第102話

 都会の景色をぼんやり眺めていると、ふと、小学生だったときの記憶がよみがえってくる。


 夏休みのマンガ教室。

 母親に手を引かれていった。


 キッカケは何だっけ?

 そうだ、小学生向けの月刊マンガを読みながら、母親に、


『マンガってどうやったら描けるの〜?』


 と質問したのがスタートだ。

 うちの母親はけっこう無邪気だから、


『紙とペンがあったら描けるわよ〜』


 といって一緒に4コママンガを描いてくれた。


 その時、思いついた話が中々にユニークで、筆が止まらなくなり、あっさり自由帳一冊を描き尽くしてしまった。

 キャラクターは、当時小学生のあいだで大流行していたゲームから借りた。


 これは先生に見せた方がいいかも。

 そう考えた母親がアレコレと調べて、子どもマンガ教室に申し込んでくれたのである。


 マンガ教室には30人くらいいた。

 半分以上、6割か7割は女の子だったので、驚いた記憶がある。


 男の子はゲームとかスポーツが好きで、女の子は絵とか読書が好きだから、自然、マンガ家志望も女の子に偏る、ということを、小学生のリョウは理解していなかったのである。


 場違いなところにきて恥ずかしいな。

 そう思って心がしぼんでいたのも、冒頭の10分くらいだった。


 絵を描くのが好き。

 そんな同族ばかり集まっている。

 学校のクラスとは違った特別感があって、週に2回のマンガ教室がその夏一番の楽しみとなった。


 先生の顔は、残念ながら、ほとんど覚えていない。

 もらったテキストは100回くらい読み返したから、まあまあ記憶している。


 小学生は純粋だから、自分の絵は下手だとか、隣の子の方が上手いとか、マンガ家志望の99%が抱えているモヤモヤで悩む子はいなかった。


 クジャクと一緒。

 どのクジャクも自分の羽が世界一だと死ぬまで信じている。

 信じるってことは、シンプルかつ大変なのだ。


 子どもマンガ教室には、翌夏も、その翌夏も通った。

 リョウと同じような考えの小学生は何人かいて、あいつ、去年より上手くなっているな、と人生初のライバル心を燃やした。


 約1名。

 リョウに突っかかってくる男子がいた。


 名前は……。

 いや、長くなるから、またの機会にしよう。


 俺は絶対プロになる! とか叫んでいて、とにかく目立つことが大好きな熱血ヤローだったことは覚えている。


「というのが、俺がマンガを描きはじめたキッカケかな」

「冷泉シキ先生は関係ないじゃん!」

「あの先生はプロを目指そうと思ったキッカケだから。もっと後になって登場してくる」

「むむむ……」


 電車がホームに着いたので、アキラの手を握った。


「隙間に落っこちるなよ」

「バカにしやがって」


 ぴょん、と着地。

 東京ドームがでで〜んと建っているけれども、目的地はその近くのホテル。


「まだ開場まで時間があるな」


 というわけで、コンビニのカフェテリアに寄った。

 リョウはアイスカフェラテを、アキラはホットコーヒーを飲みながら、まったりと雑談する。


「良いマンガって何かな、みたいなことを数年前から考えてきたのだけれども……」

「え〜と、売れるマンガ=良いマンガ、以外の評価軸があるのか、ないのか、みたいな話?」

「そうそう」


 自分もマンガを描いてみよっか。

 そう思わせてくれるマンガは良いマンガだと、リョウは考えている。


「なるほど、たしかに良い小説を読んだら小説を書きたくなるし、良い詩に触れたら詩を考えたくなるね」

「読者に行動を起こさせる。俺にとって、それは冷泉シキ先生だったわけだ」


 どの分野にも格好いい大人はいる。

 文芸に限らず、スポーツやミュージシャンやタレントの世界も、似た感じではないだろうか。


「リョウくんみたいなマンガ家志望の人、今日はたくさん集まるかな?」

「まあ、一定数はいるだろうな」

「四之宮レンは?」

「あの人はプロだからこない。きっと自宅でマンガを描いてる」

「むぅ」


 ドリンクを飲み干してホテルへ向かう。

 2階のところに受付があり、チケットと引き換えに、緑色のストラップがついた入場証をもらった。


「一般の人は赤色のストラップだね」

「俺たち、明らかに浮いてるな」


 男女比は、男性4に対して女性6。

 20代が多く、その次に30代、40代という感じ。

 連載スタートからファンだった人たちかな。


 通路のところでトークショーのポスターを見つけた。


「もしかして、この人が冷泉シキ先生?」

「なんだよ、一度も顔を見たことがないのかよ」

「あの人に似ている……昔ながらの格闘ゲームに出てくる外国人で、髪を三つ編みにしていて、上半身は裸で、仮面と鉤爪かぎづめを装備していて、『ヒョー!』『ヒャオ!』と叫びながら空中をピョンピョンする人」

「おい……」


 HPが減ってきたら仮面と鉤爪が外れる人か。


「素直に美形といえ。にしても、よく格闘ゲームのキャラを知っているな」

「昔にトオルくんが遊んでいたから」


 たしかに、冷泉シキといったら長髪がトレードマーク。

 貴族みたいな優男やさおとこだから、独特のオーラに惹かれる女性ファンは少なくない。


「この人、全盲なんだよね」

「まあな」

「どうやってインプットするんだろう」

「これから始まるトークショーを聞けばわかるさ」


 ポスターの前で記念撮影しておいた。


 奇跡だな。

 マンガを好きになって、アキラと出会って、こうしてトークショーに参加して。

 きっと、リョウは奇跡の上に立っている。


「いよいよだね」

「おう」


 スタッフの男性がマイクのスイッチを入れて、


「あと5分でゲストの方々が入場されます。お手洗いがまだの方はお済ませください」


 とアナウンスした。

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