第88話

 そして翌朝。

 リョウはそ〜っと郵便受けをのぞいた。


 腐りかけの生卵はなし。

 ひと安心しつつも、毎日チェックするのかと思うと、面倒くさすぎてアホらしくなる。


「何をやってんだ、俺は……青春のムダ遣いじゃねえか」


 気を取り直して、友人を迎えにいった。

 アキラは携帯を片手にニヤニヤしており、リョウの接近に気づくと、爽やかなスマイルを浮かべる。


「おはよう」

「おう、おはよう。今日は元気そうだな」

「お陰さまでね」


 アキラが観ていたのは動物のおもしろ動画。

『絶対に怒らない母猫 vs 絶対に怒らせる仔猫 Part3』だってさ。


 もうねぇ。

 タイトルを目にした瞬間、反射的に再生しちゃうやつだな。


「リョウくんも観てみる?」

「電車の中でな」


 リョウはあくびを一つもらす。


「眠いの?」

「ちょっとな」

「ごめん、なんか僕が邪魔したみたいで」

「別にアキラのせいじゃないよ」


 サラサラの髪の毛をくしゃくしゃする。


「あぅあぅ」

「でも、アキラが女の子の姿なら、埋め合わせがほしいかも」

「ちょっと、リョウくん、恥ずかしいことはいわないでよ」

「アキラの髪の毛、お花畑みたいな匂いがするし」

「バカちん!」


 今日もかわいい。

 文句をいいつつ許してくれるところとか。


 満員電車に揺られながら学校へ向かう。


「今日は人が多いね」

「小学生や中学生も夏休みが終わったからな」


 うはっ⁉︎

 アキラが小さい悲鳴をあげた。


「どうした?」

「刺さってる……」

「はぁ?」

「僕のお尻に」

「おいおい、マジかよ」

「この感触、たぶん小学生のリコーダー」


 本当だ!

 小学生の3人組が登校中なのだけれども、手提げ袋から飛び出しているリコーダー袋の先端が、アキラの制服のスラックスに食い込んでいる!


 なんて絶妙な角度。

 けしからんリコーダーめ。


「こそばゆい……」


 電車が揺れるたび、アキラは病人みたいに赤面しまくり。


「次の駅まで我慢できるか?」

「恥ずかしすぎて死ぬ」

「だよな……」


 指先でちょんちょんして、リコーダーを外してあげた。


 アキラが、にゃんっ! と悲鳴をあげる。

 背徳感のあまり背筋がゾクリ。


「さっきのアキラの顔、死ぬほどエロかった。ご飯3杯はイケるってやつだ」

「バ……バカちん……僕は男の子だぞ……エロいわけがない」

「アキラみたいな愛らしい男の子、いてたまるかよ」

「くぅぅぅぅ〜」


 ハムスターみたいなむくれ顔もキュート。

 きっと今日の運勢占いは1位だな。


「リョウくん、僕を茶化して遊ぶのは、ギリギリ許容してあげるけれども、学校には盆場チエルがいるってことを忘れないでよね」

「わかってる。油断はしない。アキラの純潔は俺が守る」

「もう……お調子者なんだから」


 でも、安心したな。

 アキラが元気そうで。


「おっ?」


 キョウカからメールが来た。

 しかも、PDFファイル付き。


「これは、まさか……」

「いよいよ、バクダン女の掃討作戦ってやつか」


 リョウとアキラの役割についても記載されている。


 チエルとヨコヅナを分断する方法とか。

 そのために必要なアイテムとか。

 有益な情報がびっしり。


「これを頭に入れておけと」

「リョウくん、ちゃんと暗記できる?」

「任せとけ。学校の勉強と違って、こういうのは得意だ。ゲーム感覚だからな」

「まったく……」


 ここの一行を読んでみろよ。

 リョウはそういって画面を指さした。


『理事長と不破アキラが愛人関係にあると、盆場チエルは信じ切っています』


 うはっ⁉︎

 アキラが目を丸くする。


「良かったな。トップシークレットがバレたわけではなさそうだ」

「愛人って……それはそれで大問題だけどね」


 なぜチエルがアキラに固執するのか。

 その背景がやっと見えてきた。


 理事長の弱味を探っている。

 ここまでは、昨日、キョウカから教えてもらった通り。


 でも、不破アキラ=女の子、は関係なかった。

 むしろ真逆。


 アキラが美男子だから、トモエ理事長が気に入って、あれこれ贔屓ひいきしていると信じているわけか。


 たしかに、アキラは特別な生徒。

 トモエ理事長が一番目をかけている。

 でも、それは中身が女の子だから。


 どうしてチエルは勘違いを?


 たとえば、始業式の日の壁ドン。

 翌日には全校で話題になっていた。

 やっぱり理事長はアキラがお気に入り、お似合いの年の差カップル、みたいな。


 てっきり、警告のための壁ドンかと思ったが……。


 そっか。

 生徒のあいだで噂になり、チエルを誤解させるための壁ドンだったのか。


「なんて言うんだっけ? こういうの……」

「敵をあざむくにはまず味方から、てやつかな」

「そう、それ! アキラって、俺の考えていることを、よく言葉にできるよな」

「リョウくんとはもう一年以上の付き合いだぞ。以心伝心が一方通行とは、本当に悲しいな」

「えぇ……それはゴメン」


 アキラがいじけたので、リョウはぺこぺこと謝る。


「にしても、トモエ理事長、策士だぜ」

伊達だてにトップに君臨しているわけじゃない、てことだよ」


 作戦の青写真は完ぺき。

 あとは忠実にミッションをこなすだけ。


 でも、不安はある。


 手元の計画によると、アキラの役割がけっこう大きい。

 そのことをリョウが指摘すると、


「任せとけ。僕だって、俳優の子であり、俳優の兄妹なんだ。人を欺くのが得意な血は流れている」


 自信ありげにふふっと笑った。


「でも、理事長の愛人候補だぞ。純潔もクソもない」

「非現実的なくらいが燃えるってやつさ」


 さすがアキラ。

 演技の話になると目の色が変わる。


 電車が駅についた。

 抜けるような青空がまぶしい。


 涼しい風。

 たくさんの笑い声。


 何かが変わりそうな予感がする、と表現するのは、いささか陳腐ちんぷだろうか。


「お尻にリコーダーが刺さったときは、どうなることかと思ったけれども、いまのアキラは名優のオーラが出ている」

「くっ……その記憶は消しなさい」

「でも、アキラ史上、一二を争う愛くるしさだった。にゃん、の鳴き声とかね。あんな奇跡、二度と起きないだろう」

「バカちん! あんな大事故、二度も起こってたまるか!」


 コツコツ脇腹を小突かれながら、リョウは駅のホームを後にした。

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