時は金なり頭を使え

夜凪ナギ

時は金なり頭を使え

 時間は有限だ。


 人間の寿命を80年と仮定する。


 24時間×365日×80年=700800時間


 これが人間に与えられた時間だ。


 アラブの石油王も市役所で働く公務員もそこら辺の大学生も、どれだけ金持ちでも貧乏でも時間は平等に与えられている。


 つまり、時間は金で買えない、最も貴重な資源だといえる。


 そんな貴重な資源を無駄にしてよいものか、いや断じて許される行為ではない。






 僕がそんなことを考えていたのはアルバイトをしている時だった。


 僕は何事も慎重に進める性格で、その慎重さは石橋をたたいて叩き割るほどだ。


 学生の頃の俺はその性格ゆえ、小学六年生にして就職のことを考えていた。


 将来自分がどんな職にでもつけるように、知識と経験だけは人一倍積んでおこう、そう決心したのであった。


 それから小中と遊びに関しては全く知らず、週刊少年ジャンプの存在を最近知ったほどだ。


 高校に上がってからは勉強に加え、アルバイトに励んだ。


 アルバイトは経験を積むには最適な場所だと思った。


 子供ながら大人の社会で働くことができ経験も積める、おまけに金がもらえる。


 何とすばらしいものではないか、アルバイト!


