第2話

「これで追い越して行かないなら積み荷を狙う奴かもな」

 ハンドルを握る孫景がラークをくわえ、ライターで火を点ける。口の端から器用に煙を吐き出す。助手席の男は銃を握る。

「曹瑛だ」

「あ?」

 急に何かと思えば、自分の名前か。助手席のいけ好かない男は曹瑛と名乗った。これで少しは心の距離が近づいたか。孫景は鼻で笑う。

「こっち側に引きつけられるか」

 この国は左ハンドル、右側通行だ。孫景はトラックを左側に寄せて走らせる。後ろの車が右側から追い越しをかけてきた。曹瑛がその長身を縮めて身を隠す。


 曹瑛が手を伸ばし、ルームミラーをへし折った。

「どうせ使わないだろう」

 助手席のドアにミラーをかざして横付けする車を確認した。黒塗りのベンツだ。およそこんな田舎道には似つかわしくない。開いたドアから黒服の男が銃を手にしているのが見えた。

「敵だな」

「やはりそうか」

 曹瑛は窓から一瞬顔を出し、ベンツのタイヤを狙い引き金を引いた。銃弾はタイヤに命中し、ベンツはバランスを崩すがすぐに持ち直した。後部座席の窓が空き、黒服の銃口がこちらを狙っている。曹瑛が続けて撃った弾が黒服の腕を撃ち抜き、銃が車外に落ちた。


「スピードを上げてくれ」

 曹瑛の言葉に孫景はアクセルを踏み込む。ベンツの正面を捉えた。曹瑛はフロントガラスに銃弾を撃ち込む。防弾ガラスで弾は貫通しないものの、一面に蜘蛛の巣が張る。視界を奪われたベンツは一気にスピードを落とした。

「振り切れるか」

 その背後に黒いボルボのSUV車が迫っている。このボロトラックでのスピード勝負は完全に不利だ。路上の看板で高速道路の入り口をみつけた。孫景は急ハンドルを切る。

 高速道路に入り、スピードを上げた。背後にボルボが追ってくる。夜間の高速道路は普通車の他に大型トラックも多い。孫景はトラックの隙間をギリギリの車間ですり抜けていく。ハンドル捌きは荒いが、その見切りは確かだった。無謀な追い越しにトラックのクラクションが鳴り響く。ボルボはどんどん引き離されていき、姿が見えなくなった。


「お前のムチャな運転がここで役に立ったか」

 曹瑛がバックミラーを確認しながら苦々しく言う。激しいハンドル捌きに振り回されてげんなりしているようだ。

「食ったもの出すなよ」

 孫景は笑う。

「しかし、お前の銃、なかなかの腕だな」

「普段、銃はほとんど使わない」

 曹瑛はそう言って銃と手榴弾をリュックに戻し、座席の後ろに放り投げた。


「さて、このまま走り続けてもいいがひと休みしないか」

 高速道路の案内看板に杭州まで約40キロと出ている。杭州は浙江省の省都で大都市だ。ここで寝て朝起きてから出発すれば追っ手を惑わせることができる。曹瑛もやむなく賛成した。このまま急いで進めば軌道が読まれやすい。


 杭州で高速道路を降りた。市街地へ向かいながら手頃な宿を探す。駐車場が建物の裏手にあり、トラックを隠しやすいホテルに入った。曹瑛はトラックを降りて伸びをしている。孫景は荷台に乗り込み、作業をしている。

「何をしている?」

「センサーだ。簡易的なものだがな。積み荷に近づけばセンサーが反応する」

 なかなか抜かりない男だ、と曹瑛は感心した。


 ホテルのフロントで部屋の空きを確認する。今から用意できるのはツインの部屋しかないという。曹瑛は無言で頷く。エレベーターで5階に上がり、部屋に入る。曹瑛はコートとスーツをハンガーにかけ、ドアに近い方のベッドを確保した。何も言わないが、もし仮に敵が襲ってくるのは窓ではなく、ドアからだろう。彼なりの気遣いに孫景は悪い気はしなかった。

「先に風呂使ってくれ、俺は買い物に行ってくる」

 孫景はそう言って部屋を出て行く。ホテルの横に24時間営業の小さな商店があった。適当につまみを見繕ってビールを4本、ラークを2箱買って部屋に戻る。曹瑛はまだシャワーを浴びているようだ。孫景は窓際の応接セットに腰を下ろした。ピリ辛に味付けした鶏の足をつまみにビールを開ける。冷えたビールが喉に染み渡る。すぐに500ミリリットル缶を飲み干した。二本目に手を付けようとしたとき、曹瑛がバスルームから出てきた。白いTシャツに黒のジャージ姿、髪をガシガシとタオルで拭いている様子は先ほどまで黒いスーツを着こなしてスカしていた男と同じ人物とはとても思えなかった。


「うへっ!」

 孫景が突然間抜けな声を上げて飛び上がった。何かと思えば、ベッドの下から這い出してきた大きなムカデにビビっている。

「俺は虫だけは駄目なんだよ、なんとかしてくれ」

 大柄な男が悲痛な声を上げて椅子の上にへっぴり腰で立つ姿は情けない。曹瑛はベッドの枕の下から赤い柄巻のバヨネットを取り出した。床を這うムカデめがけてナイフを投げる。見事ムカデに命中し、曹瑛は5階の窓からムカデを放り出した。孫景は大きく胸をなで下ろす。


