54.異変

(……おかしいな)


 ユタカは孤児院の前に到着して馬を降り、手綱を適当な木に繋いだ。日は沈みかけている。この辺りは蛍も出ないので辺りは暗い。

 しかし今はまだ夕食前だから子供達は外なり部屋の中なりで遊んでいるはずだ。なのに子供の声が全く聞こえないし、建物の窓は全てカーテンが閉まっている。


(みんな、どこにいるんだろう?)


 ユタカは辺りを見回しながから建物の大きなドアの前までゆっくりと近づくと耳を当てた。

 やはり何も聞こえない。ハルに呼ばれたのはこの時間だ。伝令してまで呼ばれたのに居ないのはありえないだろう。それに、あのハルが相談なんて余程のことだ。内容も気になる。


 ユタカは改めて建物の周囲を一周し誰も居ない事を確認すると剣の握りに手をかける。

 もう一度、ドアに耳を付けた。そのまま耳をそばだてると、くすん……と子供が泣きじゃくる声が、わずかに聞こえた。


(何か、起きてるのか……?)


 ユタカは剣を抜くと、ドアを蹴り開けて一気に建物の中に入った。


 ユタカは目を疑った。


 天窓とステンドグラスからの月明かりに照らされた聖堂の真ん中に子供達とハルが集められている。

 その周りを五人の軍服の剣士が、抜刀して取り囲んでいる。濃灰色の地に銀糸の刺繍の入った軍服。カーモスの軍のものだ。

 その中に一人、イスパハルの軍服に足元までの長いローブを羽織った、金髪の背の高い男がこちらに微笑んでいる。


 ヴァリス・ルーベル大佐だ。


「ユタカ……! ごめんなさい! 子供を殺すと言われて手紙を書かされたの……」


 ハルがこちらを見て泣きながら叫んだ。


「大佐……? 何をしているんですか?」


「来てくれて良かったよ。今日はお前を殺そうと思ってさ」


 ヴァリスはいつものように優しく微笑みながら言った。


「そんな……」


 ユタカは身体中の血の気が一気に引くのを感じた。


「俺は、カーモスの密偵なんだ。戦争中からだいぶ長い時間かけてイスパハルの軍に取り合ってきたから、国王もお前も、みんな信用してただろ? お前を暗殺しようとしてたのは俺なんだ」


 今までのユタカへの襲撃は全てヴァリスの差金だったのだ。ヴァリスが中心になって犯人の調査をしていたのだから見つからない訳だ。

 まるで兄のように感じていたヴァリスがこんな事をしているのがユタカにはとても信じられなかった。

 ヴァリスは手下の剣士に目配せすると、剣士は一人の女の子の長いお下げをぐいと掴んで強引に自分に引き寄せ、首元に長剣の刃を当てた。


「ターシャ!」


 ハルが女の子の名前を叫んだ。


「ユタカ。剣を捨てろ。従わなければ子供を殺すよ。一人ずつ全員だ。俺はイスパハルの人間じゃないから信仰は持たない。そこのステンドグラスにある森の乙女の目の前で人を殺すことも特に何とも思わないからな」


「な……」


「俺も剣士だ。剣士のお前が剣を捨ててまで従うなら、子供は殺さない。それ位は約束する」


 ターシャと呼ばれた栗色のお下げの小さな女の子は恐怖でがくがくと震え、こちらを見つめてぼろぼろと涙を流している。


「どうした? おれは気が長くないから早く決めた方がいいぞ。それとも一人目は諦めるのか?」


(……どうする……)


 これまでの執拗な攻撃を考えるとヴァリスの言葉は脅しではないだろう。

 敵の五人の剣士程度なら、ユタカは難なく倒すことができる。ヴァリスは骨が折れそうだが、それでも、多少の負傷も覚悟すれば勝つ自信はユタカにはあった。

 しかし、十五人もの子供達が既に敵の手中にいる状態では危害を加えられる前に倒すのは不可能だ。

 子供の中には赤ん坊もいる。


(この状態だともう、従わない訳にいかない)


 ユタカはターシャを捕まえた男を睨みつけていった。


「……先にその子を離せ」


「お前が剣を置くのが先だ」


「先にその子を離せと言ってるんだ‼︎」


 ユタカが叫ぶと手下の剣士はその気迫にたじろいで、掴んでいたターシャのお下げを離した。ターシャは走ってハルの胸に飛び込み、声を上げて泣き出した。

 それを見届けるとユタカはヴァリスを睨みつけながら大きく深呼吸した。ユタカはゆっくりとした動作で、抜いた剣を腰の鞘に戻す。ユタカの剣の鞘と鍔が当たる、かつん、という音を聞くと、ヴァリスは満足そうに笑みを深めた。


「流石、ユタカは心の優しい奴だからな。俺の知ってる通りだ」


 手下たちは抵抗しないユタカを押さえつけて剣を奪い取ると、縄で素早く後ろ手に縛ってヴァリスの前の床に跪かせた。


「イスパハルの力の前でカーモスは既に鎮圧されている。おれを殺しても、カーモスがイスパハルを征服することは決して出来ません」


「は……黙れよ」 


 ヴァリスは床に座らされているユタカに歩み寄ると、徐にユタカの顎を蹴り飛ばした。ユタカは避けることもできず勢いよく後ろ向きに床に倒れた。


「う……」


「やめて!」


 ハルが叫び、子供達がわっと声を上げる。ユタカは切れた口の中の血を吐き捨てながら起き上がると、ヴァリスに向かって座り直した。


「……子供の前でやることじゃないでしょう。やるなら外でやって下さい」


「お前、この状況で俺に指図するのか?……まあいい。いちいちガキに騒がれたら五月蝿くて敵わないからな」


 手下たちがユタカの服を掴んで立ち上がらせると、建物の外へと連れ出した。

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