 そう思っていたのだが、大学に上がって経済学の授業を受けているときに教授が放った言葉によって、僕の数年間は水の泡と化した。


「世の中結局、金だよ。勉強しろ、経験を積め、世間はそういうが金さえあればなんだってできる。愛だって金で買える時代だ」


 小太りで頭頂部は顕微鏡の反射鏡のように光る、何とも胡散臭い恰好をした教授であったが、その言葉は僕の心の中にある何かを叩き壊した。


 世の中結局、金。


 限りある貴重な時間を使って経験や知識といったきれいごとを建前に、ちまちまとはした金を稼いでいた僕は、さながらマリアナ海溝にでも落ちたような気分だった。


 それから数か月かけてマリアナ海溝を抜け出した僕は、いかにして効率よく金を稼ぐかという考えに至った。


 アルバイトは論外だ。


 僕の人生の中の一時間が、900円なはずがない。


 それからというもの、アルバイトの募集のチラシの800円だか920円だか時給を見るたびに、それは我々アルバイターの生命に値踏みをしているようで腹がった。




                      〇




 まず僕が始めたのは株式投資だった。


 経済学部に何となく入ったおかげで、経済や金融に関する知識はそれなりにあった。


 新聞やニュースを適当に見て、株式市場をチェック、適当な株をいくつか購入した。


 株は素晴らしい。働くのは人間ではなく、金に働かせればよいのだ。


 そうして僕は安いアパートで前よりも自堕落な生活を送ることになった。


 しかしどっこい、そんなうまくいくはずがないのである。


 高い利回りに興奮する日もあれば、半分以上失うものもあった。


 結局一か月の収入は差し引きゼロといったところであった。


 このままでは生活ができない。


 珍しくも真剣に悩み夜の駅前をうろうろしていたある晩、歩道の片隅に異様なオーラを放つ老婆がいた。


 僕はその老婆に吸い寄せられるように近づいていった。


 見ると老婆はどうやら占い師のようであった。


 白髪に曲がった背中。いかにも占い師のような服装にテーブルの上には水晶玉が置いてある。


 看板には一回2000円と書かれているだけであって、ほかの情報は皆無。


 これで客が来れば何とも良い商売、僕が目指していたのは占い師であったのかと本気で思わせた。


「お兄さん、悩みがあるんだね」


 突然話しかけてきた老婆。


「わかるんですか」


「ええ、わかりますよ」


 老婆の声は少し枯れたような声で、声質だけで判断すれば説得力十分といったところである。


「あなたは隠し持った才能がたくさんある。おそらくこれまで人並みならぬ経験を積んできたのであろう」


 それはバーナム効果を利用した、いわゆる占い師の決まり台詞だったのかもしれない。


 しかし僕には、これまでの僕のすべてを見透かす、神の目でも持っているのではないかと思わせた。


「あなたの中に眠る才を放っておいてはもったいない。かといって使えるわけでもない」


「では、どうすれば」


「闇に立ち向かい、恐れるなかれ」


「え?」


「終わりじゃ、2000円」


 そういって老婆は僕の財布から2000円を引き抜き、足早に去っていった。


 いわゆるこれは、詐欺ではないのか。


 そう思ったが仕方のないことである。時間は有限で、過ぎたことを深く考え悩むほど愚かなことはない。


 僕はそのままぼろアパートに帰っていくのであった。



                  〇



不思議な老婆にあってからというもの、特にこれと言って変わったことは起こらなかった。


 やはり詐欺であったかと思うと沸々と怒りが湧いてくるのだが、だまされる自分が悪いといわれるとその通りである。


 株式投資をあっけなく断念した僕が次に手を付けたのは、動画配信や創作の類であった。


 インターネットで自分の撮影した動画を配信したり、小説の新人賞に応募して賞金を狙ったりしていた。


 自分の好きなことをし、かつ収入が得られればこれほど良いことはない。


 僕は今後末代までに残る黒歴史になるとも知らず、自分の醜態を撮影し、全く面白みのないトークを繰り広げたゲーム実況動画を配信した。


 また、後で読み返して気づいたことだが、とある新人賞に応募した時の作品は、ほかの作家の良いところの寄せ集めといった感じで、時折自己満足の入った何とも奇妙な作品で、イタイという評価しかできなかった。


 その後原稿をカセットコンロの火で燃やし、燃えカスとなった原稿を海にまいたのは秘密である。


 これらの新たな活動は自分の思っている以上、いやさらにそれ以上に早く終焉を告げた。


 そもそも今まで勉強しかしてこなかったガリ勉に、エンターテインメントなんて到底不可能であるのだ。


 初回から素顔をさらし、背景なんて気にもしなかった僕の動画は、ネット上の暇人のいい暇つぶしになったようで、コメント欄を見ればキモイやら〇ねやら暴言にあふれ、住所は特定され大学内でも軽く噂になるほどだった。


 僕は疲れて小さなボロアパートで仰向けになり寝転んだ。


 すると誰かがインターホンを鳴らした。


 時刻はとうに24時を過ぎているというのに誰だ、もしやこれが凸というやつなのか。


 そんな恐怖におびえながら恐る恐るチェーンのかかった扉を開けた。


「そんなにおびえなくても私ですよ、有名人さん」


 扉の向こうにいたのは大学で僕の唯一の友達、いや知り合いというべきか、金木がいた。


「なんだこんな時間に」


「いやあ、今回はずいぶんと派手なことをやらかしたから私が慰めてあげようと思って」


「お前の慰めなどいらん」


「まあまあそういわず」


 そういって金木はひょろ長い腕を伸ばしドアのチェーンを外して中に入ってきた。


 金木は病的に肌が白く、玉ねぎのような頭の形をしている。


 そしてその表情は見るからに悪といった感じで、こんな人に声を掛けられた女性は悲鳴を上げるだろう(実際悲鳴を上げて逃げていく女性を見たことがある)。


 金木はピンクのTシャツに黒の短パンといった、大学生とは思えない服装をしていた。


 小さなちゃぶ台を挟んで僕と金木は向かい合って座った。


「これお土産です」


 そういって金木はコンビニの袋をちゃぶ台の上に置いた。


「なんだこれは」


「お土産です」


 相変わらず面倒な男である。


 僕は恐る恐る袋の中身を見てみた。


 中には即席物の食品が数個入っていた。


「ありがたいのだが、このチョイスは一体」


「あなたはずいぶん時間にうるさいですからね、なるべく時間を掛けずに食べられるものを選びました」


 この男は僕のことを僕の親よりもよく知っていて、たまに持ってくるグラビアアイドルの雑誌もドストライクである。


 僕はお湯を沸かし、中に入っていたカップ麺を二人分入れた。


「それで、本題は何なんだ?」


「なんだ、気づいてましたか」


「おまえがうちに来るときはいつも悪事か裏の仕事の誘いだろ」


「よくわかっていますね。話が早くて助かります」


 金木はまだ一分ほどしか経っていないカップ麺を開け、一口すすってから再び話し始めた。


「あなた最近金を稼ぐことと稼ぎ方に対して異常なこだわりを持っていますよね」


「ああそうだとも。時間は有限であり、なおかつこの世は金である。すなわち短時間で効率よく充実した時間を送りながら大金を稼ぐことができれば、もはやこの世を制したといってもよい」


