第六章 二学期(一)

第80話

 翌朝。

 重そうな紙袋を提げたアキラがマンションから出てきた。


 今日から男装モード。

 前髪がちょっと短くなっている。


「ごめん、リョウくん、これを運ぶの、手伝ってほしいのだけれども」


 中に入っているのは大量のハンドクリームだ。

 リョウは全部を持ってあげた。


「何につかうんだよ、これ?」

「誕生日プレゼントだよ」

「ああ……」


 およそ3ヶ月前。

 アキラの誕生日が近づいたとき、


『不破くんにプレゼントを贈ろうと考えている生徒へ』


 というプリントが学校の掲示板に貼られていた。


(1)500円分の図書カードにすること

(2)氏名・学年・クラス・生年月日のメモを同封すること

(3)上記を守らぬ生徒を発見した場合、不破くんとの一切の接触を禁ず


 ルールを決めたのは生徒会長。

 アキラの人気を心配して、一計を案じてくれたのである。


 大袈裟おおげさすぎるだろう。

 一生徒のバースデーだぞ。

 校内イベントみたいに扱いやがって、と内心笑っていたのだが。


 その結果……。


 いや、詳しい話は割愛かつあいしよう。

 大量のハンドクリームが、アキラのモテモテっぷりを物語っている。


「誕生日プレゼントには誕生日プレゼントで返してあげる。これ、基本だから」

「いいんじゃねえか。向こうはアキラと話したくてプレゼントしてきたわけだし」

「あのね……」


 アキラの手元には女子のリストがある。

 夏休みのあいだに誕生日を迎えた子たち。


「どうすんの? 三年から一年までの校舎をウロウロするの?」

「仕方ない。プレゼントは手渡しが基本だ」

律儀りちぎだな」


 ハンドクリームの代金はアキラの親が出してくれた。

 でなけりゃ、破産していたらしい。


「イケメン税?」

「奉仕のチャンスだよ」


 教室に入るまでに、4人の女の子にハンドクリームを渡す。

 学園一のイケメンに声をかけられて、みんな嬉しそう。


「顔と名前を記憶しているのか?」

「当たり前だ。女子の名前を呼び間違えるとか、あってはならない」

「さすが王子様」


 クラスの中で2人。

 隣のクラスへ移動して2人。

 そこで朝の予鈴が鳴ってしまった。


遅々ちちとして進まねえな」

「続きは休み時間と放課後に配ろう」


 リストにチェック印をつける。


 そして始業式。

 すべての生徒が体育館にそろったとき、静粛せいしゅくに! という生徒指導の声が響いて、ヒソヒソ話がピタリとやんだ。


 ステージ脇のドアから金髪の女性が入ってくる。

 不良とかヤンキー先生ではない。


 むしろ真逆。

 この学園における最強のインテリジェンス。


 倉橋トモエ理事長。

 30代の半ばという若さながら、名実ともに学園のトップとして君臨している、カリスマ眼鏡美女だ。


 ステージ上に立ったトモエは、人形みたいな小顔に薄っすらと笑みを浮かべて、マイクのスイッチをONにした。


「みなさん、おはようございます。理事長の倉橋です」


 季節のあいさつに続いて、受験勉強をがんばっている3年生へ労いの言葉がかけられる。


「突然ですが……」


 真の学問とは何なのか?

 大人から教わったことはあるでしょうか?


 考える時間が10秒与えられた。


「福沢諭吉先生もおっしゃったように……」


 明治日本における大大大ベストセラー本。

『学問のすゝめ』が引き合いに出される。


 どう生きるべきか学ぶ。

 これを真の学問というらしい。


「受験に向けて努力している3年生の中には……」


 この苦労が将来、何の役に立つのか疑問に思う人もいるでしょう。

 その瞬間から学問はスタートしているのであり……。


 キョウカの様子をうかがった。

 あくびをかみ殺しながら、叔母の話を聞き流している。


 目元。

 ちょっと赤い。


 そっか。

 勝手に家を抜け出して、テーマパークへ出かけたから、昨夜は親とケンカしたんだな。


 かわいそうに。

 鳥かごのジュリエットみたい。


「倉橋理事長、ありがとうございます」


 余計なことを考えているうちに、始業式は終わってしまった。


 そして放課後。

 ハンドクリームを手にしたアキラがキョウカの席へ向かう。


「はい、これ、神楽坂さんへプレゼント」

「え、でも私の誕生日、夏休みじゃないわよ」

「いいの、いいの、日頃のお礼」


 キョウカは目元をゴシゴシする。


「ありがとう、不破キュン」

「目元がちょっと赤いよね。昨夜、泣いちゃった?」

「わかるの? なんか恥ずかしいなぁ〜」

「僕もあるから」


 日中、とても嬉しいことがあった日。

 その反動で夜中に泣いちゃうことがあるよね、と。


「そうなのよ〜! 昨日の出会いが奇跡すぎて!」


 なんだよ⁉︎

 トオル様かよ⁉︎

 親とケンカしたのかと思ったから、心配して損しちゃった。


「不破キュンはこの後もプレゼント配り?」

「うん、まだ3割しか達成していない」

「モテ男は大変だね〜」


 教室を出ようとしたとき、キョウカに呼び止められる。


「おい、宗像、噂になってるぞ」

「どうせ、レンタル彼女で散財しているとかいう、しょ〜もない話だろう」

「それもあるけど、そっちじゃない。プリンス様の番犬だってさ」

「はぁ⁉︎ 俺が番犬だと⁉︎」

「今朝だって、不破キュンの荷物、持ってあげていたでしょう」

「だからって番犬はないだろう」

「宗像は無愛想な顔をしているから、一年の女子からすると、怖くて近づきにくいんだよ」


 番犬ムナカタね。

 名犬ラッシーみたいな呼び方だな。


「僕はリョウくんのこと、番犬だなんて思っていないよ」

「いや、番犬でいいよ。実際、狛犬こまいぬみたいな顔だし」

「なにそれ。強そう」


 アキラがほがらかに笑う。


 一年生の校舎へやってきた。

 まだ残っている生徒にプレゼントを渡していく。


「遅くなったけれども、お誕生日おめでとう。これ、ささやかなプレゼント」

「とても嬉しいです!」


 ちなみに、相手が3年生の場合、受験勉強がんばってください、と一声添える。


「不破先輩はどんな夏休みでしたか?」

「この17年で一番エンジョイできた夏休みだったよ」

「うわぁ、いいな。羨ましいです」


 なるほど。

 一見するとハンドクリームの贈り物。


 しかし、アキラが本当にプレゼントしているのは、笑顔と、トキメキと、幸先のいい二学期のスタートなのだ。


 ふむふむ。

 マンガの参考になるかも。


 そんなことを考えながら、番犬は番犬らしく、ちょっと離れた位置で待機しておく。

 怖がられるのは勘弁だしね。


「今日はこんなものかな」


 そういってリストを折り畳んだとき、背後から靴の音が迫ってきた。


「待ちなさい。あなた達、2年生の生徒ですよね。1年生の校舎で何をやっているのです」


 この冷たい声。

 リョウたちが振り向くと、そこに立っていたのは……。

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