61.決行

 そろそろ一時間経つころだ。ヴァリス達が入ってきてもおかしくない。


 サザはお下げの女の子に、髪を結っていた黒いリボンを解いて貸してもらった。サザは頭の高い位置での短い癖っ毛をかき集め、リボンで括り上げる。

 暗殺の仕事の前はいつもこうやって髪を束ねていた。サザが普通の生活をしている自分を暗殺者と切り替えるスイッチなのだ。


 サザは子供達と協力してユタカをシャンデリアより奥に移動させると、ヴァリスが入ってきたら目を瞑っているように言った。


「私は今から君達を助けるよ。どうか信じて。怖くても、それを思い出して」


 子供達はサザを見て静かに頷いた。


「リヒト。シャンデリアのハンドルの前、棚の影に隠れて」


「うん」


「ハル先生はシャンデリアより奥、子供達とユタカの前に立っていて下さい」


「分かったわ」


 サザは包丁の一本を横向きにして刃の背を咥えて予備にし、一本を手に握ると、天窓から直ぐ出られるように梁に登った。


 —


 程なくしてヴァリスと手下が建物の中に入ってきた。ユタカと子供達の前に仁王立ちしているハルを見てヴァリスが口を開く。


「おい。何してる」


「あなた達はそこで止まりなさい」

 

「俺に指図するな」


「私は攻撃魔術が使えるわ」


「何だと?」


 ヴァリスが眉間にしわを寄せて目を細めた。


「素養の検査は七十歳を過ぎているから、免除されたの。攻撃魔術を使ったら直ぐ国の検査官が来る。全部ばれるわ」


「はったりだろ。変な真似をすると殺すぞ」


「もう呪文の詠唱は終わっているわ。あなたが剣を構えても、私は殺される直前に魔術を発動させる」


「……」


 ヴァリスはハルを睨み、しばし沈黙した。


「馬鹿な嘘をつくのはやめろ。死ぬのが早まるだけだ」


「嘘だと思うなら私を殺したらいいわ。後悔するのはそっちよ。交渉する気があるならヴァリス以外は外に出なさい」


 ヴァリスはすごい形相でハルを睨みつけ、舌打ちすると、手を振って手下たちを外に出るように促した。


(よし……!)


 サザは手下を倒すため、急いで天窓から出た。


 —


 ハルがヴァリスを確実に止めていられるのは長くてせいぜい二、三分くらいだろう。手下は四人だ。相手は剣士だが、こちらは闇に隠れられる暗殺のシチュエーションなのでサザは有利だ。


 雑に束ねた短いくせ毛と手に握った包丁。口に咥えた予備。これが暗殺者としての自分だ。


(ユタカが今の私を見たら、嫌いになるかな?)


 サザはふと揺らいだ気持ちに思わず、ナイフを握った手を胸に当てた。


(……それでもいいや。私はただユタカが守れれば、それでいい)


 夜風にサザの藍色のスカートがはためく。これもユタカが町で買ってくれたものだ。サザは邪魔にならない様に裾を纏めて縛った。


(一人二十秒だな。なかなか難儀だけど、人生最後の仕事ならこれくらい骨があれば上等だ)


 サザは包丁を手に屋根を走り、建物の裏側に回った。屋根瓦を一枚剥がして蹴り落とす。瓦が地面に落ちてぱりん、と乾いた音を立てて割れた。


「何だ?」


 裏口の物音に気がついた手下の一人が向かってくる足音がする。


(来い……)


 サザは間合いを正確に計りながら、包丁を逆手に握り直す。


(あと三歩、二歩、一歩……!)


 手下がサザの真下に来る瞬間、屋根の上から飛び降りた。


 サザは、握り締めた包丁を全体重を掛けて男の首に思い切り突き立てた。男が声を上げる間も無く首から血を吹いて倒れる。


(一人目、あと三人だ)


 男が倒れる音に他の手下が気がついたらしい。一人がこちらに向かってくる。サザは手下が裏口に来る前に近くの木に素早く駆け上がって登る。真下に来たタイミングを計り、もう一度同じように男の上に飛び降りて首を切りつけた。

 すんでの所で男が体を捻り致命傷をかわした。


(これ位は想定内!)


 サザは間髪入れずに手下の手に蹴りを入れて剣を落とすと、素早く懐に飛び込んで包丁で心臓を突き刺した。

 吹き出した血でサザの服が一気に真っ赤に染まった。


(あと二人)


 二人は焚き火の近くにおり、こちらの出来事に気が付いていない。


 サザは木々の間の暗闇の中を大回りして走り二人の後ろに近づくと、気配を消して一人の真後ろから一気に心臓を突き刺す。男が前のめりに倒れる。


 サザは驚いたもう一人に焚き火を蹴り飛ばして怯ませ、剣を取る前に正面から飛びかかり、首を切りつけた。

 首から血を吹いた男が倒れ、大きな血溜まりを作りながら動かなくなる。


(……これで全員だ)


 サザは激しく上がった息を整える間もなく走ってもう一度木に登り、屋根に上がった。身体は返り血でぐしゃぐしゃに濡れている。

 包丁は一本で済んでしまったので使っていない包丁を口に咥えたままにした。


(あとは……ヴァリスだけだ)


 —


 サザは天窓から建物の中の様子を見る。ヴァリスとハルはシャンデリアを挟んでまだ牽制し合っている。

 サザは気づかれないように天窓を開けて中に入り、シャンデリアが吊るされた梁の上に飛び乗る。


 リヒトが棚の後ろで、シャンデリアのハンドルに手をかけ、目を瞑って音に神経を集中させているのが見える。


 サザはハルかリヒトが失敗したら援護するため、いつでも飛び降りてヴァリスを斬りつけられるように、もう一度包丁を握りしめる。

 しかし、外のような暗闇ではなく明るい状態で相対した戦いとなれば、腕の立つ剣士のヴァリスに対してサザに勝ち目はほぼ無い。諦めたくはないが、シャンデリアを外したら絶望的だ。


「近づかないで」


 まだヴァリスはシャンデリアの射程に入っていない。もう二歩か。


「……いい加減にしろ」


 そう言うとヴァリスが徐に剣を抜いた。ヴァリスの剣はユタカの剣と違って細剣だ。殺傷力はやや劣るが軽いのでスピードが出る。

 その場に立ったまま、長い剣先をハルの首元に真っ直ぐに向けた。


「殺すぞ」


「やればいいわ」


 ハルはヴァリスを睨みつけたまま、恐怖で涙を流す。ヴァリスは剣先を向け、ハルを睨み返す。


(どうか、上手くいけ……!)

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