「それで動画配信者とはいかがなものかとおもいますがね」


 金木はケラケラと笑いながらラーメンをすすっている。


 細長い首をごくんと鳴らし、先ほどまでとは打って変わって真剣な眼差しをして僕を見た。


「今日はいつもとは違いますよ」


「なに」


 この金木という男は、うちに来ては違法なバイトや腎臓の摘出といった闇マーケットへと僕をいざなおうとしてくるのである。


 しかし今回の彼の表情はこれまでとは違った。


 とはいうものの、金木は怪しい仕事を持ってくるときいつも違う表情をするのだが、僕はそれにまんまとだまされているのだ。


「あなた、これまで数多くの経験を積んできましたね」


「む、なぜそれを!」


「私にはわかります、私たちの仲じゃあないですか」


「僕とお前の間にどんな仲があるというのだ」


「まあまあ聞いてください。それで、私にこれまでどんな経験を積んできたのか教えてください」


「うーん、大方役に立ちそうなことはしてきた。留学、アルバイト、旅、恋愛・・はしていないが」


「そうですか。それだけあれば十分です」


「結局何なのだ」


「明日、ここに来てください」


 そういうと金木は小さなメモを取り出した。


 そこには見知らぬ地名の書かれた住所のようなものが書かれていた。


「今回は安全なのだろうな、もう手術はごめんだぞ」


「だいじょうぶですよ~安心してくださいぐへへ」


 奇妙な笑みを浮かべながら金木はさささと去っていった。


 僕はその住所のメモを財布に入れ、就寝した。




                      〇




 次の日の朝、なんだか夢なのか現実なのかわからないまま起床し、いつも通りの朝を過ごした後、昨晩金木に言われた住所に向かった。


 そこは電車で三駅、徒歩10分の距離にあり僕の住んでいるとこと比べ物にならないほど人が多かった。


 しかしその住所はどうやら偽物らしく、行ってみるとそこには犬の銅像が置いてあるだけで他に何もなかった。


「金木のやつ、またデタラメを」


 そういってメモをクシャクシャに丸め、ゴミ箱に放り投げた時だった。


「デタラメではありませんよ」


 にょきっと細長く白い首を伸ばし、俺の目の前に現れた金木はメモを拾い俺の背中を押しながら歩み始めた。


「どこへ行くのだ」


「今日の仕事先ですよ。秘密の多い仕事先ですから安易に住所を教えるわけにはいかなかったんです」


 僕は金木に背中を押されながら数分歩き、ビルとビルの間の細い道に入った。


 先ほどまでの人ごみに比べて一気に暗くなり、いかにも裏の取引が行われていそうな雰囲気だ。


「お前、今回は安全だといったよな」


「はい、安全ですよぐへへ」


「その笑い方をやめろ」


 細くて暗い道をグネグネと何度も曲がり、ようやくたどり着いた。


「ここです」


 そこには錆びて今にも倒れそうな看板と扉があるだけであった。


「ここは何の店なのだ?」


「入ればわかりますよ」


 金木に唆されて、汚いドアノブに手をかけ扉を開けた。


「し、失礼します」


 中は真っ暗であった。


 物音ひとつせず、外からかすかに入る光が入り口付近を照らしていたが、信じられないほど汚かった。


「おい、本当にここであっているのか」


「はい、合ってますよ。入ったらそのまま前に進んでください」


 そういうと金木は僕の背中をポンと押して、僕を中へ押し込んだ。


「おい、何をする!」


 ガチャンと扉が閉まり、視界は真っ暗になった。


「あいつ!」


 仕方なく言われた通り、見えない道をまっすぐ進んだ。


 一歩進むごとに、足の裏に何かが当たる感覚がする。


 しばらく進むと非常口の看板があり、その下に小さな扉があった。


「ここか?」


 僕はその小さな扉を開け、中に入った。




                       〇




 中は紫の光に満ちていた。


 煙のようなものが部屋中に充満しており、それが光に照らされて壁にゆらゆらと映し出されていた。


「こんにちは」


「うわあ!」


 突然の声に驚いた。


「あ、あなたは!」


 先日僕の二千円を奪っていった老婆がいた。


「ようこそ、今日は売りですか? 買いですか?」


「え?」


 老婆は前と同じで魔女のような服装をしていて、テーブルの上には水晶玉が置いてある。


 そのテーブルに立てかけて看板が置いてあった。


 看板の上部にめにゅーと書かれており、その下には何やら小さな文字と数字が書いてあった。


「ええと、英会話20万、皿洗い5000、数学30万、対人スキル50万・・・これなんです?」


「めにゅーです」


 なんだか金木と同じようなめんどくささを感じるのだが。


「あの、もう少し説明が欲しいのですが」


「そのメニューの通りです。英会話スキルを買うのであれば20万円、売るのであれば20万円お支払いいたします」


「買うとどうなるのですか? 英会話の教材でも届くのですか?」


「いいえ、そのスキルそのままそっくりあなたのモノになります」


 何とも信じがたいことだ。仮にそんなことができたとすれば、金持ちはスキルを買うだけで努力などしなくてよいではないか。そもそもフられる耐性とは何のスキルだ。買う人も不憫だが、このスキルが身につくほどフられた人がいるというのか。


