第195話

「ほら、電車とホームの隙間に落っこちるなよ」

「むぅ〜、バカにしやがって」


 アキラが、ぴょん、とジャンプする。

 リョウたちは手を結んだまま、空いている座席に腰かけた。


 劇団まで、およそ1時間の距離。

 これからアキラが面接を受けるのだ。


 昨夜、リョウもネットで調べてみて、

『レッスン生は、たぶん、誰でもなれるやつです』

『有名な劇団だったら、話は別でしょうが……』

 という情報はチェックしておいた。


 受かると信じたい。

 もし、1年間の足踏みとなったら、ダメージが大きすぎる。


「緊張しているのか?」

「うむ、少しは」


 声が震えている。


「落ちたらトオルさんに笑われるな」

「ぐっ……あいつには負けたくないのだよ」


 アキラの習性だな。

 兄の名前が出たとたん、血圧が上昇しちゃうの。


「わからねえな。どうして兄貴にライバル心を燃やすんだよ?」

「トオルくんは昔から何でも完ぺきにこなすから。だから、負けたくない」

「それ、矛盾しているぞ。完ぺき人間には逆立ちしても勝てないだろう」

「そうじゃなくて……いや、そうなのだけれども……」

「ああ、挑むことをやめたら、真に敗北するってやつね」

「そうそう。逃げそうな自分との戦い」


 電車が混んできたので、子どもを連れたお母さんに席をゆずっておいた。


「あ、レンちゃんから応援メッセージがきた」


 アキラの携帯をのぞくと、


『アキちゃん、面接ふぁいと』


 一行だけ届いている。

 絵文字やスタンプを利用しないところがレンらしい。


『うん、がんばる』

『結果はすぐに分かるから』

『終わったらレンちゃんに報告するね』


 アキラからも送信。


『もし落ちたら結婚しよう』

『私が一生アキちゃんを養うよ』


 おい、重いな。


『ありがとう』

『でっかいお庭と書斎、あとニャンコを10匹くらいお願いします(切実)』


 しかも、結婚するんかい!


『任せて』

『面接の結果がどっちに転んでも幸せだね』


 ぽわぽわぽわ〜。

 楽しそうなアキラの脇腹を突く。


「おい、まだ勝負が始まっていないのに、満足してんじゃねえよ」

「くっ……いけない、ニャンコに囲まれた暮らしを夢想するところだった」

「まったく」


 目的の駅に到着した。

 劇団はここから歩いて5分くらい。


「うぅ、なんか緊張してきた」

「おいおい……」

「面接でさ、どうしてブランクが2年間もあるのですか? 本当は好きじゃないでしょう? みたいな質問をされたら泣くかも」


 アキラのひざが生まれたての小鹿みたいに揺れている。


「ちょっと休んでいこうぜ。ほら、お茶」


 春風の中にぽつんとベンチが置かれてあった。

 すでに花粉が飛んでいるらしく、向かいのホームのサラリーマンがくしゃみを連発している。


「昨夜、ものすごくハッピーな夢を見たのだが……」

「なにそれ⁉︎ 気になる⁉︎」

「アキラが出てきた夢だ。知りたい?」

「うんうん!」


 リョウはマンガのストーリーを考えていた。

 40Pくらいの短編作品で、編集の氷室さんから、


『お色気成分が強いやつを頼むよ』

『ありがちなネタでいいからさ』


 と注文をつけられていた。


「そこで俺はヒロインの全裸を描くことにした。ラブコメでよくある、お風呂上がりにバスタオルがはだけちゃった、みたいな展開だ」


 マンガが掲載されるのは青年誌。

 だから、乳首までは描いてもOK。


「しかし、うまく描けない。首から上はイメージ通りに描けても、そこから下、具体的には、胸、腰、尻がうまく描けない。その原因はイマジネーションの不足にあると、夢の中の俺は気づいた」


 よしっ!

 ネットで参考資料を集めよう!

 そう思って家のパソコンを立ち上げたら、横からアキラの手が伸びてきて、


「何やってるの、リョウくん? 参考資料なら、君のすぐ横にあるだろう」


 着ていたセーターの胸元をぐい〜っと引っ張った。


「……という夢だった。しかし、夢はいつも良いシーンで終わるよな。残念ながら、そこから続きは想像するしかない」

「なっ……なっ……なんてハレンチな⁉︎」

「でも、真実だ」


 ぷしゅ〜。

 アキラは湯気が出そうなくらい赤面する。


 まったく。

 初心うぶなやつめ。


「一度でいいから、いってほしいよな。かわいい女の子が、参考資料なら君のすぐ横にあるだろう、だってさ」

「いうか! アホか! もはや思想犯だぞ!」

「四之宮先生の結婚話は受けるのに、俺の妄想には冷たいな」

「あっちは明らかに冗談だろう! リョウくんがいうと冗談に聞こえないんだよ!」

「ふ〜ん」


 リョウは空になったペットボトルをゴミ箱に突っ込んだ。


「そんだけ大きな声が出せるなら、面接は大丈夫そうだな」

「まさか、僕をリラックスさせるために、つくり話を?」

「いや、夢を見たのは本当」

「うっ……」


 怒っても、照れても、かわいいな。

 もしアキラが面接で落とされたら、向こうの目は節穴といえる。

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