎ にゃ〜ん!」


 ケンカするほど仲がいい、を体現したような不破家であった。


 ……。

 …………。


 それから1週間後。

 リョウは不破家にお邪魔していた。


 結論からいうと同棲をOKしてもらえた。

 ただし、条件を3つ出された。


 まず、リョウとアキラが同じ大学へいくこと。

 一個の家から別々のキャンパスへ通う、というのは認めない。


 次に、リョウはマンガを、アキラは演劇を続けること。

 卒業までの4年間に何かしらの結果を残しなさい、と。


 最後に、家賃と光熱費は、宗像家と不破家できれいに折半せっぱんすること。

 その他の生活費や交遊費については口出ししない。


「パパ〜! 大好き〜!」


 この手のひら返しである。

 アキラの才能かもしれない。


「1個だけ宗像くんに忠告しておくが……」


 アキラと結婚したら苦労するぞ。

 誰と結婚しても苦労するが、たくさん苦労するぞ。


「それでもいいのか?」


 望むところです、とリョウは返しておいた。

 滅多に笑わない不破パパが小さく笑った。


「アキラと仲良くしてくれて、ありがとう。これからも、仲良くしてくれると嬉しい」


 リョウは迷うことなく、はい、と答えておいた。

 そんな7月のワンシーンだった。

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