第218話

 目の前の少女を小説風に書いてみたらどうなるか。

 待ち時間のあいだ、リョウは己の文才を総動員してみた。


 ……。

 …………。


『私の名前は四之宮レン(本名:十束レン)。

 誰もが認める天才美少女マンガ家だ。


 父のペンネームは獅子豪ししごうトラ。

 母のペンネームは各務原かがみはらマヒル。


 高額納税者番付が公開されていた頃は、どちらもマンガ家部門で上位にランクインしていた、いわゆる国民的マンガ家である。


(番付の公表は2006年にストップ)


 そんな両親の血を色濃く受け継いだ私が、売れっ子マンガ家の仲間入りを果たすのは、熟れたリンゴが落下するくらい当然のことだった。


 こんな私にも悩みはある。

 小学6年生のときのクラスメイト、不破アキラ(愛称:アキちゃん)に大恋慕しているのだ。


 私は女の子。

 アキちゃんも女の子。

 どうして神様は性別のコイントスで意地悪したのだろうか。


 これじゃ、2人は結婚できない。

 法律は許してくれても、アキちゃんの両親がきっと許さない。


(もちろん、私は両親を刺してでも駆け落ちする所存しょぞんである)


 マンガ界のヴィクトリア女王、あるいはジャンヌ・ダルクと呼んでも差しさわりのない私であるが、どういう因果か、春休みの昼下がり、新人へっぽこマンガ家のネーム原稿に目を通していた。


『俺にアドバイスをください』


 泣いてお願いされようが、土下座してお願いされようが、私は断っただろう。

 事実、私にはその権利がある。


 この男……。

 宗像リョウ……。

 無量カナタとかいう、本名のアナグラムをペンネームに採用する陳腐ちんぷすぎるセンスの持ち主。

 アキちゃんの恋人でないなら、歯牙にもかけない男なのに。


 私は知っている。


 この男、アキちゃんの秘密を利用したのだ。

 学校で男装しているという、アキちゃんの弱みを握って、なし崩し的に交際を迫ったに違いない。


 まったく。

 何という卑劣漢。

 絶対に許すまじ。


 でも、焦る必要はない。

 不釣り合いな関係というのは、すべて破綻する運命にある。

 それまでこの男に預けておいて、アキちゃんが傷心している隙に、私が優しく抱いてあげよう。

 

 待っていてね、アキちゃん。

 ハッピーエンドは裏切らないから。』


 …………。

 ……。


 リョウの左手にチクッと痛みが走った。


「ちょっと、カナタ先生、聞いていますか?」


 レンがペンの先端でツンツンしてくる。


 ここは出版社近くの喫茶店。

 リョウとレンのあいだには、よく冷えたアイスコーヒーが2つ、双子のように並んでいる。


「すみません、ストーリーを練っていました」

「まったく失礼な人ですね」

「読んでみますか? マンガじゃなくて小説ですけれども」

「へぇ〜、私が主人公じゃないですか。カナタ先生、控えめにいってド変態ですね」


 リョウが思いついた即興の小説を、レンはいたく気に入ってくれた。


「なんですか。誰もが認める天才美少女マンガ家って……あっはっは!」


 腹をよじって笑っている。

 すべてに目を通したあと、


「ハッピーエンドは裏切らない、のフレーズはいいね」


 と褒めてもらった。


「17歳にしては、ユーモラスで味のある文章じゃないかな。カナタ先生は、マンガ家になるより、小説家を目指すべきでは?」

「いえ、マンガ家になりたいです」


 前置きはここまでにして、レンからのフィードバック。


「まず全体的に陳腐です。ストーリーも、キャラクターも、オチも陳腐すぎます」

「はぁ……陳腐ですか?」

「ええ、とっても」


 レンはネームノートを突き返してきた。


「別の言葉で表現するなら、すでに一度、どこかで読んだことのある話」

「まあ、でしょうね」


 ありきたりなテーマだしな。


「私が思うに、カナタ先生には、奇抜なテーマが似合わない」

「かもしれません。それと似たこと、氷室さんにもいわれました」

「つまりね、陳腐なら陳腐なりに、陳腐を極めたらいい」

「陳腐を……極める?」

「カナタ先生に一番必要なのは、開き直りだと思うの」


 その発想はなかったな。

 リョウは思ったままを口にする。


「ここのアイスコーヒーもそう。あそこのピザ屋も、アパレル店も、走っている軽トラックも、建設中のマンションも……。全部が全部、陳腐じゃないかな」

「そうかもしれません」


 つまり、この世の大半は陳腐で構成されている。


「だったら、とことん陳腐なのを突き詰めればいいのでは? それが私からの一番のアドバイスです。カナタ先生は、自分の描きたいものを描くというより、自分の読みたいものを描くべきマンガ家です。そっちの方が、マンガ家として長生きできるのではないでしょうか」


 お会計の伝票をとろうとしたら、レンにさっと奪われた。


「ここは先輩が持ちます。マンガ家としての先輩がね」


 ニタニタニタ。

 勝ち誇ったように笑っている。


「いえ、授業料代わりに俺が払います。お時間をもらいましたし」


 リーチの長さを活かして、伝票を奪い返しておいた。


「へぇ〜。カナタ先生は意外に頑固なんだね」

「四之宮先生ほどじゃないですが」

「おやおや」


 喫茶店の表にワゴン車が止まっていた。

 アシスタントさんが運転する車に乗り込んだレンは、わざわざ窓を開けて、


「ごきげんよう、さようなら」


 お姫様みたいに手を振った。

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