53.ユタカの心

 ユタカは一人孤児院へ馬を走らせながら、サザとリヒトのことを考えていた。リヒトががっかりする顔が目に浮かんだ。今度何か埋め合わせをしてやろう。


(そしてハル先生に聞いた通り、リヒトは物凄く勘が良いな。……本当に勘なのか疑いたくなる位に)


 そう思ったきっかけは、ユタカが先日近衛兵と手合わせをして腕に怪我をした事だった。ごく軽い切り傷だったのでユタカはそのまま忘れて上着を着てしまった。


 ユタカが夕方になり職務を終えて部屋に戻るとリヒトが救急箱を持って来た。そこでユタカは自分が怪我をしたことを思い出したのだ。しかし上着を着ていたので怪我はリヒトは見えない筈だ。


 ユタカが「どうして怪我が分かったんだ?」と聞くと、リヒトは急にしどろもどろになり、手合わせをすると言っていたから怪我をしただろうと思った、と答えた。

 しかしユタカが近衛兵との手合わせで怪我をするのはごく稀だし、リヒトが来てからは初めてだ。


 ユタカは不可解に思ったが、リヒトが自分を手当てしてくれようとする気持ちが嬉しかったのでその場ではしっかりと確かめずに終わってしまった。


 しかし、その後もまた不思議に思うことが起きた。


 リヒトが「洗濯が終わった父さんのシャツが置いてあったから」と届けてくれたことがあった。

 だが、それが本当にユタカの物かはユタカ自身にもよく分からないのだ。ユタカが着ているシャツは他の近衛兵が着ているものと変わらない質素なシャツで、メイド達によって全部纏めて洗濯されているのだ。ユタカはとりあえずリヒトに礼を言って受け取ると、シャツをよく見てみた。

 シャツの袖のところに、薄く血の跡が残っていた。先日怪我をした時に着ていたシャツだ。


 何故か分からないがリヒトはユタカの血にすぐ気がつける。そしてそれを隠しているようだ。

 リヒトが何でそんなことが分かるのかユタカにはさっぱり分からなかった。リヒトに魔術の素養はない筈だ。


 だが、特に危険は無さそうだしどれもユタカを想ってやってくれていることばかりだ。

 いずれはちゃんと聞かなくてはいけないが本人は言いたくないようだし、まだ暫くは様子を見てもいいだろう。


(それよりずっとずっと大変なのは、サザのことだ。この間泣いていた時は何を隠しているのかさっぱり分からなくて心配だったけど……昨日、やっと分かった)


 ユタカはため息をついた。


(サザは多分、暗殺者だ)


 ユタカは森で襲われた時のことを思い出す度に違和感を感じていたが、怪我のせいで余裕が無かったこともありどうにも分からないので仕方なくそのままにしていた。しかし、サザが昨日その時着ていたスカートを持っていたのを見て、それが何だったのか一年越しにやっと気がついたのだ。


 あの時、ユタカの元へ戻ってきたサザの服には、負傷したユタカの身体に触れる前から血がついていた。


 サザは無傷だったからサザの血ではないし、ユタカが戦っている時にサザはいなかったのでユタカが倒した敵の血でもない。サザ自身が戦った誰かの返り血としか考えられないのだ。


 しかも、あの時サザは直前に服を買って着替えているのだから武器なんて何も持っていなかったはずだ。丸腰から相手の武器を奪って戦ったなら暗殺者としては相当な手練れで、ユタカに襲いかかってきた奴らとは比べ物にならない位強いはずだ。


 それに、よくよく考えればサザは大量の死体が転がる森の中で負傷したユタカを見て、冷静に「止血しましょう」と言ったのだ。普通そんな状況に置かれた若い娘なら流石に少し位は驚くか泣くかするだろう。


 サザは、死体を見慣れている。


 死体を見慣れていて、暗殺者と丸腰からでも問題なく戦えるような人物は、やはり暗殺者しかいないだろう。


 そして、サザが暗殺者なら。

 サザはユタカを殺す為に来たと考えるべきだろう。


(おれはサザを信じると言ったのに。実際は全然信じてないんだ)


 ユタカは元々サザの顔を知らなかったのだから、ユタカが求婚状への返事を送ってから暗殺者が本物のサザを殺して入れ替わることは可能だったはずだ。

 それに幾らなんでもサザが暗殺者だとはヴァリスも気付いていないだろう。


 でも、ユタカがこの事に気付くまでに幾らでも機会があったはずなのに、何故サザが自分を殺そうとしなかったのかユタカには分からなかった。


 そもそも、森で負傷した時にそのまま置き去りにすればユタカは勝手に事切れていた筈だ。それに暗殺者同士で戦う理由も無い。でも、サザはユタカを助けて帰った。


 その後も、サザはユタカの仕事を手伝い、リヒトの母になり、毎日、ユタカの腕の中ですやすやと眠っている。


(おれを殺す気なら、サザのやってることは全て嘘なんだろう。おれを信用させるための罠だ。おれのことをよく理解してくれると思ったけど、腕の立つ暗殺者ならそれ位信じ込ませる技術はあるだろうな)


 そんなことを考えていたユタカは昨日、サザに寝ている間にナイフで殺される夢を見て夜中に目覚めたのだった。息が切れ、尋常でない汗をかいていた。


 サザも気がついて目を覚まし、心配そうに「どうしたの?」と言ってユタカの手を取ろうとした。

 しかし、気が動転したユタカは思わず、差し伸ばされたサザの手を思い切り振り払ってしまったのだ。


 サザはとても驚いた顔をしたが、ユタカが小さく「ごめん」と言うと微笑み、すぐ部屋を出て水差しとコップを持ってきてくれた。


 ユタカが水を飲んでベッドに座っていると、サザはすぐ隣に座ってユタカを元気づけるように笑顔を見せると、汗をかいたユタカの背中をさすりながら「大丈夫だよ」と言った。


 その時、ユタカは喉元まで出かかっていた「サザは暗殺者なのか?」という質問を飲み込んでしまった。


 ユタカは自分の中に浮かんだ疑念を無理矢理打ち消すようにサザに口付けてベッドに押し倒し、いつもより少し乱暴に抱いた。

 サザはそれでもユタカを優しく受け入れ、いつもの様に穏やかな目をしてユタカの身体を抱きしめ返してくれた。


 その時ユタカは、もしこのサザの全てが嘘なら、もうこの世に信じられるものなど何も無いと思った。


 サザは既に、ユタカの本当に大切な人になってしまっていた。それにサザが暗殺者なら、国王に知れれば真実の誓いにより死刑になってしまう。そうなればもうサザと一緒に生きていくことは出来ない。


 ユタカはこの状況であっても自分がサザを深く愛していることが正しいとは決して思っていなかった。

 本当なら領主の責務として、危険因子であるサザは早急に正体を暴いて排除するべきだ。でも、そう出来ない自分がいた。

 間違っていると分かっていても、サザと一緒にいたいと思う気持ちをユタカはどうしても止められなかった。


(もしサザが本当に暗殺者なら、おれはサザをこの手で始末しないといけなくなるだろう。その時きっと、サザと一緒におれの心も死ぬんだろうな)


 ユタカはもう一度、深いため息をついた。


(でも、おれだってサザに隠してることがあるんだ。それを打ち明けたら、サザもおれに本当の事を教えてくれるかな? 今日言おうと思ってたんだけど……延びちゃったな)

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