「それでどうなさいます?」


 僕は迷った。


 こんなおいしい話があるのか。


 また僕は金木にうまく乗せられているだけではないのか。


 しかし、金木が持ってくる話はいつも儲かるのはもうかるのだ。


「じゃあ、留学経験を売ります」


 僕は試しに経験を売ることにした。


 留学した経験など日本に住んでいるいる僕は一度も役には立たなかった。


「はいかしこまりました」


 老婆の手は水晶玉の周りを踊りはじめ、あぶらかたぶらと訳の分からないことを言っている。


 すると水晶玉が奇妙に光り始めた。


「はい終わりました。これお代です。」


 水晶玉の光は突然やみ、老婆は現金15万円を僕に差し出した。


「え、もう終わりですか?」


「はい、終わりです」


 特にこれと言って変化はないが、僕は留学したことを思い出してみた。


 すると驚いたことに、そんな記憶は全くなくなっていた。


 そして先ほどまでより思いつく英語が少なくなった(気がする)。


「ほかにはどうなさいますか?」


 僕は迷った。


 こんなにもあっさり金が手に入ってしまった。


 無駄にいろいろな経験を積んできた僕だ。使わないものもたくさんある。


 どうせならここで売ってしまえばいいのではないのか。


 いやしかし、経験を売るなどなんだか自分のアイデンティティを失っていくようで怖いではないか・


 僕は悩みに悩んだ。




                       〇




 僕は銀色のアタッシュケースを両手に持っていた。


 帰りの電車では今後の生活について考えていた。


 これまで僕は何をしていたのか。こんなにも簡単に金が手に入るのなら、アルバイトを何時間もやったり訳の分からない黒歴史を作ったりしなかったのに。


 様々な考えが浮かぶ中、最終的に金木を恨むことにした。


 数十分かけてボロアパートに帰ってき、僕はアタッシュケースの中身を床に並べた。


「7000万・・・」


 僕は小一時間でなんという額を手にしたのだろう。


 札束を眺めているだけで顔がニヤついてくる。


 ふと、金木のことが思い浮かんだ。


「これもあいつのおかげだし、礼でもしておくか」


 僕は携帯電話を取り出し、金木に電話を掛けた。


「もしもし」


「ああ、僕だ。今からうちに来ないか、見せたいものがあるんだ」


「あなたからお誘いとは珍しいですね。今から行きます」


「ああ、まってる」


 ガチャ。


 数秒後、インターホンの音が鳴った。


「あいつ、うちに張り込みでもしてるのか?」


 僕はチェーンのかかっていない扉を開けた。


「よく来たな金木、僕はお前のおかげで」


 そう言った途端だった。


 扉が激しく開き、僕の倍くらいある大男が三人ほど入り込んできた。


 黒いスーツをまとい、サングラスをかけている。


「おい、お前たちは何なんだ」


 ずかずかと部屋に入り込み、金の前でしゃがみこんだ。


「おい、それは僕の金だぞ!」


 僕は大男の腕をつかんだ。が、その圧倒的な力量の差を思い知らされた。


 僕はそのまま投げ飛ばされ、押し入れの戸を突き破り倒れこんだ。


 ほんの数秒間の出来事だった。


 並べてあった僕の7000万円は一円も残っていなかった。


 戸に身体がめり込み、なかなか抜け出せない。


 すると玄関から誰かが入ってくる音がした。


「だ、誰だ!」


「私です」


 金木だった。


「お、お前が仕組んだのか」


「はいそうです」


 ぐへへと笑う金木。


「どういうつもりだ!」


「どういうつもりも何も、僕はあなたの言った通り、効率的に短時間で大金を稼いだだけですけど」


「ただの盗みではないか!」


「どうですかね」


 金木は部屋をぐるっと見まわし、僕の方を見た。


「この世は金も経験も時間も重要です。でもそれらをすべてもってしても、阿呆は賢者に騙されるだけです。世の中は結局頭のいい奴が勝ち続けるようになっているんです」


 そういって金木は最後にもう一度ぐへへと笑い、部屋を出ていった。


 僕は怒りが込み上げてきたが、それ以上に喪失感の方が大きかった。


 何とか戸から体を抜け出し、部屋の真ん中にぼんやり立っていた。


 ふと、洗面所に行き鏡を見た。


 そこに映っていたのは、僕ではない何者かであった。


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