「助かった…恩に着る」

 孫景は本気で感謝しているようだった。曹瑛が床に転がっているものを拾い上げた。孫景のリュックについていたパンダのマスコットだった。

「落ちてたぞ」

 曹瑛が孫景に手渡す。

「お、ありがとな」

 そう言って孫景はまたリュックに取り付けようとしている。ズタボロのリュックにそうまでしてその汚れたパンダのマスコットをつけているのが奇妙に思えて、曹瑛は応接セットに座り、孫景に尋ねた。

「これな、妹との約束なんだよ」

 アルコールが入った孫景は顔を真っ赤にして話はじめた。


「俺の故郷はこの杭州の西、孫姓が多く住むド田舎の村だ。貧乏暮らしで子だくさん、俺を筆頭に兄弟が5人いてな、弟が2人、妹が2人。一人っ子政策なんて田舎には関係の無い話だ」

 孫景は笑う。曹瑛は黙ってその話に聞き入っている。

「そのうちの6つ離れた妹がな、生まれつき心臓に欠陥がある病気だった。手術をすれば生き延びられるが、しなければいずれ命を落とす。手術は医療先進国でしか受けられない。その費用は莫大な金額だ。うちは貧乏暮らし、両親は彼女の命は天命だと言う」

 孫景は続ける。


「一番下の妹だ。俺にもよく懐いて、小柄で可愛い子だった。俺はどうにかしてやりたかった。手術には大金が必要だ。それで村のヤクザものと組んで、運び屋の仕事を手伝ったのが始まりだ。それが今も続いてるんだから、これが俺の天命なのかもしれないな」

 孫景はパンダのマスコットを両手で包み込む。

「病気が治ったら、一緒に動物園にパンダを見に行こうって、親が買ってやった絵本で見たパンダの本物を見たいって言うんだ。それは叶っていない…」

 孫景は天井を仰いだ。口元はへの字に結ばれている。つまらない話をした、と立ち上がる。

「飲むか、風呂上がりのビール。冷えてるぞ」

 孫景が曹瑛にビールを勧める。

「仕事中は飲まない」

 曹瑛はそういって、マルボロに火をつけた。孫景はバスルームへ向かう。曹瑛は汚れたパンダのマスコットに触れてみた。まだ孫景の手の温もりが残っているような気がした。


 孫景がバスルームから出ると、すでに部屋の明かりがダウンライトになっていた。曹瑛はベッドに横になっている。ライトはそのままに、ソファに腰掛ける。ビールを開け、流し込んだ。ふと、曹瑛の苦しそうな呻き声が聞こえてきた。寝苦しいのか、そのまま気にせずにいようと思ったが、ずいぶんうなされているようだ。


 孫景は起こしてやろうかと曹瑛のベッドに近づいた。眉間に皺を寄せ、額には脂汗が浮いている。唇は薄く開かれ、うわごとを言っている。

「あんちゃん…」

 そう聞こえた気がした。孫景が曹瑛の肩に触れようとしたとき、その身体が勢いよく飛び跳ねたかと思うと、長い腕が孫景の喉元に瞬時にのびてきた。孫景はその腕を反射的に振り払う。


「おい、大丈夫か?」

 孫景の声に曹瑛は我に返った。肩で息をしながら孫景を見上げている。

「ずいぶんうなされてたぞ」

 曹瑛は孫景をじっと睨み付けていたが、横になってふとんをかぶってしまった。

「何だよ、一体…」

 孫景は頭をかきながらベッドに横になった。


 朝、太陽の眩しさに目を覚ました。曹瑛はすでにスーツに着替えて窓際でマルボロを吹かしている。黒いスーツに濃いグレーのシャツ、ワインレッドのタイだ。やっぱりその格好であのボロトラックに乗るのかよ、と孫景は心の中でぼやいた。

「お前のいびきはひどいな」

「は?」

「眠れなかった」

 寝言で唸り続けていたやつに言われたくない。曹瑛は何度か夜中に目が覚めてその度に絞め殺そうと思った、と続けた。身支度を調え、チェックアウトを済ませた。ホテルの隣にあるファーストフード店で朝食を取る。トラックのセンサーは反応が無かった。荷物が無事なのを確かめ出発する。


「上海までここから約180キロ、地道で行っても3時間強で到着できるだろう」

 空は珍しく秋晴れだ。雨が降ればどこかしこで事故が起きて予想しない渋滞に巻き込まれる。孫景が運転席に、曹瑛が助手席へ乗り込む。

 トラックはホテルの駐車場を出て東へ向けて走り出す。時刻は朝の7時、正午の約束には充分間に合う。杭州市の市街地を抜ければまた農道が続く。のどかな一本道だ。孫景は気持ちスピードを上げた。


 上海まで1時間程度まで距離を縮めたところだった。不意に破裂音がして、孫景はハンドルを取られた。車が横転しないようバランスを取り、農道の脇にトラックを停める。トラックから降りると、前にボルボ、後ろにジープが停車した。トラックの後輪がパンクしている。孫景と曹瑛は8人の黒いスーツの男に囲まれていた。

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