第三章 夏休み(前)

第34話

 ドキドキ、わくわく。

 知らない土地へ出かけるのは、いつだって楽しいものだ。


「ん?」


 移動中。

 アキラが急にそわそわし始めた。


「どうした? もしかして電車に酔った?」

「いや、そうじゃなくて……」


 とある大学の最寄駅。

 たくさんの若いカップルが乗ってくる。


 そわそわ。

 そわそわそわそわ。


 なるほど。

 周りの恋人が気になるらしい。


「おい、自意識過剰だぞ。俺たちのことなんか、誰も気にしないって」

「でも……」


 アキラがぷいっと顔をそむける。

 その視線の先にいるのは、手を恋人つなぎする男女。


「僕たち、倦怠期けんたいきのカップルに見られないかな」

「はぁ? 手をつないでいないから?」


 コクコク。


「仕方がないな」


 つり革を握っていない方の手を差し出す。

 アキラは嬉しそうにニッコリ。


「いや⁉︎ これは症状を治すための荒治療だからね!」

「はいはい、分かっていますよ」


 リョウは渋面をつくる。


「胸を張れよ。ここにいる女性の中だと、アキラが一番の美人じゃないか」

「リョウくん、そういう敵を増やすような発言は……」

「否定はしないんだな」

「あぅあぅ……」


 恥じらうアキラが一番かわいい。


「おっと、ここで乗り換えないと」


 いったん下車。

 地下迷宮みたいなフィールドを右へ左へと進んでいく。


「あれ? 違う路線のホームに出ちゃった……」

「お〜い、ちゃんと地図を見て歩こうぜ」


 次は目当てのホームに到着。


「うっ……」

「また吐き気か?」

「いや、そうじゃなくて……」


 向かいのホーム。

 欧米人のカップルが堂々とキスしている。


「いくら性に開放的な文化とはいえ……ああいう見せつけるような行為は……」


 アキラは手で顔を隠しつつ、指の隙間からチラチラのぞく。


「映画のラブシーンで興奮する小学生かよ」

「だって、僕は感受性が豊かだから。女の人に感情移入しちゃって。ああ……そんな強引な……恥ずかしいよ……」

「これも練習だ。剣術とかで、見とり稽古ってあるだろう。あれと一緒。アキラだって、いつか好きな相手とやるのだから」

「うぅぅぅぅ〜」


 反応が初心うぶすぎる。

 まるで箱入りのお姫様。


「ほら、電車が来たぞ」

「手は離さないでよね。一人きりになると、僕は動けなくなるんだから」

「はいはい、分かっていますよ、アキラ姫」


 リョウは体を盾にして、アキラのために空間をつくった。


「夏休みのあいだ、僕っていうのをやめないか」

「えぇ……」


 自信のなさそうな返事。


「いや、公私の使い分けがメンドクサイのは理解している。でも、夏休みに学校へいくことなんて、二回か三回くらいだしさ。僕はいったん封印してもいいだろう」

「う〜ん……」

「それにアキラはボーイッシュな性格でもない。スポーツが苦手だし、ゲームとかに興味ないし」

「リョウくんがそういうのなら……」


 あたし。

 わたし。

 わたくし。


 いろいろ試した結果……。


「やっぱり、違和感があるから僕でもいい?」

「別にいいぞ。無理はするな」


 そんな会話をしながらトオルの家に到着。


「普通のワンルームマンションに住んでいるんだな」

「トオルくん、いちおう大学生だし。休日に家でゴロゴロする人じゃないから」


 インターホンで呼び出す。

 しかし、応答がない。


「今日って何時に約束したんだ?」

「朝の10時ちょうど」

「40分も早く着いているじゃねえか」


 アキラが電話してみる。

 不通だったので、仕方なくメッセージを送った。


 待つこと数分……。


「お、返信がきた。いまジムでシャワーを浴び終わって、これから家へ向かうってさ」

「りょ〜かい」


 もう一度トオルのマンションを見上げる。


 築25年くらいだろうか。

 未来のスーパーアイドル・犬神トオルが下積みした場所として、将来、有名になっているかもしれない。


「あっ! トオルくんが帰ってきた!」


 道の向こうから、ラフな格好をした色男がやってくる。


「つ〜か、アッちゃん、せっかくのスカート姿なのに、なんでレギンスを履いてんだよ」

「なっ……トオルくんまで!」

「もしかしてしゃくにさわった?」

「バカバカバカ〜!」


 ぽこぽこ殴ったけれども……。

 威力が弱すぎてトオルには少しも効いていない。


「それで? 今日の用件はなんだっけ?」

「サインだよ! ほれ、色紙を持ってきました!」

「俺のサインが欲しいとか、かわいいところあるじゃん」

「違う! 欲しがっているのは僕のクラスメイト! 理事長の姪にあたる人!」


 朝からコントみたいな会話を繰り広げる兄妹であった。

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