第216話

『いいね?』

『わかるかな?』


 レンの口癖を2つ覚えてしまった。

 どうしてリョウがこれを意識したかというと、マンガのキャラクターを設計するとき、口癖もポイントの一つに数えられるからだ。


 レンって、マンガのキャラクターみたいだな。


 エッジの効いた性格をしている。

 常識の一部が抜け落ちている。


「どうしたの、カナタ先生」

「あ、氷室さん」


 リョウは空想を振り払うと、カバンからノートを取り出して、どうぞ、と氷室さんの前に置いた。


「さっき、四之宮先生と会話したのです」

「へぇ〜、めずらしいね」

「たしかに、俺が交流を持っているのは、折田くらいですから」

「いやいや、そっちじゃなくて四之宮先生の方。あまり他人と話さないから」


 氷室さんが視線を向けた方から、竜崎さんの笑い声が響いてくる。


「知っていると思うけれども、四之宮先生、極度の引っ込み思案でさ。カナタ先生と話したということは、ちゃんと信頼されている証拠じゃないかな」

「だと嬉しいのですが……」


 前置きはここまでにして、ネームをチェックしてもらった。


 まず一言。

 全体としては上手に整理されている、と評価してもらった。


「このネタ、いいね。ヒロインが猫の真似するやつ」

「ああ、氷室さんもそう思いますか?」

無垢むくっぽくてかわいいよ」


 待てよ。

 これ、アキラのパクリだからな。


 そのパクリネタが一等賞なのか。

 リョウが必死で考えてきた、その他諸々よりも上なのか。


 ぐはっ……。

 なんか自信なくなる。


「どうしたの?」

「いや、何でもないです」


 こっから先はダメ出しタイム。

 褒められた5倍くらい指摘をもらう。


「まずね、流れがきれいすぎるんだよ」

「はぁ、きれいですか?」

「押して、引いて、押して、引いて……そういう駆け引きがほしい。川の流れだって、緩急があるだろう。これじゃ、用水路をじゃ〜じゃ〜流れる水だよ。予定調和というより、扁平へんぺい、フラット、淡々としすぎ。都合のいい女の子と、かわいい女の子は、ちょっと違うよね、みたいな」

「あ〜、なるほど」


 いや、わからん。

 言葉の意味は理解できるが、どこを直したらいいのか不明すぎる。


「たとえば、こことか」

「そこですか?」


 主人公と義妹がテレビゲームのことで喧嘩して、


『もう一生口を利かない!』


 と言い出すシーン。

 2人とも先に声をかけた方が負けだと思っている。


「カナタ先生の案だと、義妹がしびれを切らす、みたいな流れになっているが……」

「ダメですか? ジレジレする姿を眺めて楽しむのが、王道っぽくていいと思いました」

「なんか予想外がほしい」

「たとえば?」

「小さい地震が起きるとか。そんで、仲直りするときは一瞬とか。あれ? 何のことで喧嘩したんだっけ? みたいな」


 ああ……。

 ヒロインは地震が苦手、という設定を足しておくのね。


「もう少しテンポを上げよう。短編なんだから。その場凌ぎの設定なんて、ドンドン利用すればいいんだよ」


 その発想はなかった。

 氷室さん、やっぱりアイディアが豊富だな。


「建物が地震で揺れるシーン、描いたことある?」

「いや、ないです」

「じゃあ、練習だね。たくさんの先生を参考にしてみて。いつか絶対に役立つ時がくるから」


 リョウは記憶の糸をたどってみた。

 学校だったらヒロインが抱きついてくるよな。


『リョウくん! 地震だぁ!』


 アキラが怯えるシーンを想像して、悪くないかも、とリョウは思った。


「あと、違和感があるとこを挙げていくとね……」


 チクチク……ネチネチネチ……。

 1箇所指摘されるたびに、心のダメージが蓄積していく。

 全部が終わるころには、俺ってマンガを描くのが下手なんだな〜、と当たり前のことに気づかされた。


「今日は以上かな。次はいつにする?」

「じゃあ、1週間後の同じ時間帯でいいですか?」

「わかった。5日後のこの時間帯ね」


 あれ? 聞き違いかな?


「いえ、1週間後で……」

「5日後ね」

「……はい」


 リョウは渋々スマホのアプリに予定を加えておいた。


 5日後か。

 不可能ではない、けれども、しんどい。

 リョウのギリギリを見極めるの、氷室さんは上手かもしれない。


「今日もお時間をいただき、ありがとうございました」


 マンガ編集部のドアを閉めてから、はぁ、とため息をつく。

 帰りのエレベーターに乗ったとき、タタタッと足音が迫ってきて、するりと身を滑り込ませてきた。


「こんなところで会うなんて奇遇ですね」


 子鹿みたいなレンの瞳がこっちを見上げていた。

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